2018年03月29日
三菱一号館美術館の「ルドンー秘密の花園」展を観に行った。どこかで一度は見たことのある絵はまるで色つきの夢の中を歩んでいる心地よさがある。この美術館は丸の内のビルに囲まれた実に美しい建物だけれど、そんな都会の喧噪とは異次元の世界を彷徨っている感じだ。

白黒のエッチングやリトの神秘的な作品に対して、満艦飾の息をのむような色彩は正に「秘密の花園」に迷い込んだようだ。観客は圧倒的に女性が多いが、ぜひ男性を誘って観に行ってもらいたい。

美術館の中庭は、ここだけ切り取られたようなヨーロッパの時間が味わえる。パリのオルセーにはルドンの作品が沢山あるが、見た人も見てない人も、こんなに身近な所でルドンに接することができる幸運を堪能して下さい。

カタログも素晴しいけれど、ミュージアムショップにはルドンに関する色んなグッズが並んでいる。5月20日迄。

2018年03月26日
成城三省堂で3000円置き忘れたら、戻ってきた。3000円とポイントカードを平積みの本の上に置いたまま帰ってきたら、家に電話があった。カードのひかえが取ってあるのかな?

東宝スタジオの食堂でポークカレーを食べています。

東宝スタジオの桜は満開真ッ盛り。食堂から眺める桜は絶景。夜になるとライトアップされて、桜が散る頃は川面に花びらが無数に浮いて、川底にも天空の桜が望める。一見の価値あり。

昨日、野川の花見は芝生に何十組もの「マネの草上の昼食」風景が見られた。大きいテントを張ったり、犬小屋まで持ってきたりして、何か食べながらスマホに夢中の人が大半。男女が背中を合わせて、スマホをいじっている風景は意味深。

2018年03月23日
40年振りに新聞小説の挿絵の仕事をすることになりました。山田詠美さんの日本経済新聞(朝刊)に連載される小説です。ありとあらゆるスタイルの事物のクローズアップが万華鏡のようにグルグル回転して、物語に噛み合ったり離れたりを期待しているのですが……。

今日から30分歩くことにした。初日の今日は20分からスタート。7〜8分で着くアトリエまでを遠回りして行く。アトリエまでの行き方は何十通り、何百通りもあるので、毎日コースを変えれば、コンセプチュアルだ。

成城の街は不思議な街で、毎日変化している。どこかの家が壊され、どこかの空地に新しい家が建つ。それが毎日行われている。しばらく通らない通りを歩くと、ついこの間まであった家が消え、そこに見たことのない家が建っている。まるで芝居の舞台の転換みたい。

もうひとつ不思議なことは新しく建った家に何年も人が住まない家が何軒もあるのです。実にミステリアスです。不動産屋さんに聞いても「わかりません」です。そしてこういう家に限り、みな豪邸です。???

誰も人が住まないまま新築が空いているんなら、アトリエに使わせてくれないかな? 町内に何ヶ所もアトリエがあるなんて最高だし、アトリエによって描く絵が自然に変るにきまっている。努力しないで、何種類もの絵が描けるんだから。

2018年03月20日
風邪は治ったような気がする。多分治ったんだろうなと思う。難聴のための補聴器を装着すると少しは聴こえるようになったけれど、聴こえなきゃ聴こえないのもメンドークサクなく、いいような気もする。

わざわざ情報をシャットアウトしなくても、身体がそれをやってくれるのでこれも便利がいい。でも耳学問はゼロですね。

スマホやアイフォーンのない生活には、持っている人のような悩みがないだけに、気が楽だ。

このツイートを見ている人の大半というか全員はスマホが生活必需品なんですかね。高齢者でこれをやっている人は、このことの問題で大変みたいだと新聞に出ていたけれど、どう大変なんですかね。

昨夜9時に寝たら朝4時に起きてしまった。猫と遊んだり、何か書いたり、読んだり、それにしても長い朝だった。

今日のツイッターはのらり、くらりでした。

2018年03月19日
何を描くか? で頭を悩ませた。次は如何に描くかに気づいた。ところが、これもダメ。では? 何? この2つでは解決しないことがわかった。最後は如何に生きるか! が問題だ。ところがところが、これもダメ。結局は「如何に生きるか」を止めることだった。

芳年が発狂したのは「如何に生きるか」を考え過ぎたからだ。

年齢的には押しも押されない老年だ。だけど、どうも老年になれない。見た目も幼い老年だ。何がたりないんだろう。死への崇拝?

