7月31日
金沢21世紀美術館の館内は都市のように通りが交差していて迷路になっていて、大小七部屋(家屋?)で分散した形で作品が展示されている。下手すると一作家の作品がバラバラに解体され、切断され、分離されてしまう危険性があるが、幸いぼくの作品はその危険性を最大限に利用した展示になっている。知らない人が見たら、個展とは思わないだろう。七人のグループ展と見間違うに決まっている。それほど様式と主題がバラバラである。そういう意味ではこれほど「私」が明解に主張できた展覧会は初めてだといえる。

Y字路の作品7点は全て公開制作によるもので、その制作過程はビデオ(各作品ごとに展示)で発表している。勿論全作品トビ職のコスプレ(PCPPP)による。また、パリ、ニューヨークに次いで久し振りに国内での滝のポストカードによる魔術的な空間を披露することもできた。

初公開のモノにはパレットがある。総計117種のパレットをそれぞれ額に納めて、それらを「作品」として発表することにした。ぼくの初の抽象絵画である。

ぼくの絵の出発(子供時代)は模写だった。ぼくにとって模写は「君のものはぼくのもの」である。そこで今回は立場を逆転させて、ぼくの1966年作(2009制作リニューアル)の絵を30人の人に模写をしてもらった。つまり「横尾工房」による同一の複数作品の制作である。普通であれば「ぼくのものは君のもの」になるが、「横尾工房」による制作のため、これらの作品は全て「君のものはぼくのもの」となる。

7月27日
○本日送られてきた本
・講談社現代新書より
「わかりやすく伝える技術」池上彰
「世界は分けてもわからない」福岡伸一
「空気と世間」鴻上尚史
「ニッポンの思想」佐々木敦
「はじめての言語ゲーム」橋爪大三郎
「カペー朝」佐藤賢一
「選ばれる男たち」信田さよ子
「落語論」堀井憲一郎
「華族総賢」千田稔
・フィルムアート社より「フランク・ロイド・ライトの呪術空間」草森紳一

7月26日
○本日送られてきた本
・ラスコマガジンより
「郷土LOVE」みうらじゅん
・岩波新書より
「世代間連帯」上野千鶴子/辻本清美著
「贅沢の条件」山田登世子著

今日は雲ひとつない青空です。日曜日で産業活動が休止しているからでしょうか、しかも心地よい風が吹いています。ただし、昨夜は睡眠不足なので体は思ったほど快適ではありません。またメダカが一匹死にました。そんな死んだメダカを小さい貝がメダカの体に乗って宙に浮かそうとしています。まるで死体を貝の操縦によって泳がせているように見えます。死んだメダカを餌にでもしていいるのでしょうか?それにしても不気味なほど貝の数が日に日に増殖しています。

7月25日
今年は思いもよらず半年ほどの間に150号15点と小品50点以上と小説を4本書いた。そんなに描いた(書いた)感じがないんですよね。さあ年内は小説を休んで絵の制作だ。といってもこの暑さ。体力がいるんですよね。そのためには睡眠第一、次に食事(これは偏食あり)、快便、運動(暑い季節の散歩は怠け通し)、それにオイルマッサージ。あとはメダカ鑑賞。これはメディテーションになります。

7月22日
メダカの水槽に小さい貝が出現してきた。なんでも水槽にくっついてやってきたらしい。それが日に日にその数が増えていく。その形はカタツムリに似ているが、一週間ほど前には一匹だったが、今では30〜40匹はいる。明日には50匹になるだろう。とにかく爆発的な繁殖率だ。その貝の働きはどうやら苔を掃除することらしい。

7月21日
○本日送られてきた本
 西川隆範さんより「絵本・極楽」文・西川隆範/監修・桝田英伸
 風濤社より「絵本・地獄」監修・宮次男

7月20日
NHKの「新日曜美術館」のマーク・ロコスの特集を観た。ゲストは作家の高村薫さんだった。高村さんは今までのゲストみたいにペラペラ解ったような話をいっさいされなかった。自分に対する疑問を投げかけるだけだったが、それが観ている者を画面に誘い込んだ。そして黒一色(そう見えるだけ)の作品を見て「こんな小説を書きたい」とおっしゃった。何か心の底の深いものに解かれた気がした。

7月18日
朝日新聞の書評を担当するようになってからは、ほとんど本屋に行かなくなった。書評のために半月に数冊読んで、書評の対象を一冊選ぶのだが、これが結構大変で、読書は楽しみのためじゃなく、仕事のためになってしまったからだ。しかも必ずしも自分が書評したい本が与えられるかが問題だ。ただ面白いのは普段では絶対読まない本を読むことになる。その代わり自分が読みたい本を読む時間がないという困った現象も起きている。自分の近くのものに関心を持つことから遠くにあるものに関心が移ってきたことは、絵でいえば得意なものから不得意なものへ関心が移り始めたことと、どこかで一致する。

