3月27日
リリィさんへ
メールありがとうございました。あんまり久し振りだったので、ビックリと嬉しさでした。あなたに会った最後はいつ?ぼくの記憶では70年代(正確にはちょっと、、、、、)で、ぼくの出版パーティーの日だったですかね?あの時、ミッキー・カーティスさんや、内田裕也さんや、遠藤賢司さんらのミュージシャンも来てくれて、その中心にリリィさんがいましたよね。今度個展の案内状を出します。いつかお会いしましょう。
北島聖子さんへ
教科書検定問題の件でメールありがとうございました。もう忘れました。次のことに気がついています。世田谷美術館の「冒険王」展ぜひ観て下さい。
3月26日
逆井丈範さん
谷中霊園にはきっと沢山の猫がいるでしょうね。画廊(SCAI THE BATHHOUSE)の近くには大きいY字路がありますが、写真にも絵にもなりにくいですね。西村画廊のある日本橋にはお望みの猫がいるかどうか?
立て続けに単行本が出版されています。「温泉主義」(新潮社)、「隠居宣言」(平凡新書)、「道の手帳・横尾忠則」(河出書房新社)、の三冊と先月の「私の履歴書」(日経ビジネス文庫)。
「道の手帳」には色んな方の文章がコレクションされていて、ぼくは毎日読んでいます。この本で自分のことを勉強しています。
ぼく自身は忙しくないのだけれども、展覧会や出版で周囲はザワザワしていて、それが忙しいイメージを作るので、その影響で瞬間なのに「忙しい」気分にさせられている。
3月25日
山梨牧子さん
"西村画廊"での「温泉主義」展を観ていただいてありがとうございました。下田温泉の絵は海底のY字路を描いたものです。下田は三島由紀夫さんもよく行かれました。ところで貴女は宝塚文化を研究されているそうで、「ぜひ宝塚温泉を絵に!」とリクエストを受けましたが、今でも宝塚に温泉はあるのでしょうか?だったら是非一度湯につかってみたいものです。宝塚のポスターを作っている頃はよく現地に行きましたが、最近はほとんど行っていません。宝塚温泉につかっているタカラジェンヌを描くわけにはいきませんね。そのうち「清く、正しく、美しい」宝塚温泉の絵を描きましょう。それから道下匡子さんにもよろしく。
松方路子さん
えーッ。高速バスでわざわざ東京での二つの展覧会を観に来ていただいたんですか。"スカイ・ザ・バスハウス"のある谷中には立派な墓地がありますね。ぼくは先週郷里に横尾家の墓をデザイン(まあ目立たないデザインですが)したので、それを見に行ってきました。あとで気がついたのですが、拝むのを忘れて帰ってきました。自分の名前の入った墓に手を合わせるのも変ですよね。
3月24日
三部美佐保さん
SCAIの個展一度目より、二度目の方が新作で一度目とはガラッと変化しています。また日本橋の西村画廊の「温泉主義」は統一のない統一。さあどこへ行こうとしているのかーという個展です。これを見ていただいて、次は世田谷美術館での個展をドーンと見て下さい。美術館の順路を全部反対にしました。美術館の個展を避けるためです。
3月23日
「温泉旅行」の本が徐々に出ているそうだ。ネットでも注文が多いのでサインにおおわらは。温泉嫌いの温泉旅行記は如何でしょうか。絵は温泉からどんどん離れていきますが、温泉に行ったから帰っているのではありません。
2年振りで体調崩しました。花粉症?風邪、その中間で、ここ二年温泉のお陰で風邪は退治したつもりだったんですがね。ぼくの年令の風邪は万物の長でコワイ、コワイ。
3月22日
西脇のお好み焼きは美味かった。スジ肉にコロ(コンニャクの煮たもの)とネギをうんとこさ入れたもの。あちこちお好み焼きがつぶれたがいいお店を一軒見つけた。それにしてもお好み焼きの裏返しが二本のパテでやっても大失敗。あれは片方で瞬時にやるもの。ぼくはいつもいい見本を見せてあげる。どうして地元の人間がこんな簡単なことができないのか不思議でならない。ぼくは卵でさえ二個カチンとぶつけて手を汚さないで、二個の黄身を上手に出しますよ。もっといえば生卵をいくらでもテーブルの上に立たせることもできます。この位のことやらなきゃお好み焼きを食べたなんて偉そうなことはいえません。
サムホール展の審査は終わったが、毎回応募者が増えているのは嬉しいが床に置いた小さな作品を腰をかがめて審査をするのは大変です。またこの会場が寒いので今年は一遅らせてもらっていました。サムホール展のことをぼくは「サムイホール展」と呼んでいました。いつもここではぼくは体調を壊しています。この前は喘息の発作。今回は猛烈な花粉症で、鼻水、涙、くしゃみ、それに微熱まで出してここ二年間病気知らずがとうとう帰京して点滴を二日打ち続けてもまだ治らず、二年後のサムホールビエンナーレにまたこの時期ならぼくは降ろしてもらいます。事務局長殿
点滴から駆けつけて平野啓一郎さんと「文学界」で対談。楽しみにしていたのに体調最悪。声を絞り出すようにしゃべらなければならなかったのですぐ疲れる。きめ細かい話しを沢山したかったがメンドークサクなってしまう。でなくてもいつもメンドークサイことはしない人間なのだが、若い平野さんはぼくの知らない話しを持ってきてくれる。友人は選ぶべきだと「徒然草」に書いてあって、若い友達はよくないと書いてあったが、平野さんは老師しているから「友達に入れよう」もうひとりは「医者の友人」これは沢山持っている。医師の友達は安心出来る。次は「物をくれる人」これは少し用心したらいい友達になれる。ぼくの場合一番物をくれる友人は「瀬戸内寂聴さんだ」以上3人の友人。
