2013年3月28日
猫肘の薬のせいか終日眠い。猫は終日眠っているので、その眠り菌が入ったのかも知れない。(猫肘とは猫に爪を立てられた結果肘が痛み始めたこと)
アトリエのトイレの工事をしてもらったが、完全に修理ができたわけではない。怖々用をたすよりは公園の管理事務所のトイレか、コンビニか家に帰るしかない。トイレがない苦労はなってみないとわからない。
機嫌が良い時と悪い時があるが、全て絵が上手く行ったか行かないかによる。といって描かないわけにはいかない。描くとどっちかになる。
絵はアスリートのように毎日トレーニングをしなければならないが、描けば描くほど下手になることがある。といって描かなきゃ、これも下手になる。どっちにしても下手になるのだから困ったものだ。

2013年3月27日
ヘアーカットに行く。ランチタイムにぶつかったのでランチ持参で。カットされながら食べるが、意外と落ちつかないものだ。ティーとデザートを出してもらう。

道の角度で見るからにぼくよりも本格的な80代と思われる白髪の老人に会った。その人はえらい前屈みで傘をさしてすごいスピードで歩く。ぼくとの距離が見る見る開いていった。体力的にはぼくの方が本格的な老人だ。

なぜこうするのかわからないでそうしてしまうことがあるけれど、あえてそのことについて意味を求めることはしないようにしている。どうせ意味などないんだから。
答えを求めようとして意味のあることばかりした結果が核を発明してしまった。芸術に意味を求める必要はないと思う。生きる意味とは何なのですか?
あっちこっち痛かったので、今日はヘアーカットでもして気分転換を計ろう。
アートをしながらアートでないことをしなきゃ。
朝食前に小品を一点、夕食後に小品を一点、これ日課。
人間に生理があるように自然にも生理がある。自然も人間と同じように体調を崩すことがある。
デュシャンとウォーホルがしたことから現代美術はどーも解放されない。

2013年3月26日
何んとなく熱っぽい。情熱の熱ではないメランコリックな老体が発する小康熱だ。

朝日の書評委員で一緒だった歌人の穂村弘さんがエッセイ集「蚊がいる」を出されることになって装幀をすることになった。久し振りの装幀だ。そーいえば穂村さんの文は蚊みたいな文だ。そういうと「蚊」という文字は「虫」と「文」の合作だ。

アトリエのトイレが壊れて使用不能のため水道工事が入っている。来客の方は駅で用を済ましてきて下さい。それにしても蟻は踏まれっぱなし。
肘の腫と痛みの薬の副作用が出始めた。受け入れて観察するしかない。
発売中の「週刊ポスト」(4/5)グラビア・近況ドキュメント「横尾忠則/永遠の未完」(文・佐久間文子/写真・ニ石有希)が掲載。

2013年3月25日

芸術も心技体の三位一体が必要だと思っていたが東洋医学では心気体だという。芸術の「技」は時にはアダになる。むしろ「技」より「気」と言いかえたい。
左肘が腫れて、ついに熱を持ち始めた。蜂窩織炎(ほうかしきえん)だという。原因不明だけれど、猫にひっかかれた左指の傷から黴菌が入ったのでは? 2日ほど入院して点滴をと言われたが、とりあえず飲み薬で目下治療中。本当に日替り病気だ。
何年か前に成城の桜祭で桜の苗木をもらって、庭に差していたのが今や、庭いっぱいの天蓋のようになった。写真参照。
日曜日は野川にひとり花見。ザワザワした雰囲気は嫌いではない。川の鯉は水が少なく背びれが水面上にでている。雨が欲しい。わが家のメダカの鉢も渇水状態なので雨を期待したい。
成城大学の卒業式だろうか。ハカマの女性が街にあふれ、急にレトロな雰囲気に変った。コーヒーショップの中から眺める。
アンディ・ウォーホルにヘアーカットをしてもらう。藤田嗣治のようなオカッパスタイルになった。ウォーホルが一緒に写真を撮ろうと言う。どうせなら彼が生きている間に撮ればよかった。二度もスタジオに訪ねたというのに。そんな夢を見た。
薬の副作用で体調を崩したことがしばしばある。左ヒジの腫も、ヒジの腹から注入した造影剤のせいではと疑る。長期にわたって色々の副作用が起こるかも知れないのでひどくなると休日でも救急入口へと書かれていた。怖い!

