10月31日
「東京Y字路」の写真集に収録されている全ての写真(200数十点)に人は一人も写っていない。そのために道路から人が消える瞬間を待った。神頼みこそしなかったが、「人が消えることをただただ信じる」。これしかなかった。すると買物客であふれている通りに一瞬人が消える瞬間があるのだ。それ以前に人のいない架空の東京を撮ろうとする意志が必要だ。この意志が信じさせてくれるように思う。

芥川龍之介の「魔術」の中で魔術師がいう。魔術をおこなうためには「欲のある人間には使えません。まず欲を捨てることです」と習いたい者にいう。何に於いてもこの言葉は物ごとを達成させるための極意である。

田んぼからきた日本メダカの中には小さい(1cm)子メダカが沢山いるが、よく親に食べられずに残ったものだと思う。生まれたばかりの時に食べられたのも多かったのだろう。子孫を残したいという本能がどこまで働くのだろう。また子メダカも残りたいという本能のために食べられないために逃げ回ったり、一日も早く大きくなって親の口に入らないように努力もするだろうか。人間も本能的に努力するように生まれてきているように思うけれど、怠けるのも本能だろうか。怠けることは能力ではないので、やっぱりこれは本能とはいわないだろう。

10月30日
天気がいいので早朝から野川に面した公園のベンチで陽に当たる。ジョギングや散歩の人もまばらだ。10月の終わりだというのに日差しが強く、汗ばむ。耳を澄ますと川のせせらぎが聞こえる。こうして自然に向き合っていると芸術における美的体験に近いものを感じる。目に入る大半の色は緑、耳に聞こえる音は、遠くの人の話し声、上空を飛び飛行機の爆音、小鳥のさえずり、そして耳鳴りの音、足元の地面の草と土の湿った匂い。硬いベンチの感触と首筋を撫ぜる風などが眠りを誘う。目を閉じると聴覚が急に膨張したようになって、視覚によって閉ざされていた音までが聞こえてきた。五感を同時に体感するのはどうも難しいことがわかる。どれかひとつが主役になる時、他は脇に廻る。でもそれらが全部ひとつになった時、または連続した時にエクスタシーに達するような気がする。

頭の上が高いということは実に気持ちがいい。アトリエは書斎より天井がうんと高い。だけど青空書斎はもっと高い。空が100メートルしかなかったら、気が狂ったり、事件がもっと多発して、自殺する人間もうんと増えるだろう。空があるから人間の思考や想像力が無限になるのだろう。

水の存在も不思議だ。地球上にこんな不思議なものはないとぼくはいつも思う。他の物質とは比較にならないほど不思議だ。最初から形がないくせに、どんな形にもなってしまう。人間の心も水のようになれば、エゴも入り込む余地がない。そんな水にスッポリ包まれて、生きているメダカは一体何者なんだ。メダカと人間が環境を交換したら両方共たちまち死んでしまう。こんな小学生みたいな疑問が起こるのも自然の中でボヤーッとしているから脳にアルファー波が流れて頭はチンパンジー状態になるからだろう。

24,25日は終日金沢21世紀美術館にいました。去年から金沢とは縁ができました。不思議なもので、パタパタと続くもんですね。今後も何か?そんな予感がします。年末の神戸での公開制作は来春に延期されました。関西にはよく行きます。来年も関西で大きい個展があります。ブログでチェックして下さい。

岡本太郎美術館での公開制作のあと、小品を5,6点描きましたが、そろそろアトリエで腰を据えて制作にとりかかるつもりです。先ず、フランスのワイン会社から委嘱を受けている絵画(油彩)の制作です。一年以上待ってもらっているので、もうタイムリミットです。国内で発表しないまま海外に行ってしまった作品が何点もあります。ぼくもそんな作品と出会うチャンスは非常に少ないですね。すでに「アブソルート」「スウォッチ」「ブルガリ」「ラド」、そして今回の「ランチバーグ」などがそうです。残念ながら日本の企業からは「アサヒビール」だけです。

10月29日
メダカが断末魔の舞を踊って死んだ。白い腹を光らせながら狂乱、そして息をひき取った。あんな小さな命でも死にぎわは苦しみ悶える。創造は生みの苦しみを伴うが、終える苦しみには気づかないようだ。

書斎に日本メダカがやってきた。長男が杉並のたんぼで獲ってきた。近くの滝のある池から水を汲んできた。自然の水だから濁っている。その濁り水の中に黒っぽいメダカが約30数匹いる。よく見るとシシャモとメザシの中間という感じだ。どちらも美味しい。ところでメダカは食えるのだろうか。お茶漬けの中に混ぜて食べたらどうだろう。

