12月31日
こねくり回してもアイディアは浮かばない時があるが、こねくり回し方が足りないのだ。もっともっとイヤになるほどこねくり回す。そして疲れたその時、啓示のようにやってくる。これって忍耐がいるけれどやって見る価値があるよ。
神だか人間だか知らないけれど正月を作った者がいるんだろうけれど、今やメディアがその者に取り代わったみたいでメディアなしでは正月も認識できないみたい。
年越しそばをいただいて紅白を観ないで、除夜の鐘も聞かないで無意識状態でぼくは新年を迎えます。
12月30日
事務所周辺にいる猫のエサを休日中世話をしなければいけないのは困ったもんだ。4匹いたが1匹ずつ脱落して今は敵対視している2匹の大猫と子猫になった。わが家の野良も大事だし、その内近所中の猫の世話係にさせられかねない。猫好きも困ったものだ。
ぼくはネズミ年だが猫が好きだ。猫年がないのはネズミが神殿に行って順番を待つ時、猫にウソをついたので猫は行けなかった。
12月28日
わが家のタマは豆大福そっくりだが、その黒い豆の部分に白髪が混じってきた。そこが完全に白髪になると白猫になってしまう。
猫の髭の数が左右共に同じ数だった。他の猫はどうなんだろう。
咽が痛くて病院に行くが、咽が少し赤くなっている程度で病気の範疇ではなさそうだ。しかも熱もない。ちょっとしたことで病院に行くこと自体が病気かも知れない。病院偏憂症って病名はあるのか知ら?
今までの整理は右の物を左に移すだけだったが、最近の整理は捨てることにした。
12月26日
朝5時に起床してたまっていた新聞の切り抜きを2時間かけてする。読みながら切り抜くものだから結構時間を食う。切った記事はスクラップに貼る。そして重要な個所に赤いペンで棒線を引いて、再読するための目印になる。結構ヘトヘトになったが、再びベッドに横になる。物の整理は気持ち(精神)の浄化にもなる。 この間から蔵書も沢山古書店に持って帰ってもらった。周辺を身軽にすることは、考えをシンプルにする効用がある。庭掃除はしたことがないが、禅寺に参禅していた時は毎日やらされたものだ。これも浄化の修行だった。
よく拙著の小説「ぶるうらんど」の内容について聞かれるが、この物語は死後で起こる物語だ。四部からなっているが、短編小説ではなく、話は続いている。「文学界」で四回に分けて掲載されたので、短編扱いにされているが、四章からなっている中編である。だから一気に続けて読んでいただきたい。この小説は泉鏡花文学賞を頂いているが、鏡花は「高野聖」しか読んでいなかった。賞を頂いたあとは少しは読んだが、「ぶるうらんど」も確かに幻想小説である。この小説や二作目の「ポルトガルとの舘」を読んでぼくの作品が理解できたと言う人もいるが、逆に絵から小説が解ったという人もいる。「ぶるうらんど」の続編を期待してくれている人がいるが、いつか気が向けば書いてみたい。
12月23日
咽が夕方になると痛みだす。そのために眠れなかった。眠れなかったために、さらに痛くなった。今回は病院に行くのを止めて、睡眠を取るとこで治そうと考えた。
今日の休みは「ダリはダリだ」(未知谷)という500ページの大著を読んだ。読むのが遅いぼくだが6時間強で読めた。難しい(ダリの文は)が一気に読めた。ダリに会ったことがある(拙著小説「ポルト・リガトの館」参照)ので、彼を想い出しながら読んだからだろうか。その人物を知る知らないで、随分違うもんだ。
12月22日
○本日の寄贈本
青志社より「知をみがく言葉」レオナルド・ダヴィンチ著
「透明な沈黙」ウィトゲンシュタイン著=鬼界彰夫訳
未知谷より「ダリはダリだ」サルヴァドール・ダリ著=北山研=訳
咽の奥が痛く、扁桃腺がはれているので内科? それとも耳鼻咽喉科? と考えている内に食事をしたら治ってしまった。食事こそ薬なんだ。
玄関前の瓶の中のメダカが冬の間死滅したと思ったら、どこにいたのか、今日は暖かいせいか一斉に現われた。物陰で冬眠していたらしい。
12月20日
○本日の寄贈本
河出書房新社より「エロティック・ジャポン」アニエス・ジアール著