2013年3月22日
人間って年を重ねながら成長していると思っているが、僕は逆だと思う。5歳の時に描いた「巌流島の決闘」の模写作品が自分の最高傑作で、その後の絵は全部不純だ。純粋から出発して不純に向っていることを気づかなければならない。
何もしなければよかったのに、何かしようとしたために、自然の理から離れていった。如何に何もしないかが如何に大事かということなんだ。何をするかじゃなくって、何をしないかだ。
単純になるためには、徹底的に複雑になるしかない。複雑のまま死んじゃうか、それを捨てて死ねるかが問題だ。
死なないために生きるのじゃなく、死ぬために生きようとするのも人間の本能ではないのか。
アメリカの「アートフォーラム」誌が僕の特集をしている。その中で僕の仕事をポリティカルに論じている。内面に向ってやってきた仕事が彼等の目には外界(社会)に向って発言してきたアーティストに変貌している。まるでクラインの壺みたいだ。
観念はそれだけのものだが、直感は観念も理性もそっくりその内に臓している。だけど直感だけでもダメだ。それさえも否定したところに漂っている「何か」を見つけなければならない。その答えは自らの内にあることだけは確かだ。
面白いほど毎日言葉が消えていく。語る必要がないと僕の本性が僕をブロックしているのかも知れない。幼児のような想像力と絵に戻りたいと願望する無意識の願望かも知れない。

2013年3月21日
アトリエと自宅で毎日小品を描いているけれど、環境が変るだけで面白いほど絵も変る。意識して変えようなんて考えもしていないのに。これをコンセプトにすると実につまらない結果になるだろう。

長男がアメリカに住んでいた頃、友達に誘われて映画を観に行ったら、それが「新宿泥棒日記」だった。行くまで友達は内緒にしていたそうだ。死ぬほど恥ずかしかったそうだ。きっと親の僕より恥ずかしかっただろうと思う。

僕は夏でもコタツをしている。足がすごく冷えるからだ。昔から年寄りの子供だったから頭寒足熱の習慣が抜けないのだ。でも夜中に熱くなり過ぎたのか、朝起きると時々コタツが床に落ちていることがある。

病気を治すのは医師と患者のコラボだ。医師だけではなく患者の想像力が必要だ。また大抵の病気は患者の性格の反映だと思う。僕は自分の性格にピッタシ合った病気をしている。

下腹が重苦しい原因がわかった。姿勢が悪い。小品を描く時はテーブルにキャンバスを置いて前かがみになって長時間作業する。この姿勢を矯正すれば治るような気がする。といってそっくりかえって描くわけにもいかない。小品を止めて大作に取りかかればいいということ。

美術の領域はうんと拡大されてきたけれど、ぼくは相変らず平面(絵画)に興味ある。絵画が解決していない問題がまだまだ沢山残されているからだ。また絵画ほど神秘的な分野もない。絵画ほど冒険心を掻き立たせるものもない。

今日は蟻が特に多く、死者も出た模様。早速「飼い蟻踏まないように!」の標識をアプローチの舗道にズラリと張りつける。これは遊びではなく、シリアスです。どうぞご注意を!

台湾の出版社から出たばかりの自伝「波乱へ」(文春文庫/絶版)が今度、中国本土の出版社から出したいとのこと。あれから30年近くなるので、30年間をそろそろ追加して、続篇といいたいところ。いつになるやら。

あんまり行ったことのない隣町に古本屋探しに自転車で行った。商店街があるせいかこの町は随分活気があって生活力を感じた。自転車で走るには人が多く、ぼくの町にないエネルギーがあった。鍼灸院の先生にばったり会った。ぼくよりも先生の方が驚いた顔をしていた。
結局古本屋は昼休みで閉まっていた。ぼくの町の古本屋でピカソ展のカタログ3冊買う。ピカソの画集などは20冊近くあるのにまた買ってしまった。見るだけではなく、買うことでピカソを内在化させるのだ。
アトリエの横の森に続く遊歩道を人がいつも歩いているが、アトリエから聴こえる音楽にとまどったような顔をしているのを見るのが楽しい。クラシック、ロック、演歌、カンツォーネ、オペラ、タンゴ、インド音楽、スパニッシュ、歌曲、ナツメロ、軍歌、ポップスが日替りメニューで。
今日のメニューは八代亜紀全集オンパレード。今日買った見る本はピカソのカタログ。描く絵は小川国夫の肖像画。食べ物はお彼岸のおはぎ。
アトリエの森の樹木が色とりどりの花や実をつけている。桜、梅、椿、オレンジの実、その他わけのわからん樹の花で、パレットのようだ。
死滅したとばかりと思っていた玄関の瓶の中のメダカが健在で、今日なんか水面に沢山顔を出していて、近づくとあわてて水中に潜り、無数の矢が飛んでいるように交差しながら物影に隠れた。実に嬉しかったなあ。
でもアトリエの玄関の蟻の顔を見るのも久し振りだけれど、こっちは心配でならない。踏まれないように来客を断ろうかな。蟻でこんなに心配するぼくは、ちょっと異常かな。
それにしても随分大勢の友人、知人が亡くなった。残っている者の数の方が少なくなっているような気がする。ぼくより年長の人はもうそんなに多くないからだ。年少者までいなくなるんだから。自分の時はいつどのようにやってくるのだろうか。