写真集「東京Y字路」が出版されたので、序文を書いてもらっている椹木野衣さんにお礼の手紙を出そうと思っていたら、ばったり会ってしまったので、あわててお礼を言うという夢を見る。最近の夢はこんな現実の延長ばかりで、夢特性の無意識など全く無関係な夢ばかりを見るようになった。無意識が意識の力で押し出されているように思う。作品の発想においても直感(無意識層からの)で創作することもあまりなくなった。全て意識の力による。いいかえれば他力ではなく、自力(自主性)ということになる。その反面、今やろうとしていることは過去に見た夢の棚下(夢日記の記述)である。まあ無意識との決別の儀式みたいなものである。
ぼくは自分のことをジプシーだと思うことがある。定住できない性格だ。だから絵だって一ヶ所では描けない。次々場所を変えられる公開制作のスタイルを取る。作品の主題も様式もその都度変化する。仕事の種類も多様化する。評価を求めるのならぼくのやっていることは危険だろう。でも評価を期待しなければ常に自由でおられる。自由は時間を拡張してくれる。一時間、一日、一週間、一ヶ月、一年が長い。

友人から「その話前にも聞いた」とよく言われる。わかって言っているのだ。何度でも反復する。変化とは反復を繰り返すことだ。反復は同じことを繰り返すことだと思っているけれど違うのだ。

わが家のタマは、ぼくが眠っている間は、絶対声を掛けない。目が覚めると思うと声を掛ける。彼女はぼくの意識の観察者だ。お互いにね。猫は人になり、人は猫になる。

寄贈本
中矢伸一さんより「日月神示と古事記の予言」中矢伸一著
康 芳夫さんより「虚人のすすめ」康 芳夫著

天気のいい日は屋外書斎に移る。ごっそり資料を持って。屋内書斎が息苦しくなると公園のベンチに行く。空気、風、空、樹、水、土、鳥、虫、匂い、声、などが思考を静止して、思索に切り換えてくれる。思索とは自然の流れに乗ることだ。

10月28日
読書生活なんて今まで考えたことがなかったが、朝日で書評を受け持つことになってからは、早朝その時間を空けている。書評対象以外の本を加えると、本当に毎日が読書生活だ。書評は新刊に限るので、それ以外はどうしても名作や古典物になる。かつて書評など引き受けたことがなかったので、この仕事が来た時は猛烈に断ったけれど、編集者が食いついて離れなかったので、断るのが面倒臭くなって引き受けた。とは以前にもブログで書いた通りだが、今になって思えば、読書のチャンスを与えられたこと、しかも普段読まない本を読むことになったので、興味の対象が広がり、今では大いに感謝している。

10月27日
ビートルズの全曲を聴いたが、もうぼくの外の存在で、ノスタルジーもない。これでいいと思う。10代はぼくの原型だが、ここにもノスタルジーはない。過去の思索も体験もさほど未練もない。別に忘れ物置場に取りに行きたいとも思わない。以前絶壁の空間に足を踏み出した途端、地面がスーッと伸びた。そしてどんどん歩いた。地面も伸びた。こんな夢を見たことがあったが、「現在」は足元の下にあるだけで、歩を進めなければ未来は停止したままだ。未来は向こうからやってくるのではなく、こちらから押し出すしかない。

◆贈呈本
椎根和さんより「日本の文学・33」宅野浩二著、他。
淡交社より「清凉寺」鵜飼光昌、瀬戸内寂聴共著。

西村画廊「東京Y字路」写真展/高倉健さん、朝海ひかる(元宝塚トップスター)よりの贈花

10月26日
金沢21世紀美術館での最後の訪問から帰京しました。展覧会は11月3日まで、あと一週間ほどになりました。最後のトークショーを平野啓一郎さんと行いました。以前「文学界」で平野さんと対談した時、ぼくは絵画を時間的に捉えており、時間を空間化したのが自分の絵画だと話しましたが、それを受けてぼくの作品を「Y字路シリーズ」、「ルソーシリーズ」、「波紋シリーズ」をそれぞれ三種類の時間に分けて論じてくれました。シリアスな話しのあとはうんとカジュアルなメダカの話しになり、やっと会場から笑いの反応が起こりました。

