12月31日
○本日の贈本
オノ・ヨーコさん/浜田哲生さんより
「今あなたに知ってもらいたいこと」オノ・ヨーコ著
今年の主な展覧会と出版など—
群馬県立美術館「円空大賞」展に出品、円空賞受賞
ソウルのアラリオ・ギャラリーでY字路の絵画展
「文学界」に小説3本随筆。「The 寂聴」にも1本随筆
世田谷美術館/岡本太郎美術館で公開制作
金沢21世紀美術館で個展
「未完の横尾忠則」(美術出版社)「夢枕」(NHK出版)
写真集「東京Y字路」(国書刊行会)出版
「優魂・高倉健」(国書刊行会)出版
西村画廊で「東京Y字路」写真展
ハガティ美術館(U.S.A.)「ジャンプ・カップ・ポップ展」に出品
大原美術館「名画に恋して」展に出品
gggギャラリー「銀座界隈ガヤガヤ青春ショー」展に出品
熊本現代美術館「メリー・ゴー・ラウンド」展に出品
西脇市岡之山美術館で個展
「続・奇縁まんだら」(日本経済新聞出版社)瀬戸内寂聴と共著
「病の神様」(文春文庫)文庫化
書斎の床に電気マットを敷いた。これで足が冷えずにすんだ。頭は冷たい方がいい。頭寒足熱は身体のためにも精神のためにもいい。
書評(朝日新聞)の仕事をするようになってからというもの、書評の対象以外の本を読んでも、読後、感想を書かないとおられなくなってしまった。だから読み、書きがセットになったというわけだ。これは書評の高徳かも知れない。
12月30日
エッセイのゲラが上がってきた時はザッと読んで、よほどおかしいところは校正するけれど、小説では何度か推敲することが多いが、最近は絵でも推敲するくせがついてきて、この美辞麗句は消しちゃおうとか、ここはもう少しメチエをしっかりと描き、どうも構成に問題があるのではとか、いつの間にか小説の影響がこんな風に絵にも及んできているのに気がついた。かと思うとこんな小説作用をことごとく無視した絵も必要だ。
12月28日
カウントダウンが始まったので、事務所、アトリエ、家の大掃除をする。不要なものが山ほど一年の間にたまっていたのを、バッサ、バッサと斬って捨てるように捨てる。いちいち確認しているとどれも捨てられないので目をつぶる。時には無責任になることも必要だ。絵なんてぼくは責任取ったことないね。来年からは絵も取り込んだ、ものも捨てる方向に行こう。ためこむとマンネリになったりスランプになる。まあ常に変化を求めている間はスランプとは無縁だけどね。
メダカの家族がとうとう9匹になった。今のところ全員健在だ。短距離だけどメダカのスピードは物凄く早い。中にはこのスピードで一回転宙返りするのもいる。そりゃ宇宙メダカの子孫だから、そのくらいは朝飯前だ。それにしても水圧の影響は受けないらしい。時々体をひねりながら流星のように飛び方(イヤ泳ぎ方か)をする。結構エンタテイナーなのだ。
12月25日
贈呈本
松岡正剛さんより「詫び・数寄・余白=アートにひそむ負の想像力」春秋社
ぼくはスポーツ誌の「Number」を毎回愛読している。アスリートから学ぶことが実に多い。肉体と精神の不一致が時には創造に破綻をもたらす。(ここでは芸術に破綻が必要だという意味とはちょっと違う。)それが一番具体的に証明してくれるのがアスリートだ。大半が瞬間という時間に結果が出るが、絵画における創造の時間はむしろ時間を消すというか、永遠化する作業ではないか?時間を殺す!
