2014年11月28日
今日、古い手紙を整理していたら、23年前(平成3年8月21日)の高倉健さんの手紙が封を切らないままでてきた。こんなことってあるんだ。内容は多分「あなたに褒められたくて」についての「サンサーラ」に書いた書評に対するお礼状だった。まるで死の向こうから送られてきたように思えるのだった。

2014年11月26日
この間から不眠気味だ。こんな時、時間がのろいはずなのになぜか時間が早い。あっという間に朝になる。長い夜というより短い夜だ。なんでかわからない。

ここしばらく創作意欲がなかったけれど、ふとしたことで、アイデアが浮かんだ。何かを描くというのではなく、如何に描くのか――。

ぼくは考えるのがニガ手だ。だから浮かぶまで待つタイプだ。それも悩み続けることで、パッと電気がつくのだ。

悩むことは単に悩むことで考えることではない。考えないで悩むのだ。

2014年11月25日
70年代に絶版になっていた高倉健写真集の復刻版「憂魂、高倉健」が出版されましたが、その後高倉さんのご希望で1冊づつ番号入りの限定本を作りました。
アートプラネット・ワイ https://www.tadanoriyokoo.jp/product/141

今日、11月25日、三島由紀夫さんの命日だ。あれから44年になる。ついこの前と思ったが、この年に生まれた人は44才で、あと一年で三島さんの没年の45才になる。そー思うとぼくは随分長く生きてきたもんだ。

2014年11月21日
昨夜、高倉健さんの携帯に電話する。留守電になっていたが、健さんに一方的に話した。最後の電話です。

その電話を切るなり、すぐ電話があった。一瞬留守電の折り返しかと思って怖かった。電話の主は美輪明宏さんでホッ。

その昔 1960年代終わりか、1970年初に日本テレビの11PMという夜のバラエティ番組に高倉健さんと一緒に出たことがあります。そのテープをお持ちの方おられましたらご連絡下さい。テレビ曲も処分してしまっているのです。
ご連絡先→→→

2014年11月20日
高倉健さんとの交友は47年間だった。その間色んなエピソードがある。それを今ひとつひとつ想い出している。個人史は結局出会った人々によって創られていくんだろうなあ。どのような人と出会うかによって人生も決まりますね。

あがた森魚の新作アルバム「浦島64」(LPとCD)が出ました。ジャケットのカバーにはぼくの浦島太郎を描いた作品です。またぼくをテーマにした作品も歌ってます。細野晴臣さん、武川雅寛さん、緑魔子さんも参加しています。

東宝スタジオで撮影中の「家族はつらいよ」(山田洋次監督)の撮影は終ったけれど、監督ルームのぼくの特設アトリエは引き続いて使用することになりました。来年の秋までです。アトリエと特設アトリエの両方で制作します。

成城の家は建てては壊し、壊しては建てるそんな工事を毎日どこかでやっている。壊さない日、建てない日はない。どこかが引っ越すとその家は即壊され平地になって、別の人がそこに新しい家を建てる。どーかしているよね。

2014年11月19日
「さようなら、高倉健さん、日本中が背中(せな)で泣いてます」

健さんはいつも携帯からの直接電話だ。この日は事務所からで変だと思った。健さんの死の通知を受けた時、健さんから退院祝でもらった写真入りのTシャツを着ていた。悲しみが躰にへばりついた。

2014年11月17日
トークショーの夜に風邪を引いたのか、調子悪い。老齢の風邪は要注意。だけど風邪は数年振りだ。今週は予定がないので、アトリエで猫みたいに日光浴で治そう。

東宝スタジオの特設アトリエは、映画の撮影がそろそろアップするので、引き上げる。非公開公開制作も終ることになる。仕事に行ってるのか遊びに行ってるのかわからないそんな感じが楽しかった。