2013年3月19日
ゆ様 もう少し詳しい情報下さい。メイルでOKです。

imazefsky様 ダダは確か「山羊のしっぽ」だったと思います。辞書を開いて左頁の最初の言葉にしようと言って決めたのが「ダダ」だったと思います。昔の記憶で正確じゃないかも。

クリニックに飛び込んだが急患扱いされなかったので、スポーツドリンクを飲んで落ちついた。また美術館でも観賞中に熱中したために熱中症になり、この時は病院で点滴を受けた。昔バリでも2回なったことがある。どうも熱中症の持病らしい。遺伝もあるという。

熱中症対策のプロといわれている三宅康史先生と熱中症について色々教わる。(通販生活で)2010年に6度熱中症になる。この年は熱中症で死亡した人が最も多かったそうだ。常に水分を多く摂取して予防して下さい。

今日は初夏並みの暖かさだ。風もないのでしばらく振りに公園まで散歩して、ベンチで画集など見る。活字本に比べると僕は画集はよく見る。絵の語る言葉は汚れない。
野川に添って並走している遊歩道を赤のカーペットのように変えた。この発想は見事としかいいようがない。桜の季節に合わせたのだろうが、周囲の緑が薄汚れたように見えるほど鮮やかだ。花見に色を添えてくれた。
下腹が重くて治療を受けていたが、ふと姿勢が悪いのではと自己診断した結果、姿勢を正す歩行に変えた途端、下腹の痛みが急に弱まった。一種の自助力だと思う。
冬の間全くその姿を見せなかった玄関先きのメダカが生きていた。今日の暖かさに冬眠から覚めたようだ。この間の砂嵐で水が濁っていたり、氷が張っていたりしていたのによく生きていたものだ。あっちが痛い、こっちが痛いなんていっておられない。
僕は時々「ダダノリ」と署名する。ひとつのスタイルに固執しない「ダダ」から来ている。
公園にいると若い男女、老人、子供も含めてキャップをかぶっている人が多いが、いつごろから年令、性別無関係に「キャップの時代」になってしまったのだろう。最初の流行の切っ掛けはアポロ帽だったように思う。野球帽の発展性ではないように思うのだが。
蟻もメダカも地の底から水の底から出てきた。ぼくも仮死状態からそろそろ活動しなきゃと自然(じねん)に目覚める。
文章は作家の考えだけれど、絵は自分の考えを反映する。自分を知るためには絵を多く見ることだと思う。ぼくは文章より遥かに多くの絵を見ながら、自分を探ってきた。

絵が難しい、解らないという人は決して文章も解っていないと思う。取材に来た人が「私は文学が専門で絵はさっぱりです」という人がいるが、この人は文学も解っていないで、ただ文学を知っているだけに過ぎない。
たまに街に出ると、目に全ての物が飛び込んできて、いくら目があってもたりない。小さい小さい事物まで飛び込んでくる。毎日こんな街の中で生活している人は多分ぼくのように物を見ていないと思う。毎日街にいるより、たまに来た方が街がよく見えるに違いない。