もう一度、泉鏡花記念館に行こうと思ったら、次回展の準備中とのことで、妙立寺へ行きました。人、呼んで忍者寺、ところがこれが拾いもので面白かった。外観は二階建てだけど、内部は四階建てでしかも七層になっており、その構造はまるでエッシャーの絵かキュービズムか、サンフランシスコにあるウィンチェスター・ハウスのような実に複雑な迷路化したからくり建築になっており、一人で入ると、どこかの部屋に閉じ込められて帰還できないんじゃないかと思わされた。この寺は幕府からの公儀隠密や外敵の目をあざむくために装備された寺だけど、人間命がかかると、こんな奇想天外な建物を作ってしまうようだ。一見、至る所に遊びの要素があるのだが、遊びではなく、命がかかった結果である。つまり死に物狂いで作り上げた建物(作品)なのだ。死に物狂いになって作れば芸術もとんでもないものができるという見本みたいなものだ。ぼくの撮ったY字路も三方向からやってくる車の中心に立って死に物狂いで写真を撮りました。だから面白い写真が撮れた(?)といいたい所だが、ぜひ写真集「東京Y字路」を手に取って見て下さい。

中嶋えりさん
21世紀での個展9回も見てくれたんですか。まだ一週間やっています。10回という人もいましたので、その人を追い越して下さい。それと会場でのサイン会では写真集「東京Y字路」ご購入ありがとうございました。まだ書店には置いていないので、金沢では第一号です。(P.S.彼女はチャーミングな女性でした)

奥野木優さん
東京芸大生なのに絵の知識が全然ない!とは大したものです。絵は知識で見るものではありません。そんなあなたが僕の作品に興味を持ってくれているとは光栄です。ぜひ西村画廊の「東京Y字路」写真展も見て下さい。

写真集「東京Y字路」気がついてくれましたか?大東京は昼も夜も車も人も多くて、写真が撮れません。道路に人が1人もいなくなるのを延々持ち続けてやっと撮った写真ばかりです。コンピューター操作で人を消したと思う人(特にカメラマン)がいるようですが、一切人工的な手を加えていません。無人の都市を描きたかったのです。そんな強い信念が通じたのか、一瞬人が消滅する瞬間があるのです。その一瞬を狙って撮った写真ばかりです。Y字路と同時に無人の東京を見て下さい。

10月21日
昨日(10/20)西村画廊で「東京Y字路」展のオープニングがありました。
大勢の友人、知人、美術関係者、ジャーナリスト、それから知らない人でにぎわいました。初の写真展です。別に写真家宣言をしたわけではないです。でもこれらの写真は絵画ともつながっています。今度は自分の写真から影響を受けた絵画作品から生まれそうです。

パーティーで知らない人に会うのはニガ手です。どこかで会った人かと思って、「どうも、どうも」といったり「ごぶさたしています」といったら、「初めまして」といって名刺を出される時のバツの悪いことったらありやしない。

10月20日
加藤和彦さんが自殺をしてしまいました。彼とは随分長い仕事がらみの関係で、コンサートのポスターやCDジャケット、TVタイトルバックなど、また市川猿之助さんのスーパー歌舞伎のポスターも、この音楽を担当した彼の肝入りで一緒に猿之助さんと仕事ができたのです。無限の才能を残したまま、われわれの思惑とは無関係に自らに限界を想定して、そこに終止符を打ってしまいました。生き続けてくれていればまだ一緒にコラボレーションもできたはず、残念ながら未完に終わってしまいました。

やっと「東京Y字路」の写真集ができました。書店に先きがけ20日より西村画廊と金沢21世紀美術館のミュージアムショップ(ヨコオブース)で先行販売されます(ミュージアムでは23日頃?)。かなりのボリュームです。にもかかわらず、3000円台です。東京23区と都下(山奥まで)、大島までを網羅しました。ぼくは一枚一枚の写真を思い出しながら、画面から人物が消えてくれることを祈り続けた体験記憶に「フーッ」とため息をついています。この大都会は世界一人間が多い。その人間を画面から消えてもらうまで、ねばりにねばって待ち続けた苦労の後をぜひ見て下さい。よくよく見ると遠くに豆粒ほどの人間がいたりしますが、まぁ目をつぶってもらいましょう。

