9月30日
牧賢司さん
金沢展の作品のY字路、あなたのいう「ぼやけた、、、、」の中には確かに目がありますが耳も描いているのにも気づかれましたか。タイトルは「壁に耳あり、空に眼あり」ですが、カタログには別のタイトルが書かれていたと思います。それからパワースポットはどこにあるのかなって?ちゃんとありますよ。どこにあるか当てて下さい。

元匿さん
スペイン、ブラジル、インドの小説三部作は、生から死へではなく、死から生への逆行のスタイルを取っています。そして、タクシー⇒バス⇒バス⇒飛行機⇒飛行機⇒タクシーへと輪廻します。わが家のタマ(本名タマゴ)は相変わらず自転車の小さいサドルで居に地に生活しています。寝る時もサドルの上で座ったまま。座って半畳寝て一畳の禅堂生活よりは悪条件で日々悟性の修行に専念しております。


9月29日
白久間直さん
金沢21世紀の展示作品は公開制作時のものとは別の様相を呈していたでしょう。多分別のものだと思います。公開制作時のスピードはきっとせっかちな性格がそうさせるんだと思いますよ。早く「描ける」という他動的なものではなく、早く「描く」という自動的なものです。

目下、写真集「東京Y字路」の編集中です。写真展(10月20日~11月21日/西村画廊)に合わせて出版の予定です。写真の点数は230点位。写真集の出版は初めてです。写真家の写真でもない、美術家の写真でもない、素人の写真でもない、ただ写真です。

メダカにえさをやるために、水槽の端をえさ袋でトントンとたたくと全員が水中から水面目指して、ミサイルみたいに勇いよく上昇してくる。メダカが思い思いに水槽の中を泳いでいる姿はちょっと詩に似ている。言葉を書いているように見える。

9月28日
何才まで生きたいか?と言われて、何才までとはいえないので、何才だっていいんだけれど、イチローが引退するまでかな。彼の肉体と精神、そして如何なる老い方をするか、見てみたいね。

喘息で長い間声が出にくかった。力まないと声が出ない。すると話しの内容まで力む。それが昨日辺り
から喉の風通しがよくなってきた。声と思考は一致していて、声が出ないと思考も働かない。その反対も。老化の進行も思考に影響する。ややっこしい考え方をしなくなる。また忘れる。体の中から情報が蒸発していく。そして単純になり、無理をしなくなる。だから生きやすくなる。若い時代が長いよりは老いた時代が長い方がうんと人間は生きやすくなる。30才位から老境に入れば人生はうんと幸福になるだろう。

9月26日
他のメダカを追い回して傍脈無人に振り回っていたメダカをわが家の金魚の鉢に移して2ヶ月近くたった。いつも一匹で泳いでいるのが可哀想なので書斎の沢山いる水槽に戻してやった。しばらくは何が起こったのかわからずポカンとした顔をして浮いていた。金魚鉢では水中深く潜らずに、水面近くを泳いでいたが、2匹の金魚が水底近くを泳いでいるので、つい水面が自分のテレトリィだと思うようになった。そこで驚いたことは、金魚と同居している間に皮膚の色が金魚と同じように赤くなっていたことだ。そして金魚の鉢が大きいためか身長も伸びて、他のメダカと比較にならないほど大きい。かつての傍脈無人の性格は違ったのか、他の連中と今のところは共生共存できている。昔の仲間(兄弟)の中に戻った赤くて大きいメダカを他の兄弟はどう見ているのだろう。それを見ているぼくはしばらく仕事にならない。

イチローが9年連続200本安打の記録を達成したあと、遊ぶように打ちまくっている。ぼくは何の記録も達成する目標がないので、もっともっと遊ぶように仕事をしなければならない。

この前まで金さん銀さんの100才で大騒ぎしていたのに、現在の100才以上は28,395人。金さん銀さんの時代から8年。これって何?急に100才以上の老人が8年の間に8,770人増えている。死んでもどんどんどんどん老人が赤ん坊みたいに誕生しているとしか考えられない。それにしても女性24,245人に対して男性は4,150人とは?別に100才の枠組に入ろうとは思っていないけど、、、、、、、。