2013年3月18日
豊島の横尾館のガーデニングを地元の住民(子供を含む)に手伝ってもらって、庭を流れる小川の底面をタイルで描くのだが、それをみんなで作ってもらうことになった。シリアスアートとアールブリュットの合作だ。
蟻の季節になって、また頭が痛い。なぜかアトリエの玄関に群がる。可愛がっているからかな。でも来客に踏まれるかもわからないよ。人の気配を察知してすぐ逃げなきゃ死ぬよ。
手の指の腹がシンナーを触った時みたいに、ザラつく。乾燥のせいか、それとも老化のせいか。指10本に置き鍼をしてもらったら、少しはツルツルして来た。それにしても気になる。
加齢が進むと毎日が面白いほど体のあちこちの変化に気づく。私という存在は結局、肉体なんだと知る。
井伏鱒二はひとつの小説を長年かけて何度でも推敲するという。増刷の度、文庫になっても、手を入れる。常に未完なのだろう。ぼくも過去の作品を何度も手直しする。その挙句同じものをもう一度描く。だから反反復復反復作品が増える。
作品を完成させるという気持は最初からない。加筆によって作品がどんどん変化していくそのプロセスがただ好きなだけだ。
このことは制作に限らず、プロセスが面白いのだ。だからぼくにとっては目的や結果はそれほど重要じゃないのである。
古本屋へはよく行く。そこには過去の失われた時間と歴史がある。そんな森の中に分け入って、そこで思わぬものに出合う。その出合いはぼくにとって全て未来のためのものばかりだ。

新刊書専門の書店の本は何が必要か不必要かはぼくには見分けがつかない。だけど古書店ではそれがすぐ見分けられる。
土、日や祭日はウイークデイの5日間よりうんと長く感じる。社会と遮断した時間を呼吸しているからかな? それとも孤独になれるからかな?
大ファンの原節子と李香蘭(山口淑子)を論じた本を古本屋で発見。原節子は会ったことがないが、山口淑子、それに高峰三枝子、京マチ子はテレビで会った。3人共出演の合間ですごい親切で優しかった。だからズーッと大ファンだ。男って単純なんだ。4人共僕の絵の中に原体験として登場させてしまう。
好きな人や物はすぐ絵に描いてしまう。そして私物化する。だけど最近は嫌いなものも描くことにしている。それがどれだとは言わないけど。
ぼくは好きなものには理由がない。だけど、嫌いなものはいくらでも理由がある。
自作について解説する人がいるが、よく聞いていると言い訳をしているように思えてくる。
病院で、どこも悪くないと言われると不安になる。この先生ヤブ医者じゃないかと。自作の大した作品でないのを誉められると、この人見る目がない、と思ってしまうこととよく似ている。
よくお世辞を言う人がいるが、こんなことで気を引こうとしても乗らないよ。でも鈍感な人か何か欲しがっている人には効果あるかも。
今日初めて気がついた。アトリエの2本の桃の樹が濃いピンクに色づいていた。他に白い花をつけた樹も2本。突然咲いたのか、僕が気づかなかったのか。とうとう春が来た。いや来ていたのだ。寒がりだからまだ冬だと思っていたのだ。
絵ばかり描いていると時々小説が書きたくなる。小説のアイデアが次々と湧いてくるからだ。アイデアは10本以上あるけれど、小説など書いていると絵を描く時間がなくなると思うと、やはり真正面を見なければならない。
ぼくの書いた小説を読んだ人はどれも私小説的に読むらしい。それほど日本の小説は私小説に毒されているのだろうか。夏目漱石ではないが、小説が逃避だとすれば、私小説はどこにも逃げられないじゃないか。
池袋の新文芸坐(TEL.3971-9422)で大島渚監督「新宿泥棒日記」(横尾忠則主演)が3月21日(木)上映(9:50/13:30/17:10/20:50)。当時(1969)試写室で見たきりなので映画館で見たいとも思うのでこっそり行こうかな。
大島さんはこの映画は「僕が作り続けたフィクションと時代の動きが一番ぴったり合った映画」と言う。主役はぼくだけれど本当の主役は新宿の街であり、1969年という時代だと思うなあ。

2013年3月15日
ワードレコーズからのお知らせ。「伊藤政則のロックナイト! The Rolling Stones」3/17(日)25:00~25:55 BSフジ

先日亡くなった山口昌男さんが倒れられる前に紙芝居を描いて欲しいという話があったがやっておけばよかった。始原的世界が持つエネルギーを説話としての紙芝居で表現したかったのだろう。初めてトリックスターや両義性の概念を示した書はしばらく座右の書だった。そしてその思想を実現しようと思った。
山口昌男さんはまだ誰も知らないクロヴィス・トロイユの絵画を祝祭の画家として取り上げていた時は嬉しかった。トロイユを紹介したのは他に澁澤龍彦さんと滝口修造さんぐらいで、澁澤さんは「フランスの横尾忠則」と書いてくれていた。美術畑の人がまだ知らない60年代の頃だ。
クロヴィス・トロイユの遺族からぼくとの2人展の話が持ち上がっている。実現できればと思うのだが、残念ながら日本の美術界が誰も彼の名も作品も知らないのだ。彼はアンドレ・ブルトンに認められながら、彼はブルトンは目の人ではないと言ってシュルレアリストのメンバーを断っている。

