10月31日
温泉の効用を再認識する。たった2回の入浴であんなに出なかった声がまともに出るようになった。でも腹部と腰の痛さは少し楽になった程度だ。温泉も色々効用があるので識べてから行くのがよい。年内にもう一度どこかの温泉にいこう。

書評を書くようになってからは本を早く読むコツのようなものを覚えた。書評を書くより読む方がうんと時間がかかる。他の本を読む時も書評のクセがついてメモを取りながら読むようになった。メンドクサイね。

まだ自画像を出品しているウフィツィ美術館展を観に行ってない。こちらで観なければフィレンツェまで行かなきゃならない。観た人に聞くと随分沢山の人が入っているそうだ。そんな中で自作は恥ずかしくって、とっても観れないよ。

10月30日
枕が変わると眠れなかったが年を取ると体がずうずうしくなるのか旅先でも平気になりました。6時に朝風呂に入る。渓谷と密林を眺めながら湯気を吸っていると咽が通るのがわかる。腰と腹部の痛みは温泉ではどうかな?泉質によっては効果があるかも。病院で治らなかった帯状疱疹が温泉で治ったくらいだから。

昨夜は地元の詩人、和合亮一さんと旅館で夕食をとりながら夢、小説、詩、美術、仕事、メディアなどについて話す。午後からは和合さんとのトーク。喘息が治まって声が出るといいが、、、、、。

ホテルの部屋でドリンク剤だと思って飲んだらリキュール酒だった。リキュールなんて生まれて初めて飲んだ。といっても最初の一口だったので酔っぱらう寸前。しばらくポカポカして体の中が温泉気分。

10月29日
福島県立美術館へ。エジプト展を観る。ミイラが何体もケースに入っている。何やら辺りに霊力が漂っている感じだ。猫やワニや鳥のミイラも展示されている。ペット達を死後の生活のために道連れにしたようだ。

明日30日福島で本の博覧会トークショー和合亮一さんと)が「AXC」6Fホールで行われるために福島へ。寒いのはニガ手。夜は穴原温泉。腰の痛みの治療を期待。温泉は2年振り。特に朝湯が好き。

一泊旅行でも旅行となるといつも大げさになる。海外旅行とさほど変わらない落ちつきのなさだ。そして必要以上に沢山の荷物を持って行ってしまう。こういうくせは一生治らない。

この季節は喘息持ちにはつらい。トークになると声が出にくいのでもっとつらい。それよりも駅の人混みを考えるといつもストレスになる。でも現場に行くとそーでもない。

10月28日
ボストン美術館で展示する滝のポストカードがあと2000枚たりないのです。海外在住の方、滝のポストカードを持っているアンティーク・ショップを紹介していただけませんか。よろしくお願いします。

郷里に帰ると同級生がなんとなく集まってくれる。それぞれがなかなか味のある老人になりつつある。ヘルマン・ヘッセがアフリカで「これぞ老人」という立派な老人を見たというが、同級生も負けていないが、どうもぼくは老人になりそこなった未完老人みたいだ。

藤巻一也さん
ぼくにもスランプはありますよ。スランプがあるから絶好調もあります。スランプの時はチャンスと思って色んなことを学習して下さい。スランプ脱出法は山積みしている仕事をひとつひとつ片付けて行った方がいいです。先ずあせらないことです。

今日は冬支度で外出しました。雨の中歩くのはそう悪くないと思いました。水たまりに映っている空や景色を踏んづけている感じです。

10月27日
近所の知り合いの薬剤師さんと喫茶店で体のカウンセリングをしてもらう。総合病院では専門医によって体をバラバラに考えられるが、この薬剤師さんは体の部分を全て連関させて判断してくれるので、病気の原因が突き止められる。いい友人を持つことは大事だけれど、医師や薬剤師を友達にすると安心して生きられる。話しているといつの間にか肉体と芸術の話になってしまう。この両者は不離一体の関係だ。