久し振りにオイルマッサージをする。老いないための老いるマッサージとは皮肉なもんだ。
毎年暮になると川口市青木の氷川神社の宮司さんから新米の稲穂が送られてくる。この神社にはぼくの絵(150号大)と2種類のシルクスクリーンのポスターが所蔵されている。ぼくのブログを見て来たといえば見せてもらえるかも知れない。初詣にぜひ。それとここの氷川神社のお祓いまんじゅうが美味い。
若くっても"Twenty years old"という風になぜ"old"をくっつけるの? "Seventy four years old"は仕方ないけれど。これから外国人に対しては"Seventy four years young"と答えよう。
1966年頃、「ヤング・セブン・ツー・オー」という朝の7時20分から始まる関口宏司会のTBS番組に毎週レギュラーで出演していたことがある。まだぼくがヤングだった頃だ。このTV番組でぼくは朝食を食べながら話すことを提案した。これが大評判になった。それまでテレビで物を食べることは下品だというのでタブーだった。ところが現在は食べる番組ばかりになってしまった。やっぱりタブーは破らない方がよかったかなと思う。だけど芸術的にいえばタブーは破るもんだ。
12月18日
○本日の寄贈本
水原紫苑さんより「生き肌断ち」水原紫苑著
今日も本の整理をする。不必要な本が山積みされた。もっと厳選すれば山積みが2倍にも3倍にもなりそうだ。こんな調子で画材や他の物も整理しよう。ストレスは物が溜まることで起こる。お金が貯まり過ぎてストレスになっている人もいるに違いない。
最近はアメ玉でもイチゴ一個でも胸焼けがすることがある。食べるものも量を減らすことでストレスが解消される。ストレスが大き過ぎて過食になる人もいる。
12月17日
○本日の寄贈本
環境意識コミュニケーション研究所より「初詣の願いを祈りに」柳瀬宏秀著
今日は久し振りで宇野亜喜良さんと和田誠さんらと昼一緒した。ぼくは何かにつけて面倒臭がる人だけど2人はそうでなさそうだ。宇野さんは2才上、和田君は同年で、老境に達している3人共、面倒臭がるかなと思ったら、そうじゃないという。でも面倒臭いことには変りない。今日、昨日に始まったことじゃないので、これって生まれつきの性格かも知れない。
12月16日
ぼくの作品のほぼ全てが未完だ。未完とは欲求不満の表象だ。欲求不満が次の作品を作らせる。ぼくにとって完成は意味がない。
第一完成が何やらぼくには判らない。死が判らないと同じように完成も判らない。
オノ・ヨーコさんからクリスマスのプレゼントがどっさりと届いた。中身はジョン・レノンに関するものばかり。「レノン・BOX」を初め、すべてのジョン・レノンのCDやDVD、カレンダー、Tシャツなど。年末、年始はレノン漬けだ。
アトリエの側の森の中の遊歩道を人が散歩がてらに通る。アトリエを覗きながら通る人も多い。それをこちらから見るのも退屈しないでいい。
まだ見ていないけれど今日の朝日新聞の夕刊に40代に向けてのロング・インタビューが掲載されているはずだ。40代といっても20代の40代もいるし、60代の40代もいる。ぼくは45才でグラフィックデザイナーに転向した。
ツイッターでも何かとつぶやいています。アクセスどうぞ。
http://twitter.com/tadanoriyokoo
12月13日
多読は時にはシンプルに生きることから、逆に複雑に生きることになりかねないと思うようになった。
○本日の寄贈本
リトルモアより「ば化粧師」レイコ・クルック著
○本日の寄贈DVD+CD
戸川純さんより「TEICHIKU WORKS」JUN TOGAWA (DVD)/
「TOGAWA LEGEND」(CD)
東京駅の真ん前というか真隣のシャングリラホテルの35階から眺める東京の街は雨で曇っていて、汚いビルの屋上ばかりが下界に広がっている。4時半にはもう暗いのになぜかビルの灯りはつかない。暗い部屋の中でパソコンの画面の光で仕事をしているので電気をつけるのを忘れているのだろうか。とどうでもいいことが気になる。
