2月26日
○本日送られてきた本
酒井忠康さんより「彫刻家との対話」酒井忠康著
三五舘より「倭の正体」姜吉云著
今日もむし暑い。昨夜の家の門の前にヒキ蛙が死んでいた。二匹目の蟻の犠牲者がでた。今日午後から雨が降るという。すると蛙が草むらや地中から現れ、また交通事故に遭う。鳥獣戯画の蛙が兎に投げ飛ばされた図を想像してしまう。
最近物がしょっちゅう失くなる。自然に失くなるのではなく、自分がどこに置いたのかを記憶していないだけの話だ。物と同じように他の記憶も徐々に失いつつあるのかも知れない。必要なことだけ最小限に憶えておればいいと最近は開き直っている。年と共に身体が知を代弁してくれるように思う。
2月25日
今日は天気がよく暖かかったので公園で奥本大三郎さんの虫の本を読んでいたら、2月だというのに大きいアリが足元に寄ってきた。他の虫の姿は見なかったけれど、帰りに大きいヒキ蛙が交通事故に遭って死んでいた。アリも蛙も地熱が上がって地表に出てきたのだろう。またアリの季節になるとアトリエの玄関に集まってくる。そして来客に踏まれる。来客が来る時間になると外に出てまたアリの交通整理をしなければならない。これ結果大変な仕事なんだ。
本日送られてきた本・DVD
講談社より「大系黒澤明・第3巻」浜野保樹編・解説
荒俣宏さんより「アラマタ美術誌」荒俣宏著
DVDビデオより、大島渚2/「新宿泥棒日記」、「少年」、「東京、東京戦争戦後秘話」監督・大島渚
大島渚監督「新宿泥棒日記」で主演を演じて40年が経った。そんな40年前の自分が映っているが、未だに怖くて試写で1回、イタリアのジェノバで1回観たきりだ。そんなビデオが今度発売された。映画館でも時々上映しているようですが、この際ビデオでも観て下さい。当時は日本のヌーベルバーグといわれた大島渚。この映画でもセットをいっさい使用しないで、ドキュメントタッチで描かれています。
2月23日
○本日の贈本
東洋書林より「機械仕掛けの歌姫」フェリシア・ミラー・フランク著/大串尚代著
ピンクガールと題した1966年-2010年までの作品23点をSix(コムデギャルソン・大阪心斎橋)で展示しているが、現在このシリーズが新たな展開を見せ始めた。こーいうことは予感していたが、実際やってみないとわからない。新展開の作品の発表はまだ予定していないのでなんともいえないが、作品というのは1点で完結するものではなく、連続または反復しながら進行していくというのが、ぼくのやり方で、それがいきなり方向t玄関することも、また中断することもあり得る。ちょうど人生に似ていると思う。
生活と芸術は二足のワラジみたいだ。どちらか一方に決められればいいのだが。大半の人は生活のみ。芸術家にとって生活はうとましいものだ。芸術の中に生活を吸収してしまえばいいのだろうか。
2月22日
ぼくはよほど病院が好きらしい。様々な検査の結果が出たが、心配するような病気はなかった。まぁ強いていえば糖尿病症候群だけれど、院長先生より数値が低いそうだ。あとはコレステロールがやや高い。両者共、散歩と、導引術と、食事療法でケアできそうだ。導引術は最近サボっているけど、これは中国の道教の肉体版悟りといったところで、30年ほど以前にいわきの日本道観で習ったことがあるので、これをまた再開することにした。ぼくはどうも病院内を徘徊する修正があるらしく、レストランへ行ったり、鯛焼きをかったり、本屋に行ったりする。人が怖がる採決もそれほど怖くないし、今日なんか、三人の先生のところをグルグル廻ったりしたが、決まって先生に次々質問を投げかける。そんなわけで先生とも親しくなってしまう。医師と親しくなればイザという時助かりますよ。今日で一応病院が終わるのが淋しいので、色々考えた末、他に体の二ヶ所に異変があるのを思い出したので、来月早々CTやその他診療を予約して帰ってきた。