2013年3月14日
ロスでカルロスと街に行った時、彼は3Dのカメラをプレゼントしてくれた。初めて見るカメラだった。フロリダで買ったそうだ。新製品は最初フロリダで発売して、その販売成績によって全国展開するそうだ。日本では札幌だと聞いたことがある。

メルボルンのサンタナのライブに行った時ホテルからメンバー全員がバスに乗る。マネージャーのレイ・エツラーと先きにバスの最後部で隠れていて、レイがカルロスをぼくの前の席に座らせ、バスがかなり走った所で、いきなり後から首を絞めた。ギャーと叫ぶ彼。僕がメルボルンに来た事も全部内緒だった。

「伊藤政則のロックナイト! The Rolling Stones」3/17(日)25:00~25:55、BSフジでミック・ジャガーとの度々のニアミスについて番組中で話しています。ぼくはこの時間帯は眠っていますけれど、ストーンズの好きな方は起きて!!

今日はサンタナのCDを一日中聴いていました。音楽を聴くならCDですね。ライブは肉体的体験で、ドーピング的パワーが出ました。

年に何度か(非常に少ない)デザイン(ポスター、装幀)を頼まれる時があるが、そんな時はアートのようなデザインを考え、アートを作る時はデザインのような発想と技法を心がける。つまり自分の経験を全て肯定するためだ。
とはいうものの一方では過去の経験を白紙にしなければならないと思う。
最近は何かと観劇やコンサートが多くなっているが、このことは精神の散歩と考えている。肉体の散歩は砂嵐が多いので一服中。
過去の作品を引っ張り出してきて、いじくり廻すのは実に愉しい。過去を現在化さすお遊びだから。

2013年3月13日
ガラスを突き破って這入ってくるんじゃないかと思われるほど部屋中が砂だらけで、室内でもマスクをしている。空気と同じで肉眼では見えない所から出入りをしているようだ。

サンタナのコンサートに行く。年輩者のファンが圧倒的に多いが、アリーナにも若い世代のファンも集結。新しいカルロス夫人はドラマーで、前妻の静かなインド人と対照的にエネルギッシュでパワーフル。そんな夫人をステージから紹介する。旧作から新曲までぶっ通しのステージ。
ステージ衣装を着ている者はいない。全員普段着。カルロスはTシャツにブッダやボブ・マリーの描いたベスト。彼一人が60年代のニューエイジって感じ。かなり太って頭髪薄く、だけどワイルド。ステージのパワーは一層増した。
カルロスとは久し振りに会う。「ロータス」の時代のポスター2点にサインをしてくれる。作品集をプレゼント。ハワイ、ロス、サンフランシスコ、ラスベガスに家があるので、いつでも泊りに来てくれと歓迎してくれる。でも海外旅行は断念したばかり。
「ロータス」のアルバムに参加したソニーの元スタッフ大西さん、磯田さん、田島君達に久し振りに会う。皆んな健在。帰りはデザイナーの田島照久君の車で。途中ファミリーレストランでおはぎを食べる。疲れたのか朝まで7時間グッスリ。
ロスのサンタナのコンサートで着ていた「インデアンズ」のウインドブレイカーを誉めたら、脱いでそのままくれた。楽屋でイギリスから来ていたドノバンに紹介される。翌日ロスの街へカルロスとショッピングに行く。この時も田島君と一緒だった。
ロスに住んでいた田島君の車でソール・バスやノーマン・シーフ、ジェーン・フォンダらに会う。バスは「悲しみよこんにちは」「サイコ」などのタイトルバックのデザイナー。シーフはカメラマンで以前からの知己。夫人はタイロン・パワーの娘。フォンダからはソーラ・エネジーのポスターの依頼を受けた。
田島君とニューヨーク、ロスで遊んだ話に花咲く。NYでアンディ・ウォーホルを訪ねた時、田島君がなぜか遠慮して来なかった。残念なことをしたね。ロスではスティーブ・マックインーンが映画で着用していたベストを買ったりしたな。