12月9日
○本日の寄贈本
平野啓一郎さんより「かたちだけの愛」平野啓一郎著
昨日は朝日新聞の書評委員会の忘年会がありました。忘年会とは一年の苦労を忘れる会だそうですが。お酒飲んで(ぼくはゴマ麦茶)ご飯食べて、逆に一年の苦労を忘れるどころか、忘れていたのを思い出しました。
12月8日
○本日の寄贈本
長友啓典さんより「装丁問答」長友啓典著
ぼくも装丁は何百冊もデザインしている。まとめたいという話はあったんですが、整理を考えると中々腰があがらないんですよね。一生の内に出るかでないか、誰か熱心な編集者の方がいらっしゃれば別ですが。
宮城まり子さんからねむの木学園の子供の描いた絵のカレンダーが届いた。毎年心待ちしているカレンダーだ。ここには普通の大人の見えない、気づかない、五感の世界がある。
五感+意識の世界はわれわれ凡夫の世界だ。つまりマナ識の自己に拘っている世界だ。カレンダーの子供の住む世界はそれを超えた別の次元に存在している。
12月6日
○本日の寄贈本
古賀重樹さんより「1秒24コマの美」古賀重樹著
わが家のタマは眠っている写真しか撮れない。起きていることがほとんどない。立ったり、歩いたりしていても目を閉じている。無理に目をこじ開けると化け猫の顔になった。
12月5日
狂言師の茂山千之丞さん(87才)が亡くなった。千之丞さんとは梅原猛さん原作のスーパー狂言の衣装と舞台美術、ポスターなど一緒にした。パリ公演の時も同行した。年令を超えた若々しい人で、いつも新しいことを考え、実行された。年令は離れていたが、考えが同世代的なので、つい友達口調になることがある。もう一度一緒に仕事をしたかった。
腰と腹部の痛みはかなり取れてきた。整体の効果大なり。
12月3日
東京展にいけなかったので「ウフィツィ美術館肖像画」展を大阪・国立国際美術館で見る。日本の3人(草間、杉本、横尾)の3作品とラウシェンバーグとジェフ・クーンの作品だけがヨーロッパ絵画の中では異質で何だか浮き上がっているように見えた。
腰痛で静養中の瀬戸内寂聴さんを寂庵に見舞いに行く。ベッド脇で休載中の日経新聞の「奇縁まんだら」が新年早々再開されるので人物の候補者を20人近く挙げる。ぜんざいをいただいて帰る。
12月2日
元匿さん
那須の滝の近辺にはお土産屋があって滝の絵葉書が多分あると思います。でなきゃホテルの売店にあります。私家製の絵葉書はレディメイドでないので残念ながら—Xです。期待しないで待っています。
12月1日
昨夜から風邪気味だ。だから一睡もしていない。旅先では休息ができないので、強い意志で治すしかない。オープニング(「奇縁まんだら肖像展」/西脇市岡之山美術館)は欠席するわけにはいかない。終わったあと病院で点滴でも受けよう。点滴はゆっくり時間かけて本を読めるから嫌いではない。その前に好物のお好み焼きを食べるのを忘れないように。
昨日の曇天に変って今日は晴天。風邪には日光浴に限る。オーストラリアだったかで、何十年も眠らない男がいるが、彼は朝から日光浴だけで睡眠に変る休息を得ているという。禅堂で一睡もしないで坐禅をした時も日光浴で元気が回復したことがあった。
日本経済新聞の瀬戸内寂聴さんの連載「奇縁まんだら」が目下瀬戸内さんの腰痛のため休載中だが、正月早々から再開されることが決まった。再び肖像画も描くことになる。この仕事はぼくにとって実験の場なので、いつまでも続いてもらいたい。
オープニングパーティーでおはぎを食べ、またお好み焼屋からも差し入れのおはぎ。一日に二回もおはぎを食べるのは久し振りだ。ムカシは学校へおはぎの弁当を持って行っていたほどだから、おはぎはおやつというより主食だ。
風邪気味なので病院へ行く。西脇病院は大きくてきれいだ。帰省の度に病院に行きたくなる。どこも異常がなかった。友人は「仮病ですわ」と相手にしてくれない。
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