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2024年11月18日
明日放送の世界文化賞を紹介する番組「第35回世界文化賞授賞式直前特別番組」で横尾が過去の絵画部門受賞者としてVTRで出演致します。横尾忠則事務所
https://www.fujitv.co.jp/b_hp/sekaibunka/index.html

番組名「第35回世界文化賞授賞式直前特別番組」
フジテレビ
放送予定日時:11月19日(火)午後2:45〜3:45(お昼の番組)
番組キャスター:椿原慶子、木村拓也 他

2024年11月17日
老齢になると時間の進行が早くなるといいますが、ぼくはその反対で時間が一向に進みません。それは多分忙しく考えることが多い若い頃と比較すると、何もしない時間が多くなるからだと思うのですが……。

だったら、なぜ老人時間が短縮化されるんですかね。何もしないくせに好奇心を持とうとするからではないかな。好奇心は欲望とか執着の煩悩に結びつくから、何もしなくても時間が早く進行するのでは?

それにしても気候の激しい変化が気になります。スペインの洪水は明日の日本かも知れませんね。海からの洪水ではなく天からの洪水です。聖書の黙示録が現実にならないことを祈るばかりです。

ところで来期の大谷は如何でしょうか。次々と彼を襲うケガが心配です。腕はOKか、肩はOKか、二刀流の復活はわれわれを勇気づけてくれます。

2024年11月16日
日に日に日が短かくなってくると、絵が描けません。絵は闇のエネルギーではなく昼の光のエネルギーで描いています。だから日が短くなると創作はストップです。

かつてデザイナーだった頃は逆に夜の闇の力で描いていました。絵は内面(個人)に目を向けるがデザインは外面(社会)に目を向ける。そのことと関係しているような気がします。

デザインはお仕事ですが、絵は人生です。若い頃にお仕事を済ませて、年を取ってから人生へ関心が移ったことは、ごく自然のなりゆきでもありました。

2024年11月15日
寝る前にアイスキャンディを食べる習慣ができてしまった。身体を冷やす原因だ。でも身体が冷えると眠くなるというが、これは勘違いだった。風呂で温まった身体が冷えると眠くなる。これは正解。

入浴時に浴剤を入れる。全国の温泉の浴剤で、日替り温泉に入っている気分だが、あくまでも気分で、効果のほどは未定。

その昔、3年近く国内の温泉めぐりを毎月した。草津温泉がNo.1だと思った。その後3度行ったが温泉宿によって湯の種類が違ったがなぜかな。

温泉旅館の食事は20種類は出る。どこの温泉も料理の内容はほぼ同じ。時々カレーライスとかラーメンが食べたくなる。

勝浦だったか、昭和天皇のお泊りになった部屋に泊められたことがあった。なんだか広くて豪華過ぎたのと、舞妓さんの絵が怖くて一晩中眠れなかった。

九州のナントカ温泉(名が思い出せない)では夜中にベッドの足元に白い人型が現われて怖かった。電気をつけるとその人型は小さい粒子になって消えてしまった。

2024年11月14日
コロナ以来、郷里の西脇(兵庫県)へ行った。同級生の息子さんが市長さん。久し振りに同級生と子供の頃よく遊びに行っていた鉄橋の下で会った。ちょっと前までは元気だった4人が欠席。残念だったけど全員88歳だからね。「わしは死ねへんかもわからん」と言っていたF君が亡くなったのは淋しい。

この鉄橋の下でいつも集まっていた旧友の数が少なくなるのはなんとも淋しい。そんな友人達も4月の世田谷美術館の展覧会の絵には何度も登場してくれている。

西脇に帰ると、必ず美術館へ行く。美術館の前庭にはわが家の前栽に植っていたカイヅカイブキの木が移植されているが、今回初めて見る。

また、西脇はY字路の宝庫であちこちにある。それを写真に撮りに行くが、この前と風景が変わってしまってびっくり。風景もどんどん老いていく。

昔と違って町に人の姿が少なくなって、シャッター通りには誰もいない。人間だけが年を取るのではなく、家も道も山も川も老化してしまった。

アスリートのように素早く絵を描いていたけれど、今はゆっくり、ゆっくり描いている。この両者の絵のスタイルは全然違い、早描きと遅描きの2人の画家が自分の中に住んでいるようだ。

それと描かない自分もいる。絵は描くだけが絵ではない。描かないことも重要だ。描かない時にこそ、いろいろなものを吸収するのである。

描き続けることは時には強迫観念に襲われている時かも知れない。描くことが義務になったら絵もおしまいだ。

2024年11月13日
この間からトレーナーに来てもらって、体操のようなことをしたり、今日は家の近所を一巡して、帰宅のあと、また体操。もうこれだけで快適なヘトヘト。筋肉トレーニングは頭を空っぽにしてくれる。

絵を描くのもトレーニングのひとつかも知れない。立ったり、しゃがんだり、背伸びをしたり、左右に移動したり。時には寝ころがったり。これをトレーニングだと意識した方がトレーニングになる。