9月25日
昨日24日のナゾナゾの答えは 「バス停の名前」 でした。

宮澤子さん
金沢の個展、遊園地に行ったような…、そうなんです。あの7つの部屋で構成されている空間はアミューズメントパークです。そんな気分で味わってもらえればいいのです。

その昔、安藤鶴夫(作家)さんが四谷の鯛焼には尾っぽまであんこが入っているとエライ宣伝して、すっかり有名になり、他の鯛焼屋も真似をしたが、これが鯛焼の堕落の始まりで、あれは邪道であります。尾っぽにはあんこを入れないで、頭から食べて最後にパリパリ焼けた尾っぽをさらりと口直しのために食べるのです。何でも入ってりゃいいというものではありません。

ぼくは子供の頃、他人によくチョッカイを出していたが、メダカの中にはそんな奴がいて、誰彼なくチョッカイを出して嫌われている。ぼくはひとりっ子だったので、他人が珍しかった。でも今はひとりでいることが平気で、むしろ孤独を味わっている。ひとりっ子でいることが最も自分らしいのである。自分らしいということは自由であるということだ。自由であるということは心が遊んでいる状態をいうのである。

メダカの動きはまるで空中戦だ。メダカが戦闘機の形をしているといつも水槽の中で空中戦が見れるのだ。それにしてもメダカは水圧を感じないのか実にスピーディに行動ができる。これが人間だったら物凄いスピードで泳ぐことになり、記録づくめだろう。

書評のために本を読むのに、2日も3日もかかるのに、書評は小一時間もかからない。なんだか読書時間を損したような気になる。時間を掛けて作った料理を食べるのはほんの10数分だったりする。じゃどっちが主体だといいたい。書くために読む。食べるために作る。目的なんか考えていると読むのも作るのも面白くない。結果が重要かプロセスが重要かというとやっぱりプロセスだろう。でも言い分は二つに分かれる。書評は読む人と書く人は同じだが、料理は作る人と食べる人は別だ。そう考えれば本を書く人と読む人は別だ。誰が読むか、誰が食べるかといちいち結果を考えていたら、創造原理からはずれてしまう。だから読む人と食べる人も結局創造に荷担していることになる。だからその荷担する人がいないと、ただ創るだけでは本来の創造は成立しない?ことになる。こんな論理を展開していくと最後は「無」に到達するのかも知れない。こーいうことは哲学者にまかせて、読みたい本を読み、食べたいものを食べ、描きたい絵を描いていりゃそれでいい。これ以上のことがどこにあるというのだ。理屈は理屈の中にあればいい。

9月24日
○送られてきたCD
坂本龍一さんから「RYUICHI SAKAMOTO PLAYING THE PIANO 2009 JAPAN SELF SELECTED」

鬼死骸、雨降り、首無、夕焼小焼、冷蔵庫前、三十代、目玉入口、ヨーン。
以上の言葉は共通した何かですが、何だと思いますか?答えは明日のブログで。

この間から背筋をピンと立てて歩くことにしているとはブログに書いた。かかと、腰、背、頭の4点が一直線上に並べば正しい姿勢になる。これがなかなか難しいのだ。背中に板でも張って歩かない限り、こうはいかない。オードリーの春日みたいになっちゃって、えらい気取った歩き方で歩いている。いずれにしても猫背はぼくの生活習慣病だ。生活習慣病に従っていると老化が早いという。まぁこのブログを見る人には老化を心配する方はいらっしゃらないと思いますが…。

