2013年7月30日
一時わが家のタマが家から消えた。老猫なのでもしや死期を察して家出したかと思った。その後家の中の思わぬ所で発見。一度死んだと思い込んで、その気になったが、そう思ったことで愛猫との死別の覚悟ができたのはよかった。
カルティエの会長は大のプレスリーのファンで、プレスリーのコラージュ作品を頼まれていたが10ヶ月振りで7点制作して、やっと発送した。だけどプレスリーの肖像権がまだあるので公に発表できるのはぼくの死後になるだろう。
これから描く絵の全てを死後に発表するなんていうのも、デュシャンの「遺作」みたいで、人を食っててそう悪くないね。でも死後を想定するなんて未練がましいかも。
この間から眠ることを手放したら、なんだかよく眠れるようになった。何んだって手放せば欲しいものが手に入るのかも。
松井秀喜がNYの部屋の中から野球に関する物、ボールもバッドも写真もすべて一掃したという。さて、ぼくは何を一掃しよう?
電話で相手の人が「そちらの番号何番ですか?」とよく聞かれるが、自分しかいないアトリエに自分が電話することがないので、番号を覚える必要がない。だからいつも「知りません」と答えるしかない。

2013年7月25日
イチローが活躍すると自分が何かしたことより嬉しくなる。なぜかというと、それはよくわからない。
夏の朝風呂は気持ちいい。不眠も解消されそう。夜も入る。風呂のあと、体が冷えると眠くなるからだ。井上光晴さんは一日に7回入ると聞いたが本当かな? 本当だろうな。眠くなった方が小説が書けるのかな。小説はともかく、頭がボーとなるので絵にはいいかも。
つい2週間ほど前にぼくは「日が長くなったなあ」と言っていたが、昨日は「日が短くなったなあ」と言った。こんなことをいいながら人生が終るのかなあ。
これからの人生はやることなすこと、全て終り仕度のような気がする。
旅が重なり、不眠状態が続いている。不眠は病気じゃないけれど、ぼくは病人並みだ。眠れないことは一大事件になってしまう。他に大きい事件がないからだろう。
不眠は血流が悪いらしい。だから身体をお灸で温める。眠りは体が冷えると起こるが、お灸で温まり過ぎると眠れないんじゃない?
あんこは中々腐らない。砂糖と塩のせいらしい。普段から砂糖と塩を採っているぼくはじゃ腐らないのか。

2013年7月23日
今日、危わや熱中症になりかけた。急いでスポーツドリンクを買って冷房の効いた古本屋に飛び込んで休ませてもらって落ちついた。一気に飲んで、10~15分ほどすると元に戻った。スポドリは本当に効きますよ。
「週刊読書人」の<絵画の向こう側>というエッセイが100回で終り、101回目から<日常の向こう側>と題名変更して日記が始まった。非公開日記は43年間続けているが、この連載日記は公開前程です。
ぼくのエッセイは日記的なので、日記は必然的にエッセイ的になる。
導引術で按腹をしていると、猫が腹の上に乗って、こちらの真似をして小さい足で按腹してくれた。
ギンザ・グラフィック・ギャラリーの北沢さんが大宮エリーさんを誘ってやってきた。大阪弁の彼女の話が面白い。よく笑った。健康のためにもよかった。もらった文庫本を読んで、一人で声を上げて笑った。朝の5時頃にこんなに笑う自分が不気味に思えた。

2013年7月22日
瀬戸内国際芸術祭の一環事業の「豊島横尾館」のオープニングセレモニーから無事熱中症にならずに(多少の危機感はあった)帰還しました。昨日から一般オープンです。島は熱いけれどアートも熱い。アートの熱中症ご注意!