トレーニングすればするほど頭が空っぽになる。トレーニングとはつまり頭を空っぽにすることだ。頭がつまっている時は筋肉もつまっている。

2024年11月12日
世田谷美術館で来年4月から開催の個展作品が最後の一点になりました。この最終作は次作への予告編的作品ですが、これとて何も決まっていません。東京国立博物館の寒山百得展を想像した人は「違う!?」と思うでしょうね。

来年は一服です。開店休業ってとこかな。家の奥でこっそり描いているかもしれませんが、明日のことはわかりません。行き当たりばったりの人生だから計画も目的もありません。

人まかせ、運まかせ、この方が生き易い。また何があるか、起こるかわかりません。人生は探偵小説です。

流行りのインスタレーションには興味がありません。絵はまだやり残したことだらけです。絵の中で映画や建築や舞台美術や哲学やデザインや芝居や、彫刻、物理や、科学や、ファッションや、音楽や文学も出来ます。

今、1時間番組の4月以後のものを撮ってくれています。どんな番組になるのか、わかっているようで、わかっていません。僕の番組を過去に3本作ったディレクターで、今回が4本目。考えを語らない人なので画面で語るんでしょうね。

今、頼まれ仕事の大半はアパレル関係かな。外国のファッション系の仕事も結構多いです。アパレルとアートは別物でもなさそうです。

2024年11月11日
この歳になると、あっちこっちがハンディだらけですが、日替り病人です。今日は歯痛です。昨日は便秘。明日は何かな?こんなハンディを通して、88歳の肉体を認識しています。肉体を知ることは「私」を哲学することです。

この歳になると、あっちこっちがハンディだらけですが、日替り病人です。今日は歯痛です。昨日は便秘。明日は何かな?こんなハンディを通して、88歳の肉体を認識しています。肉体を知ることは「私」を哲学することです。

毎日、飽きもせずに絵を描いています。実は飽きているのです。飽きて初めて絵が描けるのです。

昔は朝になると、ピョンと起きていたけれど、今は昔。アトリエでは、いつもソファーで寝ています。また寝てないと、絵は描けません。寝て頭を空っぽにするのです。頭がつまっていると絵は描けません。

土曜日のNHKBSの「健さんに会いたい」を見る。11月10日が命日。あれから10年も経っていたのか。ついこの間、小田貴月さんから、健さんの訃報の電話を聞いたばかりで、思わず健さんの携帯に電話したのを思い出す。

テレビの健さんは実にストイックに生きた人だった。実際もそうだったけれど、ぼくはテレビの中で「もっとちゃらんぽらんでもよかったんじゃないかな」と本音を言ったが、健さんはストイックな自分に対する自己愛が強かったように思う。

逆に今はストイックな人間がいないので、憧れるのかも知れないが、それもあくまでも虚構の人物としてであるように思う。

だけど、このテレビに出演してコメントを述べている俳優はそんな健さんを理想としているが、でも健さんのように生きていくのは無理だと思う。なぜなら、ある程度、自由を犠牲にしなければならないから。

僕は自由にいたいから、ストイックになれない。自由でいるためにはチャランポランも必要。だけど社会的反発は食うかも。

土曜日の朝日新聞の書評欄を見た人は、文字が飛んでいて真白になっているので驚いた人もいたんじゃないかな?署名入りの文章だから、いいものだが、普通の記事じゃびっくりしますね。あの文字の消えた書評でも一瞬「アレ?」と思いますよね。

でも、そう思わせれば成功。編集長が、次の頁に「なぜアート書評なのか?」という一文を掲載していますが、読んでくれましたか。

もしや社内で横尾と編集部の間で問題が生じたのかな?と憶測した人もいるかもしれないが、そんなことはいっさいありませんでした。


2024年11月08日
このところ特集番組の撮影がアトリエに入っていて、絵を描くのを待機されている。すると描きたくなくなる。あまのじゃくである。絵とはそーいうものだ。絵に限らず、反対のことをしたがる。

わが家にはおでんという猫がいる。くっつきたがるのは猫も人間も同じ。安心したいだけのこと。求めることと、与えること。どっちや。

今日は一日腱鞘炎のまま絵を描く。全くコントロールできない。絵はコントロールするのではなく、コントロールされるものである。

歳を取ると同じことを何度も言う。言いながら気がつく。相手も、前に聞いたという顔をしているが面倒臭いのでもう一度言う。相手も面倒臭いと思いながら聞いている。

今週の土曜日に朝日新聞の書評が出ますが、アート批評という呼び方が適切かどうかわからないけれど、またXに感想寄せて下さい。

2024年11月07日
今週の土曜日に朝日新聞の書評が出ますが、アート批評という呼び方が適切かどうかわからないけれど、またXに感想寄せて下さい。

書評というのはそれ自体クリエイティブなものではないので、もし、そーいう意識を持ち込むとしたら、書評のビジュアル化しかないのではと思って時々、そんな書評を試しています。