ぼくが甘い物が好きだと思って、よく甘い物を頂くが、大半はぼくの嫌いな甘い物だ。

A好きな甘味― おはぎ(必ずツブあん―米と餅米は半々で、半つきであること)
ぜんざい(ツブあん―どろっとしたのはダメ。サラッとしたものがOK)
タイ焼き(ツブあん―尾っぽまであんの入っているのは邪道)
ドラ焼き(うさぎ屋に限る)
今川焼(ツブあん)
わらび餅(きな粉が多くないとダメ)
B嫌いな甘味―ヨーカン(大嫌い)
もなか(これを持ってくる人が大半。大嫌い)
きんつば(ツブあんでもでもダメ)
大福(おはぎとの区別ができない人)
だんご
まんじゅう(特に嫌い)
おしるこ(こしあんはダメ)

AとBの区別のできない人は本当の甘党とはいえない。大抵の人が持ってくるのはBである。Aを持ってくる人は2年に1人位。

C最も嫌いなもの―ミツ豆
プリン
ババロア
ケーキの類(カスタード・シュークリームのみ好物)
クッキー
チョコレート(薄黒いチョコはOK)

Aは感性的な人、Bは観念的な人、 と思えばほぼ間違いない。だから大半が観念的。
以上は永久保存表で壁に貼るなり、メモるなり、憶えること。

9月23日
○送られてきた本
講談社現代新書より「定年からの旅行術」加藤仁著
「分類思考の世界」三中信宏著
「関係する女・所存する男」斎藤環著
「職場は感情で変わる」高橋克徳著

岩波書店より    「日本神話と心の構造」河合隼雄著
「臨床家・河合隼雄」谷川俊太郎、鷲田清一、河合俊雄編
「長寿を科学する」祖父江逸郎著
「シベリア柳留」栗原俊雄著

シルバーウィークは老人週間ってこと?喘息をかかえて何することもなく無益な時間の中に有益な時間を探して太古の時間に目覚めたいと、メダカは思っている?メダカは思いも考えもしないで、ただただ太古の時間を無目的に泳いでいるだけ。シルバーウィークを如何に無目的に過ごすかが目的であります。誰が?ぼくには目的がありません。

絵を描くまでが大変。本当に大事業。だけど描き出すと、こんなに容易いことはない。もっと早く、一時間前から、いや昨日から描けばよかったといつも思う。でもその気になれないでモヤモヤ、グズグズしている時間があってこそ容易いと思うのである。

9月22日
昨日は岡本太郎美術館で公開制作を行った。急遽決まったので、インフォメーションはブログだけだったが会場は超満員で入れないお客さんもいらした。ただ喘息のため声がかすれて出ず、体調も良好ではなかったが3時間ほどで150号、まあ未完のまま、まあ完成。先日描いた絵が展示されていたが、「あれ?こんな絵だっけ?」と思わせた。自作でありながら他作に見えるのは、自分の中の他人が描いたのか?そんな馬鹿なことはない。自分の中に他人が入ってたまるものか。きっと自分の中の複数の「小さい私」が描いたに違いない。

間もなく日経新聞の瀬戸内寂聴さんの「奇縁まんだら」のPart 3が始まるので、また人物の肖像画を描くことになる。すでに150点位描いているので、プラス50点、計200点になる。ここでは様々な様式が試される場にしたいと思っている。

9月20日
自転車を止めて、10日近くなる。また猫背を止めて4日になる。このまま一生続きそう。まだまだ止めるものが沢山ある。順番に止めていこう。

昨日からマスクを着用することにした。「マスク着用宣言」。喘息予防(すでに今秋早々喘息の発作が起こった)のため、マスクをしていると街ではそれとなく人が避けてくれる。インフルエンザがそんなに恐怖なら自分もマスクを着用すればいいのに。

9月19日
○本日送られてきた本
朝日新聞社より「般若心経」、「イマジン」、「千の風になって」、「老子」新井満著。 PONYCANYONよりCD新井 満コレクション1 「風神」