「週刊読書人」(1月号)で塚田美紀さんが「東京Y字路」の書評を書いて下さった。絵画作品と違って「物語の消えゆく、ただ骨格としてのY字路」で街に人が一人もいないが、しかしそこには人の呼吸を感じさせるために、あえて人が街に生活する時間を選んで、人の息づかいを残したまま、無人の街を描いた。それを塚田さんは「Y字路を生きたままに、その骨組みをひょいっとつまみ出そうとするのである」と。そんな作法を「Y字路骨格標本集」とはいえて妙なりだ。
YOMIさん
超長文のメールに対して超単純のMemoをお送りいたします。ヘッセの「わがままこそ最高の美徳」の書評(朝日新聞12月6日)を書きました。
12月24日
8時半頃に寝て、朝方6時頃に目が覚めて、15分後にまた寝て、そのまま夜の7時半まで、7時半から8時半まで起きていて、(この文頭につながる)。わが家のタマの睡眠生活である。
12月23日
大きいマグロが小さい箱に詰められて運ばれてきた。マグロはこの青い小さい箱の中で体をUの字に曲げられて窮屈そうにしていた。ぼくはもと大きい場所に移すようにマグロを持ってきた人に言った。それにしてもこのマグロはわが家で料理されるまでの短い命だけれど、、、、、。こんな夢を見たが、このマグロはぼくの自画像である。というのもぼくは閉所恐怖症であるからだ。果物と同じ思想だ。
昨日、来客におはぎのお土産をいただいた。ぼくがおはぎが大好物であることを知っていた。おはぎと大福の区別ができない人がいて、時々大福がやってくることがある。大福はアンコが中に包まれている。果物と同じ思想だ。これじゃあ面白くない。その点おはぎは内部と外部が入れ代わっている。内部が外部に転移した食べ物は滅多にない。内部が外部になって外部を内部に閉じ込めているところはクラインの壷の論理だ。ぼくが設計した大阪万博のせんい館はこのクラインの壷の論理を造形化したものだった。つまりおはぎ論理というわけだ。従っておはぎは三次元ではなく四次元なのである。
12月22日
○贈本
平凡社より「昭和史=1926→1945/戦後史」半藤 一利著
「魯山人書論」北大路魯山人著
今日22日は冬至。一年の間で昼が最も短く、夜が最も長くなる日です。冬至は時間の谷底ですね。明日から少しづつ時間の崖を這い上がっていく感じです。
フランスのワインの会社から頼まれていた絵が、一年以上かかってやっと完成を見るところまで来た。頼まれた絵はいつもそうだが、中々腰が上がらず、書き出したら凄く時間がかかる。それにしても海外(特にヨーロッパ)の企業はこのように、アーティストに絵を依頼してコレクションをする。中には美術館を持つ企業もある。今までに制作した企業は、「アブソルート」「ラド」「スウォッチ」「ブルガリ」そして「ランチバーグ」などである。
12月21日
○贈本
山田和さんより「知られざる魯山人」山田和著
西川隆範さんより「シュタイナー地球年代記」/「ゲーテ精神世界の先駆者」 ルドルフ・ シュタイナー著/西川隆範訳
12月20日
この前、時計が止まった。電池が切れたのだろう。駅前の時計屋に行ったが休みだった。近所の知り合いの眼鏡屋で電池の売っている店を教えられた。実にわかりにくい入りくんだ路地裏の店だった。そして、時間はかかったけれど時計は作動した。ところが数字経った頃、再び止まった。そこでスタッフの一人にその店へ時計を持って行ってもらおうと思い、その彼に店の場所を教えるために、実にくわしい地図を説明しながら描いた。そんな夢を見た。夢の中でぼくはかなり正確な地図を描いた。全くどうってことのない夢で、夢というにはあまりにも現実的過ぎて、この夢を夢のカテゴリィに入れていいものやら、ちょっと思案してしまった。
12月19日
郷里に帰ると、行動が十代(子供)に戻ってしまう。やることなすことがわがままで子供っぽくなってしまう。幼なじみに会い、話題もその時代のもの、食べ物も行く場所もなじみのあるものばかり。本能的に子供の視線を取り戻そうとしているのだ。
帰京すると必ず食べるのがお好み焼きだ。東京にはない味で、このお好み焼きの中には全ての感情の歴史が記憶されている。それを身体の中でもう一度噛みしめる。
初雪、初雪景色を見る。雪が汚いものを消すから美しいのではなく、風景が省略されて抽象化されるからだ。
○贈本
和田誠さんより「東京見物」和田誠+講談社の絵本
岩波書店より「一枚の絵から」高畑勲著
よくこんな質問を受ける。「なぜ小説を書くのか?」と。そこで答える。「アート(芸術)だけに興味を持って、人生に関心を持たないことは不遇である。ぼくは小説で人生を描くことで、アートを豊かなものにしたい」と。
アニメーションの背景作家、男鹿和雄氏の驚くべき職人芸。現代美術家は観念を優先するあまり。職人の手仕事(肉体)を無視あるいは無関心を装っているのではないか。気づいた時、肉体によって観念は裏切られるかも知れない。
ぼくが小説「ぶるうらんど」を発表した時、多くの人が主人公と作者を同一視して読んだ。それも日本の作家が作中人物と同一化したがらないのか。三島由紀夫氏はドンキ・ホーテはセルヴァンテスではないと言ったが、当然の話しである。