10月19日
今日のメイルや他の人のブログはほとんどじゃなく全部で2回(再放も含めて)放映されたNHK・TV「新日曜美術館」の感想です。ありがとうございました。中でも「ほぼ日」の糸井重里さんの「メダカの目」というタイトルから連想して、編集部の菅野さんが「もーのすごくおもしろかった」と言うもんだから、一回目のを見てなかった糸井さんが見もしないで「きっと横尾さんなら、あーいうだろう、こーいうだろうと勝手に想像したコメントを書いているのが、ぼくのメダカに対するコメントより面白かった。想像は事実を超えるんですね。

名無しの権兵衛さん
講談社のフェーマススクールのコンテストに落ちたっていいじゃないですか。選択の価値評価からはみ出していたんだから喜ぶべきです。でも絵はですね。他人の評価を待つのではなく自分で評価すればいいんです。「人に見て下さい」っていう必要ないです。

元匿さん
お父さんのことご心配ですね。ぼくは新車の自転車を買うのを止めて、その日からポンコツにして、タマのベッドにしました。どうぞお大事に。

町田忍さん
メイルと本ありがとうございました。今ちょっとなかなか描ける状態じゃないんですよね。(公開ブログで私信スミマセン)

河野準子さん
よくわかりませんが「エゴ」、「エゴ」ということを頭から捨てた方がいいんじゃないですかね。「エゴ」と言った途端に「エゴ」に縛られちゃってるので、そんなもんあってもなくてもいいじゃないですか。

三部美佐保さん
波紋が気象予報図に思える―だって波紋は雨の波紋ですから気象との関係大ありですね。波紋と気象、意識した作品を描きましょう。

昨日ぐらいから書斎のメダカが次々死にかけた。追いっかけ回すヤツがいるんだよな。イジメだろうね。死んで白くなって沈んでいるメダカとその横をスイスイ泳ぐメダカ。まるでインドのガンジス河のゲートみたいだ。目の前で死んでいく人間の横で、大声張り上げて物を売っている人間。

事務所に大量の本物(田舎の田んぼ直輸入)のメダカがやってきた。こいつらは山の手メダカと違って下町、いや下村か、そこからやってきた。大きいザリガニとドジョーも同居している。まさに田舎のあぜ道の溝を思い出す。

新日曜美術館の番組では会場には観客がパラパラだったのは早朝の撮影だったからです。現在7万1千人を超えたそうです。24日には飛び入りというかサプライズで平野啓一郎さんとのトークです。当日、ミュージアムショップで出来たてホヤホヤの「東京Y字路」写真集も店頭に並ぶそうな。サイン会も予定しています。P.S.-20日からの西村画廊の写真展にもぜひ。

牛丼が食べたくなってコンビニで弁当を買った。コンビニでの弁当はその昔一度買ったことがあるが、今日の米はパラついていて、やっぱり新幹線の牛弁の方がいい。牛弁といえば今度書いた5作目の小説は新幹線で牛弁を食べる学芸員の不思議体験がモチーフ。

インフルエンザの予防注射をしてきた。高齢者ばかり。でも自分はその人達の仲間とは思えなかった。高齢者になるとどうして高齢者らしく振舞うのだろう。抵抗があってもいいのに。この抵抗が実は芸術意識なんだけどね、ナンチャッテ。

死者のメダカの側で、死者そっくりに擬態する生者のメダカがいることを発見した。われわれも時に応じて擬態しているように思う。軍隊の迷彩色なんかもそうだ。そういえば擬態語があるじゃない。「ザラザラ」とか。ぼくはしょっ中、擬態語を使っているよ。個から個人になるのも広い意味では擬態じゃないの。

一昨日、水について思いを馳せた。そーいうとタルコフスキーの映画はよく水を描くね。黒沢明もそう。それからモーパッサン。この文豪も水の作家だ。その水が愛の表現だったり、恐怖の表現にもなる。ぼくの水は母なる海から逆流してくる水なんだ。「水々しい感性」というように感性は水々しくなくっちゃ、ただの感性は缶製品だよ。

◆贈呈本
町田忍さんより「ザ・東京銭湯」町田忍著
アートデイズより「四季・谷内六郎」谷内六郎著
鎌田東二さんより「超訳古事記」鎌田東二著

 
西村画廊「東京Y字路」展にて、西村さんと


10月18日
今日はよく歩いた。散歩ではなく、用のために歩いた。公園で文章、アトリエで小品の制作、そしてオイルマッサージ以外は歩き廻っていた。自転車をこいでいる間は考えられないが、歩いている間はよく考える。「思考」を二つに分けると「思う」と「考える」になる。歩きながら「考える」と言ったが、正確には「思う」というべきだったかも知れない。