後で来た地球メダカの生存が3匹になった。宇宙メダカの水槽に移したが、果たして延命するやいなや、疑問だ。あと一匹(宇宙メダカ)は自宅の庭のカメの中で2匹の金魚と共同生活。たった一匹なのでいつ孤独死するかと思いきや、。たくましく共同生活をしている。金魚は日々成長しているので大分大きくなってきた。その内金魚の食料になるかも。そのギリギリで救助してやろう。

元匿さん
ぼくはロングアイランド(N.Y.)のイーストハンプトンには友人(3人)の別荘があって何度も行ったことがあります。海の波は険しいですが、創造心を湧き起しますね。カニ座は「水」ですから、水にちなんだ環境を求めたがります。仕事机にメダカの水槽があるのも水を求める証でしょう。話しは元に戻りますが、海辺に住むならダリの家のあるポルトリガトも詩的でいいですよ。

昨日のgggでの展覧会「銀座界隈隈ガヤガヤ青春ショー」のトークショーで和田誠君が「このタイトルは横尾ちゃんがつけたんだけど、こんな変なタイトルをつける奴っていないよな」と言っていたけど、誰からも(和田君からも)クレームがつかないでスンナリ決まっちゃったけど、一瞬に口から出任せだったんです。1960年代の青春を銀座界隈でいっつも4人(和田、宇野亜喜良、灘本唯人、横尾)はワイワイガヤガヤしゃべっていたんだよな。皆んな50年から55年の付き合いだ。何を言っても、しても許される仲、そんな友人がいるのは人生の宝物だと思うよ。

5時半頃裏の青い空にピンクの雲が棚引いていた。空色が落ちるとますますピンクの雲が濃くなっていった。書斎の窓からは東の空しか見えない。西の空の反映が東の空の色を決定しているのは疑いの余地がない。西の空は物凄いことになっているのではと想像すると居ても経ってもおられない/といって外に飛び出しても西の空がよく見える場所はない。こういう事態にある時は最高に芸術的想像力がメチャクチャ働く。すでに一点の頭の中に絵が出きた。

9月18日

○送られてきた本
夫馬基彦さんより「オキナワ大神の声」夫馬基彦著

9月17日
○いただいた本
建築資料研究社より「場所の復権」平良敬一対談集
小泉淳子さんより「九龍城砦」宮本隆司著
石塚公昭さんより「乱歩、夜の夢こそまこと」/「Objectglass12」石塚公昭著

秋口になると持病の喘息が出る。特に今年はA型インフルエンザが流行しているので戦々恐々だ。なんとか時間を作ってハワイに避難したいとも思うが、誰を誘うかな?そんなのん気な隠居さんはいないだろうな?

9月16日
元匿さん
エーッと、「スリナガルの蛇」ぜひ読んで下さい。「読むな!」というと「文学界」に対する営業妨害をしているみたい(しかも執筆者が)です。さらに、さらに単行本になった時(来年2月頃)3篇を通してサーッと読んでみて下さい。ぼくの中では連作なんですよね。もうひとつ要求(?)しますと、最新号の「the寂聴」(角川から出ているムック)に短篇を描いております。その挿絵がポール・デルボー。三部作、そしてこの小説にも共通したあるモノがあります。さぁ何でしょう?小学生でも解ります。

金沢では一冊も読書しなかった。帰京した次の日から読書三昧。朝日新聞の書評のための本が山積み。元々読書はニガ手。何しろ遅読だから。でも従来の固定した趣味がワーッと拡がった感じ。自分から遠いモノ、ニガ手とするモノから想像することが結構多い。

金沢から帰ったら書斎のメダカが大量に死んでいた。事故死?小さな家族を失った感じ。

わが家のタマは終日裏庭の捨てたハッポースチロールの箱を次々と移動してベッド代わりに眠っている。一日に1,2度食事に家に戻るが、すぐホームレスに戻る。

中嶋えりさん
常設展示されている美術館は富山県立近代美術館、大原美術館、その他、コレクションされている美術館では時々、常設展が行われています。今回の「未完の…」カタログコレクションの項目に明記されています。前もって美術館に問い合わせてみて下さい。金沢21世紀美術館でも今後、常設の可能性があります。それにしても7回も観てくれたんですか?