○本日の贈本
浅山泰美さんより「京都、銀月アパートの桜」浅山泰美著
上記の浅山さんの本の中に久世光彦さんとの出会いと別れを綴ったエッセイが、とても切なくていい。久世さんにこんな京都の女流詩人との交流があったことを初めて知った。久世さんは彼女に自分の死をそれとなく伝えていた。久世さんはよく、自分の死がそんなに遠くないようなことを言うくせがあった。例えば「俺が飛行機に乗る時は、その飛行機が堕ちる時だ」とか。
土曜日、成城ホールで筒井康隆さんの自作自演の朗読の会があってそれに招かれたが、最近耳が遠くなったらしく、人の言葉が聞きとりにくい。その上耳鳴りが激しく、さらに山下洋輔さんのピアノの音が大きく、ぼくには筒井さんの言葉がほとんど聞こえなかった。妻が横で終始ゲラゲラ笑う(他の客も笑う)のできっと例によってハチャメチャな話なんだろうと推測するしかなかった。終わった後楽屋を訪ねて「物凄く面白かったですよ」と言いたいのだが、聞こえないのに、そんなことが言えないので、久し振りに会いたかったけど楽屋で何を言っていいやらわからないので、そのまま帰ってしまった。
2月21日
3月中頃に小説の第二作目「ポルトリガトの舘」(文藝春秋社)が出ることになって「ほんの話」(同社)に、この小説についての原稿を頼まれて、書いている最中だけれど、自作について、しかも小説だ、何て書いていいやら困っていて、中々筆が進まない。あんまりべらべら書くのも何だし、といって内容を暗示させたくないし、よ—するに、「本を買って下さい」としかいいようがないけれど、まあこれしか言うことはないんだろうな。
2月19日
月曜日は審判の日だ。ダンテの神曲の気分で検査の結果が出る。今は練獄かな。地獄に行くか天国に行くか。結局はいつもベアトリーチェを探しているのがぼくの人生だ。
丸坊主にしたために風呂以外は、寝る時もニット帽を被っている。時期的に一ヶ月早かったかな。そういうと昔、インドに行った時も丸坊主だった。今回は大した理由もなく気分転換を計るためかな。すべて理由があって行動しているわけではないので自分でもよくわからない。
2月18日
入院を期待していたが、検査の結果如何によってきめられるそうで、こちらが単に希望するだけでは難しいとのことで、人間ドックだったら可能らしいが、検査の不必要だと思う個所まで検査されるのは無駄だから、やはり審判も待つしかない。審判は期待、不安五分五分だ。それによって今年の予定を立てることになるだろう。
毎年のように美術館の個展が続いており、すっかりギャラリーでの新作発表はご無沙汰してしまっている。この所、新作即美術館での発表という形態になってしまっているが、やはりギャラリーでの発表は何か特別の快感がある。ギャラリーでの発表は小説家が数年に一回発表するような感覚に似ており、なかなか機が熟しないと描けないものだ。
2月17日
世の中の速度に合わせていると、肉体年令まで加速してしまう。「速」ではなく「遅」の人生を。遅歩、遅作、遅読、遅話、遅考、などなど。これからの時間は近代的時間ではなく、反復を繰り返した古代的時間で生きたいと思っている。
4月8日より兵庫・西脇市岡之山美術館で「ようこそ、Y字路の誕生地・西脇へ」と題して「東京Y字路写真展」が10月3日まで開催される。東京・西村画廊で発表した作品に西脇のY字路絵画を加えて展示されることになった。
2月16日
○本日の贈本
アイヴァン・ヴァルタニアンさんより「日本写真集史 1956-1986」金子隆一/アイヴァン・ヴァルタニアン著