最近はアトリエに入ると眠くなります。だから、今描いている絵は眠そうな絵を描いています。不眠の方はこの絵を見れば眠れます。スリーピングアートってとこかな。

今度、久し振りに作るのは「BUCK-TICK」展のポスターです。ロックのポスターは「GLAY」以来かな?いや「ローリング・ストーンズ」があったか。忘れていたけど「デュラン・デュラン」から頼まれたポスターがあったっけ。

耳が難聴で全く聞こえなくなってからは生活から音楽が追放されました。でもグルーブの精神はわかるので、変なものにはならないと思います。「BUCK-TICK」を期待して下さい。

今までの「Y字路」の絵はリアルな現実の風景だったけれど、これから描く「Y字路」は架空の幻想Y字路です。発表は未定だけれど、その内に。

絵は上手になるために描くのではなく、描けば描くほど下手になる絵がいい絵である。

絵は考えて描くのではなく考えないで描くものである。世の中の絵はほとんどが考えた絵ばかりだ。だから現代美術は難しいといわれる。

だからぼくの絵を見る時は考えないで見て欲しい。考えたらぼくの絵ほど難しい絵はないですよ。

週刊新潮に「曖昧礼讃ときどきドンマイ」というエッセイを連載しています。(前にも書いたかな?)。今週で69回目です。読者年齢は高いけれど、若い人にも読んでもらいたいかな?

毎月の病院の定期診断が楽しみ。データが上ったり、下がった理、良くなったり、悪くなったりは結構楽しみです。悪いと、来月は良くしてやろうとガンバる。すると結果がいいのです。面白いですよ。

2024年11月06日
楳図かずおさんが亡くなった。僕は彼と同い年なので、大変ショックです。同年者は一心同体なところがあるので、特に楳図かずおさんは身近に感じていたから、驚いています。彼は豆が好きで2人の共通点です。電車に乗れないからといってわが家から何時間もかけて夜中に歩いて帰るんですよね。

マンガを描かなくなった時は、料理を習ったり、イタリア語を習ったりしていましたね。別にイタリアに行くわけでもないのに、勉強が好きなのかな。

マンガを中断して、絵を描きましたね。誰もマネできない素晴しい絵だった。彼は僕より長生きすると思っていたのに、残念です。

昨日はポルトガル、今日はイタリア、間もなくドイツのみんな美術関係者の人ですが、この歳になると海外には行けなくなってね。でも今は海外の人が来てくれるから助かります。一番行きたい国が日本だからかな?

来年の計画は絵を描かない計画にしようかと思っています。描かないことの効用って、きっとあると思うんですよね。

岡部版画工房の牧嶋さんが猫の版画にサインをと、焼芋を大量に差し入れしてくれるが、一体誰がこんなに食べるのか?スタッフの家族にも持って帰ってもらう。

タマ(わが家の今は亡き愛猫)をテーマにしたシルクスクリーンの版画12種類もできた。猫好きの方にどうぞ。ビームス ジャパン(新宿)で開催中。
https://www.beams.co.jp/news/4226/

6年間毎日タマの版画と格闘したそうだ。タマの本が出版される前から原画を元にシルクスクリーン版画に。来年から販売するとか。

ほぼ毎日100〜150号の絵を描いている。子供の頃(3才)から88年間描いているので、いい加減に飽きているが、飽きてからの方が自由に描けるのは体のハンディをそのまま活用するから。

絵は80歳を過ぎてから面白くなる。絵が面白くなるというより、描くことが面白くなる。
三島由紀夫とピエル・パオロ・パゾリーニの2人展がイタリアで開催される。そこに三島さんとのコラボ作品を出品する。パゾリーニは殺されたが、三島さんは自分を殺した。

2024年11月05日
「飽きる美学」(実業之日本社)が出るけれど、鈴木成一さんに装幀してもらい、2度もキャンセルしたが最後に「飽きた」結果のような装幀で最高!!

世田谷美術館の作品もあと2、3点で終る。飽きてしまったけれど、そう思うとまた描きたくなった。結局飽きてないんだ。

山田詠美さんがバシッときまった帯の文章を書いて下さった。

年内には「飽きる美学」が一冊出るけれど来年は世田谷美術館の個展カタログも出る。海外ではイギリスから大きい画集と台湾から分厚い日記が出る。

ここ3年ばかり描き続けていたので、来年1年は休み続けたいものだ。描かないことの効用ってあるはず。描くことがいいとは限らない。何もしないことは何かすることである。

しばらくというか長い間この「X」を休んでいたので、これからは描くかわりに書くことへ方向転換でもするかな。

目下、特集番組(来年4月放映予定)の撮影がアトリエに時々来る。まるで公開制作みたいだ。

アトリエで篭って1人で描くと絵がカタクなるが、他人の目にさらされながら描くと、かえって自由な絵が描ける。

マネはアトリエにいつも人を招いてパーティの雰囲気で描いていた。だから、あんな革命的な絵を描けたのかな?



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