・細野晴臣さんとのトークショー(第2会場)
 
・細野晴臣さんとのトークショー(第1会場)

・朝日新聞社書評担当編集者の5人と高村薫さん
 
・金沢21世紀美術館 秋元館長
 

9月15日
○送られてきた本
環境意識コミュニケーション研究所より
「9.11人類が、正義という呪縛から解き放たれるために」柳 瀬宏秀著
インターシフトより「つぎはぎだらけの脳と心」ディビッド・リンデン著
日経新聞、堤さんより「美空ひばり」加藤和也監修
平凡社新書、及川さんより「愛国と米国」鈴木邦男著・「私小説のすすめ」小谷野敦著 
小笠原洋子さんより「フリードリヒへの旅」小笠原洋子著
鎌田東二さんより「神と仏の出逢う国」鎌田東二著
小学館クリエイティブより「忍者武芸帳・影丸伝(一)」白土三平著

○送られてきたDVD
宝塚クリエイティブアーツより「YUGA」大和悠河トーク

長田康子さん
「隠岐は出雲大社の奥の院」って何かに書いていましたかね。昔のことだから忘れてしまいました。その時は知っていたのかも知れませんが、日々、記憶が消えていきます。悪しからず。でもこの間金沢展で会ったのは覚えていますよ。

9月14日
8日間の金沢21世紀美術館の変化に富んだ様々なスケジュールがやっと終わったが、この間の時間の流れは実にスローテンポでまるで3週間も金沢に滞在していたような感じだった。そしてその気分は実にのんびりしていたのだが、このことが不思議でならない。いくら用をこなしても時間がありあまっている感覚だった。そのありあまっている時間を読書をするとか執筆をするとかさえもしないで、滞在したような時間とただただ戯れているのだった。追われるとか、逃げるとかいうことがないからだろうか。また何かがしたいということもなかったせいか、どうもこのような時間は老人時間に逆行しているようだ、といって青春の希望と絶望の交差した時間でもなさそうだ。あえていうなら幼子の時間かも知れない。明日から始まる東京の時間と上手く折り合いがつくのだろうか。もし折り合いをつけるなら欲望に無関心でいることだろう。以上、金沢の総括でした。

9月13日
細野晴臣さんとはインドへ3週間旅して、「コチンムーン」というアルバムを作った時からの関係で、もう彼とは6回位(もっと?)対談をしている対談友達で、それ以外には滅多に会わない。だけど対談の内容はいつも同じ。音楽家の知人は結構多いけれど、一番密度が高いのは細野さんかな。そりゃいつも同じ話しばっかりだから密度が高くなるのは当たり前。二人の公開トークは初めて?(中沢新一さんと3人でトークをしたことはあるけれど)又又同じ話題になるのか、それとも二人の間での未知の話しになるのか、その場が決定しそうだ。

9月12日
小原啓貴さん
送っていただいた神戸の本屋のY字路は現地に行って写真撮ってきましたが、絵の素材には、…ウーン?です。わざわざありがとうございました。秋(10月?11月?)には兵庫県立美術館で三回目の公開制作(PCPPP)を行う予定です。追って通知します。10月には「東京Y字路」の写真集が出ますが、秋以後は兵庫県内のY字路を取材しながら公開制作(来年も)を続けていく予定です。

mac-abcさん
「私」という存在は不可知なものです。それでいいのです。「現在」は過去の結果です。そして現在が「明日」の原因でしょう。だから「現在であれ!」ということでいいんです。

元・匿さん
インフルエンザはロシアンルーレットみたいです。あるいは流れ弾の中に立っているみたいです。今の所、うまくかわしていますが…。金沢展の方は中学生の男女の団体が「エロイ!」なんて大喜びしています。世田谷区の教育委員会(「冒険王展」の学生観賞会を拒否しました)とエライ違いです。「冒険王展」との印象とは全然違う展覧会になっています。新作、そして未発表作品、滝のインスタレーション、パレット、日記など、それからお土産アート(これに気付く人と気付かない人がいますが)、ルソーの追加作品など、七ヶ所に分けて展示されています。何はともあれ、この21世紀美術館そのものが迷路的です。

