2013年12月31日
「インドへ」(文春文庫)が重版(20刷)になった。36年前(単行本で)に出した本だが、今も増刷してもらえるのは、36年前も今もインドは本質的に変わらないからかもしれない。ぼくがまだ41才の時だ。画家に転向する4年前だ。まさか4年後に画家になるとは思ってもみなかった。

三島由紀夫さんが死の三日前に「インドに行ける者と行けない者がいる」と言われ、「君はそろそろ行ってもいいだろう」という一言に押されて三島さんの死の7年後(そんなにかかった)に行った。その旅の記録である。

インドのスリナガルに結構長く滞在した。ダル湖のハウスボートに何週間もいた。そして、そこを舞台に「スリナガルの蛇」という小説を書いた。「ぶるうらんど」(中央公論)の中に集録されている。ポルノっぽいが、そーじゃなく創造の究極の行(ぎょう)を描いたものです。

4ヶ月振りで100号の絵を描きだした(12月29日より)。最初は全く手が動かなかった。描き方を忘れていたのだ。2日目から少しずつ思い出した。歩き方を忘れて、少しずつ思い出した時のように嬉しいものだ。

絵の結果を想定しないまま描き始めるので、どんな絵になるのかは自分も分からない。そこに到達するプロセスが愉しいから結果はどーでもいいのだ。結果は他人まかせ。

2013年12月27日
火山活動を起こしていた島が西之島に近づいて、二つの島がひとつになる瞬間をテレビで見た。国作りの神話を見ているようだった。

年末に滑り込みセーフで足の骨折が治った。まあマーフィーの法則に従って過去完了形で始末をつけることにしたというわけ。

今夜はうんと寒くなるという。東京ドームのタイガースの公演でうんと熱たまってきます。

2013年12月26日
目が覚めて気になるのは先ず天気だ。天気によってその日の気分が決まるような気がする。天候が人間の感情を左右するからだ。でも感情に左右されるようではまだまだチョロイ。

年末はトンネルに入っていく気分だ。年始はトンネルを出た気分だけれど、トンネルの長さは大晦日から元旦の朝までの睡眠時間だ。

年末もあせるけれど、年始もあせる。それは「現在」がなくって「過去」と「未来」だけって感じがするからかな。

物忘れが激しい。面白いほど激しい。絵の描き方も思い出さないことがある。だったら一層のこと素人になればいい。初めて絵を描く人のように。このことが絵を描く上で一番大事!

絵が上手になるということと、絵が下手になるということはぼくにとっては同意語だ。

冬は赤い物を着ることにしている。下着もパンツもセーターも、ジャケットも真赤赤。赤色はパワーを与えてくれるからだ。

2013年12月25日
神田の古書店に来てもらって450冊ほど売る。大半が読んでいない本だ。自分に残された時間内では絶対に読まないだろうと判断した本ばかりだ。

無駄な出費をしたものだと思うが、それでも買う行為の中でこれらの本はぼくの中を通過したに違いない。そしてその結果手放すのだから無為ではなかったはず。

ついこの間の冬至の日の5時は真黒けだったけど、今日は真暗けという感じ。

わが家のタマが衰弱していたので点滴を打ってもらったら、急に食欲がでてきて元気を取り戻した。こんなことが自分の健康と無縁でないことが証明された。

2013年12月24日
今年は三連休が多かった。サラリーマンじゃないのに何故か嬉しいものだ。何か特別なことをしたり、人に会うなり、どこかに行くわけでもない。3日間をただ孤独に過ごすだけだ。

子供の頃から孤独には慣れている。一人っ子は孤独が当り前なんだ。だからか孤独を楽しむ職業を選んだのかも知れない。

75才から本格的な老人になるという。肉体面からだろう。するとぼくは本格老人2才だ。幼児の老人ということにしておこう。

この間梅原猛さんに77才だというと、「若いね」といわれた。若く見えるということか、88才の梅原さんから見て「若い」ということか、「どっちか?」と86才の土屋嘉男さんに聞いたら、「自分の年令に比べたら若い」ということだといった。

そりゃそうだな。67才の人を見ると、「まだ67才か」と思うもんね。

以前、黒沢明さんが80才の時、ぼくはいくつだっけ70前だったかな? 黒沢さんは「これからの人生長いよ」と言われた。

寒いと心まで縮む。心が縮むと何もしたくなくなるんだなあ。

自分のことばかり話していると自分が小さくなっていく。子供になるというんじゃなく、客観性が欠如する。。

2013年12月20日
古本屋の主人はぼくと同年、その人が大股で歩いているのを見てびっくり。ぼくはヨチヨチ歩き。よーし、こちらも負けじと大股で歩いてみた。アレ? 歩けました。でも5mぐらい。毎日が歩行練習だ。

