2013年1月30日
近くの家が壊されていた。見ると壁に絵が飾られていた。その絵(3点)を貰ってきた。無名人の絵だったが「オッ」と思うものがあった。このように貰ったり、拾ったりした絵が、わが家には何点もある。
ウトウトとする瞬間、咳が出そうになることが多い。こんなこと昔はなかったように思う。
猫は夜行性なので、夜中に徘徊する。ぼくも若い頃は猫みたいだった。
2013年1月29日
最近の幼女をモチーフにした絵の異常発生に我れ思う故に我れ死ありと思わざるを得ない。
このところ東京の夜空に異常あり。星の数がうんと増えた。
岩手県立美術館でのトークショーの来客の方達から沢山メールをいただいております。ありがとうございました。そう遠くない日に再び美術館に参ることになりそうです。その時はお知らせします。
2013年1月28日
ぼくは映画に3本出演したけれど、その内大島渚監督(新宿泥棒日記)、帯盛迪彦監督(新宿番外地)の二人が立て続けに亡くなった。2本共新宿が舞台。新宿が現実と虚構の皮膜の間で揺れている頃に撮った映画だった。
天野祐吉さんと岩手県立美術館でトークをしました。自作について色々聞かれますが、自作を語る言葉はいつもないのです。こーなっちゃったんですが答えです。
人間も冬眠します。寒がりのぼくは目下何もしない冬眠状態です。脳味噌も凍結しています。
東京駅のアナウンス。「雪のため運休列車が出てます」。ウヌ? ナヌ?
盛岡積雪4cmの大雪。空も街も道路も白一色。雪の白さで夜でも本が読めそう。
テーマ(主題)やスタイル(様式)に拘っている間は自在になれないと思う。結局人格が自在でなければ、芸術も自在でないということなんだ。
2013年1月25日
言葉がどんどん忘れて減っていく。このことで思考がシンプルになるならこれも良かろう。そのわりにしたいことが増えるとは一体どういうこと?
明日、岩手県立美術館の個展のオープニングに出席。東日本大震災以前に決定していたが、地震のため今日まで延期。大阪・国立国際美術館で発表した作品(ポスター)が展示。午後からトーク。翌日はコラムニストの天野祐吉さんとトーク。
2013年1月24日
京都の南禅寺の近くに「哲学の道」がある。その近くに哲学者の梅原猛先生の家がある。坂を上って、山道に入る。そんな山の中腹辺りに大きい池がある。梅原邸の池だ。そこにある日メダカの大群が出現した。山から下りてきたらしい。なぜ来たのか不明だ。これは哲学の問題ではなさそうだ。
2013年1月23日
昨夜は年末以来、今年になって初めて瀬戸内寂聴さんに会う。90才とは思えない相変らずの元気で歩くのが早い。「早く死にたい」が口ぐせだが、この言葉が長寿の秘密かも知れない。
「世阿弥」のポスターを描いた。今までの能のポスターと違って、イメージを一切廃した。世阿弥の「秘すれば花」の観念に従って抽象化してみた。
京都市内には雪がないけれど、比叡山の頂上には塩をまいたように雪が被っている。ちょっと登って寒さを感じたいような気もする。
2013年1月22日
このところぼくの贋作が随分出廻っていて、それを買った被害者が何人も出ていて、こちらに鑑定を求めておられるが、現在のところ全作が贋作です。要注意下さい。
2013年1月21日
なぜ、こうしたのだろう、なぜ、こんな絵を描こうとしたのだろう。気がつくとそうしていたに過ぎない。あえてその理由は考えないことにしている。そーいえばアンディ・ウォーホルは質問されても、いつも「I don't know」と答えていたのを思い出した。
自作の説明を求められても、本当のことはよくわからない。これでいいんじゃない。
世阿弥の能公演の記者会見のために京都に行く。今回の能のポスターはイメージを消した。なぜなら「秘すれば花」ということだから。
2013年1月17日
ミラノのスカラ座でモーリス・ベジャールのバレー団の「ディオニソス」の舞台美術を29年前にやったが、それが3月1日~5日(東京文化会館)開催される。あの時一緒に仕事をしたベジャールも、ジョルジュ・ドンもジャンヌ・ベルサーチも3人共今はいない。
今年も宝塚歌劇団の大型カレンダが送られてきた。12枚全部ばらして家中に貼りめぐらすと、家の中がタカラジェンヌに囲まれた。
ミューズの最新作「ザ・セカンド・ロウ〜熱力学㐧二法則」を聴いた途端、肉体からアストラル体が離脱したかと思った。音の万艦飾の降臨だ。
トールキンの「ホビット」を毎日早朝に少しずつ読んでいる。このイギリスの児童文学のあとはアトリエでロキシー、フェリー、ミューズなどの音楽を絵を描きながら聴く。ブリティッシュロックのあとはがらっと変って山折哲雄の講話集(全8巻)に耳を傾ける。今日この頃の隠居の日常です。