2013年3月12日
ロック・コンサートに行くのは久し振りだ。ボブ・ディラン以来。今夜はサンタナのコンサートに行く。カルロスに会うのも久し振りだ。ロスのコンサートで着ていたカルロスからプレゼントされたTシャツを着て行こうかな。
最近はどこに行っても最年長者だ。どこに行っても最年少者だった時代もあったんだよ。何もかもが変ったけれど自分はいつもちっとも変ったとは思ってないんだよね。
自伝を読むのが好きだ。人の自伝を読んでいると長生きするような気がする。人の人生を見て、あれもやってない、これもやってないと思うと、これからやることだらけだ。だから人生がまだまだあるような気になるのだ。
ツイッターは他人とのコミュニケーションらしいが、ぼくに関してはコミュニケーションの相手は常に自分なんだ。
状況を変えるのか、自分を変えるのか、どっちが先きだ。アートは先ず自分だね。

2013年3月11日
絵が上手か下手かは関係ない。何を描くか、どう描くかも関係ない。如何に自由に描いているかだ。つまり如何に生きるかだ。
物書きというのは単にモノを書く人ということなのか、それとも小説家のように物語を書く人をいうのかよく知らないが、ぼくでいえばさしずめ物描きということになるかも知れない。単に物を描いたり物語を絵にするからだ。だけど一方で物は描くが物語を廃除したいという気持もある。
誰にも人に言えない自分の創作の秘密がある。口にチャックをして語らない方がいい。でも最近のアーティストはそうでもなさそうだ。でもぼくは全てを語らないようにしている。他人のためじゃなく自分のために。
創作の秘密は他人に言いたくてウズウズすることがあるが、それを我慢する勇気がたまらなく快感だ。孤独な快感だ。
ほっとくとすぐ爪が伸びる。ぼくは爪を切るのが下手でいつもギザギザになる。でもかゆいところをかくためには大変便利だ。

2013年3月8日
ニューヨーカーの平均寿命はアメリカの他の市より寿命が長く、これでも80.9歳は過去最高です。だからニューヨークに来ると長生きできるとニューヨーク市長は大切な人はニューヨークに住むよう呼び掛けているんです。

文句を押えるのもストレスになりそう。だから文句を文句と思わない、そんな性格作りが先決でしょうね。

小林賢さん おっしゃる通りです。ナルホド、ナルホド。

Allyさん 長命も才能のひとつです。

福間未紗さん 美人は忘れません。音楽の方は?

豊島の帰り、または行きに神戸の横尾忠則現代美術館にも寄って下さいネ。

シモンへ きんつばと最中はツブアンでも、あれは嫌なのよね。

文句の多い人、早死の傾向。これは日本人にも当てはまりそう。

アメリカから送ってくる新聞「週刊NY生活」によると、長生きしたければ、動き続けること。スローダウンすると死んでしまう。長生きする人は、決して留まらず、(イワシみたい)なぜか彼らは文句をいわない。文句の多い人は早死の傾向がある。
去年は海外展が圧倒的に多かったが、今年は国内展のスケジュールがギシギシだ。そのひとつひとつに新作を加えると、毎日描くことになる。だけど生き急ぎだけはしたくない。じっくり、ゆっくり、のんびり、100才まで。
北斎は90才の時、あと10年生きれば宇宙の真髄が描けると思っていた。もしダメならせめて5年でも、と神と取り引きをする。画家は一日でも長生きをすると、それだけ追求できる。追求のために時間が必要だ。
昨日は頭痛、今日は吐き気がする。CTで造影剤の静脈注射の結果の副作用が数日続く場合があるらしいが、それらしい。だから心配しない。
わが家のタマは夜中に家中を徘徊して、朝になると戸棚の中で一日中眠っているお婆ちゃん猫になってしまった。僕と同い年だ。
昨日も話し中、よく知っている普通名詞が3つほど出なかった。多い時で10個ほど出ないことがある。あと一体何個ほど残っているのだろう。その分、絵の言葉(視覚言語)が増えてくれればいいが。
トークで困るのが言葉が目の前で消える時だ。スーッと消えるのではなく、シュッと消える。それに代って幼児語が出る。これって文学かも知れない。

2013年3月7日
病院へは例によってハデ目のおしゃれをしていくことにしている。患者さんに元気をつけ、明るい気分になってもらうためだ。こーいうことも老人っぽいかな?

