2017年12月31日
大晦日は描き納め。その続きは明日の元旦の描き始めで完成。2年にわたって1点を仕上げる。

2017年12月28日
今年最後のツイートかな? ちょっと忙しくなってきたかな。体調も少しずつ上向きに。来年の展覧会の予定などもある。先きの予定が入ると延命させられた気分だ。

今日は快晴だけれど、極寒だ。年末年始休みの間に絵をと思ってキャンバスを大量に? 買う。実際はそんなに描けないけれど負荷をかけた方が意欲的になれるかな? と思って。

朝日の書評を担当していなければ、年間、ほとんど読書をしないと思うけれど、書評のお陰で、普段なら読まないだろうと思う本を読むことになる。固定しない自分とテリトリィを拡張するのはいいことだ。

僕はメス猫みたいにテリトリィを限定しているので、オス猫に変身ってとこかな。

冬至が過ぎてからというもの日に日に仕事の時間が伸びていくよーだ。やっぱり人間は太陽と共に生活しているのがよくわかる。

今日は今年最後の足もみ治療だ。これが痛いのだが、8ヶ月以上続けていると、イタキモチイイに変る。

一月には「老齢&創造」という80才以上の老齢者と歳を重ねると共に充実していく創造についての芸術家8人(だったかな?)の対談集が出る。これってかなり面白い本になったと思う。まだまだ若いと思っている人にこそ読んで欲しい。

毎回、一点一点違う作品を作りたくなるのは変化を恐れる気持の裏返しで変化しないことに恐れる気持の表われだろうなあと思う。

10点描いたら10人の人が描いたような絵を描きたいがいくらタイプの違う絵を描いても、やっぱり一人の人間の絵になるのはシャクだ。

絵が下手になりたければ、ウンと沢山描けば下手になる。ピカソがそうだ。上手に描こうと思えば本当の下手になる。

苦痛とか苦悩とかをストレスと呼んだらしいが、どーも肉体的と精神的なものが合体したものかも知れない。

2017年12月25日
昨夜クリスマスイブだったこと知ってました?

冬至が過ぎて3日目、気のせいではなく本当に日没時間が長くなったようだ。

2017年12月22日
今日は冬至で、1年の内で昼が一番短い日。一日24時間は変らないのに、えらい損をしたような気がする。明日からは少しずつ損を取り戻せる。

朝日新聞に書評を書いているので、「ぜひ書評を!」と本が送られてくるけれど、書評の対象になるのは編集部が集めた本に限ります。悪しからず。

2017年12月18日
冬至まで4日、どんどん時間の底に落ちていきますね。一年で一番長い夜をどう過ごしていますか。

2017年12月15日
寒いとツイートがでてこない。頭が凍てついていると言葉も凍てつく。

買物はストレスの解消になるけれど、物が増えるとそれがストレスになる。

また物がない空間もストレスになる。

自分で買う本はストレスの解消になるけれど、送られてくる本はストレスになる。

といいながら自著など送ると、相手はストレスになっているのだろうなあ。

本を買う気がないけれど本屋に行くとストレスが解消されるけれど長居しているとストレスに襲われ始める。

年末にゴソッと本を処分するとスカッとしてストレス解消になる。

ところが処分し過ぎて、何もなくなって、少し後悔して、ストレスになることもある。

ストレスという言葉がなかった時代にはストレスがなかったけれど、ストレスという言葉を知ってからストレスが起るようになった。

病院に行くと、原因不明の症状はほとんどストレスと言われてしまう。

苦痛とか苦悩とかをストレスと呼んだらしいが、どーも肉体的と精神的なものが合体したものかも知れない。

もともとストレス(stress)の頭に(di)がついてdistressと呼んでいたのを(di)を取ってstressに略したらしい。

こんなどーでもいいことを考えているとこれもストレスになる。

2017年12月12日
自宅からアトリエまでの家並を一軒一軒完全に記憶しているかというと実に頼りないけれど、郷里の商店街だけでなく、町全体の家を一軒一軒、ほぼ全部今でも記憶している。これが全部絵で描ければいいのだが、絵では細部が描けない。僕が建築家だったら描けると思うよ。

こんな風に学校で学んだことを全部記憶していたら、今頃、東大の名誉教授か、それとも、もっと偉い何者かになっていただろう。

DURAN DURANが彼等のために描いたポスターとTシャツがあるけれど、今度、その絵を使ってLPを出すことになっているけれど、日本発売はあるのかな?

