2015年04月30日
「古書店を中心に横尾のポスターが出廻っていますが、正規のポスターには必ずエンボススタンプ又はサインが入ってます。それ以外はさほど価値のないものです。その区別を確かめて下さい。正規のものはHPと南天子画廊、NYのフリードマン・ベンダ・ギャラリー、横尾忠則現代美術館より発売しています。

2015年04月27日
「文藝」で保坂和志さん、磯崎憲一郎さんと3人で鼎談の連載を始めた。2度目である。普通の言葉で普通の内容を語る。内容というほどのものではない手当り次第の隠居(2人に失礼)快談ってとこかな。

わが家に事務所のおでんが移住してきた。猜疑心と信頼感の間でゆれているおでんを見ていると面白い。自分自身に勇気を試しているところがおかしいのだ。

また贋作がでました。ニューヨークのぼくのギャラリーから知らされた。オークションなどに出ているぼくの絵らしい作品は、ほとんど、贋作。

2015年04月23日
最近またオークションや骨董商の間でぼくの贋作が出まわっている。このようなルートで売られているほとんどの作品は贋作です。すでに手に入れた方は本人が鑑定しますので写真を送って下さい。

2015年04月14日
3日前から咳が止まらない。風邪と喘息が合体したせいだ。病気のデパートだから何んでもありの日替り病気だ。

このところの雨が体調を狂わす。この間医学博士の米山公啓先生からドーパミンの話を聞いた。今ぼくの中でドーパミン革命が起こっている。だからドーパミンを思想化しようと思っている。

家の周囲の環境を整備している。これは環境に変化を起こすことは人間の躰でいえば治療することだと思う。環境と躰は一体だとするぼくの考えだ。

禅寺に参禅すると作務が日課だ。作務は環境を掃除することで心身の修行になるという教えからだ。

2015年04月06日
自著が刊行されると、見向きもしないのに、今回の「ぼくなりの遊び方、行き方」は、1960〜1985年代(24才〜50才)の自分の人生の最も熱かった時代なので、その時代を回想したく、もう一度じっくり読んでみた。現在の自分とは思えないほど行動的だ。

それにしてもアメリカとヨーロッパを飛び廻りながら、現地で制作したり、今のようにあっちが痛い、こっちが痛いなど一言も言わない、ただただ行動しているのだ。若かったなあと思う。第一この間グラフィックデザイナーから画家に転向するんだから、運命とケンカしている騒ぎだ。

60〜80年代は日本も世界も熱かった。自分も熱かった。いい時代に生まれて、いい時代と共に生き、生かされたと思う。もう一度戻るなら、この時代かも知れない。

フォロアーの中にはこの時代には生まれていない人が沢山おられるのではないだろうか。面白い時代の中を駆けぬけたんだから、面白い自伝でなきゃおかしいはずだがどーなんだろう。だけど面白いことの反面、あゝしんどかった。あゝ、苦しかった。でもやっぱりいい時代だった。

2015年04月01日

昨日から入院する。胃カメラ検査、腹部内視鏡検査、その他で。胃カメラは実に超現実的検査、口の中からカメラを入れ、口頭、食道と調べながら胃の奥へ。さあ15分位かな。麻酔が効いているので感覚はあるようでないが、この状況は最高。生きながら作品になったようだ。

腹部MRI、腹筋はマークの肘みたいに故障していないとわからない。ぼくの場合はMRIではわからない。従って治療法はなし。時間薬でじっくり治すしかない。老年になるとなんでも遅いが自然治癒にかけるしかない。

ある意味で老年期は病気期だと思えばいい。病気をくぐり抜けながら、病気に気づかないままソーッと生きる。

まあ今日の入院で気になる個所は全部チェック。大健康ではないが、先ず健康、特に問題ないという朗報を得、また明日から制作にかかろう。


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