2012年4月30日
夢を見た。郷里の家の前。どうも戦時下らしい。見上げた空に二枚翼の飛行機が、睨みあっているが、その一機が他の機に体当たりした。すると炎を上げてゆっくりと落下して行った。なるべく民家のない所に落ちるように祈った。
毎朝玄関前の庭のメダカを見るのが日課だ。いつの間にか黒色に変色したメダカが元気よく走るように泳いでいる。5ヶ月振りに見る風景だ。それにしても冬の間一体どこに隠れていたのだろう。どう考えてもわからない。
今日は曇りの日なので散歩にはいい。公園のベンチを確保するために早く行こう。屋外書斎で原稿を書いたり本を読んだり、ただ景色を眺めたり、自販機のココアを飲んだり、たまに鯉を見たりする。
芸術行為には自然と戯れることが重要だ。絵を描かせてくれる力は自然がもたらせてくれるからだ。
美を見る力は知性ではない。持って生まれたその人間の感性だ。
2012年4月29日
初夏のように歩いていても汗が流れる。休日の事務所内の猫の様子を見に行くが、知らんぷりして平日と変化なし。書店に寄ってみるが、本が多過ぎて、「何も読むな」と言っているようで何も買わないで店を出る。
子供の対象の「怪盗ルパン/8・1・3の謎」を読む。書評本はややカタ目の本が多いが、たまに子供時代に帰ってアンファンテリズムを確認する必要がある。
GWはどこに行く計画もない。アトリエと公園の往復で描いたり、書いたり、読んだり、歩いたり、眠ったり、食べたり、飲んだり身体にいいことを優先して、頭はなるべく休ませたい。
2012年4月27日
終日雨。まるで梅雨のよう。連休のために「週刊読書人」の連載エッセイを4本書く。夕方までコミッションの油絵を描くことにしよう。久し振りにモーツアルトを聴く。モーツアルトの曲は心身に活力を与えてくれる音のセラピーである。
2012年4月25日
今日は久し振りに歌舞伎を観た。中村座の「法界坊」だった。中村座のポスターを描いたことで観に行ったんだけど、暮から制作に入っていたので、今日まで行けなかった。勘三郎さんの体調はすっかり回復して驚くほど元気だった。年を取ると病気と老化の区別がつきにくくってね、とまだ50代の勘三郎さんを老人扱いしてしまって、大変失礼しました。
2012年4月24日
今日は快晴。絵を描くにはもったいない天気だ。屋外書斎で本でも読もう。絵が大事か体が大事か。そりゃ体だ。体がないと絵が描けない。
2012年4月23日
野川の鯉 |
喜多見ふれあい公園1 |
喜多見ふれあい公園2 |
喜多見ふれあい公園3 |
我が家の桜 |
カワセミを狙う野川のバードウォッチャー |
野川の桜 |
拡大画像CLICKまたはCloseをクリックで画像が消えます Close
野川の花見(画像クリックで拡大します) |
事務所の隣りの民家解体工事 |
バレエ「牧神の午後」1 |
バレエ「牧神の午後」2 |
バレエ「牧神の午後」3 |
子供達1 |
子供達2 |
子供達3 |
終日山田風太郎の膨大な量の戦中日記を読みながら絵を描く。戦時中の空襲の中で逃げながら絵を描いている気分だ。永井荷風、内田百閒、高見順らの戦争日記も凄いが、風太郎のはもっと恐ろしい。土、日の2日間は空襲地獄の中にいた感じだった。描く絵は暗くて当然。
土曜日、山田風太郎「戦中派不戦日記」読み始める。連日B29の襲来で、爆弾と焼夷弾の洗礼。阿鼻叫喚の地獄絵図さながらの業火の中を逃げまどう。そんな一日で、昭和20年を生きていた感あり。頭の中ではB29の爆音が離れず。あの時の時を追体験させられる。
日曜日、突然の戦争終結。考えが整理できないまま虚脱状態。昭和20年8月15日は小学3年生の自分は何を考え、何を想い、何を見たのだろう。医大生の山田風太郎には思想があったが、子供のぼくにはそんなもんはなかっただけに悩みも恐れもなかった。今、本の中で彼と共に考える。
2012年4月22日
昨日は降りそうで降らない一日だった。久し振りに絵を描き出したが、なかなか油がのらない(油絵なのに油がのらない)。まあその内乗ってくるだろう。
一日中、山下清の画集を見ている。彼の遠近法は浮世絵と同じ。切り紙絵はスーラーやシニャックより面白い。彼等の科学性はないけれどその非科学性が純粋だ。
2012年4月20日