小説「ポルト・リガトの舘」をぼくはわざと私小説風に書き出した。しかも主人公をぼくの「忠則」をわざと「唯典」にして、如何にもという具合に私小説を演じた。死んだ主人公がどうして小説が書けよう。小説による小説批評の戯れである。
12月18日
兵庫県立美術館での男鹿和雄展の彼の職人魂には足がすくんだ。彼の人間技とは思えない描写力。対象の全てが美に還元され、そこにユートピックな世界が立ち上る。絵を描く人間なら自分の表現(主題、様式)を越えて「こんな絵を描いてみたい」と一度は思うはずだ。そんな全ての画家の希望、願望、夢を実現してくれている。彼の技にぼくは真底うらやましいと思った。宮崎駿のアニメの魅力の大半はこの背景画に負っている。
西脇市岡之山美術館の「確想重積の光景」展。なんのことや?この奇妙奇天烈なタイトルの展覧会、どんな内容かと思いきや、やはり奇妙奇天烈でありました。盛り盛り沢山、考えてみて下さい。作者のぼくは頭真っ黒。それよりもおはぎが美味しく、野良猫が可愛く、子分にしたい感じ。自作のわが生前墓地に参ってきました。
市長と食事中、市長のかつての熱愛者○×子さんと何十年振りかで偶然ホテルのレストランで遭遇。市長の頭の中は真っ白。ぜひぜひわれわれもご拝顔させていただくことになりました。一同当てられっぱなし。当の○×子さんは宝塚ファンで、ぼくと話が通じそうになるや、こりゃやばいと察した市長は○×子さんをわれわれと切り離してしまいました。市長の青春の火はまだ消えていません。ぜひこの火を市政で燃やし続けて下さい。
今夜は西脇市出身の長谷川穂積選手の世界バンタム級タイトルマッチが行われます。地元西脇は燃えています。明後日は全国高校駅伝大会に西脇工業が近畿代表で出場です。最多優勝校としては当然優勝を狙います。
12月17日
家の近くを歩いていたら、他所の家の屋根よりずっと高い所に糸杉が何本かその頂上を覗かせていたので、へぇーゴッホの絵の中のような糸杉があるんだ、と感心していたら、なんとその糸杉はわが家の植木ではないか。イヤー知らなかったなぁ。感動もんだ!木が高過ぎて、その頭頂部が家から離れた所からしか見えなかったというわけ。「わが家にはゴッホの糸杉がある」。この家に住んで40年目に糸杉の存在を知ったわけだ。実に嬉しかったなぁ。
夢で見えたことを目が覚めて人に語ることはあるけれど、実際あったことを夢で語るのは始めてだ。この間わが家の庭の杉がゴッホの絵にでてくるような糸杉があることを、このブログに書いたけれど、その時の様子を夢の中で人に語っている。そんな夢を見た。
ここでも何度も書いたが、以前のような非現実的な夢は見なくなり、前日あったことが、そのまま夢の延長になったり、夢で見たことの続きが、翌日そのまま起こったりするので、夜も昼の延長になりつつあるらしい。意識と無意識の垣根がなくなるように…。そのうち生と死の区別もなくなり、生きながら死んでいる。死にながらいきている。これ最高!
12月16日
◆贈呈本
宮沢みちさんより「日本で一番わかりやすい人相診断の本」宮沢みち著
みうらじゅんさんより「自分なくしの旅」みうらじゅん著
実業之日本社より「乙女の港」川端康成著/中原淳一画
昨日新年開始のテレビ(2回放映)の第一回ゲストで、アートを語るという様な軽い番組だけれど、SMAPの稲垣吾郎さんのインタビューを受ける。放映されるのは午前5時45分だという。「これじゃ漁師とか木こりしか見ないね」といったら、「この時間には漁師は漁から帰ってますよ」だって。話の内容はインドのチャイとか猫を通してのアート・ガイド(芸術精神)をチョコッと。何しろ15分ぐらいの番組。たまに息抜も必要なんだ。
12月14日
わが家のタマに時々話すことがある。「お前は一体どこから来たの? どんな親だったのか? 兄弟姉妹は何匹いたのか? どこで飼われていたの? その家はどこにあったのか? 片目が悪いけれど、どこでケガをしたのか? 家出をしたのか、それとも捨てられたのか? わが家に来てからは家の周り以外どこにも行かないお前はどこからどんな経路で一人旅をしてきたのか? わが家の周囲には野良猫が何匹もいるのに、お前は姿を見せてから三日目ぐらいに家の中に入ってきたけど、どうしてこの家を選んだのか?」 こんなことが知りたいけれどお前は何も言わない。黙って目を閉じて話を聞いているだけだね。
野良猫にも運命がある。自分で運命を切り開いてきたタマは偶然わが家族と出合ったわけではない。彼女の自らの意思に従って行動して、人間社会に溶け込んで、彼女なりの幸福な人生(猫生)を見つけた。またそんな舞い込んできた野良猫によってわれわれ家族も癒されていると思うと、これもわれわれの運命であることを知らされる。
藤巻さん
悟りは何も脱俗だけではないと思います。徹底的に俗界に飛び込んだシッダールタのような生き方もまた悟りじゃないでしょうか。人間わざわざ悟ろうとしなくても生まれながらに悟った存在であると、ぼくは座禅をしている時にエライお坊さんから言われました。
にぎにぎさん
人は誰でも躰の中に詩を持っていると思います。詩に触れたことのない人なんているのでしょうか?