とにかく寒い。そんな寒い時期に頭を丸坊主にまるめた。今年は何か変化の年のような気がするので、まず身から。そんなこともあって身体の検査もしている。昔は不安材料を糧にして仕事をしてきたが、加齢と共に安心材料が必要になってきた。
2月15日
今日は一日病院でたっぷり時間を過ごした。採血でビーカー7本はちょっと多かった。体力が心配だったが、牛乳など飲むかわりに、タイ焼(病院内の自販機)2匹食べると元気は戻った。とにかく病院(?)中心の意識生活をするつもりだ。「私は何者だ」の謎を解くために体を知らなければならない。ぼくの興味は精神世界ではなく、肉体世界だ。
病院で見た熱帯魚の水槽の美しさに感動する。水槽の外の風景は薄汚れているが、水槽の中の透明度は実に純粋だ。汚れなき魂を見ているような気がして、しばらく水槽から離れられなくなった。ぼくがあまりに水槽をのぞいているものだから、ほかの人までが水槽に集まってきた。彼等は魚を見ているが、ぼくは水そのものを見ているのだ。
2月14日
○本日の贈本
光文社文庫より「新訳シャーロック・ホームズ全集(全九巻)」アーサー・コナン・ドイル著/日暮雅通=訳
「八十日間世界一周(上)(下)」ジュール・ベルヌ/高野優訳
工作舎より「TRA=タイガー立石」タイガー立石著
軽い靴を履くと歩行がついつい早くなって疲れるので、重い靴を履くようにした。すると遅く歩ける。なんでそんなに早く歩くのか、どこへ行くのかを考えてみたことがなかった。では軽い靴を履いてゆっくり歩けないのか、そんなことはない。試してみよう。生活全体のスピードを落とそうとしている。絵もゆっくり描く。食事もゆっくりする。全てに量を減らして質を高める。
今夏、大阪の国立国際美術館で全ポスター展が開催される。その出品作品を見ていた。引き受けなくてもいいような仕事をしてきた。それに費やした時間はもう取り返せない。愚行にしか見えない。もうこれからは愚行をする時間は残されていない。
|
2月11日
明かない海に広い砂浜が光でまばゆい。そんな浜辺に背の高い大きい白いキュービックな建物がある。建物の内外に大勢の人々が静かにゆっくりと歩いている。どの顔も明るく幸せそうだ。ぼくは天井の凄く高い部屋の中で池田満寿夫ではないが、かつての知人の画家や美術評論家の東野芳明さんらもいるようだ。ぼくはすでに死んだ人間で、それもかなり前に死んでいて、最近死んでここにやってきた新参加者芸術家または美術関係者に、死後の世界に入った時の心得を先輩面して何かと説明している。室内にはスーラーの点描画のように色んな色の粒子が散らばっていてキラキラとして美しい。かつてマルセル・デュシャンがスーラーを高く評価しているのを想い出して、さすがデュシャンはちゃんと死後の世界の光景を生前から予見していたんだなあとつくづく感心する夢を見た。
2月10日
四日間の公開制作でさすがに疲れ、ダウンしている。こんな時は過去の自作を眺めると、そこからイメージが湧いてきて、精気がよみがえる。かつての自作がビタミン剤になるとは思わなかったが、事実だ。何もないところからの発想は至難の技だが、発想は「向こうからやってくる」という人は多いが、ぼくの場合は常に自分の中からやってくる。
アトリエには描きさしの未完作品がころがっている。こうしてころがしている間に、他人の絵のような感じがしてくる。まだ自分の絵だと思っている間はダメだ。自分から離れて初めて自分の絵になる。
ひとつテーマが決まるとぼくはそのテーマで生活をいっぱいにする。テーマに関する本を読み、音楽を聴き、ビデオを観、対象の場所に行く。資料を集めているのではない。雰囲気を作るだけだ。雰囲気が大切で、知識が必要なのではない。
2月9日