病院で唐揚げ弁当を注文。スープだと思って唐揚げのタレを全部飲んでしまった。こーいう所も老人だなあ。そのあとぜんざいを注文。これも老人っぽいかな。

自動精算機はニガ手だ。「お札入れ」を「おふだ入れ」と読んだために、番号札を入れ、別の口に診断証を入れたために機械が故障してしまった。「お札入れ」は「おさつ入れ」だったのだ。こーいう所は老人だなあ。

上腹部骨盤造形CT検査を受ける。注射を刺したまま、液体を入れたままドームの中に入る。間もなくすると腹から顔に向かってどんどん熱くなる。説明がないのでびっくりする。10分前後で終る。あとは水を沢山飲んでお終い。

ニューヨーク・タイムス、アート・フォーラム、デイビッド・アロスト・ショーのTV番組、フランス、イタリアの雑誌、ウォーホル美術館長などが「日本のウォーホル」と比較する。三島由紀夫さんは「日本のトルーマン・カポーテ」と言われるといって、「これが外国のスタイルだ。喜ぶべきだ」と言った。
最初はこー呼ばれるのがヤナ感じだった。彼もデザイナー出身だからだろうか。ポップなモチーフを選ぶからか? ウォーホルが好きなんだから本当に子供のように喜ぶべきなんだ。
誰かに似ているということは本当に喜ぶべきことかも知れない。だって誰かに似るためにズーッと模写(コピー)をしてきたんだから。今では自分に似せるために自作の反復をしているってわけさ。
そーいえばウォーホルも誰かに似るってことは素晴しいといっていたっけ。この考えは無私の精神かも。
そーいえば、ぼくの好きなテレビは物まね番組だった。
何かに到達し、それを乗り越えようと思うなら、その対象に徹底的に近付くことだ。そして最後にパッと手放せばいいんだ。

2013年3月6日
老人を見ると「老人だなあ」と思うけれど、自分が人に見られて「老人だなあ」とは絶対思われたくない老人でいたいと思う。
「死ぬのが怖いですか」というリツイートをもらったが、老境にある人間は常に死と共に生きている。死が怖くなければ死と共に生きられないだろう。芸術は死とどこかで強く結びついている。
死がなければ哲学も必要ないだろう。
死と無関係に生きる極楽トンボになれればなりたいものだ。
久し振りで(そーでもないか)病院に行こうと思う。ドックではないけれど安心材料を得るためだ。自分(心身共に)のことは解らないものだ。
現実は肉体感覚で知覚認識できるけれど、現実の背後にあるものは全て不思議だ。という現実も不思議の一部だ。そして最大の謎は自分だ。
そんな謎の存在の自分から生まれる作品だから、自作について語るのは不可能に近い。

2013年3月5日
豊島(テシマ)横尾館が7月20日オープン。第2回瀬戸内国際芸術祭に合わせて。宇野港から船ですぐ。直島からも行けるはず。

昨日は「豊島横尾館」について建築家の永山祐子さんとトークを渋谷のヒカリエで。そのあと安藤忠雄さんとツーショット。週刊ポストのグラビアページでぼくのドキュメントのため。執筆は佐久間文子さん。

以前、早朝と夕食後毎日小品を描いていたが、再び始めることにした。北斎が毎日鬼の絵を描いて、まるめて庭に投げ捨てていた。ぼくは捨てないけどね。

仮眠から目が覚める寸前、今どこかな? と考えるのは楽しい。アトリエ? 事務所? 家? タクシー? 新幹線? いつも当たらないんだなあ。
ぎゃぼりさん 重要な時? そりゃ絵を描いている時です。

四谷シモンさん シモンねえ。ぼた餅は身につき過ぎちゃうんだよね。ドスーと。カルマを積む感じ。(こんな話昔もしたよなあ)