12月13日
昨夜、雨の中わが家の玄関前に車前面に星の模様をペインティングした車が駐車していた。「きれいだな」としばらく立ち止まって見ていた。一体誰が来ているのだろうと、車に近づいてみるとわが家の車にモミジの葉が雨のため濡れてビッシリくっついていたのだった。
来春兵庫県立美術館で集中的に兵庫北部のY字路の情報(写真)を150点位集めてもらったが、その中でたった5点しか選択できなかった。案外ないものだと思った。Y字路は農道が発展したものだから地方にこそ散在していると思ったけれど現実に裏切られた。あるようでないのがY字路だということを改めて認識させられた。その五ヵ所へ早速行ってみるつもりだ。東京のY字路とはかなり異なるが、各地のY字路を通してそこに何を見ることになるのだろうか。
12月11日
糸井重里さんとの「ほぼ日」の対談、多くの方からコメントが届いています。この対談は次回(18回)が最終回です。まとめて読んでみて下さい。普通の雑誌などの時のカタイ雰囲気とは全く異なり、またトークショーの観客を意識した対話とも違った気楽な雑談ですが、編集部のまとめ方もなかなか上手です。また機会があったら糸井さんと隠居(糸井さんはまだ非隠居者ですよね)の茶飲み噺でもしたいですね。特にどうでもいい役にたたない話を…。
12月10日
◆贈呈本
保阪正康さんより「昭和史入門」保阪正康著
高橋克彦さんより「高橋克彦自選短編集/恐怖小説集」高橋克彦著
三宅一生さんより画集「SEMPÉ À NEW YORK」
森田健さんより「神のなせる技なり」森田健著
タクシーの運転手が酔っぱらいの女性を乗せたが「横浜方面」と一言、言ったまま泥酔してしまった。「横浜のどこ?」といっても眠ったまま。いくら呼びかけても答えない。体を触ればセクハラになるので、交番に掛け込むが、お巡りさんも男だから触れないというので本署にいって帰りかけの私服の婦人警官がわざわざ制服に着替えてやっと女性客の体をゆすって眼を覚ませた。泥酔の女も警官だとわかったら、すぐ酔いが覚めて、警官から客の電話を問いただして、母親に料金を払ってもらう約束をして、やっとこさに目的地についた話を運転手から聞いて実に面白かった。
ぼくが森鴎外の小説「寒山拾得」のことを書いた直後平松洋子さんが新聞にぼくのブログの内容とほぼ同じことを書かれていたので、彼女の文中の「知人」はてっきりぼくのこととばかり思っていたら、昨日、朝日新聞の書評委員会で彼女に会ったので、そのことを正したら、彼女は全く関知しないことだった。「知人」とは実は「自分」だったそうだ。こんなラクダが針の穴を通るような(譬喩(ひゆ)としては適切ではないが)滅多にない共時性に世界の狭さを感じて愉快になった。
三宅一生さんからのプレゼント「SEMPÉ À NEW YORK」は「NEW YORKER」誌のカバーのイラストレーション集で、ニューヨークの喧噪を軽妙なタッチでデュビュッフェ風の色彩で、しかもリズミカル(音楽的)に描いたモダンな絵だが、日本の土俗的な谷内六郎的エスプリに共通する味を感じる。
12月9日
楢戸ひかるさん
野川は国分寺の恋ヶ窪一丁目にある日立製作所中央研究所内が源流だそうです。工場内が源流とは驚きでえす。まさか工場内の汚染物質が流入なんてことはないでしょうね。そして世田谷区の多摩川一丁目で多摩川に合流しています。一度自転車で俳優の土屋嘉男さんと源流近くまで行ったことがありますが、随分遠かったです。彼は電気自転車でスイスイ、ぼくはママチャリで、帰ってきた時はお尻が痛かった。桜が満開で野川の鯉の産卵期で川が泡立っていました。来春の桜の季節にはまた土屋さんを誘って今度は源流を見届けようと思います。