2013年7月17日
公開制作は疲れるが集中できる。暗黙の「描きなさい」という要求が背後から襲いかかってくる。その想念を利用すると何故か描けるんですよね。
Y+T美術館内にインスタレーションされた動物の剥製は、全員が王子動物園で死んだ動物たちばかりだ。特に北極熊の夫婦の巨大さには圧倒されます。ぜひ!
19日、いよいよ豊島(てしま)の豊島横尾館のオープニング。全体がマジカルで、かなり遊べますよ。神戸のY+T美術館経由でぜひ真夏の瀬戸内海へ。両館とも山あり海あり美術あり。
日本家屋の中では絵が全く違って見えます。ウォーターフォール・タワー(滝塔)と横尾式便所へもお忘れなく。異次元体験を!

2013年7月12日
アマゾンでも品切になっていた「横尾忠則全装幀集」がいよいよアートプラネットのHPから出荷できるようになりました。大変ご迷惑をお掛けしました。本日第一段を発送しました。
ツイートで他人のあら探しをする人が必ずいる。すねに傷ある者に限って他人を批評するとグラシアンは言う。彼はニーチェ、ショーペンハウエル、森鷗外に大きい影響を与えた17世紀のスペインの哲学者。ぼくが最も私淑する賢人の一人だ。
ぼくが今一番仲のいいのはわが家の老猫タマだ。ぼくの移動に従ってどこにでもついてくる。彼女は常にアイ・コンタクトしてくるので、おおよそ何を思い、何を求めているのかがわかる。それが通じた時は実に幸せな気分になれる。

2013年7月11日
13日(土)神戸、Y+T美術館の「動物図鑑」展のオープニング。当日「えほん・動物図鑑」の文を執筆してもらった歌人の穂村弘さんとトーク(14時より)を行ないます。気が向けば公開制作も。翌日14日(日)は予定通り公開制作を行ないます。
公開制作では旧作に加筆しながら、大幅に作品を変えてしまうつもりです。
公開制作の場で、ワークショップを美術館サイドで計画を立てているようです。新作「えほん・動物図鑑」の各ページの動物画を切り抜くというワークショップです。このことで驚きのビジョンが本の中で展開します。
展覧会場には王子動物園からやってきた本物(?!)の動物が何種類もいますよ。横尾忠則現代美術館のブログにアクセスして下さい。

2013年7月8日
蒸し暑くて汗がどんどん出てくるが、この感覚は田舎にいた子供の頃の夏を想い出して、そう悪くない。日常の様々な感情や状況はすでに子供時代に体験したことばかりだ。今も子供の感覚でおられるのも、それらの体験を肯定しているからだろう。
古本屋で見つけた本をすぐ買わないで次にと思っていると、次に来た時は売れてしまっていることが多い。見つけた時点で、その本にきっと目に見えない印をつけてしまうのだろう。だからその本に対する想いを心から消すがよい。
蟻の嗅覚ってものすごい。部屋の中のたった一個の和菓子に蟻が行列を作っている。外の蟻が一体どこからどうして室内に入ったのだろう。その菓子を捨てると蟻の数は急に減るが、何匹かはいつまでも探し続けている。蟻にも執着心のある者もいる?
文学者の肖像画を222点描いたが、その一人一人の人生を描くことはアーノルド・ベックリーンのようにはいかない。
ベックリーンの「死の島」は7月20日にオープンする豊島横尾館のコンセプトである。それを象徴するかのように館の庭に糸杉を植えた。実はわが家にも糸杉がある。
昨夜、蚊がベットの周辺を飛び廻るので、スプレーを吹きつけて退治したはずなのに、何度もやってくる。すでに死んだはずだ。もしかしたら蚊の幽霊かも知れない。
やっぱり昨日は「猛暑襲来」と新聞に見出しがでるように自転車で走っていたが、ヤバイ状態になり、あわててスポーツドリンクを一気飲みして、冷房の効いた店に避難する。
以前熱中症になった時、体にお灸をすえられた時のように熱くなった。暑いのではなく熱かった。
生活をシンプルにしなければならないのに、複雑になっていく。老齢になると複雑に耐えられないのだ。現代生活に合わなくなっていくのが目に見える。
老年になると生活に必要なものは絵を描く道具と最小限の衣食住だけでいい。他は余計なもののように思えてくる。
老年を維持するのは睡眠なのだが、これが維持できなくなる。生活がシンプルになっていない証拠だ。もしシンプルになれば老年こそ最も素晴らしい生き方ができるはずだ。
キケロとヘッセから老人の生き方を学ばなければならない。