こんな記録的な猛暑の夏のあとには一足踏びに冬が来るに違いないと言っていたら本当に今日などは真冬だ。昨夜は東京に小枯が吹いたそうだ。寒くなると心配なのは家の周辺にいる野良猫だ。エサを与えているが暖までは用意できない。わが家のタマも元は野良猫だが、よく家の中に入ってきたものだ。他の猫も家におびき寄せたいが、先住のタマが追い返すのだ。友情に薄いというか人情味に欠けているニャー。

10月26日
○本日の寄贈本
河出書房新社より「いれずみの文化誌」小野友道著/「ヒルコ」戸矢学著
美術出版より「日本のイラストレーション史」
平凡社より「三島由紀夫」別冊太陽

今日からメタボ対策のために本格的に歩き始めた。30分も歩くと汗が吹き出してきたが、止まると寒くなるのでとにかく歩き続けた。体の中は熱するが外の空気は相変わらず寒く、まるで自分がいつか食べたアイスクリームの天ぷらみたいだと思った。

かつて散歩に夢中になったことがあるが、そのことを描いた自分の著書「猫背の目線」をもう一度読み始めた。この本には結構散歩について沢山書いているので始めたいと思う人は是非読んでみて下さい。

気のせいか今日は45分ほど歩いただけで腰の痛みが軽くなったように思う。もし腰の痛い方がおられたらちょっと自分に負荷をかけるくらい歩くといいですよ。

昨日からカレーが食べたかったので今夜はカレーです。そして明日の朝食も冷たくなったカレーです。温めたカレーに冷たいご飯、冷めたカレーに温かいご飯、このどちらも美味しいですよ。

10月25日
休日は絵は描かないで、終日絵のことを考えていた。だから一見無為な時間を過ごしたように思えるが、ソローは一生を思索に費やそうと言っていることを思えばまだまだだ。

プリ・インディアンは昨日、今日、明日が同じ言葉で区別がない。近代の時間は流れっぱなしだ。

ツイッターも次から次へと土石流の如く流れ去るだけだ。近代の時間そのものだ。

今日は病院に行く。われながら病院は好きみたい。腹部と腰が痛む。腹部のレントゲン写真を見るとやっぱりメタボ。腰はその影響らしい。とにかく汗をかいて脂肪を燃焼するしかない。ドテラを着て熱いラーメンを食ったらどうかと聞くと一笑に伏された。

サウナやスポーツは嫌いだ。出きることは歩くしかない。1ヶ月後に成果がチェックされる。食事療法では汗はかかない。冷や汗なら時々かくけど……。

10月22日
○本日の寄贈本
新潮社より「三島由紀夫の愛した美術」宮下規久朗/井上隆史著
中央公論社より「三島由紀夫と戦後」/「小説読本」三島由紀夫著
宇野亜喜良さんより「宇野亜喜良・少女画」/
「六つのエレメント」近代ナリコ編
高橋龍太郎さんより「あなたの心が壊されるとき」/「恋愛の作法」/
「neoteny japan」
朝日出版社より「ゆるく、自由に、そして有意義に」渡邊由佳里著

夕べ見た夢はゴッホについての文章を夢の中で書いた。実際に依頼されているので夢の中の文章をそのまま原稿にすればいい(ちゃんと覚えている)。絵を描いた夢を見たことはあるけど文章は初めてだった。

ぼくの贋作が3点(絵画)出たというので画廊の方が持ってこられた。1点はイラストレーター時代に描いた絵を拡大したもの。他の2点はおよそ別の物だが、画面内にぼくのサインを入れている。他に被害者が出ないために画廊が買い取り、それをぼくの所で処分することにした。

10月21日
アトリエにある何年か前の作品を見ていると、完成されていることに急に不満を抱き、未完成にする必要を感じ、かなり大胆に変化させる。すでにいくつかの美術館のカタログに掲載されているが、もうその作品は存在しないのだ。

村上春樹の小説は「ノルウェイの森」上巻と短篇2、3読んだだけだけど彼のインタビュー集(タイトル憶えられない)を出版社から貰ったので、読んでいたら、どーいうわけか次々アイデアが浮かんできた。何んでやろ。