そーいえば土屋さんと長い間あっていないことに気づきました。今までよく野川の公園で会うことが多かったけれど、多分時間帯がづれてるのだろう。あるいはぼくが別の場所にあるベンチにいるからかも知れない。今年上半期の芥川賞を受けた磯崎憲一郎さんも公園でよくぼくを見掛けたと言っていたけど、彼をしってからは一度も会ってないな。誰にも会わないというのもまたいいものである。
ぼくは昔から色音痴だと思っている。他人の使う色がみなよく見える。「うまいな」という色をマネして使ってもぼくの絵には合わない。色音痴には色音痴にあう色音痴色というのがあるようだ。こういう問題は他にも当てはまるように思う。
わが家のタマは鳴くが、無意味で鳴くことは先ずない。何かを求めている時にしか鳴かない。そんな時、彼女が何を求めているのかを察知する必要がある。昨夜も鳴いた。キャットフードも水も用意しているし、トイレのための外出用猫ドアも開けている。それでもよく鳴く。よく調べたら、台所を経て外出するのだが、昨夜に限って台所に入るドアが閉まっていた。そのことに気づかなかったのである。ぼくに訴えても不可能と判断したら、二階の妻の部屋に訴えに上って行った。それも判ってもらえず、またぼくの部屋に戻ってきて最後の訴えをした。そんなことがあってタマは用のない時以外は絶対鳴かないというのが猫生活7年(もっとか)にして初めてコミュニケーション以外では鳴かないことが判った。こんな当たり前の日常の出来事にさえ気づかない生活技術のなさにあきれはてている。
12月8日
◆贈呈本
求龍堂より「無欲越之/熊谷守一評伝」大川公一著
「無欲越之/熊谷守一評伝」が色んなところから届いて三冊になった。その風貌から熊谷さんは仙人とも天狗とも呼ばれたが、友人の証言によると奇人・変人ではない。ただ「俺は俺だ」という生き方をつらぬいたから、怖いものなしの生き方が、世間には思われていたのだろう。10年間家の庭だけがテレトリィだったと伝えられている。絵は自然がモチーフの一見枯れたように見えるが、とんでもない。実にエロティックだ。彼の内面が「仙人」と裏腹に実は悶々としていたのが正直に絵が全て解明している。
「俺は俺だ」。どこかで聞いたことがあるセリフだと思ったら、その昔、作家をカリカチュアライズした絵を描いた時、三島由紀夫さんは「実に面白い」と評価してくれた。これ幸いとばかり三島さんまでカリカチュアライズしたら、ある時、呼び出しの電話があって、喜々として三島邸に赴いたら、「この俺をゴリラにした絵の理由は何だ!?」と叱られた。「だって、他の作家の時はえらい評価されたもんで、、、、、」と答えると、三島さんは大きい声で「人は人、俺は俺」と言ってえらい叱られて、すごすご帰ったことがあった。今は昔の話しだ。
12月7日
「文学界」新年号の〈新年創作特集〉に「夢小説・何月何日の夜」と題して夢日記を発表しています。夢は見たまま言葉にも絵にもするのは不可能です。だいたいが墨が滲んだようで岡倉天心が提唱した朦朧派の絵画みたいで掴みどころのないのが夢です。夢日記を書いたことがありますが、絵は「夢枕」(NHK出版/改定新刊)で描きましたが、どちらも正確には表せません。肉眼で見たものだって記憶で描くとなると、困難を極めます。夢眠(肉眼に対して)は強度の近眼の人がサングラスをかけて見た風景のように薄暗くピントが定まっていません。自分の行動も不明瞭です。また他の登場人物は誰だかわからない場合もあります。でも肉眼以上にパチッとピントが合っているのは意識です。この場合の意識は意識と呼んでいいのか無意識と呼んでいいものやら、よくわかりません。
◆贈呈本
平凡社より「作家の酒」コロナ・ブックス
◆贈呈本
水声社より「ヴィクトル・ブローネル」斎藤哲也/「ゲラシム・ルカ」鈴木雅雄著
菊千代♂さん
面白いこと聞かれますね。ぼくの「アトリエに天から糸が垂れてきたら昇っちゃいますか?」だって?