隠居は多忙だというと、おかしいという人がいる。隠居は世間の柵みを断って何もしないことだと思っている人がいる。世間の柵みから自由になると、人は芸術家になる。あれこれしたいものが次々と湧いて出る。若い時よりその量が増える。思想や趣味を離れると、何んでも出来る。
オリジナルなどに拘っている間は何もできない。世の中にオリジナルなどない、幻想だと思えば怖いものなしだ。
2013年1月16日
「東京家族」の中に3点のポスターが貼ってあるけれど、2点までは判るけれど、3点目はわかりますかね。ヒント――「東京家族」のイメージポスターが「東京家族」の映画の中に出てくるところは正に画中画で山田監督は遊んでいますよね。
大島渚さん死去のぼくのコメントが朝日新聞のデジタル版に掲載されています。http://www.asahi.com/culture/update/0115/TKY201301150475.html?ref=reca
上記のロックと能がぼくの中のコラボだ。一方でフランスのコレクターからのコミッションでプレスリーのコラージュ作品の制作中。
梅原猛さん、梅若玄祥さんと久し振りにコラボができる。梅原さん原作の「世阿弥」のポスターを描く。スーパー歌舞伎、スーパー狂言についで、スーパー能だ。梅若さんとは「くちなわ」、「夜叉ケ池」以来のコラボで「風姿花伝」を引っ張り出して再読中。
久し振りにロキシー・ミュージックの「アバロン」を聴く。ついでにブライアン・フェリーの「オリンピア」も聴く。ついでにミューズの「ザ・セカンド・ロウ〜熱力学㐧ニ法則」を聴く。
正月休みは、倉庫の奥に眠っていた大小11点の未完の絵画を引っぱり出して、蘇生させ、整形美人にさせてあげました。3、4年前の絵はざらで、中には40年前のもありました。
随分、日が長くなってきた。仕事時間も長くなってきた。でも睡眠時間は変らない。
2013年1月15日
昨日の大雪で野良子猫の姿が消えていたので心配していたが、やっと帰ってきてヤレヤレ。それにしてもあの大雪と極寒の中どこにいたのだろう。
アトリエのストーブ5台つけても、天井が高いため全く効果なし。夏は夏で熱い。快適な環境で制作したいが、昔からどうも恵まれていない。
2013年1月12日
四谷シモンへ。どうも、どうも。長いこと会ってないね。
2013年1月11日
デザインでは文字を画面の中に書き込むのが常識だけれど、ぼくの絵画をざっと見渡すと、文字の入っている作品が随分多いことに気づいた。そーしたいから、そーしたに過ぎない。
若い頃は理屈でしていたことが、老齢になると、そーしたいから、そーするという理屈抜きで何かをするということが多くなった。理由づけが必要なくなっただけかも知れない。
ピカソとデュシャンがいるから何も出来ない。だけどピカソとデュシャンがいるから何でもできる。
1月14日は三島由紀夫さんの88才の誕生日だ。あと2年で生と死の年令が丁度半々になる。
最近薬を飲まないで、飲んだと同じ効果を得ることがわかった。それは難しいことではなく、単に生活の方法を変えただけだ。
活字で物を考えるのではなく、絵でそれができることを長年やってきたように思う。だから絵を見たり、描いたりするのが止められないのだ。
2013年1月10日
神戸のY+T現代美術館の2回展(3月2日より)のタイトルはワード・イン・アート(字は絵のごとく、絵は字のごとく)で画面の中に文字を書き込んだ作品ばかりが展示される。制作時は頭の中から言葉を廃除するのに、絵の中にはなぜか文字を書きこむ。なぜだろう。
15日から山田洋次監督の「東京家族」が上映される。この映画の中にぼくのポスターが3種類出る。言われなきゃ見過ごすかも知れない。
正月気分がまだ残っていて、雑煮とぜんざいを食べている。ムカシ(70年初頭頃)、いつでも家にはぜんざいが用意されていたことがあった。
2013年1月9日
くしゃみと鼻みずと汗(なぜか)で夕方出掛けることになっていたが、中止して、熱い何かを食べて寝ることにした。
昨日の朝日の夕刊で古井由吉氏と池澤夏樹氏が紙面で背中合せに写真が掲載されていた。2人は別の記事なんだけど完全にシンメトリィになって両者とも頬肘をついて、ニッコリ笑っている(眼鏡着用)。ニーチェのメランコリィーのポーズで、両者共、言葉について語っている。
このビジュアル・シンクロニシティーの紙面作りに、これを担当した編集者もきっとこの面白さに気づいていないと思う。思わず紙面を切り抜いて日記に張りつけた。
2013年1月8日
糸井さん、早いとこ老人になってくれないかな。賞味期限が近い老人同志で、なんかファーとした気分味わいたいと思わない?