久し振りで本を買った。書評の仕事をするようになってからは書評のための本しか読まなかったが、久し振りに自主的に読みたい本を何冊か買った。書評のための読書は線を引いたり、メモを取りながら読むので、お勉強という感じ。お勉強だけではダメなのでそこに趣味も加えないとね…

10月17日
物忘れが激しい。最初は固有名詞から忘れるというが、固有名詞は十代の頃から忘れぐせがついていた。そして今や固有名詞にないに等しい。だから固有名詞抜きの会話も多くなった。その言葉に到達するまで、関連事項をあれこれ並べる。例えば「東京」という名詞が出てこない時は、昔は江戸と呼んでいたじゃないの、とか、今われわれが住んでいるこの都会さ、とか、日本の首都とか、埼玉と神奈川の間にはさまれている町は、とか、この間オリンピック候補になった街、とか次々とその核に迫っていくのだが、なかなか「東京」が出なかったりする。「東京」よりもっと難しい街の名が出るのになぜか「東京」がでない。そんなことがある。これはこれでゲームをやっているようで面白いけれど、一方では深刻でもある。もっと深刻なのは普通名詞が出てこない時だ。人としゃべっていても文章を書いていても普通名詞がでてこない。こんな時は子供みたいにまわりくどいいい方をするしかない。でもこの方が色んな言葉を経由するので、その言葉が置かれている環境が表されてかえって理解度を高めることになるんじゃないかな。言葉が次々とポロポロ落ちていく中で書く小説って一体どうなるんだろう。子供や幼児が読む純文学がそのうち書けるかも知れない。

10月16日
よく行くおそばの「増田屋」は木曜日が定休日だが、時々お昼まで開店している時がある。今日はその日だった。確かにいつもよりはすいている。帰る頃にはぼくが一人になった。さぁ帰ろうとした時、お店の人に「今日は六百いくらです」といってレジの数字を指された。ぼくは「ヘェー、今日はお客が少なくて、たった六百何円しか稼ぎがなかったのか、よくこれで商売になりますね」と言って帰ろうとしたら、それはぼくのもりそばの値段だった。うっかり無銭飲食をするところだった。

赤くなった金魚メダカは次第に元の色に戻ってきた。昨日朝日新聞の書評委員の一人にそのことを聞いたら、自然界にはそういうことがあるとおっしゃった。もっと自然科学専門の方がいらっしゃるので、今度ちゃんと教わってきます。朱に交われば赤くなるという原理があるのなら、この原理(法則)を識って人間の生き方に利用すればいいように思った。

昨夜、三軒茶屋の映画館を借り切って高橋直裕さん(遊興亭福し満)の落語独演会に行ってきた。結構知人の顔もあった。そして驚いたことに超満員、立見も出てドアも開きっぱなし。とにかくびっくりした。あの30年も付き合っている学芸員の豹変振り。人間って恐ろしいものだと思った。超満員の会場を前にかなり、力みがあったが、それがまた妙な迫力を生んでいた。これで肩の力が抜けてきたら、次は人間の「味」で勝負ができそう。注文をするなら、もう少しお話の光景(ビジョン)が鮮明になるといいね。それと、男と女の対話は女がもっと描けるとかなりよくなると思う。でもその辺の若手落語家よりほんとサビ(人間の)が効いていたので、80点。

◆贈呈本
・島地克彦さんより「甘い生活」島地勝彦著
~絵空言、真幻、歌心、漫ろに綴る~と署名してくれていたが、まぁここまで現実を虚構化、虚構をを現実にウラ返して生きた彼の人生はそうマネできまい。ぼくについて書かれた項目もあり。
・岩波書店より「思想家河合隼雄」中沢新一、河合俊雄編
~岩波で河合隼雄さんと「現代芸術講座」を共同編集した時、ぼくは魂について触れた。その時、河合さんは心理学者はなかなか魂について語れなくてねぇ、とおっしゃったことがあるが、今回の本の中で中沢さんが「音楽には魂の問題があります。哲学者も同じで、彼等には思想がないからではないかと感じます。だから思想家は本当に少数です。(中略)河合先生の場合は哲学の部分は意識的に避けておられた…」と述べています。
・佐々木拓也さんより「世界転生史」佐々木拓也著
ある人物が時代を超え別の時代に歴史を再現するという特徴は個人に於いても起こっているのではないだろうか。