そんなメンドークサイ。昇ったりしませんよ。糸を垂らしている釈迦だか、菩薩を糸を引張って引きずり下ろしますよ。それと地獄より極楽の方がつまらないと?そんなことないですよ極楽の住民は全て地獄をイヤというほど体験した人たちばかりですよ。地獄がまだまだ体験し切っていない人は何度でも地獄へ行く。地獄を知り尽くした者にとっては地獄は幼稚すぎますよ。きっと。
12月6日
さゆりさん
Y字路が女性の下半身に見えるなんて男性の視線ですね。いいとこに気がついてくれました。ルックスのいいY字路は股開きで、大股開きは失格です。
牧賢司さん
自分ですっかり忘れてましたが、そうそう。「異路倫」(ケロリン)〈作品社〉というタイトルの本がありました、ありました。中味は憶えていませんが、、、。
藤巻一世さん
糸井さんとの「ほぼ日」対談はまだ続いているですか。読んでいないんですが、メールで沢山感想が寄せられています。糸井重里さんとの関係?ですか?「糸」で繋がっています。
ふとぼくが20代の初めに流行した歌謡曲のことを考えていて、そーいえば井上ひろしと神戸一郎という青春歌謡の人気スターがいたことを思い出した。その後の消息をネットで調べたら両者とも亡くなっていることに気付いて驚いた。井上ひろしさんは44歳、神戸一郎さんは70歳で逝去。CDカタログで探したところ、「ふたりの青春物語」と題して、井上ひろしと神戸一郎がセットになった傑作集が出ていた。早速通販に注文する。
◆贈呈本
角川書店より「怪」0028
日経新聞でぼくがポートレイトを描いている瀬戸内寂聴さんの「奇縁まんだら」に登場する人物に対するあの記憶は恐るべきものがある。30年、40年、50年前に会った人の、あの時のあの話しのあの内容が、まるで昨日会った人のようにアクチュアルに語られているのが、あの記憶術は何に由来しているのだろう。加齢と共に記憶は失われていくというのに、86歳ですよ。ぼくなんか日に日に記憶が老化しているというのに、、、、、。今度記憶の秘密を聞いておこう。
書評のために本を読むのは実に苦痛だったが、朝日新聞の書評を8ヶ月も過ぎると慣れてきたのか、今まで滅多に読まない新刊ばかりが読書の対象になったことがかえって、次は何を読まされるのかという期待感に変わってきた。書評などかつて一度も経験がなかったので四苦八苦の連続にオドオドしたものだが、今は妙なクセがついて、書評対象外の本でもマーカーでチェックしたり、ノートにメモしたりしないと読めなくなり、読み終わると、頼まれもしないのに、書評を原稿用紙(パソコンが使えないので)に書くクセができてしまった。そんな原稿がたまっているがどうしましょう。
文芸本をマンガ化したものもよく読む。膨大な活字からできている小説を心理描写を廃してセリフだけビジュアルに表現したマンガ家の才能にはただただ敬服するのみだ。文芸のマンガ化は文章の大半を捨て去ってエッセンスにして、しかも物語をビジョン化する作業って、書評など足下にも及ばない相当知的な作業だと思う。ぼくなんか夢を絵にするだけで頭を抱えてしまうのに、一体どうすればできるのだろう。一度教わりたいものだ。それにどんな角度からも描けるこの恐るべき描写力。本気に弟子入りしたい気になる。もうひとつ弟子入りしたいのは映画の看板描きだ。
晴天。こーいう日は屋外だ。マンガ本を10冊買った。昼は外食のおそば。「村上春樹さんが夫人を伴っていらっしゃいましたよ」。腕時計が止まっていたので電池交換をする。ホットケーキとお好み焼きのインスタントを買う。公園のベンチでロイヤルミルクティとバナナジュースの缶を飲みながら芥川龍之介の「或阿呆の一生」と「歯車」を読む。公園の平和な空気の中で地獄に魅せられた男の話。焼芋とトーモロコシのとぼけた平和な物売りのかん高い声に長く引っぱる語尾が睡魔を誘う。こういうとりとめのない日は絵の制作にむかない。
12月5日
意外と喘息の人が多い。多いと妙に安心する。同病相哀みの精神なのか。だからと言って、毎日の新聞の死亡記事で死ぬのが多いと安心するわけではない。人間は誰もが死ぬ運命にあるから、死刑因だ。
河鍋暁斎の絵を見ていると自分が絵描きの末席を汚していることに恥入る。同じ絵を描くならここまでゆかなきゃ人間ではないぞと魂の怒声が聴こえる。前近代も、近代もどうも我々は近代の重箱の隅を突っつきながら、理屈をこね回して居る我鬼畜生にも劣る。何がアーティストなんだ。
外の雨水と書斎のメダカの水槽の水、冷蔵庫のペットボトルの水、水道水、水洗便所の水、水は形を持たないためにどんな形にもなれる。水こそ仏教だ。
12月4日