ボストン美術館で過去最大級の滝のポストカードのインスタレーションを行うことになり、必要な1万4千枚まで2千枚たりません。もし滝のポストカードお持ちの方(特に海外)がおられましたら是非ご協力下さい。情報はホームページ内CONTACTまで。

10月20日
柏崎美穂さん
ご丁寧に不眠に関する情報ありがとうございました。実はぼくは不眠どころか過眠症です。ぼくではなく他の多くの方が不眠で悩んでおられるので、その方達のために何か情報をと呼び掛けたまでです。でも入眠導入剤は止めた方がいいと思います。何かにつけて依存癖が生じます。

Karenticalさん
豊島の家プロジェクトを見てくれてありがとう。そんなに混んでいたんですか。ぼくは見てないけど想像がつきます。自分の展覧会って、気が滅入るものなんです。

○本日の寄贈本
サンソン・シルヴァンさんより「世にも簡素な装い」アンヌ・ポルチュガル著

行き詰っていた絵が、少し動き始めた。絵を放置したまま、何日も何日も経った。とにかく毎日その絵のことを考えた。その結果突破口が開いた。廃棄処分寸前まで行って初めて光明が差す。あきらめないことを悟る。

今日は行く先々で傘を忘れて取りに行く。まあ散歩だと思えば何んてことない。散歩のための散歩はストレスになると医師から聞いた。一番いいのは何かの用をたす(目的)ために歩く方がストレスにならないそうだ。

10月19日
今年は過去にあまり経験したことのない時間を生きてきたように思う。反近代的な時間を。あまり生産的でない日々を送った。それは精神と肉体の噛み合わない実にギクシャクした時間だった。

この時間調整には年内いっぱいを要するだろう。来年からは今までとは全く違う内面生活を送ってみたいと思う。どんな? やってみないとわからん。

ボストン美術館で今までで最大級の滝のポストカードのインスタレーションを行うことになりました。現在所有のポストカードは1万2千枚、今度は1万4千枚が必要になります。2千枚たりない。もし滝のポストカードお持ちの方がおられましたら是非ご協力して下さい。海外の方、情報をお待ちしています。

10月18日
○本日の寄贈本
篠山紀信さんより「Team KISHIN From AKB48」篠山紀信著
現代書館より「ブギの女王・笠置シヅ子」砂古口早苗著

本日より(11月13日迄)京橋南天子画廊で横尾美美絵画展が開催されます。
http://www.nantenshi.com/

Karentiealさん
いきなり沢山フォローするとツイッターはブロックされるようですよ。瀬戸内国際美術館はそんなに沢山の人が来ているんですか。ぼくは自作のある豊島にはまだ行っていません。

10月15日
○本日の寄贈本
河邑厚徳さんより「チベット死者の書」/同名DVD=河邑厚徳・林由香里著
編集工房ノアより「マビヨン通りの店」山田稔著
佐藤秀明さんより「川端康成と三島由紀夫=伝続へ。世界へ」鎌倉文学館

10月12日
○本日の寄贈本
日本道観より「タオのひけつ」早島妙瑞著/
「日本道観=未来を拓くタオイズム」
在本彌生さんより「KOTTOICHI」平田和宏著

昨日は棋士の羽生善治さんと小説家の磯崎憲一郎さんがアトリエに遊びに。将棋も文学も美術もその源流はひとつ。

この間からテレビのドキュメント番組の撮影が入っていて、今日初めて制作時を撮られるが、途中眠くなってしばらくソファーで仮眠する。その間も撮っていたようだ。いつもそうだが撮られるとアルファー波が流れ、メディテーション状態になってしまうのだ。

絵を描いている最中でもアルファー波の影響を受けてウトウトと居眠りをして筆を落とすことしばしばだ。だからぼくの衣類にはよく絵具がくっついている。

10月8日
この歳まであった親知らずが抜けた。梅干(小)ご飯を食べている最中だったので、梅干の種だとばかり思った。抜けた感覚も痛みも、出血もなく、実にあっけない親知らずの終焉だった。