10月15日
急な話ですが本日(15日木曜日)午後8時開演(30分前開場)<無料>、三軒茶屋中央劇場(世田谷線、三軒茶屋駅2分)で世田谷美術館学芸員の高橋直裕さんが出演します。
ぜひぜひ<タダですので>近所の方、または高橋さんのお知り合いの方はぶらりと足を運んでみてあげて下さい。ぼくは行きますけれど。

◆贈呈本
浜野安宏さんより「はたらき方の革命」浜野安宏著
森稔(森ビル社長)さんより「ヒルズ挑戦する都市」森稔著


10月14日
ぼくの手塚治虫体験は「漫画少年」の「ジャングルジム」と「新宝島」だったので「鉄腕アトム」は実は読んだことがない。そこへ「手塚治虫文庫全集」の「鉄腕アトム1」が送られてきたので遅まきながら読んでみようと思う。「アトム」に限らず青春時代に読むべき名作はひとつも読んでいないので、今頃になって、その手の本を読んでいる。若返ったような、年老いたような変な感じだ。若者が名作物を読んで未来に向かう時、ぼくは同じ本を読んで過去に向かっている。まあ、ぼくの過去は未来だけどね。

10月13日
糸井重里さんから南伸坊さんと旅の先々での対談集「たそがれ」を送って頂いた。何が面白いって二人の笑い転げている顔だ。きっとお互いに相手を笑わせているのだろうけれど、自分の話しにも笑っている顔だ。話しもそうだけれどお互いの笑う顔がおかしくてまた笑い、それがこちらにまた笑いの連鎖が起こる。まだ中味は読んでいないのに、読む前から笑える本だ。もし中味で笑わなかったらどうしよう。先に笑ってしまったからな。

10月12日
物忘れが激しい。最初は固有名詞から忘れるというが、固有名詞は十代の頃から忘れぐせがついていた。そして今は固有名詞はないに等しい。だから固有名詞抜きの会話も多くなった。その言葉に到達するまで、関連事故をあれこれ並べる。例えば「東京」という名詞が出てこない時は、昔は江戸と呼んでいたじゃないの、とか、今われわれが住んでいるこの都会さ、とか、日本の首都とか、埼玉と神奈川の間にはさまれている街は、とかこの間オリンピックに候補になった街、とか次々とその核に迫っていくのだが、なかなか「東京」が出なかったりする。「東京」よりもっと難しい街の名が出るのになぜか「東京」がでない。そんなことがある。これはこれでゲームをやっているようで面白けれど、一方では深刻でもある。もっと深刻なのは普通名詞が出てこない時だ。人としゃべっていても文章を書いていても普通名詞がでてこない。こんな時は子供みたいにまわりくどいいい方するしかない。でもこの方が色んな言葉を経由するので、その言葉が置かれている環境が表されてかえって理解度を高めることになるんじゃないかな。言葉が次々とポロポロ落ちていく中で書く小説って一体どうなるんだろう。子供や幼児が読む純文学がそのうち書けるかも知れない。

10月11日
今日はよく歩いた。散歩ではなく、用のために歩いた。公園で文章、アトリエで小品の制作、そしてオイルマッサージ以外は歩き回った。自転車をこいでいる間は考えられないが、歩いている間はよく考える。「思考」を二つに分けると「思う」と「考える」になる。歩きながら「考える」と言ったが、正確には「思う」というべきだったかも知れない。

久し振りで本を買った。書評の仕事をするようになってからは書評のための本しか読まなかったが、久し振りに自主的に読みたい本を何冊か買った。書評のための読書は線を引いたり、メモを取りながら読むのでお勉強という感じ。お勉強だけではダメなのでそこに趣味も加えないとね、、、、、、。

10月10日
久し振りで野川界隈の公園のベンチで日向ぼっこをしながら文など書く。周囲に動くものがいっぱいあって、気持ちいい。微風で動く樹木の枝葉やそれが地面に描く彩や。目の前を通っていく人たち、芝生で遊ぶ子供や、犬。空の雲も川の水も、動くものだらけ。自分の手足も身体も動く。小さい蟻や風でころがる落ち葉など。そんな動くものが書斎の中にも欲しくてメダカを飼った。デュシャンが部屋の中で何か動くものがあれば、といってあの自転車の車輪の逆さになった彫刻を作った。部屋の中で車輪がグルグル回転していたかつての光景が想像される。

2時間くらいビートルズのアルバムを制作順に聴きながら、日経新聞の「奇縁まんだら」の美空ひばりのポートレイトを描く。これは頼まれた仕事だけれど〆切のずっとずっと前に描いてしまうので、仕事としての義務感は消える。つまり〆切を作らないことだ。

ここ2,3日で短編小説を一本書いた。頼まれた仕事ではない。思いつきで書いた。そーいうとぼくはいつも思いつきで描いたり、書いたり、読んだり、聴いたり、動いたり、食べたり、マッサージを受けたり、しゃべったり、寝たりしている。思いつき以外に一体何があるというの?計画?そんなもん立てられないよ!