2013年7月5日
4時半起床、5時朝食、6時アトリエへ、8時まで肖像画2点描く、9時まで野川周辺きたみふれあい公園を散策。ベンチで白隠禅師「夜船閑話」読む、10時「読書人」宮野さん、角南さん来訪。休載していた連載再開の打合せ。1時オノ・ヨーコさんのCDの打合せをGPTのやぎさんと。

2013年7月4日
不眠の夜は何も考えないことを考え続けているものだ。眠らなくても死なないと思うことよりも、眠らないと死ぬと思った時に僕の不眠は解消された。自分ひとりが不眠だと思って悩んでいるよりも、10人が10人不眠だと思えば不眠は問題ではなくなった。不眠の問題は過去にあるのではなく、未来にあるのだ。明日早く起きなきゃいけないという恐怖心の中に。僕の経験から言えば不眠は自然体から離れた時に生じる。

2013年7月3日
海外の旅番組でよく目にするのは猫だ。大抵が野良猫だが、悠然と道路を歩いており、どこでも横になる。誰もが猫を可愛がる。こんな猫にとって平和な光景は日本ではなかなか見られない。日本は人と猫との信頼関係が成立していないように思う。なんだか寂しい。
222人描いた日本の近現代の作家の肖像画展(南天子画廊・8月19日より)と画集(日本経済新聞出版社)が目下準備中。ドナルド・キーンさん、酒井忠康さん、平野啓一郎さんが文を執筆。足掛け4年かかった。資料的にも役立つかな?
公園のベンチの周辺には沢山の蟻がいる。蟻の頭上を人が通っていく。踏まれて圧死する蟻の仲間が絶えまなくやってくる。まるで自殺行為だが、蟻はその意味を知らない。自己と他者の区別がないかのように死の概念もないのだろう。
草野球をする子供と草サッカーをする子供が同じフィールドでやっている。両者とも何の疑問もなく、相手に対しても無関心。こんな生き方がいい。

2013年7月2日
自分が見るような夢ではない夢を見た。別の人格が自分の中に入り込んで、その者がみているような夢で、その状況に自分はどう対応していいか解らない夢だった。何んだか自分が少女趣味的な人格(女性原理)になっていて、これはもう他人の夢としかいいようがない。
夜、ニューヨークのオノ・ヨーコさんから電話があって、私は80才になったのでこの年令に何かメモリアルなものを感じていると。自分でこの年令に驚いているようで、次は85、90でしょう? とヨーコさん。その次は100ね、とぼくが言う。何んでも可能にしてきたヨーコさんなら年令も越えそう。

2013年7月1日

糸井さん、ありがとう。イトあん作り本当に上手くて、美味いねえ。生活力あるよね。

1969年に描いたポスター(クライアントのないポスターなのでポスターとは呼べないが)の原稿が出てきたので、それをシルクスクリーンで刷った。44年振りの作品発表になるが、これってやっぱりビンテージものといっていいのだろうな。刷り部数は70部で、HPで限定販売の予定。

同級生の老人に会うと皆んな趣味を持っている。自分は? そーねえ趣味ないね。もしかしたら絵が趣味かな? 趣味が職業になることがあるけれど、職業を趣味にするってのも手だね。
年を取ると頑張ろうとしなくなる。競争をしなくなる。外部への関心は内部に向かう。欲しいものが失くなる。欲しいのは時間だけだ。
このツイッターの対象は老齢の自分自身へのものだけど、フォロワーの90%以上は年少者だからぼくの呟きには興味ないんじゃないかな。
「えほん・どうぶつ図鑑」が間もなく出る。各頁の動物の絵を片端から切り抜いてもらう。すると切り抜かれた穴から後続ページの様々なビジョンが見える。すでに海外から注文もあり、読者が完成させる本で凄く面白い。文は穂村弘さん。横尾忠則現代美術館先行発売。店頭は7月19日以後。

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