抜けた親知らずは、生きている間に自分の遺骨を見たような気がした。自分のための遺品としてコレクションしておこう。

「親知らずが抜けて、やっと大人になった」と妻が言った。インファンテリズム(幼児性)は芸術の核なのに、この核廃絶は困ったものだ。

10月7日
アートは私自身を表わし、そして同時に消す行為でもある。表わすことも消すことも至難の技だ。業としかいいようがない。

胃に巣食うピロリ菌は見事に退治されていたが、年末再度胃カメラを飲むことになった。ぼくにとってこの行為は虚構体験になりつつある。

10月6日
本日の贈呈本
平凡社より「世阿弥」別冊太陽
和田誠さんより「もりのくまとテディベア」詩・谷川俊太郎/絵・和田誠

この季節になると喘息の症状が出る。このところ声がかすれて話しづらい。声が出ないと考えまで出ない。かすれた声じゃ、考えまでかすれてしまう。

10月5日
夕暮れの公園は人が多い。それぞれが想い想いのことをしている。ひとりひとりに何を想いながら「しているの?」か聞いてみたい。他人の心の中を覗いてみたい衝動と「自分は何者?」という疑問とはそう変らないように思える。

Karenticalさん
ぼくの休日は365日といいたいんですが、土日と祭日は下界とシャットアウトした孤独を愉しむ日ですが、さほど普段していることと変わりません。

10月4日
本日の贈呈本
月曜社より「不完全なレンズ」ロベール・ドアノー/堀江敏幸訳
西川隆範さんより「シュタイナー経済学講座」ルドルフ・シュタイナー/
西川隆範訳
かつ丼が食べにくいので開花丼(豚肉入)を食べる。かつ丼と似ているがころもがないので食べ易い。皮を取ったむき栗のように。かつ丼はころもに油が染みているのとゴツゴツしていないので開花丼がぼくには合っている。だけどとんかつは大好きだ。ロースの方が美味いけど脂肪の少ないヒレが好みだ。ただし一緒に食べるご飯は一粒一粒がキリッと立って輝いていないと、田舎の親戚のベタッとしたご飯みたで嫌だ。甘栗が好きだ。今年のような猛暑のあとは秋ばてに甘栗と豚肉がいい。甘栗はナッツと同じように食べ過ぎるとメタボになる。

朝青龍の断髪式の後の会見で、「今度生まれ変ったら、大和魂を持った日本人として横綱になりたい」と言っていた。この言葉は日本人に対する痛烈な批判でもあり、それ以上に時間を現世だけで捉えていない、日本人の刹那主義と対極の思想だと思う。朝青龍がいない大相撲は寂しい。トリックスターはどの世界にも不可決な存在だけれど、トリックスターを理解する人や組織は少ない。ガウディのサグラダファミリア教会だって彼の生存中には完成されないことを承知で建造された。今生を超えた時間で考えるという発想は重要だと思う。こういう時間こそ創造的時間というのではないか。

今度生まれ変ったら、タカラヅカの男トップスターになろうと思ったけど、やっぱりこんな寸善尺魔の現世には戻りたくないなあ。願わくば不退転の土(ど)に赴きたいよ。

10月3日
スランプなどというものはない。スランプだと思っているだけ。描けないのではなく、描かないから、描けなくなるのだ。

描いてみればいい。なーんだ描けるじゃないか。これで全ての怠け心も、スランプも吹っ飛んでしまう。

「描けない」と思うことは一種の病気だ。描いてみれば病気は治る。

分別臭い人間は「〜べき」であると言う。「〜べき」では生きにくい。無分別でええのんちがう?

絵を描き出すと、気持よくなって眠くなる。といって眠りたい時に絵を描くと今度は目が冴える。

10月1日

●本日の贈呈本
幻戯書房より「20世紀断層」野坂昭如著
リンダ・ホーグランドさんより「ANPO」DVD/リンダ・ホーグランド監督

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