風呂は身体を清潔にすると同時に半身浴で汗をかく必要がある。貝原益軒さんはそう言う。禅寺では掃除をすることで同時に心身も清めるという。風呂にも同じ作用があるのだろう。

禅寺の風呂には雲水が湯舟がギシギシになるほど一同に沢山入る。彼等と一緒に入る風呂は肌が触れ合って何んとも怪しい感じだ。頭が坊主だから余計そんな感じがするのだろう。

今日、タイトルバックを描いた(動かした)映画「家族はつらいよⅢ」の試写を見ました。タイトルは1分そこそこで終ってしまうけれど、あれを30分、1時間と続けることはできなくないと思うけれど、アニメを作るほど時間がかかりそーです。劇場でぜひ観て下さい。

2018年03月16日
今週発売の新聞「週刊読書人」では一面、二面で平野啓一郎さんとの対談記事が掲載されています。書店で販売されていると思います。彼とは倍近く年が離れていますが、同世代というか高校時代の同級生気分になってしまうんですよね。そんな気分での対談です。

この平野さんとの対談の中で金子兜太さんの話が出てきます。アニミズムについてです。一般的なアニミズムではない金子アニミズムです。この金子アニミズムについて平野さんとの話をもう少しするべきだったのに、話が別のところへ行っちゃった(ぼくの責任)けど、またしたいですね。

平野さんとは時々、電話で話すけれど、だいたい1〜2時間弱しゃべります。2人共電話魔じゃないくせに、2人の組合せが、長電話になってしまうのは何んでだろうと考えるが、わかりません。

2人で共通しているのはメンドー臭がりというところです。何かにつけてメンドー臭いのです。メンドー臭いから、ほとんど物事が完結しないんです。だからぼくの作品はほとんど未完です。

メンドー臭いからといって物事を別に先き伸ばしにしてしまうというわけではないのです。メンドー臭いと思った瞬間に物事が完了したのかも知れませんね。

以前イギリス人のアシスタントがスタッフにいました。ある日、彼はぼくに「メンドークサイとはどーいう意味ですか?」と聞いた。「そんな言葉どこでおぼえたの?」というと「あなたは一日に何度もこの言葉を使います」と。ぼくは「そーなんだ」といって笑った。

その彼にニューヨークで会うと、いきなり「メンドークサイネ」と言ってびっくりした。英語できっとない言葉かも知れません。では「日本の文化?」。いやこれはぼくや平野さんの文化です。

ぼくはこんな風に「メンドー臭い」を使うようです。「メンドー臭いから、やっちゃおうか」とか「メンドー臭いから止めとこか」。実に考えを決定する時に便利のいい言葉です。

メンドー臭いはどこか中途半端でもある。どっちだっていい。中庸ってことだよね。何かに決定権を委ねるわけか。じゃ、どーでもいいってことか。成るように成る。そう、これでいいんだ。

試聴用の補聴器を装着しているけれど、小さい物音がまるで映画の効果音のように大きく聴こえる。新聞をひろげるだけでガサガサ、キャンバスに筆を走らせると、ザザーッと、フォークやナイフの音がガチャ、ガチャと実にやかましい。正に作られた人工音の世界にいるみたい。

不思議な音の世界で生活している。現実にいながら虚構にいる。これ自体がすでにアートである。

2018年03月14日
手元の電話帳を繰っていたら、すでに亡くなった人の名前と電話番号が沢山書かれていたことに気づくが、なんだか削除する気になれない。健さんがなくなった後、携帯に電話したら、留守電になっていた。「用件をお話し下さい」という声にはドキリとした。