今日はアトリエに大きいエアコンが入った。まだ居心地はわからない。設置中、喫茶店で仕事。お客22人全員が中年女性。金属的な物凄い大声で、こちらの体が震動するくらい。元気な日本とも思えるけれど、終末にも思える。

2013年12月17日
家の庭が明るく、広々としていると思ったら桜の樹の葉が落ちて、板の間から空が見えているからだ。冬の空の青は水のように薄い。だから眺めていたら寒くなった。

新聞の書籍広告を見ていると、毎日感心するほど本が次々と発刊されている。そんな広告や書店の山積みされた本を見ていると、世の中のこと何も知らなくていいや、という気持ちになる。

好奇心はほどほどにと言いきかせている。好奇心を持ち過ぎると忙しくしてしまう。忙しいことは自分に対する礼節の欠如だと思う。

2013年12月16日
よちよち歩きだけれど、自分では人間らしく歩いているつもりですが、まだ他人がみれば下手くそらしいです。正月明けまでにしっかり練習しましょう。

落葉がくるくる舞いながら道路を走っている。そんな姿は谷内六郎さんの絵の世界だ。

そーいうと谷内さんはいつもアポなしで、ブラッと遊びに来られていた。玄関のドアを開けるといつもプーンとポマードのいい匂いをさせながら入ってこられた。その後こんな匂いは一度もかいでいません。

2013年12月12日
杖を持とうと思った(ちょっとの間持った)けれど、止めた。杖に依存して治ることを諦めそうだから。第一年寄り臭いじゃん。

土曜の夜「男はつらいよ」を観ると言ったら、結構仲間の多いのに驚いた。山田洋次さんに会うと、いつもその後の寅さんの物語りを、語り合う。山田さんは老人寅さんもさくらも演れるって。じゃおじちゃん、おばちゃんはどうしますかね。死なせるか100才位にさせるか、他の人達も同様。

ぼくは死んだ寅さん(渥美さんのこと)をさくらが霊能者を訪ねて、寅さんに現世への未練、または死後の世界の実相を語らせる、なんて話はきっと面白いんじゃないかと思うね。山田監督に提案しとこう。

または寅さんは実は宇宙人だったという話にしちゃおう。そーすると今まで納得のいかなかった寅さんの言動の謎が全部解けますよ。

乙武洋匡さん、どうもどうもありがとう。もう大丈夫です。乙武さんに励まされると一辺に治ります。また会えるといいねえ。

わが家のタマはぼくの足の回復の兆しのタイミングで具合が悪くなって病院へ。動物はよく飼主の病気や事故の身代りになるというが、――でなきゃいいが。

さあ、年末までに誰が見ても普通に見えるように歩く練習だ。ただチクチク痛いのがちょいネックだけれど、治る楽しみって悪くないね。

今日、オノ・ヨーコさんと糸井重里さんから年末福袋がどっさり届いた。大人のおもちゃ箱みたいで、童心に戻れます。

2013年12月11日
今回のケガは大きい転期の予兆だという風に考えられるようになってきた。ケガもまんざらじゃないぞ、という声が脳ではなく、体の中から聞こえ始めた。

歩かなければ歩かなくなる。肉体が意志をコントロールすることもある。

陽が弱くなってきたので日光浴ができなくなってきた。それでも猫が陽だまりを見つけて暖かい場所を探すように、なるべく風の通らない所を求める。老人と猫はよく似ている。眠くなるところも似ている。

2013年12月10日
この間ロンドンアカデミーの人達が20人来た。その中に日本的モチーフの作品は評価するが、例えば無国籍的な日本の建物のY字路は、なぜ日本建築ではないのかと聞くが、それ以前に東京の街、自分たちの泊っているホテルの建物をどう思っているのだろうか。

絵に描かれた建物を見て、日本の建築に疑問を抱くところが不思議だ。絵になって初めて絵の持つ批評性に気づくらしい。

久々の雨は嬉しいが、寒気が身体にこたえる。でも自然の色彩がよみがえる。緑の色の驚くほどの多様性に緑色の絵具は対応しきれていない。

絵具の緑色は心理的に恐怖感を与えるが、自然の緑色は安心感を与える。

2013年12月9日
電気こたつを止めて湯タンポにする。寝る前に30分ほどベッドの中に入れるだけで、長時間温まる。電気熱は人工的だけど湯熱は自然的で人にはしっくりするように思う。

外出には杖をつくようにしたが、まだぎこちなく、足と杖の役割がどうもちぐはぐ。足のための杖というより、杖のために足がある。そんな感じなんだ。

わが家の老猫タマは家の中の居場所を必ず1個所定める。定めた以上、いつもそこにいるが、しばらくすると飽きてしまい、また別の場所を見つける。その繰り返しを一生続けている。ぼくの作風の変化そっくりだ。