「文学界」10月号にスペイン、ブラジル、インドの三部作の最終作品「スリナガルの蛇」を発表しています。これはエロイ小説です。ついでに「新潮」10月号では新芥川賞作家の磯崎憲一郎さんと対談しています。

9月11日
金沢に来て5日になるが、全く何もしていない。夜は金沢市長や21世紀美術館の館長と食事をするくらいで、日中はボケーッとしている。本を読む気もぶんを書く気も起こらない。こんな間伸びした時間と共に過ごしているのは、きっと旅先きだからかも知れない。連日晴天で特に空の雲がいい。能登半島に千里浜という全長8kmに及び海岸の砂浜は車が走れる。その昔来た時に比べると砂浜の巾が半分位になっていた。波で浸蝕したのだろうが。この浜に打ち寄せる波の音と波のうねり、そして空の雲には見とれてしまう。この近くに羽咋郵便局があって15年ほど前にここの日付入り風景スタンプを作ったが、今でも使用していたので押す。羽咋はUFOがよく出現するというので有名な土地で、本当は地球上に存在しない事物をスタンプの図像にすることは禁じられていたが、ここの局にかんしては特別許可が取れて(当時の郵便局)UFOの絵を描いた。日本中の風景スタンプ・マニアとUFOマニアがスタンプの初日印(消し印)を求めて全国から殺到した。そのためかスタンプは摩滅してほとんど絵がつぶれた状態だった。

明日は細野晴臣さんが来て、夕食を一緒にする。明後日が二人のトークショー。東京から、友人、知人も沢山来てくれます。会場を立見、座り見、寝ころ見にして、観客ギューギューづめにするそうです。今日は元サッカー選手の中田英寿さんがブラりと見に来ました。明後日は小説家の高村薫さんも大阪から展覧会を見に来られます。だから、―というわけではないけれど、今月の連休にでも是非金沢へ。

9月9日
風邪を引いたらA型インフルエンザだと思いなさいとテレビで医者がいっていたので、間違いなくインフルエンザだと思い、大騒ぎして市立病院に急遽連絡してもらって(何しろ市の仕事できているので便宜を計ってもらった)診てもらった。微に入り細にわたって調べて(ぼくは病院好き人間なので感動!)もらった。ついでに喘息の専門の先生にも。また看護婦さんが凄くいい方(美人)で、もうこれだけで治ったような感じで、本当に病院を出る時は入院していたみたいに見送られたりして、薬を飲まないで対応だけで完治してしまいました。だからぼくはやっぱり病院が好きなんですね。とにかく診断そのものが楽しかったのです。病院に行った時は声がほとんど出なかったのが、帰りはペラペラ。これで講演がキャンセルにならなかったと主催者大喜び。聴衆者600人、後半は21世紀美術館の秋元館長とトーク。

9月8日
やはり風邪か?少し微熱がある。夕方の講演までホテルで猫みたいに何もしないでベッドの上で長々となっている。ぼくは普段の体温がが35.5度なので、それが1度高い36.5度になっても医者は平熱としてしか判断してくれない。平熱36.5度の人が1度上がると37.5度になって、もしやA型インフルエンザじゃないかと思って検査対象になるのにぼっくの場合は同じ1度上がっても無視される。これはどこの病院も同じで、個人差を認めてくれないのだ。A型インフルエンザにかかっていればどうしてくれるのだ。ぼくは持病に喘息を持っているので、不安である。