昨日は久し振りに本を買った。山田風太郎著「甲賀忍法帖」と「戦中派不戦日記」と「古代ユダヤ賢人の言葉」だ。時代小説は読むのがニガ手だが、忍者ものは読んだことがないので…。終戦日記は内田百閒、高見順、徳川夢声らのを読んだが、風太郎さんのを読むのは楽しみだ。生前山田風太郎さんの家にお邪魔してえらいご馳走になったことがある。講談社版の山田風太郎全集の装幀をしたことがある。あの時に片っ端から読んでおけばよかった。ぼくは遅読の人だから読書はニガ手なんだ。朝日新聞の書評は自分にピタッと来る本に出合うのが大変なのである。好き嫌いを言っておれない。読むしかないのだ。読んだけれど書けないのもある。他の書評委員はどうしてるのかな。本の読み方、書き方、書評のコツを聞いてみたいが、聞いたからとて上手く書けるものでもないだろう。書評の仕事の楽しみは一生読まないだろうと思う本を読んでいること、そのことだろう。
2012年4月18日
夜中にアイデアが浮かんで、あれこれ考えていたせいで、やや寝不足。天気がいいので散歩でもと思うが、何しろ寝不足では疲れる。夜は書評委員会へ。いつも生理的に行動(創作も)しているので、生理的に選ぶので今日の本はどんな本になるのだろう。
2012年4月17日
目下ボストン美術館で開催中(9月23日まで)の「シャンバラ」展の展示風景です。
2012年4月16日
土日は外食以外、アトリエにこもって画集を見たり本を読んだり散歩をしたりの隠居生活だった。旅行プランを立てるように、これからの制作の心の準備というか体の準備期間である。することは決まっているのだが、スタートラインに立つまでのまた準備が必要だ。コミッションの絵が2点ほどあるので、長い間待たしていたので先ずこれから入らなければならない。重い腰を軽くするのにいつも時間がかかる。
他の人の書評は全部上手くみえるが、自分はどうも下手くそだと思えてならない。まあぼく以外は全員文筆家で、慣れたもんだ。言葉にならないものを絵にしているわけだから、言葉は最もニガ手である。言葉なんか世の中から失くなればいいのにと、いつもそう思っている。
病院の先生にお茶の葉を食べると通じがよくなるといわれて食べているが、実にまずい。美味いよりもそのまずさが効くような気がする。
このところ毎日同じことに感動している。それは5ヶ月の冬眠生活を生き抜いたメダカが元気に泳ぎ出した光景を目にするからだ。やっぱり自然は驚異だ。
書評のため新刊を読むことが増えたけれど、やっぱり古典がいい。新刊は発掘されたものだけれど古典は発掘の楽しみが残されている。
以前は同じ状態で帯状疱疹になった。この激痛はちょっと耐えられず救急車を呼んだ。舌がざらつく程度では救急車は呼ばなかった。救急車には7回乗った常連である。
舌がざらつくので知人の薬剤師に聞くと、ホッとした時になると言われた。確かにコラージュが終ってホッとした時期と一致する。三ヶ月以上コラージュ漬けであった。楽しくやっていたが、やっぱりストレスになっていたのかも知れない。
2012年4月13日
少し動いただけで汗ばむ季節に急になってきた。五ヶ月間一度も姿を現さなかった庭のメダカがいっせいに浮上してきた。すでに死んだものだと思っていただけに感動的だ。今日はパリからカルティエ現代美術館の友の会(コレクター)が10人アトリエに見えるので、コラージュ関係の資料全部片付づけて、アトリエを整理(少しだけ)する。またパリの友人・白羽あけみさんも久し振りに遊びにくるので、皆さんに明日ニューヨークに発送するコラージュ作品をこの際見てもらおうと思う。日本で公開出来なかったのが残念といえば残念だ。まあしばらくはコラージュ作品は制作しないと思うので。いずれにしても三ヶ月ばかりのコラージュ制作から離れ気分一転、次の絵画制作に入れるのと、休息をかねて、中村勘三郎さんの中村座に行ったり、映画を観たりと思っている。
2012年4月12日
雨も風もなく晴天。北朝鮮のミサイルだけが心配。ちょっと胃も心配。コラージュの制作の気力も落ちた。もうこのへんでいいだろう。午前中野川の公園のベンチで書評用の本を読む。だんだん頭に入らなくなった。読んだ尻から忘れていく。天気がよくてアルファー波が頭の中を占拠しているからだろう。
2012年4月11日
昨日の朝急に腰が痛んだけれど、マッサージと風呂と貼り薬で、今 朝半分治っていた。原因は判らないが、今日は久し振りで病院に胃 の検査をすることにした。何んでも思いついた時に行くことにして いる。でも病院で知人の院長先生とはいつも2時間ぐらいお しゃべりをしてしまう。美術は肉体行為だから、肉体の神秘につい て話を聞くのは結構勉強になる。