8匹、時には9匹と、いつもぼくの目くらましていたメダカが、今日とうとうその全貌を明かした。10匹いることが判明しました。それがどうしたと言われるかも知れないが、毎日テーブルの上の水槽の中のメダカを数えているぼくにとっては非日常な出来事なのである。昨日まで非存在のメダカが突然存在した—まあ、これだけのことですがネ。そりゃ、もっと重要なことがありますよ。キャンバスの中の絵以上に重要な問題は他にないですよ。だが、これとて、どーってことない問題を解決してくれるのか?でも一歩下がって考えれば、それがどーしたんですか。「人は人、俺は俺」。結局これしかないんじゃないでしょうか。
早稲田大学4年山本啓介さん
銭湯のポスター制作の社会的波及効果を聞いておられるのですか?銭湯ポスターの社会に訴えたいこと?ポスターを通して銭湯の湯船に身体を沈めて、「あっ、気持イイ、あっ、極楽、極楽」これで十分です。
次の質問の湯船の中で水着の女が泳いでいるのはなぜ?ですか?こんなものに意味を求めないことです。第三の質問の「芸術と銭湯」の関係性?どちらもいい気持ちです。芸術も銭湯も理屈ではありません。頭を空っぽにして芸術と銭湯に遊んで下さい。以上、終。
◆贈呈本
内田繁さんより「デザインスケープ」内田繁著
ニューヨークで発行されている日本人対象のタブロイド32ページの新聞「週刊NY生活」にズーッとエッセイを連載しているので、毎週新聞が送られてくる。これが結構面白い。NY在住の日本人のためのアメリカと日本の情報が報道されているのだが、さずがNY.アートが生活の必需品になっているのが、その取り上げ方でよくわかる。一番最近号のトップ記事は「ジャパン・アート祭り」である。政治、経済よりもむしろ文化、芸術、生活に力点を置いた編集方針が海のこちら側にも熱く伝わり、毎週読むのが楽しみである。居ながらにしてNY通になれる。逆にNY在中の日本人の目で日本も解かる。
12月3日
NHKテレビで4回にわたって放送された「知るを楽しむ」を90分にまとめた「プレミアム8/横尾忠則人生は大冒険」をNHK.BSハイビジョンで放映したが、再び12月8日(A.M.9:30~)同じくNHK.BSハイビジョンで再放送されることになった。ぼくはこの90分バージョンは見ていない。「知るを楽しむ」の制作時は喘息中(?)で声が出にくく自分で見てるだけで苦しかったので、BSハイビジョン版は見たくなかったんです。テレビに映る自分は夢の中の自分のようで、自分から切り離された他者に見える。その他者があたかもぼくであるかのように話しているわけだから、見ていて感情がコントロールできなくなるんです。
◆贈呈本
文遊社より「ソロー語録」ヘンリー・デイヴィッド・ソロー著
平凡社より「河鍋暁斎」安村敏信監修/「愛国と米国」鈴木邦男著
宮城まりこさんより、ねむの木学園の生徒役の描いたカレンダーが送られてきた。こんな純朴で無垢な絵を描ける大人がいるとしたら熊谷守一さん以外に知らない。子供の絵は人に見せるために描いているのではない。人に見せるのが目的になると邪心が出る。熊谷さんの絵はどこを探しても邪心がない。
河鍋暁斎の絵には魔性も邪心もたっぷり含まれている。同じ描くならここまで描いて猛毒を吐けばいい。ちょっと奇麗、ちょっと賢い、ちょっと危ないのが一番中途半端だ。
12月2日
美輪明宏さんの映画「MIWA:A Japanese Icon」(フランス)の取材に、監督、プロデューサーなど来訪。美輪さんとの出合いから、友情などについて語るが、どの個所が使われるかわからない。そのあと美輪さんと電話で、相変わらず喘息で声が出にくくってね、と話すと、「腹式呼吸をして恥骨に力を入れてしゃべるといいわよ。私なんか歌う時、恥骨に力をいれてるのよ」、「じゃ歌う恥骨だね」、「ハッハッハッハッ、チコツ・ソング」だって。
◆贈呈本
芸術新聞社より「アルベルト・ジャコメッティの椅子」山口泉著
松岡正剛さんより「グラフィックデザイナーの肖像」竹尾プロデュース/平野敬子編
根本隆一郎さんより「H.NOGUCHI」野口久光展カタログ
元匿さん
そうなんです。ぼくの周辺の若い人にも健忘症が蔓延しているようです。多くの人がそーいっております。きっと地球が宇宙的なレベルの健忘波動でも受けているんですかねぇ。でもぼくの年令になるとかえって忘れることで頭が整理できるんです。ぼくの場合は吸収する時代は終わって、吐き出す時代に入っています。溜まったものを軽くするのが老境の生き方なんです。
朝日新聞の書評委員会の席で作家の高村薫さんと一緒になることが多いが、おおむね自分の専門ジャンルに層するか、または個人の嗜好にあった本を希望するが、高村さんは本職の文芸とは全く無関係な本を書評の対象に選ばれる。時には「私の知らない世界だから」とか「何でもいいんです。残った本でもいいんです」とあえて自身から遠い存在というか「私」に拘らない世界に視点を向けられる。そのことにぼくはいつも驚きを禁じ得ないのだ。つまり文芸に対する高村さんの立脚地を堅めて、広大な新しい視界を開拓されるためなんだろうが、勇気のいる決断に思え、ぼくなんか知らない(?)世界なんて怖くって。でも、だからこそ挑戦してみたい気もある(?)。恥を捨てれば出来ないこともないか!