7月17日
書店で品切中だった「憂魂、高倉健」の増刷がやっと出来ました。二刷はナンバーリング入りです。初版と同等の価値を持たせる意味もあります。
ところで、1971年にこの本の出版元が倒産という理由で発刊出来なくなったと記憶していた(これは事実)が、1971年の日刊スポーツ紙には「東映が出版を差し止め」したという記事を映画評論家の木全公彦氏が見つけられたことを氏から聞いて、改めて第二の事実を知ったが、複数の発刊中止の理由があったようだ。また「憂魂、高倉健」には二種類のバージョンがあることも知った。(2冊とも僕の編集なのに、すっかり忘れていた)。現在の復刻版のケースの表紙が最初の版で、インドのクリシュナ神(復刻版では本体の表紙)が2冊目というわけです。その二つの表紙を今回はケースと表紙に分けました。復刻版を買った人は気付かれたと思いますが、この本のケースにも表紙にもどこにも「憂魂、高倉健」というこの本の題名が入っていません。正規の題名がどこにも入っていない本なんて、世の中にないんじゃないかな。帯びにのみ題名が入っています。書店で題名を言っても買えないんじゃないかな。ケースの表紙に大きく入っている「高倉健賛江」も背の「背中で吠えている高倉健」も両方共題名じゃないのです。ただの飾りです。こんなワケの判らん本をよく国書刊行会は出版しましたね。

7月16日
○本日送られてきた本
 平野啓一郎さんより「ドーン」平野啓一郎著

新宿のホテルに缶詰めになって写真集「東京Y字路」の編集にかかっている。2000~3000枚撮った中から400枚を選び、さらに200枚にしぼって本になる。最初に出版した画集「Y字路」の続編というか別バージョンだ。ここには東京のY字路の現実が描かれている。「これが東京のY字路?」という意外性にきっと新しい?(別の?)東京を発見するだろう。「なぜY字路?」それは見た人が決めてくれればいい。まさかと思ったが、小説に続いて、初の写真集である。できれば小説も写真もアウトサイダーでありたい。

このところ「文学界」(秋にも一篇発表する)や他にも書いているが、絵画にとっての小説、小説にとっての絵画の融合が計れればと望んでいる。肩書きに「作家?」というのも聞かれるが、「美術家/作家」と列するのはどうも現在のところ、抵抗がある。平野啓一郎さんは「美術家(作家)」という名記は?と提案してくれたが、これは面白いと思ったが、よく文章など書いた後にカッコつきで入るが、もし平野さんの案でいくと(美術家《作家》)とカッコが多すぎてカッコが悪い。まぁ、こんなことはどうでもいいことだが、ぼくは最近どうでもいいことに、結構、どうでもよくない風に考えるクセがついてしまっている。

36階の高層ビルから眺める東京に一日中見入っている。抽象絵画を見ているようだ。こんな風景を毎日見ているクリエイターとぼくみたいにジャングルの樹木がからまったアトリエが、同じ東京とは思えない。こんな抽象的な風景の中で生活していると思考が観念的になりそうだ。ぼくはやはり思考ではなく、思索のできる樹木や公園や川の流れがいつでも見れる家の近所がいい。オス猫みたいに行動範囲は広くなくていい、メス猫の狭いキャパシティが自分によく似合っている。

7月13日
○本日送られてきた本
 白水社より「印象派はこうして世界を征服した」フィリップ・フック著/中山ゆかり訳
 芸術新聞社より「中国文化大革命の大宣伝 上・下」草森紳一著

メダカが水槽の中の藻に透明な小さい小さい玉のような卵をイルミネーションのように連鎖して産みつけたので、早速別の水槽に移しかえた。でないと親メダカに食べられてしまう。一方金魚の中の一匹メダカも金魚がそろそろ大きくなり始めたので、食べられる恐れがあるのでまた別の場所に移動しなければならない。何やらメダカ中心の生活に変わってきている。

今日は道路で歩いている蟻を自転車で轢きそうになって、あわててハンドルを切ったために、危わや転倒するところだった。それにしても「轢」という字がどうして車偏に樂と書くのだろう。車に轢かれることを誰も楽しいと思わないのに。

7月11日
TOMOKO Kevorkianさん
NYはマイケルの死一色ですか?ミュージシャンのスーパースターはまるでこの世の務めがが終わったかのように次々と魂籍に入っていきます。日本ではぼくの友人、知人達も先を急いで旅立ちます。毎日の新聞の死亡欄を見るのがイヤになります。MoMAで買ってくれたんですが、ぼくのグッズ。早く日本発売してもらいたいですが、まだのようです。