熱が下がったかと思って安心したら、また上がったりする。なかなか一気に抜けないようだ。体温計とにらめっこしながら、1分でも下がればヘアー・シャンプーに行こうか、どーかと数字とにらめっこなんて、脳に支配されていて、肉体的じゃないよね。

こーいう時は多分脱水症状を起こしている可能性があるので水分をうんと摂ればいいんじゃないかな。ぼくの肉体という主治医に聴いてみよう。肉体は「どうぞ、ご随意に!」と言っている。

この間ダウンした次の日に思い切ってマッサージをしてもらったら、よく眠れて翌朝アトリエに行く気になって、思い切って絵を描き始めた。やっぱり、次の日、ダメでした。

2018年03月13日
ロマン・コッポラ監督の「モーツアルト・イン・ザ・ジャングル」に日本のタワーレコードが映るらしいが、そこにCDの宣伝のための看板(?)のようなものを描いてくれとコッポラに頼まれたが、誰か観た人いる?

しばらく風邪を引かなかったのにとうとうやっちゃいました。「年を取ってからの風邪は怖いよ、すぐ入院しなさい」と瀬戸内さんに驚かされていますが、今、しばらくジーッとして治るのを待とうと思っています。

4日間ダウンしていたら、絵のイメージが妄想のように次々襲ってきます。熱にうなされた状態みたいだ。だから、こんな時に沢山メモ(スケッチ)を取っておきましょう。そーいう意味ではダウンするのも絵の助けになります。

普段の延長と無関係なインスピレーションばかりやってくるので「シメタ」と思っている。風邪の効用ってやつかな。

2018年03月12日
たまに寝込むと、世の中を俯瞰して見ることができる。どうでもいいことと、どうでもよくないことの区別が見えてくる。でも相対的にどうでもいいことにふりまわされていることに気づく。

まいった、まいった金土日は風邪で寝込んでしまった。病院の花粉症は誤診だった。

昼間ベッドで猫のおでんと終日横たわったままで、時々、読書。贅沢な時間を味わっている。タマに寝込むのも健康にいい。

こーいう時の読書は日野原重明先生の本がいい。体調を崩す度に日野原先生の本を読んでいたら、もう10冊を越えてしまった。本を通して主治医になってもらっている。

瀬戸内さんに、鼻とクシャミの連続でヘトヘトだというと、年寄りは危ないから、すぐ入院しなさいと、せきたてられて病院に行くと、花粉症と診断されるが、どうも怪しい。誤診の可能性がある。僕は間違いなく風邪だと思う。身体の声がそーいっている。

別の病院に行くと、花粉症ではない。立派な風邪ですと言われる。僕もその通りだと思う。

久し振りで終日ベッドに横たわったまま、猫と寝る。猫は風邪がうつらないのかな?

一日、昼間から寝ているのもいいものだ。あれこれ考えないで、仕事は全部放棄して、ボンヤリ、ベッドから青空を眺めている。

こういう時はカレーとぜんざいがいい。この2つは僕のエネルギー源だ。

時々喘息の小さい発作が起こる。去年の夏は喘息で10日間入院した。お陰で病院で絵が7点描けた。今年はどうなんだろう。

2018年03月09日
一日にティッシュの箱全部鼻紙で使ってしまった。僕は年中鼻をかんでいるので、風邪だと思う人が多いけれど、花粉症でもないし鼻炎じゃないかな。このために薬は飲んでいないので、一生の持病だと思うが、病気だとは一度も思ったことがない。クセだと思っている。