Mau nauさん ぼくも気分転換のために美容院に行きますよ。

福間未紗さん ぜひ公開制作の時にでも来て下さい。4月13、14日、6月15、16日です。

Kanshitazonさん。「ディオニソス」の舞台美術は日本公演では一番シンプルなもので、スカラ座ではもっと沢山観れたんですがね。今回は2シーンだけでした。

井出洋一郎様 帰京して、今日ツイート拝見しました。神戸までわざわざありがとうございました。また府中市美術館にも伺います。奥様にもよろしくお伝え下さい。
「海海人生!! 横尾忠則自伝」というタイトルで今度瞼譜出版から、台湾、香港、馬新から発刊された。日本版「波乱へ」(文春文庫・絶版)の翻訳。
この自伝は50代頃で終っている。しかも飛び飛びで抜けている年代も多い。物忘れが激しいので、今では書けないだろう。
絵は手技が憶えているので困る。手技の記憶がなければ毎回新しい絵が描けるのに残念だ。毎日が初心であればこんなに素晴しいことはない。
憶えるのも大事かも知れないけれど忘れるのもそれ以上に大事だ。毎日新しい自分でいられればどんなに素晴しいだろう。
記憶が自分を作っていくのだけれど、そんな自分じゃない毎日未知の自分でいる方がずっと自由で楽しいはずだ。
絵をよくするのも記憶だけれど、悪くするのも記憶だ。
ぼくの風邪は裸足でいることで引くことが多い。だから起きたらすぐ靴下を履くことにしている。寝る時も足を温めるとよく眠れる。頭は熱くない方がいい。
どうも玄関にいるメダカが死んだのか姿が見えない。今年の寒い冬を乗り切ることができなかったようだ。人間も年と共に段々メダカに近づいていく。
メダカは冬の間何も食べないで冬眠する。それでも死なないのは仮死状態でおられるからだろうか。人間も仮死状態になれれば体力も温存されて、もっと長命になるかも。
ぼくは昨日と今日は違う絵を描きたいと思う。昨日も今日も同じ絵ばかり描いている人がいるが、どうして飽きないのだろう。偉大な反復というしかない。
ぼくは思想に従うのではなく生理に従って絵を描いている。

2013年3月4日
神戸で第2回展「WORD IN ART」が始まった。画家に転向した80年代からの作品が展示されている。昔の作品を見るのはつらい。一点一点に力が入り過ぎて見ていて疲れる。もっと肩の力を抜かなきゃ。過去の作品から学ばされること多い。
作品を作るのは鑑賞者だというマルセル・デュシャンは正しい。そんなことを思いながら自作を見ていると逃げたくなるものだ。
驚くほど多くの自作に文字が書かれている。その意味は作者にもわからない。意味を問うのは鑑賞者だけれど、それさえ愚かなことだ。だって意味など最初からないんだから。
美術館のロビーに「WORD IN ART」の巨大な立体文字が設置されており、この立体に初日から大勢の人がメッセージを書き込んでくれている。真黒になるまで書き込んでもらいたい。ひとつひとつ読んだり、見ていると時代と神戸が見えてくる。
以前住んでいた青谷に行くが、アパートも消え、すっかり様変りして、今は昔という感じだ。
自分の納得のいかない作品を誉められるとあまりいい気分がしないものだ。逆にこの人ちっとも解ってない人だと思ってしまう。
30年振りに自作の舞台美術M・ベジャールの「ディオニソス」を見る。ミラノのスカラ座公演時以来だ。ベジャールの後任の芸術監督ジル・ロマンさんに全部描き直したいというと、驚いて「ノー、ノー、ノー」と言う。スカラ座でのあの作業を思い出すととてもできないけどね。
ジル・ロマンのコンテンポラリーに比べるとベジャールはクラシック・モダンに見えた。ロマンの演出・振付は主ルレアリスムとポップアートの混血?
故ジョルジュ・ドンが踊る名作「ボレロ」だったが、今回は女性トップ・ダンサーのエリザベット・ロスだった。ドンの舞台と違ってロスが踊るとアメノウズメノ命という印象だった。

公演前に上野公園を散策する。人の多いのに驚くが一体どこに行くのだろう。ラファエロ? グレコ? 円空? 院展? 動物園?

2013年3月1日
昨日から神戸入り。2日にオープンする㐧2回目の展覧会です。今回は「絵画の中の文字」をテーマにした作品を80年代の初期のものから新作まで網羅しています。各作品に学芸員が短い解説文を書いています。読みながら見る展覧会です。
2日午前中がオープニング・セレモニーで午後2時からこの展覧会のキュレーションをした学芸員の服部正さんとトークショーを行ないます。入場無料です。
絵はビジュアル・ランゲージです。それプラス言語が入ってます。しかし絵と言語は同一方向を指していません。その間を埋めるのが鑑賞者です。
絵は鑑賞者によって初めて成立するのです。
ミュージアムショップにも間もなく新しい夏物のアパレル商品が用意される予定です。
美術館がこんなに熱くなるとは思っていませんでした。神戸が燃えているのを実感しています。ぼくが住んでいた50年代後半と比較にならないほど熱いです。神戸から何かが生まれ、全国に発信して下さい。
一階のロビーに大きい文字の立体作品が並んでいます。その立体作品にメッセージを書き込んで下さい。プライベートな誰かへのメッセージでもいいです。絵も歓迎です。それがそのまま作品になります。ビッシリ書いて下さい。真黒になるほど。
今回はミュージアム・レポートも発刊されます。係に問い合わせて下さい。
11月オープンの「反反復復反復」展とはガラリと作品が変っています。昔(80年代)の未発表作品も展示しています。東京では見れない作品も多数あり。


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