病気の時は、「普通が一番いい」と思うが、治ると普通でいることをすっかり忘れている。

土曜日の夜はBSの「男はつらいよ」を観る習慣がついてしまった。先週で9話目だけれど、そのほとんどを観ているのにわれながらあきれている。

3ヶ月近く絵を描いていない。こんなことは今までに一度もない。シグマー・ポルケは一年以上描かない時があると言っていたが、人間の一生の時間は人それぞれ平等ではないので自分を基準にするしかない。

2013年12月6日
死を恐れるのは、生活の中に楽しいこと、面白いこと、嬉しいことを見失った時、じんわりと死の感情が押し寄せてくる。その反対に楽しいこと、面白いこと、嬉しいことに夢中になっている時はいつ死んじゃってもいいと死を恐れなくなる。

昨日、オノ・ヨーコさんがサプライズ的にアメリカの友人達4人と遊びに来た。ヨーコさんと話をしていると世界がちっぽけに見えてくる。彼女とはありとあらゆる話をする。尽きない泉の水だ。一つ終って次じゃないの、一つの話に無数の話がぶら下がってるいるの。

ヨーコさんはぼくの絵も沢山コレクションしているけれど、アトリエの絵を批評する批評眼が眼ではなく心でとらえるので他の人と全然違う。作家の眼による創作批評だから、魂から魂に語りかける。思わず彼女のために描いてみようという気持ちになる。

老年になって親しくなる人達がいる。それが今ぼくの周辺に起こっている。基本的に老人が多いが、中には若い人もいる。こーいう人達は前世で深い縁があった人達だと聞いたことがある。

やっぱり杖をつくことにした。家に明治の頃の杖が2本あった。素朴なやつで、山田洋次さんの竹製の杖にはかなわないけれど。おしゃれで持つわけじゃないから、変に杖が目立つとねえ。

昨日はオノ・ヨーコさんがサプライズ的にアメリカ人4人と一緒にアトリエに来て、あれこれ沢山話せた。まあ一年に一度のチャンスだから貴重な時間だ。

8日(日)の日比谷公会堂の「ジョン・レノン・メモリアル・デイ」に出席の予定だったけれど、足の具合が良くなく、行けないのでビデオ出席になりました。

2013年12月5日
足のカカトが痛い病気(足底筋膜炎)は結構あるみたい。以前も展覧会を見終ったあと、この症状が起ったことがあった。立つ仕事の多い人に起こることが多いらしいが、ネットで調べると3週間から3年とあるが、治る人はもっと早いらしい。

杖をついた方がいい、と山田洋次さんから杖を借りた。今日は成城の駅前を2人で杖をついて歩いた。山田さんはオシャレだけど、ぼくは本物なのでリアルだ。家に昭和か大正時代の杖があるので、それを使おう。高い杖になると300万円ぐらいのもあるらしい。特注もいいかな。

ぼくのように集中的にケガや病気が重なると「これが自分」という気がしてくる。だけどそれが治ると、前と後の自分が変る。変ろうと思わなくても自然に変る。このことは「ケガの功名」だ。「転んでもタダでは起きぬ」というような厚かましいものではない。

2013年12月4日
昨日の朝、ベッドから降りると右足のカカトが立っておれないほど痛む。一体これって何? ネットで調べると足底筋膜炎といい、スポーツ選手なども襲われるそうだ。左足のケガが治らない内に、今度は右足。こう身体が忙しきゃ絵も描けない。

昨日、来日されたオノ・ヨーコさんと身体や病気について電話で長々話す。ヨーコさんは80才になったけれど「もう年だから」と言う言葉は捨てたと。芸術家には年令は無縁だからね。

2013年12月3日
時々ハッとするほど上手い絵を見ることがある。それは大抵素人の描いた絵だ。デッサンは狂っているが、どうしたらこのように上手くデッサンを狂わせることができるのだろう。

何が上手いかと言うと、そこには邪心がなく、その人がそのまま自然体になれているからだ。

そして大胆である。ちっとも上手く描こうとも、評価などいっさい頭にないからだ。「描けちゃった」のだ。

絵は描こうとするものではない。絵は描かされなければならない。でないと、「描けちゃった」というような絵は生まれない。

「描けちゃった」という絵は、神が薄ら引いた線をただ無心になぞるだけだ。

そんな神の引いた線が大抵の人は気づかない。だから自分で描こうとする。そんな自分がいるから、かえって神のデッサンが見えないだけだ。

2013年12月2日
ガニ股歩きなら歩きやすいことが分ったけれど、人前じゃねえ。やっぱり杖しかないかね。二次災害のためにもころばぬ先きの杖。

絵なんて、あーでもない、こーでもないとやっている内に、出きちゃったで、いいんじゃない。でも評価を得たいと思っている人は、ぼくみたいなやり方はしない方がいいよ。

絵は下手でもいい。上手そうに見せればいいのよ。

あれこれ考えないことにしようということを考えるのも結構楽しいもんだ。


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