そーいえば今までの人生を振り返ってみると恥のかき捨ての連続だった。恥の積み重ねが今の自分といえよう。高卒でいきなり印刷所に飛び込んだものだから、世の中知らないことだらけで、絵も独学だけに自分の体で試して習得しなければならなかった。その点随分遠回りをしてきた。それだけに社会的ルールに従うのがニガ手。あえて自己ルールを組み立てることで自己を守る術を自然に身につけたのかも知れない。何かに化ける擬態の術っていうとこかな。
人間は死んだら自己に正直にならざるを得ないような気がする。だったら生きている間に正直になればよかったのに。わが家のタマを見ていると生きながらに自己に正直だ。つまり死んでいるということだ。ぼくの小説「ぶるうらんど」はそんな人間の話を書いたんだけどなぁ。この小説には姿を変えてぼくの考え方が一番よく出ていると思う。
書評のための新刊書ばかり読んでいると、古い時代の文芸書が読みたくなり、かえって今まで以上に本を読むようになった。それとマンガは毎日読んでいる。すぐ忘れるけどね。まぁ隠居さんは趣味三昧の時間がたっぷりあるからね。だから忙しいのよ。
360°見渡してどこにも雲がないぺタッとして皮膜のような青い空の下の公園のベンチで、アトリエに向う足が止まって、昼間での2時間、本を読む。凪のように、樹木の枯葉も枯草も止まったまま。そのくせ風もないのに、樹木の匂いだけがゆるやかに鼻先を掠める。
―なんて書くと如何にも隠居の日光浴を連想するが、本当に衣服を通して陽光が身体を熱してくれるのです。とそこへ、空よりどぎつい青の制服のオッサンが。「ここは公園?」と聞く。見ればわかるでしょと言いたい。そんなオッサンは「公園管理ナントカ」という腕章をつけている。「公園管理ナントカ」だったら、変なこと聞くな、といいたくなるところをグッと言葉を飲み込んで、「公園ですよ」と答えたら、「あッ、そッ」と言って立ち去った。
12月1日
一般の方のブログでY字路の写真を掲載し、自身の作品のように発表している人、または「東京Y字路」の表紙写真と共に大量に自身の撮った写真をコメントも添えずに掲載し、あたかもぼくの写真のように思わせるブログが出廻っていますが、ぼくの写真集の内容とは全く無関係なものですから誤解をしないで下さい。
近所で親しくしている三輪歯科で、今日は「顔の表情を変えてみませんか?」と言われた。「エッ!?」、「歯をいじることで顔が変わるんです」、「本当、ぜひ試してみたいです」といって15分位、歯をいじられる。「さぁ、鏡を見て下さい」「エッ、口元が何だか自分じゃないみたい」といって笑った写真を撮られる。みると歯がトーモロコシみたいにズラリときれいに並んでいる。「まるで彫刻ですね」、「ええ、彫塑家になりたかったんです」。某タカラジェンヌの方も手掛けられています。そういうとタカラジェンヌで歯並びの悪い人は一人もいません。しまも真白です。白くするのは全く簡単に出きるそうです。ぼくが今日やってもらったのはシミュレーションだから、写真が撮り終わると同時に、「現実」に戻った。
小沢昭一さんが東京新聞(夕)で「この道」を連載しておられるが、この中で森繁さんの演技の上手さは素人上がりの芸だと。この芸が芸能を新しく切り替える。逆に玄人は先輩に道を教わり、踏襲し、伝統から抜けられない。その点、素人は生きるうえでの反逆精神があり先輩が積み重ねてきたものの裏街道を行くやり方だ。新しいジャンルを切り拓いていく力は素人にある。森繁さんは偉大な素人出身だと。
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