10月9日
NHK3chの「日曜美術館」(日曜・9:00放映)の収録でキャスターの姜尚中(カン・サンジュン)さんと中條試子のインタビューを受ける。映像(伊勢明矢演出)は金沢21世紀簿術館、アトリエ、公開制作、野川周辺などが挿入されている。タイトルは「メダカの目」メダカの目で世界はどう見えるのだろうという意味だろう。2人のキャスターの質問が面白かった。編集されるのでどの部分が使用されるのかぼくにもわからない。

わが家のタマが寒くなっても玄関に止めている自転車のサドルに一日中、(夜中も)行儀よく座ったままで、とうとう風邪を引いて、鼻水をたらして、哀れなホイトの子みたいになってしまった。昨日ぐらいから道端(アプローチ)の日だまりの草むらの中で丸くなって眠っているが、日が陰るとまた自転車に移る。もう猫の心理はわからないよ。

10月8日
年令のせいだろうな。時々体の重心が揺れる。足がふらつくという感じかな。家の中でも角を曲がろうとして曲がり切れなくて、手前で曲がって壁にぶつかったりする。壁抜け男みたいに壁の中にスーッと入って消えていくような幻想はないことはないが…。よく街で老人がヨチヨチ歩きをしているが、その前兆かな。瀬戸内さんがこの間からよくひっくり返っているけれど、87才になれば別にひっくり返らないほう方がおかしいということにもなるのかも知れないけれど、ぼくはまだそう簡単にひっくり返る年令ではないと思う。ただ発想や生活習慣はかなりひっくり返ってきているのがわかる。老齢のアートはひっくり返りアートでいけばいいんだ。

今日は11日に放送されるNHKの「新日曜美術館」のスタジオ撮りに行く。テレビのスタジオは独特の雰囲気で、どうもニガ手だ。お互いにどことなくヨソヨソしい話し方になる。すると内容までヨソヨソしいのである。

ダム工事はムダだというが本当にそうだと思う。ダムを逆さから読むとムダだ。

10月6日
平野啓一郎さんがドゥマゴ文学賞というのを島田雅彦さん選考によって「ドーン」が受賞して、10人(本人+パートナー会員)による贈呈式と小宴があるというので、瀬戸内さんからFAXで「横尾さんには案内状きてません?」と言われたけれど「来てない」と返事したら、翌日平野さんから、 FAXが来て、「横尾さんを招待し忘れていたわけではなくて、あんまり大袈裟にして、わざわざ授賞式に来ていただくのも恥ずかしいので、、、、、」出版社の人達10人位で、式のあと二次会みたいなのを講談社がやってくれるので「奥様と」と言ってくれたのは嬉しんだけれど、今日の夕方(実際6時までかかる)まで西村画廊で「Y字路写真展」の展示計画などで、かかってしまった。平野さんは式が終わったあとの講談社の食事会(二次会)に来たら?といってくれたが「式に出ないでメシだけ食いに行けないじゃない?」と言うと講談社の人はいいですよ、と言ったそうだけど厚かまし過ぎる。そりゃぼくが「群像」に小説を発表しているとか講談社の装丁をバリバリやっていれば、大きな顔して行けるけれど、ここ数年は講談社とは縁がない。昔は講談社の仕事が切れたことのない程年百年中仕事をしていたし、80万部で止まっていた「少年マガジン」の表紙を担当した途端に一気に100万部増えたといっても今の編集者は誰も知らない。講談社の各部署に担当者がいたりした時代は今は昔。知人の編集者は全員定年退職。社長の代も変わり、そんな所にメシだけ食いに行けないよ、と平野さんに言ったら彼は大笑いしていました。

10月5日
水声社より「おしゃべり/子供部屋」ルイ=ルネ・デ、フォレ著

この前観た歌舞伎「江戸宵闇妖鉤爪」が江戸川乱歩の「人間豹」が原作で凄く面白く、その続編が「京乱噂鉤爪」で松本幸四郎、市川染五郎。期待して今日観に行ってきた。ところが前作より出来が低下していた。乱歩の原作ではなく、染五郎の原案。話しを複雑にしてしまっており、演出とかみ合っていなかった。乱歩歌舞伎という以上、導入から、事件の核心にこれでもかという具合に観客を引っぱっていく力不足を感じた。

今日、電子辞書を買った。ケイタイも持っていないので操作ができるかどうか心配だ。色んな用途があるが、今のところは漢字を調べるだけだ。上手く使いこなせるか心配である。

時々メダカがスパイラル状に狂ったように水中で回転するが、これは一体何の真似?