このところ原稿の仕事に集中していますので、メールの返事はボツボツとしか書けません。悪しからず。

7月10日
○本日送られてきた本
 細谷巖さんより「GAN HOSOYA」細谷巖著

銀座グラフィック・ギャラリーgggで1960年代に銀座にオフィスがあって、そこに勤務していた、宇野亜喜良、灘本唯人、和田誠、横尾忠則の4人のイラストレーターによる「銀座界隈ガヤガヤ青春ショー」展が開催(9月2日~29日)されます。出品作品は1960年代と1970年代初頭の、あの時代の空気から生まれた作品展です。50年前の作品が今でも新しいか、それとも古いか、普遍化したか、しなかったか、皆様の目で確かめてみて下さい。今日は2回目のミーティングがあった。その席でおかしかった話をひとつ。「展覧会のロゴはどうしますかね?」と聞かれ、われわれ4人は「ロゴ」を「老後」と聞き違えた。これが20年前だったら誰も聞き違いなどしないのに、われわれ4人にとってはリアリティがあり過ぎた。

7月9日
写真集「憂魂、高倉健」は目下書店で品切れになっていますが、間もなく再版されます。再版分に関しては本体の表見返しにナンバー・リングが一冊一冊に打たれます。書店で確認して見て下さい。
又、今月末頃「未完の横尾忠則」(美術出版社)と「夢枕」(NHK出版)の新版が発刊されます。「未完の……」は金沢21世紀美術館の個展のカタログ(画集型式)です。

7月8日
○本日送られてきた本
 海坂昇さんより「詩集・ナミの文字、みつめて、います」海坂昇著

去年の蟻と同族ではない蟻がアトリエの玄関に来ている。踏まないようにしている。それは他所へ行っても同じだ。知らない人がみると下手な踊りに見えるだろう。でもぼくが避けても誰かに踏み殺される。毎日、日本中で何匹死んでいるのだろう。こんな調査をする人はいなけれど、心配している人は何人かいるのだろうか。もしぼく一人だとすると、やっぱりぼくは「変」ということになるのだろうか。

K.S.さん
いたずら電話や無言電話はあなただけに限らず多いです。そんな経験はぼくにもあります。あんまりうるさかったから警察に言えば探知機を取り付けてくれます。そして相手の情報(電話回数)は、すぐつかめます。探知機に電話回数が記録されます。できるだけ長期記録するといいです。相手が何回掛けたかがわかります。それによって悪質かどうか定めます。それは警察がやります。いつか警視庁の人が相手の家に行って、相手を突き止めました。いたずら電話だって犯罪になります。こういう人は自分の電話を使用しないで勤め先の電話を利用します。それでも相手はすぐわかります。携帯電話でも同じです。試してみては如何ですか。

7月6日
○本日送られてきた本
 平野暁臣さんより「自分を賭けなきゃ。」岡本敏子著

猫は居場所(寝場所)を家の中で次々と変える。同じ場所でしばらくはいるが、やがて飽きて別の場所を捜す。ぼくも猫に似ている所がある。同じ場所(又は同じ仕事)はしばらく(そんなに長くない)続くが、それが終わる(又は飽きる)と他に移動したくなる。それが他所(他の土地)だったりする。そういう意味では精神は(肉体も)放浪の画家である。公開制作などもその一例である。今年の後半も公開制作を何度か行う。

7月4日
一匹暴力的なメダカのために二匹の仲間が死んだ。多分そのせいだと思う。そこでそのメダカを拉致して別の独房のような小さい器に隔離した。水槽の中には平和が戻った。独房の中の罪人はひとり気が狂ったように動き回っている。でもこれじゃあ可哀想だから自宅の瓶の中の金魚と一緒に住ませることを考えた。まさか金魚を殺しはしまいだろう。

金魚の瓶に入ったメダカ一匹は金魚が怖いのか水面近くを泳いでいる。でも元を正せばこのメダカはこの金魚と一緒に長い間生活しているはずなのに、もう忘れているようだ。

この間から普段悪くない歯が痛み始めたので、診てもらうと、どうも噛み合わせが悪いのでは、といって歯を中心に顔面マッサージをされた。するとその直後すぐに治った。そして腰にも影響しているといわれた。翌朝腰が痛かった。理由がわからない。歯のマッサージのせいかな、とも思った。やはりそうだった。腰も2〜3時間で治った。悪かったので痛んだこともわかった。

7月1日
元・匿名氏さん
6月17日のメールが今日バッグの中からひょいと出てきました。元・匿名氏さんの小説評いつも面白く楽しみにしています。「パンタナールへの道」は貴誉の視線で書いていますが、美伽は彼女の自我を通して「男性」を見ました。積極的な彼女が最後身を引く形になり、彼は彼で彼女の行動を待っていたのです。その二人が最後に両方共受け身に回ってしまったのです。それがあの結末を招くことになりました。大きいドンデン返しです。さらにメールでもう一度ドンデン返し、さらにさらに貴誉の言葉でまたドンデン返しです。三連続ドンデン返し!あの貴誉の最後の言葉には実は深い意味があるのです。さて、さて河口湖のインドレストランの店名は「マハラジャ」ではなくおっしゃる通り「アラジン」でした。「マハラジャ」はあの店で売っていたインドのビールの名前でした。以上。


↑↑ GO TO THE TOP ↑↑