糸井重里さん、後方だなんて。十分前方を歩いてますよ。
田中一光さんの所で、「らっきょ美味いよ」と出されて、口に入れたら、オェー。そこであわてて、そばにあったコーラを飲んだ。するとラッキョもコーラも物凄く見違えるほど美味くなった。
Y+T美術館はネコだめみたいだから、ここで展示する作品に全部ネコを描いてやろう。
2013年1月7日
ある時、らっきょとコカコーラを同時に口にした。絶妙な味がした。この遠く離れた二つのものを結びつけることで最高の価値を得た。芸術はいつもこうして成功していると思う。
自分が老境にあるにもかかわらず、一才でも年上の老人の言葉はぼくにとっては忠告になる。テレビで語る老人の言葉にはいつもワクワクする。
去年から今年になったことは、ぼくにとっては環境が変った以上自分は変ると信じたい。
絵が思うように描けている時は、他の問題などどうでもよくなる。これが永久に続けばの話だけれど。
昼間の青空の中に浮かぶ半透明の月はなぜか神秘的で霊的に感じる。世界が全てこのように見ることができれば素晴しいと思う。
壊れた機械のような作品が長年アトリエ内にゴロゴロしていたが、その内の10点を正月の間に修繕して、蘇生させた。意外に役に立つものだ。神戸の「反反復復反復」展の次(3月)に発表する予定。
年末に演劇、映画、コンサートのハンディなポスター集「横尾劇場」(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)が出たが、間もなく全装幀集が出ます。(PIE BOOKS)900点集録。詳細はホームページで。
とうとう喘息を去年から持ち越した。終日咽の奥で笛が鳴っている。耳の中には蝉が何百匹もいるし、目の中には蚊が飛んでいる(飛蚊症)し、鼻アレルギーで一日中ティッシュが手離せない。首から上がうるさくって!
年末年始のつぶやきは休んでいたが、文字にしなかっただけで頭の中は雑念だらけ。まあ生きているって証拠だ。
野川の鯉を橋の上から数えたら丁度100匹いた。その大半が1メートルまで成長していた。水面を泳ぐ鴨が時々鯉の背びれを突っつく。理由はわからない。
川の中の鯉はどのくらい寒いのだろうと考えたが、このこともよくわからない。
2013年1月4日
大晦日は描き納め。元旦は描き初め。足かけ2年で1点仕上げる。
制作が乗ってくると、怒りに似た感情が沸き上る時がある。こんな時は絵が作者を導くのではなく、作者が絵をねじ伏せる番だ。「来た、来た」という感じだ。
絵で勇気を出さなければならない時は破壊を成す時だ。この破壊が中々成せないのだ。
冬至に近づくと共に気力も失せつつあったが、冬至が過ぎると気力が戻ってきた。
絵を見る時、人はやっぱり言葉に置きかえて見る習性がある。そんな言葉さえ無用な絵が描けないものか。味の実感は言葉で語れ得ないように。
絵は最初、自らを限定することから出発したが、いつの間にか自らの限定から逃走することしか考えなくなった。
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