10月4日
昨夕、書斎の窓を外から覗く誰かの視線を感じ続けるが、別に誰もいない。そこにあるのはむら雲の中にある満月だけだ。いつもとどこか違う満月。雲の背後に隠れた月ではなく、雲の上に張りついた満月。それが今日、中秋の名月を仰ぎながらダンゴ(好物ではないが)でも頬張ればよかったか。でも胸やけは避けられなかっただろうな。肉と甘いものがそんなわけであんまり食べられなくなっている。

今日からまた瀬戸内寂聴さんの「奇縁まんだら」(日経新聞・毎週日曜)の連載が開始されたので、ポートレイトを描くことになった。原画は六号キャンバスにアクリル絵の具。すでに100点以上描いていた。さらに50点が加わる。こんなに描いていると飽きてしまうので、どうしても作風が変わってしまう。ぼくの場合作品の変化を意図しているのではなく、一ヶ所に留まることのできない性格から来ているのである。

10月3日
西川隆範さんより「シュタイナー式、優律思美な暮らし」西川隆範著

人格が形成される時代には全く本を読まなかった。本によって人格が形成されなきゃいけない時期に一体何をしていたのだろう。いい年になるまで小川でコブなを獲ったり、イナゴを追いかけて、その合間に人の描いた絵ばかり模写して、本格的な画家の道さえ目指していなかった。そんな反動が人生の終演になって、ヘッセやゲーテの青春の書を読んでいる。すると不思議なもので、自分の人生はこれからまだまだ先があるという錯覚で自分がとっても老齢に達しているとは思わないのだ。この錯覚は妄想を生み、芸術に力をつけてくれるのである。

瀬戸内寂聴さんからFAXが届いた。今日も東北の天台寺からだ。相変わらず各地を飛び回っておられる。旅から旅への人には「駅場」の星がついている。ぼくも「駅場」の持っているが、ぼくの場合は作品の中で次々移動している。この星の人は一生動き回っていることになる。ぼくの小説はそれを証明しているように、どの作品も全部移動機関(タクシー、バス、飛行機、汽車)から始まる。「駅場小説」とでも名乗ろうか。

東京での開催のオリンピックには全然興味がないのについつい深夜のテレビを見てしまった。あれだけ盛り上がっているリオデジャネイロに決定してよかった。不思議なほど東京は盛り上がらなかった。もし決まったとしても、オープニングセレモニーの演出を誰がするの?そんな人材今の日本には一人もいないよ。

10月1日
ビートルズのアルバム全14作が送られてきて、早速デビューアルバムから順番に聴き始める。当時は耳元で聴こえていたサウンドが、今は遠くで聴こえる。こちらがビートルズから遠くへ旅してしまったせいかも知れない。不思議とノスタルジーもない。多分オンタイムで全て消化してしまったからだろう。

まつかた路子さん
自分の手をどう思うか?って。そうですね、「年取ったなぁ」と感心します。金沢では10月24日に作家の平野啓一郎さんと臨時対談をすることになりました。

白久間直さん
シロクマさんってクロクマさんよりいいですね。さてぼくが子供の頃に金沢展を見たらどう思うか?って。そりゃ、「大きくなったら、きっとこんな絵を描くだろうなぁ」と思うに決まっていますよ。

YOMIさん
わが家の元野良猫のタマは、わが家に入ってきた時はギスギスやせていたのに、しばらくするとマルマル太りだしたが、これはてっきり妊娠していると思い、お腹の中には卵がきっと沢山入っているに違いない。そこでタマゴと命名しました。そして子猫の貰い手をこのブログでも募集しました。そしたら、妊娠ではなく、わが家で食べ過ぎた結果太っていただけの話でした。

今日「東京Y字路」の写真集の原稿の最終入稿を済ませました。西村画廊での写真展の始まる10月20日の午後から画廊に並びます。書店はそのあとになります。その内このHPのインフォメーション欄で内容紹介を行います。


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