映画の撮影を見ながら絵を描いたりの2ヶ月は新しい経験だった。その内、絵に経験が反映するかも。


2014年11月14日
2ヶ月近く左の足のふくらはぎの痛みが今朝突然治った。特別の治療をしなくても治るんだ。自然治癒は年令に関係ないのかな。それに対して、朝起きたら別のところが痛くなることがあるが、これって自然発病?
11月16日から12月14日まで西脇市岡之山美術館で「サムホール大賞」展が開催されます。椹木野衣さん山崎均さんとぼくの三人で審査した252点の作品が展示されています。サイズは小さいが中々の作品揃いです。「描いてみたくなる」気持にさせてくれます。是非!
美術の、または描くことの原初的な衝動を触発してくれます。プロの置き忘れた描くことの歓びがこの展覧会にはあります。そして自由な表現が。

2014年11月13日
夜は寒くなった。寒い夜は星が多いのは昔のことで、東京の空には星が少ない。夏などはミルクを流したような天の川が子供の頃はいつでも頭上にあったけれど。今日は昼の月があった。天体望遠鏡は持っているが最近は見ても仕方がないので見なくなった。

2014年11月12日
昨日のggg(スリージー)のトークショーが発売開始15分で予約完売のため、大勢の方にご迷惑を掛けたようです。展覧会は続行中です。ぜひ。

深夜にトイレに立ったあとテレビをつけるくせがついてしまった。隣家の橋爪功さんちの家も電気がついていて安心はするけど……。

久し振りに映画のポスターを作ることになって、あれこれ、何種類ものバージョンができます。全部作ると面白いと思いますが……映画会社は?

文春文庫で自伝がすでに絶版になって随分時間が経ちますが、今度ちくま文庫で出版されることになり、かなり加筆して再発刊されます。特に文化的動乱の60〜70代はぼくにとっても刺激的な時代です。その辺のことたっぷり触れてます。

2014年11月11日
わが家のタマはいないが事務所には3匹の元野良の子が住んでいるが、母猫が子猫の一匹に追い出されて元の野良に戻らざるを得なくなった。

銀座ggg(スリージー)ギャラリーでペルソナ展の出品者、宇野亜喜良さん、細谷巖さんと3人で5時から鼎談をする。ペルソナ展は1969年に銀座松屋で行なわれたグラフィック展。

2014年11月10日
ケータイもスマホも知らないぼくは、変った人として分類されるかも知れない。実際「変ってますね」と言われた。スマホで電柱に頭をぶっつけた人はちっとも変った人ではないのかも知れない。

歩く時は歩くことに専念するということは変った人として分類されることになるのかな?

ぼくの一生の中で果たしてスマホを持つ日が来るのだろうか? だとするとどーいう時だろう。皆んなに変った人としていよいよ相手にされなくなった時なのだろうか。

「新しいものを創造するのは知性ではない」とユングは言った。直感的な感性は知性からは生まれないとすると、創造は観念ではなく、肉体が発する声であろうか。

2014年11月6日
日が短くなると、仕事時間も短くなり、外が暗くなるだけで眠くなる。秋の夜長を皆さんは何をします? ぼくは9時にサッサとベッドにもぐり込みます。

自転車を止めて歩くと、このことだけで結構、歩くのが仕事みたいに感じるんですよね。

2014年11月4日
三連休は人と話さなかった。猫もいなくなったし、メダカや庭の木や空や雨と絵と話しをしていたかな。幸い自然に囲まれているので、よく眺める。眺めることは会話することでもあるんですよね。

「読書人」に日記を連載しているので、日常を観察することが楽しくなったかな。また見た夢も書くので、夢をよく見るようになった。

アトリエの天井を下げて、西側全部壁を窓にしたので、緑一色になって、光がいっぱい入ってくるようになった。これも全部躰のことを考えてしたこと。これからの生活と行動と創作も全部カラダのことを考えてのことになろう。

わざわざ何かをしようとか、テーマはなんて考えなくなった。カラダのことを考えれば全部テーマが決まる。これって老境の恵みよね。

わが家のタマ霊園には次々と色んな花が咲く。これって不思議なのよね。墓地の下には死体が埋葬されているけど、そのエッセンスが花に変ったみたいに思えるのよね。
2-3日前からなるべく遠くても歩くようにしている。1年以上経ったというのに足指の骨折が痛いんだけど、医学的には完治しているので「痛み」ではなく「違和感」だと考えを切り換えたの。そしたら歩けるんだよね。(このこと前に書いたっけ?)
年を取ると同じことを繰り返すのよね。昔から反復専門なので昔から老人だったのかな?


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