現在発売中の「アイデア」にDURAN DURANのニック・ローズがぼくの作品について長い評論を書いてくれている。ニックのファンなら興味あるかも。

難聴前はボヤーとしていてもテレビでの音声は自然に理解できたけれど、現在は一字一句をちゃんと聴く意志を持てば聴こえてくることがわかった。

今までは必要な言葉を脳が選択してくれたが、現在は自分自身が脳化しなければ聴こえてこないことがわかった。

つまり、全身全霊を耳にすることで、難聴を克服することが少しは可能だということだ。つまり意志が如何に重要だということだ。

まあ難聴障害者以外の人にとっては全く関係のない話だけれどね。

そーいうこととは別に、普段は肉体にいちいち行動の意志を与えないで行動しているが、脳に代って意識がそれを代行するということを知ったことは、意識と肉体の関係が少しわかったかな? ということだ。

一日中ボヤーッとして何もしないことが多い。こーいう時は脳も知らんぷり。だけど、行動を起こそうとする動機には、意識が働かなければならない。常に意識の存在を意識する意識が必要である。意識を働かす習慣がないと、意識も退化してくる。

人間から意識を奪うとただの物体になってしまう。生きる死体になってしまう。もっと言えば、そのまま芸術作品になってしまう。

2017年12月11日
生前、山口洋子さんは口ぐせのように「シャーナイヤンケ」とよく言っていました。「シャーナイヤンケ」は関西弁で「仕方ないじゃないか」という諦めの意味です。諦めることでストレスを解消するのです。思い通りにならない時、無理にゴリ押しをするより引いてみる。そして「マア、エーヤンケ」と言う。

白黒はっきりつけたがる東京人も「カッコイイ」かも知れないけれど、関西人の「ドッチデモエー」という受け身の生き方が僕は好きだ。

運命に逆らいながら自我を前面に押し出すのもいいけれど、運命に「まかそう」という「なるようになる」受け身の生き方もそう悪くないと思うよ。

こういう生き方はどこかラテンぽくて、僕は自分の気性に合っているように思う。「その日暮しっぽく、今がよかったら、それでええやんけ」という関西人というか、大阪人というか、まあ昔の生き方だと思うけれど、生きやすいですよね。

「お前アホか!」と言われてもヘナヘナ笑って、「せや、わし、アホや」と言葉を返す、ここから友情が生まれる。僕が20才まで(正確には18才)郷里にいた時、こんな優柔不断を良しとする生き方をしていた。

そしてその生き方の基本は「成るように成るでー」だった。成るように成るという生き方には勇気がいるけれど、野心や野望を持たないで、気がついたら、すんなりと「成るように成っていた」らそれでええのとちがう?

運命にまかすということはある意味で不安だ。それだけに実践するのには勇気がいる。自由になるためには、自由を願望する気持、すなわち一度自由を捨てることじゃないかのかな。そして「成るようになる」ことに身をまかせる。

あいまいとか優柔不断は誉められないかも知れないけれど、僕には、どーも、ここに自由があるような気がしている。横着な僕の気性には合うんだよなあ。

以前ワルシャワに行った時、季節は忘れたけれど夜の8時だというのにまだ明るい。12時頃になってもまだ暗くない。旅行者は慣れてないので本当に困る。

ドゴール空港からパリに入った時など辺りは真っ暗けなのに自動車の数が物凄く多く、そんな街の中を小学生が沢山歩いている。一体どこへ行くのだろう? 朝だというのに街灯が煌々とついていて、何んだか煉獄っぽい感じだった。

ぼくはやっぱり明るくなって起きて、暗くなったら寝るタイプの人間だから、今の季節は一日の半分はベッドの中にいる。

絵を描いたり、本を読んだりの時は老眼鏡は必需品だけど、何んでもない時も風景がピンが甘いので、時々距離感がつかめないことがあるので眼鏡を新調したが、掛けると自分じゃないよーに見えるので、落ちつかない。

だから掛けたり掛けなかったりだけど、掛けていても道で知っている人にあっても挨拶してくれるので、掛けようかなと思ったりする。自分では別人に見えるけど、他人は同じ人間だと思ってくれているみたいだ。