久し振りで病院に行くことになったが、なんだか妙にワクワクす る。変化する自分の体を知ることは発掘の楽奪に似ているところが ある。砂の中から現われるピラミッドを発見する思いだ。
そろそろ桜が散り始めた。東宝裏の仙川に桜の花びらが水面に浮く と夜桜に当てたライトアップで神秘的な光景が川に映る。これは日 本遺産にしたいほどの絶景だ。
やっと映画「東京物語」の絵ができた。もしかしたら映画の中にこ の絵を描いたポスターがどこかのシーンで見られるかも知れない。
2012年4月10日
今日病院へ行って胃の定期検査日を決めてきた。胃カメラを飲むのがニガ手な人がいる。まあ医師の技術にもよるけれど、でも麻酔が効いてボャーとなる感覚はそんなに嫌いではない。結果を聞くのはスリルだ。
そろそろコラージュが飽きた。またペインティングに戻ろう。飽きるからいいのだ。飽きないと変化しないからね。
昨日から超地味な食事に切り換えた。しばらく胃を休息するためだ。加齢と共に老化と病気の区別ができなくなる。老化を病気だと思っている老人はきっと多いように思う。
ぼくはいつも病院では浮いたような格好をしているようだ。わざわざ群衆の中の一人みたいな格好で行く方が何やらサラリーマンのコスプレをしているみたいで、こちらの方がぼくの中では浮いたように見える。病気の時は地味にすればするほど病気を喜ばせることになる。
2012年4月9日
昨日は終日セゾン美術館の館長灘波英夫さんとアトリエや野川の桜の花見などする。公園には沢山人がいて、活気がある。桜の樹の下には死者が似合う(梶井基次郎)のではなく、やっぱり生者の方がよく似合う。
2012年4月8日
昔、パリで作家のアラン・ロブグリエに会ったことがる。彼は英語ができるのに絶対しゃべらなかった。フランス人のプライドだろう。こちらはコンプレックスだらけで英語もしゃべれないというのに。でも最近は外国人に対しても日本語で通す。通じるものだ。
ロブグリエからコラボレーションの話を持ちかけられたのに、日本の彼の本を出版している2社が「売れない」という理由で、日本のエージェント代りになってくれなかったので陽の目は見なかった。彼はかなり気分を害したはずだ。
ロブグリエからコラボレーションの話を持ちかけられたのに、日本の彼の本を出版している2社が「売れない」という理由で、日本のエージェント代りになってくれなかったので陽の目は見なかった。彼はかなり気分を害したはずだ。
サラリーマンじゃないのに土、日や祝日の休日は嬉しいものだ。誰とも話をしない幸福感だ。孤独の楽しみは絵を描く感覚と同じだ。人と話をしないかわりに駅前に出掛けて一人でお茶を飲んだり、公園で本を読んだりしながら、人を見るのが楽しい。人間がオブジェに見えるからだ。人は見るものだと思えば本当にこれほどあきない観賞品はない。
やっと解ってきたけれど、書評を始めた1〜2年は自分と切り離された本を読むのが苦痛というか、時間のムダだと思っていたけれど、3年目に入った頃からは、自分では買わないだろうと思われる本が、かえって面白く思うようになった。最初は仕事で読んでいたけれど、読書は仕事にしない方がいいということがわかってきたからだ。だけど書くという段には仕事になる。だから書く時は話すように短時間に書くことにしている。自慢じゃないけれど、読む時間の1/100か1/1000のスピードで書く。そして仕事を仕事じゃないものにしてしまう。
2012年4月7日
土曜日はマッサージに行くことが多い。マッサージとエステを交互に行く。エステは紙パンツひとつで、全身オイルマッサージ。血行がよくなり終るとサウナのように汗みどろだ。冬は汗をかかないので、この発汗は体にいい。ただ体が温泉と同様、温ったまり過ぎて、さめるまで時間がかかるので睡魔がなかなか襲ってくれないことがある。だから早い夕方がいい。
自販機で水を買ったらコカコーラの絵柄に「HAPPY CAN/アタリ」と書いた缶が出てきた。コーラにピッツァが合うと思ってピッツァを取った。だけど缶から出てきたのはコーラではなく、音の出るバッチみたいなものだった。
絵から物語性を廃除した作品と物語を少し暗示した作品の両方を描いてみた。観念的には非物語的を好むけれど、感覚的には物語性だ。どちらも自分の中にある両義性だ。
絵はその日によって下手になったり上手になったりする。だけど上手に描けるとなぜか壊したくなって、わざと下手に描いてしまう。やっぱり下手な方が自然体で自分にしっくりくるのだ。