展覧会が開かれることになって、展示のために会場に出向くが、作品がどこにもない。あちこち捜すが見つからない。そのうちオープニング・パーティーの客が入り始めた。困った、困ったという夢を見る。脅迫観念はしばしば夢のテーマになるが、目覚めた瞬間は救済された気持ちに変わる。
ロシアのアーティストのロトチェンコはロシア構成主義の画家だったが、ある時、絵画を捨て、グラフィックデザイナーになった。丁度ぼくと反対の生き方をした人だ。彼はグラフィック作品に絵画での経験を表しているが、このこともぼくと反対だ。ぼくは絵画に意識的にグラフィックの経験を導入させているが、何から入って、何から出ようと勝手だ。
年を取ると体のあちこちから小さい悲鳴が聞こえる。その悲鳴の正体を突き止めたいために病院に行く。体の中で何が起こっているのかわからないのは不安だ。だから病院で何を言われるかを恐れて行かない人も多いが、その方がもっと不安だ。不安が喜びに変わることだってあるのに。
2月8日
○本日の贈本
春秋社より「社会の未来」ルドルフ・シュタイナー/高橋巖訳
淡交社より「私の古寺巡礼・京都(上)(下)」監修・梅原猛
1969年に出た「浅丘ルリ子のすべて/心の裏窓」のCD(紙ジャケ)が復刻されました。コンピューターのない時代に手作りコンピューターでデザインした(当時はLP)作品です。浅丘ルリ子の歌謡ボッサ「シャム猫を抱いて」も収録されています。(テイチク製作)
留守の間に書斎のメダカが2匹瀕死の状態だ。家主がいなくなると、いつも死者が出る。いたからって何もしないが、その間は元気だ。人と魚が精神的交流などするのだろうか。自然科学専門の人がいるので聞いてみたい。
最近注射針が細くなったので、ほとんど痛くない。以前の「チクッ」とする快感が懐かしい。でも中には下手な看護婦さんもいるので、そんな時は懐かしい。でもやっぱり痛くない方が快感はもっと大きい。
長旅が2回続いたので、この辺で時間を取って検査入院をしようかなと考えている。ここしばらく入院していないが、入院も旅みたいなものだ。
2月7日
一週間の神戸滞在が終わった。公開制作を中心に旅先の変化に富んだ生活があった。神戸は19才から23才まで生活した街で、様々な想い出や記憶があるので、特別の街という感じ。だけどそんな原風景がことごとく変わってしまっているという妙な喪失感がぼくをエトランゼにしてしまう。
こんなことと関係があるのか、ないのか、闇のY字路が描き上がった。灯のない街角は何を語ろうとしているのか。そこでぼくは闇と言わないで黒い絵と名付けた。
公開制作で絵を描いたにもかかわらず、仕事をしたという感じが全くない。だからホテルの部屋で一人になった時、自分の中から充足感が一向に湧いてこない。あれは仕事ではなく、もしかしたら遊びだったのかも知れない。
ひとつ嬉しいことがあった。県立美術館で「神戸っ子アートフェスティバル」という神戸の幼稚園、小学校、中学校、特別養護学校の生徒による展覧会で、大変気に入った絵が3点あった。その絵をどうしても手に入れたくなって学校に交渉してもらった結果、許可がでて、ぼくの作品と交換してもらうことになった。その絵は青陽東養護学校と美賀多台小学校の生徒の共同作品である。
公開制作の最終日、兵庫県と県立美術館の両者による打ち上げを北野町の鉄板焼、お好み焼きの店で行われた。オードブルにいきなりステーキ一人前がでてきた。そのあとに、お好み焼き、ねぎ焼、ソバメシとどれひとつ取っても一人前当たりの量、その他にポテトサラダ、ミソ汁が出て、小食(?)のぼくにはとても食べ切れなかった。帰りにぼくがぜんざいが好きだということで用意してくれていたのをお土産でホテルに持ち帰って、夜食に食べた。いや正確には食べかけた。ぜんざいがゼリー状になっていて、白玉が2つ、スプーンでいくらかき回してもあずきが見当たらない。一口、二口、三口、食べたが変な味のぜんざいだった。もしかしたら腐っているのではないかという味だが、これが神戸の味かと思って四口、五口と食べたが、どうも痛んだぜんざいとしか思えないので、ヤバイと思って食べるのを止めて、吐き出し、口をゆすいだ。カップのラベルを見ると、コーヒー・ゼリーだとわかった。ぜんざいだと思って食べるとコーヒー・ゼリーはぜんざいの腐った味にそっくりだった。