2017年12月08日
「アイデア」2018年1月号で過去7年間の近作ポスターが80ページの特集されている。そのほとんどが未発表作72点。以前の土着的コラージュ作品とはガラリ異なる。「アイデア」No.380 / 2018.1 横尾忠則新作集、表紙 誠文堂新光社刊 ¥2829+tax

タヒチのボラボラ島で毎朝食堂で会うタヒチアンの女性がある日ひとりのフランス人と現われて「パリで結婚します」と言った。それから数ヶ月後僕はパリの地下鉄のサンジェルマンデプレで電車を降りた。とすれ違いにひとりの女性が乗ってきた。その女はボラボラで会った人だった。

とっさに彼女は大きい声でホームに立っている僕に電車の中から「ボラ! ボラ!」と叫んだが、ドアは閉まって電車は行ってしまった。奇跡的な偶然である。あの人は今どうしているかと時々思う。彼女もきっと僕のことを、僕が人に話すように、何度もこのことを話しているに違いない。

人生の中には、こんなすれ違いがあるんだなあ。僕のこのスレ違いは地球規模だ。南太平洋のあんなチッポケなボラボラ島と、パリのサンジェルマンデプレを結ぶこの時空で見知らぬ人が僕の中でひとつのロマンを生んでくれた。

今日は保坂和志さんと磯崎憲一郎さんが来て「文藝」誌の "アトリエ会議" をする。実に意味のない会議をすることになっている。意味について考えることほど意味のないことはない。

僕は40代になるまであんまり読書はしなかったけれど、年を取れば読むかもと思って買った本がいっぱいある。今そんな昔買った本を読んでいる。あの時は必要ではなかったけれど今の気持のサイズに実にピッタリ合う。そー考えると買いだめた本は予言の書であったのかも知れない。


2017年12月06日
お知らせ「現代作家アーカイヴ2」<自身の創作活動を語る>武田将明/飯田橋文学全編(東京大学出版会)刊。東京大学で平野啓一郎さんとのトークが集録。2200円。ぼくの他に谷川俊太郎、石牟礼道子、筒井康隆さんらも、それぞれの人にインタビューを受けている。そんなトークを集めた本です。是非、是非。

上記の本では平野啓一郎さんの質問に答えるというスタイルで1時間半ほどしゃべったように思う。平野さんは年に1~2回アトリエに遊びに来て、長話を今までも何度もしている。好奇心が強くて、何んでも質問する。意外なことを聞かれるので、こちらも勉強になる。

電話でも時々話すが、話し出すと一時間以上になる。ぼくも普通は用件だけの電話だけれど、平野さんもぼくの時だけは長電だという。話題は次々、変わっていく。新幹線の車窓からの風景がどんどん変るのがあきないように二人の電話もそんな感じだ。

2017年12月05日
占いには縁遠いけれど、この間、マッサージ師の女性がぼくを占ったデータをくれた。動物になぞらえたもので、ぼくは子鹿らしいが、その占いがまるでぼくの個人のためのデータみたいで、とにかくびっくりした。まあ、性格や行動原理みたいなものだけど、もう少し深く自分を知りたいと思った。

昔、道を歩いていたら、占い師のおばさんに、チョット、チョットと呼び止められた。「あなたは、声は聴こえど姿は見えず」ですね、「水商売の人でしょう」と言われたことがある。

また素人占い師3人(東京、京都、奈良)から、寿命は50才だとも言われた。その後30年も生き延びている。45才で画家に転向したことが、延命につながったのかなあ。

当たるも八卦、当たらぬも八卦といわれる。相撲の取組みで行司がハッケヨイ、ハッケヨイと掛け声を出す。

以前N.Y.でジョン・レノンとヨーコさんの家に行った時、ヨーコさんと日本語で話していると、ジョンは自分がおいてきぼりになった気持になって「ハッケヨイ、ハッケヨイ、ノコッタ、ノコッタ」と話にチョッカイを出した。

2017年12月04日
土屋嘉男さんのことを「映画秘宝」という映画雑誌に書いたら編集者は「泣いてしまいました」とメールがきたけど、ぼくは思い出して笑いながら書いたんですよね。もし泣きながら書いたら「笑ってしまいました」と言われたかも知れないね。

2017年12月01日
パンドラの函が空っぽになったように言葉の品切れ状態。



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