骨折の後遺症で痛いのも、喘息も全部身体のクセだ。今までのあらゆる病気も結局全部治っている。だったらクセだと思った方がいい。

貝原益軒さんの養生訓は身体の哲学だと思う。

導引術は身体の悟りである。と同時に洗心術でもある。心を悟るのはそう簡単ではない。だから先きに身体を悟らせる。すると心もついてくる。

2018年03月08日
手帖を持っている人が多いようだが、僕は持たない。ムカシ持った時代があったけれど手帖のための生活をしていることに気づいた。なんだかんだとスケジュールでびっしり手帖を埋めたくなって、手帖に振り廻される忙しさが日常になってしまったが、ヤバイと思って止めた。

ケジュールを立てても、つぶす傾向が僕の中にあるからだ。つぶすとホッとする。人間を縛りたい習性と同時に、それから解放されたいのだ。絵も同じで、ある方向に向っているな、とわかるとその路線を急に変えたくなる。というかいつも変化していたいんだろうなあ。

少しでも自分を縛る何かに出会うと、誰だって、そこから逃げたい。創造というのは、そーいう制約から生まれるんじゃないかなあ。

スマホとかアイフォーンは、ぼくには無理だ。顔の前にペタッと板を当てて写真を撮る姿を見ると、カメラより面白そーだと思ってアイフォーンを買って1、2度、写真を撮ってみたが、撮った写真を編集したり、なんかするのが難しいので、今はトートバックの中に電池切れのまま眠っている。

できるだけ人脈を減らして、人との関係を少なくしようとしているので、そんなもんで忙しくするのは時間を捨てるよーなもんだから、今のところはやる気が無い。まあ100歳になった時に始めましょう。

100歳まであと20年長いなあ。何が何んだかヨタヨタの絵を見てみたい気もする。自分でありながら、もはや自分でない者が描いた絵を。

入江一子さんは102歳で150〜200点の大作を描いておられる。凄い! と思う。誰も評価のできないような絵(入江さんのことではない)が描けると最高だと思わない? 無印アートが。

今日みたいなジトジト振る雨の日は何もできない。何もしない。一日中鼻ばっかりかんでいる。

身体の中によくこれだけの鼻があるものだと感心する。ふと自分の身体は鼻で出きているのかな? と思えてきた。

ツイッターを書いても誰も原稿料をくれないから、気楽にアホなツイートができる。雨の日はこれでいいんだ。

間もなく「アホになる修行」という本が、出版される。これを読むと賢くなるはず。詳細は後日。乞期待!

昨日、ロシアかどっかにイエティ(雪男)を探しに行く番組で、雪の中に洞窟があった。若いタレントの子が、それを見て「ウワー、凄い存在!」と叫んだ。ホホーッ、「存在」という言葉はこーいう時に使うんか、と妙に感心する。

2018年03月07日
骨折は50年間痛みが温存(?)されると医師から言われて、130才まで、僕が地上を去っても痛みだけは生き残っているのかな。まあシャーナイナアと諦めていたら3日前に突然痛みが抜けた。僕より先きに痛みが死んだ? のかな。

足親指骨折歴4年、休むことなく、痛みは覚醒したままだった。だから、痛みが抜けたと言っても、無痛の擬態じゃないかな? と疑心は晴れない。

痛みと4年も共生共存していると、それがないというのも不安だ。物かげに隠れていて、いきなりヒッチ・コックの映画みたいに、ワーッと襲ってくるんじゃないかと暗気な気分である。

「フリーペーパーマガジンです。どうぞお持ち帰り下さい。」タワーレコード Photo by Leslie Kee


氷が張った水底で越冬したわが家のメダカが、この温暖に目を覚まして泳ぎまくっているのを見るということは癒しになる。

メダカを上から目線で見下しているのにメダカが気づいたらきっと天には神がいると思うだろうなあ。

何のためにツイートしているのか。自分でもわからない。わかったら、きっとしなくなるかも。

わからないことをするのは究極の芸術行為だ。それをわかろうとするのは愚行である。

わからないことは「わからない」。それが一番幸福だ。

不幸な人はわからないことをわかろうとする達人だ、きっと。寒山拾得で生きればいい。それがアホの修行である。

寒山拾得? 知らなきゃ知らないでいいんです。アートって、そんなもんです。

僕には頭の賢いアートは無縁というより、出きません。

「お前アホか!」、「アホで結構!」、「ほな、お前はやっぱりアホや!」、「せや、その通りや」(子供の頃の会話)

アホが完成してくると、次第に迫力ができまっせえ!