9月7日
新横浜駅から金沢駅まで3時間以上本も読まないで、車窓の風景だけを眺めていた。こういうことは珍しい。大抵本を読んだり、文を書いたりしている。すると時間がうんと短縮された感じだけれど、流れる風景を特別何か考えるわけでも思うわけでもなくただ眺めているだけ。思考が静止している時の働きはただ感じているだけだとわかった。早いとか、暖かいとか、きれいだとか、静かだとか、咽を通る飲み物の味とか、かすかな匂いとか、足がしびれたとか、頭が重いとか、肉体感覚の働きだけだ。凄い、いい経験をしたように思った。

金沢は個展のオープニングの8月1日以来、丁度1ヶ月振りだ。この一ヶ月は3ヶ月以上に感じた。前にもここで書いたけれど、時間がなかなか進んでくれないのだ。そのせいか忙しいと思ったことがない。時間が未来に流れる近代時間ではなく、時間のなかった時代の源流に遡っている感じなんだ。

元・匿名氏さん
お久し振りです。金沢に来ています。明日、市民大学講座で講演があります。21世紀美術館の個展とは別口です。金沢駅の薬局で体温計を買いました。旅と風邪はつきものなので体のチェックのためです。わが家の元野良もとにかく 一日中寝ています。起きている時間は一時間(一日)位かと思って、追跡調査をしたら起きている時間は一日で25分位でした。死んだも同然です。何のために生まれてきたのか、生きながらに死ぬという意味の見本をぼくに見せてくれているらしいと思うようになりました。

9月4日
○本日送られてきた本
藤田理麻さんより「ワンダーガーデン」藤田理麻著

今夕(9/4)の東京新聞、中日新聞、西日本新聞(夕刊)に金沢展覧会等について全五段のロングインタービューで、この展覧会の考え方を語っています。ポートレイトは滝の鏡の部屋で撮ったものでちょっと面白いでしょ。

風邪を引いたらA型と思っていいとテレビで医者が言っていたので、スワA型と飛んで行った。ただの鼻たれ小僧だった。でも最初はA型でもすぐ熱が出るとは限らない。出なくともA型という場合があるとか、物騒ですね。そー考えるとぼくだってY型なんてふざけてる場合じゃないですよ。

9月2日
シロクマさん
公開制作の時は音楽があった方がいいでしょう。ぼくはアトリエでも制作時のみCDを掛けます。普段は一切音楽は聴きません。制作と音楽はひとつです。音楽は好みでないものが流れると苦痛になりませんか?ぼくの場合はクラシック、懐メロ、演歌、ロック、民族音楽、現代音楽、軍歌、オペラ、歌曲なんでもありだから、特定の音楽にしか興味のない人にはちょっと気の毒ですね。でも絵だって決して皆さんの好みに合う絵を描いているわけじゃないですからね。時には自分に合わない絵を描いちゃうことがあります。こんな時は実は内心小踊りしているんです。

9月1日
宇宙メダカ11匹の他に地球メダカ15〜6匹(メダカは動きが激しいので数えにくい)が2つの水槽に入居した。宇宙と地球を同居させると宇宙の純潔が守れず混血になるとかで、隣り同志で住んでいる。見ている分には2つの種族の違いなどわからない。でも地球メダカはどうもセカセカしている。それに対して宇宙メダカは本当に遊泳しているように見える。美を感じる。

自転車がオンボロになったついでに歩くことにした。歩くことの快感を体が知ってか、ここ3日間歩き過ぎて踵が痛いくらい。歩けないということは病気だから、歩けるということは幸せだ。メダカは休みなく動いている。元気な証拠だ。今日は暑かったが、NHKテレビ「日曜美術館」の取材のため、いつもの散歩コースになっている林の中、公園、川岸を歩く。橋の上から鯉にエサを投げて、そこを写真に撮る。近作は水の波紋がテーマ。小石を投げると大きい波紋と同時に小さい波紋が沢山できる。なぜ?と思ってよく観察すると投げた小石で飛び散った無数の水滴が大きい波紋の周辺に小さい波紋を作ることがわかった。そんなことを知らずに大きい波紋の周囲に小さい波紋の絵を描いていた。


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