朝日に書評を書くまで、書評は一度も書いたことがなかったように思う。書評のために当然だが本を読む。この読むのがぼくには難行苦行だ。だけど書く時は坂道を走って降りるようなスピードで書く。それは忘れてしまうからだ。そして書き終ったら、本の題名まで忘れている。
2012年4月6日
今日はアトリエに突然山田洋次監督が現われ、丁度出来たばかりのポスターの絵を見てもらえてよかった。絵の中になんとなくヘリコプターを描き込みたくなった。そしたら映画の導入がヘリコプターだと知って吃驚仰天。こんなシンクロニシティは滅多にない。
2012年4月5日
約20年前、ラフォーレ原宿のミュージアムに仕事場をそっくり展覧会場にシュミレーションして、自宅やアトリエの様子(コレクションなど)をそのまま持ち込んで再現して、会場でスタッフ一同仕事をしたり、制作をし、打ち合せもこの場でこなし、展覧会を見に来てくれた友人、知人とお茶を飲みながら、語り合ったりしたことがある。展覧会期間中は毎日通った。この展覧会がいまだに話題になるというので、このようなことが再びできないか、という依頼をラフォーレミュージアムから受けた。現在ならともかく、当時としてはこのような大掛かりなコンセプチュアルなライブ作品(?)はまだなかったので、遊びだと思われて正当的に評価されなかった。何かとんでもないことができないかなあ。
口を開くと批判ばかりする人がいる。よほど自分に自信があるか、その反対に自身がないかのどちらかだ。むしろ後者じゃないのかな。
そーいうとぼくは十代の頃老子をやっていた。とにかく口べた(今も)で人の前でしゃべるのを極力避けていたことを思いだした。それはただ単に中味がなかっただけの話だ。
「語る者は智恵がない」――と言ったのは老子だ。自分の正しいことを証明する必要ない、というのだ。自分で分っていればいいということだろう。自分自身に目を向けろということだろう。
2012年4月4日
ふと深夜に目が覚めてトイレに行くが、そのついでに書評本を読んだり、興がのればそのまま短文の書評を書いてしまうことがあるが、昨夜はそうだった。こんなことをしないで少しでも眠ればいいのにと思うが、基本的に眠るのがどうも嫌いらしい。だから時々不眠にもなるが、まあ自業自得だろう。9時にベッドに入って10時に就寝が習慣だけれど、無意識では起きたがっているようだ。眠っている間に世界情勢が一変してしまっているのではないかと想像してテレビを全局チェックする。9.11の時はたまたまオンタイムで見てしまったために朝方まで、アンディ・ウォーホルの映画みたいに変わらぬ映像の反復に長時間つき合ってしまったことがある。自分の心臓音みたいに世界が刻々変化していく瞬間をどうやら確認したいらしい。これも眠る瞬間を見届けてやろうとする性癖とあまり変わらないようだ。
2012年4月3日
今日は午後から台風のような状態になるという。昼は世田谷美術館へ。酒井館長と久し振りに会う。といっても小松の宮本三郎のデッサン大賞の審査依頼だ。午前中はアトリエでコラージュではなく「東京家族」のための絵を描く。あと1〜2日で完成の予定。そのあとN.Y.に作品を発送するギリギリまでコラージュの制作にかかる。
2012年4月2日
1959年〜1960年の日記がでてきた。3日坊主でせいぜい1ヶ月たらずでギブアップ。ナショナル宣伝研究所が六本木に新社屋を建てて、大阪から社員が移るそんな前後の日記で、忘れていることばかりだが、読めば思い出す。この時代のことをもっとちゃんと書いておけばよかった。人生の後悔はないけど、日記はあるね。
上京早々、ナショナル研究所を辞めて、田中一光さんの紹介で日本デザインセンターに入るその経緯が自分の記憶と違っていた。この日記を読むだけで記憶って実にあいまいなものだということに気づく。
2012年4月1日
いつも3時間で眼が覚める。3時間はレム睡眠で眠りが深いが、そのあと、しばらくノンレム睡眠が続いて、7時間(トータル)が理想だけれど、このところ6時間ぐらいだ。まあ年令を考えるとこんなもんだろう。今朝は寝ているはずのタマが部屋に入ってきて起こされる。9時前にアトリエに行ってコラージュにとりかかる。昼は増田屋でざるそばと板わさ。三省堂で吉本隆明著「老いの超える方」を買う。午後は再びアトリエでコラージュ。今日の作品は難航するが、なんとか仕上げる。夕方まで安藤忠雄さんの「仕事をつくる」を読む。このところ喘息のヒーヒーという音が終日している。うるさい。
↑↑ GO TO THE TOP ↑↑