絵でも迫力のない絵はまだアホがたりないんや。賢い絵ほど迫力がたりまへんのや。

今日から、新しい補聴器店へ行きます。もう3個ぐらい買ったけれど落としたり、紛失したり、壊れたり、今度だって怪しいもんだ。

スーパーとか、コンビニとかのレジで、何んか聞かれるのがさっぱりわからない。「小銭ありますか?」とか「ポイントカードは?」とかそーいったことだと思うんだけど。反応のないオッサンだと思われているんだろうなあ。

耳が聴こえないと、長生きすると昔から言われているけれど、なぜ? と聞くと、いやなことが聴こえないからストレスがないと言われるが、本当の理由は別にあると思うんだけれど、知っている人がいれば是非教えて下さい。

香取慎吾君って本当に人気者なんだね。「芸術新潮」で対談しただけで、香取君ファンだけで、ツイートがいっぱいだよ。では未発表の写真を載っけちゃおう。


2018年03月06日
イチローが古巣のマリナーズに復帰が濃厚とは嬉しいね。イチローは使い続けても、そう簡単にへコたれないでしょう。かつてのシアトルの実績はファンは皆知っているし、客が呼べる選手なんだから。また観れるのは嬉しいね。

あずきキャラメルが美味いよ。

誰の絵だかわからない新しい絵ができた。だけど、この絵を見て「お前だろ」と言われたらガッカリだね。

昨日平野啓一郎さんと「週刊読書人」で対談した。小説は物語があっていいけれど、絵はない方がいい。

この間は磯崎憲一郎さんと「群像」で対談した。彼は絵を描くように小説を書くという。僕は小説を書くように絵は描かない。

メダカが越冬して、やっと庭の瓶の水面に上がってきた。断食していたので下半身は痩せていた。

いつも来る黒い野良がだんだん茶色に変ってきた。

もう一匹のホームレスという名の猫は最後にヨタヨタになりながらお別れにきた。きっとその日か次の日に死んだと思う。その顔は本当に「お別れ」に来た顔で、しばらくジーッとわれわれを見つめていたが、何も食べなかった。ヨタヨタと休み休みに帰っていった。

人との別れも猫との別れも僕の中では同じ。こんな風に沢山の猫と別れてきた。まだ3匹いるが、今度はこちらの方が猫になってヨタヨタ消える番だろうなあ。

2018年03月02日
つい先っき、帰り道の夕空に富士山がぼくの街からシルエットで見えました。やたらと大きく見えてびっくりしました。

2018年03月01日
僕は今、81才、あと4ヶ月弱で82才。もし、この年で死んだら僕は早世だと思うんだなあ。じゃいくつで? と言われても困るんだけど絵が描けるんだったら、100でも120でもいいよね。もし、その年で死んでもきっと早世だと思うだろうなあ。

年と共に世俗的な欲望は失くなっていくけれど、絵を描くことにおいては、ますます強欲になっていくように思う。それが悟りだと思うんだよね。

午後、野川の公園のテラスで日光浴をする。つまり「日光欲」をね。

公演にいると老いた老人、老いたりない老人、老いそこなった老人、僕はほどほど老人のような気がする。中庸老人ってとこかな。

「芸術新潮」で香取慎吾さんと対談しているじゃない。彼は41才、僕は81才。僕は彼の2人分の年令だ。でも話していると同世代みたいな気になる。

神戸の僕の美術館で今、「冥土旅行」なんて縁起でもない死んでから行く旅先きの展覧会をやっている。今の内に若い内に是非観といたら、きっと長生きしますよ。

横尾忠則現代美術館にて、兵庫県知事・井戸敏三さん、館長・蓑豊さん、浅田彰さん、吉本ばななさんと。



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