2月5日
ぼくは旅先によく持っていく本に三原益軒の「養生訓」がある。人間はもともと長命に生まれているが、不養生のせいで短命にある。不養生の原因はだいたい考え方だ。その人間の考えによって短命にもなる。考えは欲望のことで、欲望がその人間の寿命を決定する。健康は欲望のコントロールによると考えてもよさそうだ。そういう意味では「養生訓」は「人生訓」でもある。
70才を過ぎてから無理をしないようにしている.過度な制作はしない。食事の量もほどほど必ず残す。歩きも時間や距離に挑戦しない.夜更かしは絶対しない。季節に関係なく常に気温によって夜服を替える。せいぜいこんなことでも健康が
保てる。さらに、ちょっとでも体に異変が生じると病院に行く。自分の体に挑戦するとどうしても無理をするので、疲れる前に休む。とはいうものの公開制作ではついつい疲れてから休むことが多い。制作意欲が疲れを無視するからだ。意欲もほどほどが一番いい。年を取っても好奇心を、とよくいわれるが好奇心は欲望を生むので、これもほどほどがよさそうだ。
2月4日
初日の公開制作は150号、2日目は50号を未完のまま完成。昨日は突然兵庫県知事の井戸さんが制作中にマイクを持って乱入。200本以上並べられた絵具を見てびっくり。実際は10本以内しか使用しない。知事さんとのミニ・トークでお客さんは喜ばれるやらとまどうやらで、その後美術館のレストランで昼食を共にする。昨日とガラッと違った絵ができたが、これを発展させるかどうかは疑問。
今日三日目は休息日。三宮に出て3D映画「アバター」を観る。映画館での映画は何年振りやら。最前席だったので画面の中にスッポリ入ってしまった。日頃3Dの空間にいるのに映画の3Dの方が快楽的で気持ちがいい。これは第三の現実としてこれから何度でも体感したい。映画は宇宙密林冒険映画という感じで少年時代からの憧れの対象だ。裸のエイリアンより3D空間の方がエロティックで爽快感あり。原始と近代科学の対立闘争が文明批評を語り、おきまりの恋も意外な成就で終わる。
2月2日
兵庫県立美術館での公開制作が始まった。午前中の絵が午後から突然変容をきたして黒い絵になってしまった。今回のような黒い絵ができたのは初めてだが、気に入っている。夜のY字路だけど街灯も家の明かりもない新月の夜、しかも停電した夜の道をトボトボ歩いているような淋しい絵ができた。一度描いてみたかった作品だ。
2月1日
この間宝塚を引退した瀬名じゅんの耳は物凄く大きい。和央ようかも耳が目立って、一度そのことに気づくと舞台上の彼女達の耳が気になって、気になって、それ以外のものが目に入らなくなる。フィギュア・スケートの浅田真央の耳も大きく、「3」の字にそっくりだ。以前映画監督の篠田正浩さんと対談した時、篠田さんは「女優の耳だけはどうにもならない、気になり出したらどうにもならない」と言っていたが、本当にどうにもならないのだ。
兵庫県立美術館で2日から公開制作をするがP.C.P.P.P。(コスチューム・プレイ)で着用するトビ服だけれど先方で用意してくれているのは多分関西トビ服だと思うので、ぼくの持っている関東トビ服を急遽送ることにした。関西トビと関東トビのデザインが違うのである。関東トビの方が過激でカッコいいのである。
↑↑ GO TO THE TOP ↑↑