3月21日
北島聖子さん
東京のギャラリーは日曜、月曜、祝日は休廊なのです。ガッカリした人は随分おられます。また別の日にどうぞーーーと言うのもしのび難いが、よく記憶しておいで下さい。美術館が休館です。ムンク展をもう一度兵庫県立美術館で観ようと思っていたのですが、花粉症か風邪だか訳分からないグジュグジュ状態になり、微熱まで出てきたので帰りました。それにしてもあの勇気ある見事な筆の終わり所は何やら武士道の精神に近いものを感じました。
郷里の西脇の寿司はどこに入ってもまずい。つまり大きめのシャリを 力任せに固く握りしめて、小さくしているのだが、米の分量が東京の倍くらいある。それが石ころみたいにコチンコチンに握っているものだが、米がもはやダンゴ状になって、シャリが糊状になり、東京の人間には食べられない品物になっている。また料理屋から取った弁当も型にはめた握り飯で、これも米をギュウーギュウーにつめて、思いっきり木型で押し付けたものだから、ビッシリつめられた糊状になっている。関西は量が多ければ喜ばれる土地柄なのでマズくても米がコチンコチンになっていいのなら、そりゃ勝手にしろということになるが、こんなに固く握りしめた寿司だけは恥ずかしくてならない。帰りに試しにと思って買って帰った所、大阪駅のバッテラ寿司はここまで力任せで詰めてはいなかった。どうも西脇だけの習慣らしい。米質を教えないと、文化の食文化は間違いなく西脇市長の問題になる。まずいメシを食わされた町にも人は二度と来たがらない。西脇の町の衰亡になりかねない。内部の味覚を一日も早く外来客の味覚に合わせるような研究を早急に取るべきだ。市長さんこんな小さいことから実行して下さい。
3月20日
河出書房新社(KAWADE道の手帳)より待望のムック形式の「横尾忠則(画境の本懐)」という本がいよいよ刊行されます。P183全面の大特集です。読物満載です。
那波英夫氏との辻惟雄との対談。
"備考" は中条省平、平野啓一郎、峰村敏明、宮沢みち、
"Yへの手紙" 瀬戸内寂聴、梅原猛、三宅一生、森山大道、細野晴美、なかにし礼、立花ハジメ、
"なにを見てもYを思い出す" 美輪明宏、高田純次、プリンセス天功、蜷川実花、浅野忠信、山本静一、
三島由紀夫との対談、三島由紀夫(評論三編)
"ヨコオに魅せられた人々" 富岡多恵子、寺山修司、野坂昭如、滝口修造、種村季弘、東野芳明、山口昌男、大島渚、よしもとばなな、黒澤明、亀倉雄策、河合隼雄、ドナルド・リチー、
"以上に横尾の文章3~4本"
●ぼくはこの本を毎日読んで過去を振り返ったり今の足場をかためたり、未来に「何か」を光っていきます。読めば読む程身分が見えてきました。いい時期にこの本を作っていただいたと思っています。大きい書店でこのシリーズ本を捜して下さい。執筆者に感謝しています。
今度MoMA(ニューヨーク近代美術館)がぼくの41年(1967)前にニューヨークのギャラリーで依頼され、現地で制作(印刷は日本)した "New
York"と題されたポスターが3種類のサイズになってMoMAで発売されることになりました。ニューヨーク土産にどうぞ。
平野啓一郎さんと「文学界」で対談した。ぼくの小説「ぶるうらんど」が四月に刊行されるからで、作家と画家の共通項やその違いなどについて長時間(半分は雑談)話し合った。平野さんはぼくの作品をよく見てくれているので、批評を聞いているようで面白かった。また話しをしている間に次の小説が書きたくなった。どこかへ旅行に行ってその先で書くのもいいかな。絵も小説もぼくにとっては旅みたいなものだからね。
2年振りで風邪を引いた(最初は花粉症だと思っていた) 。微熱があるのもそう悪くない。微熱も旅だ。内面への度だ。内面を燃やすと自然に外面が冷える。外面を燃やすとドクなことを考えない。
3月19日
毎朝ヘチマの汁を飲んでいる。喘息に効くというものだからだ。それがなんともイヤな味がする。なんとかこの味を味合わないようにして飲む方法はないかと考え、最近このことに成功した。つまり意識を他のことに移して、味はないのだと言い聞かせるのだ。するとただの水を飲んでいるのと変わりない。
3月18日
先日写真家のパオロ・ペリィザリがアトリエの写真を撮りに来た。部屋の中をバラバラに撮って、あとで一枚の架空のアトリエにしてしまうというのだ。すでにピーター・ウ゛レイクやクレメンテの写真も撮っており、12人のアーティストとアトリエの写真集(ドイツ刊)と展覧会を準備しているという。日本でも発表したいそうだ。
3月17日
兵庫県立美術館でムンク展を観る。超満員。ほとんど全ての作品が中途で投げ出したような未完成作品に見える。その筆の置き所が見事だ。また、スピード感が快適だ。描き切らないそのその描き切り方にうならされる。精神の自由にぼくは振り回された。
3月16日
都はるみショーを新宿コマ劇場に観に行く。振り袖姿で舞台狭しと動き回りながら歌う彼女のパフォーマンスは絶品。彼女は前に進む時、後ろ向きになって進む。その動きがまるでローラースケートに乗っているようだ。また歌いながら舞台にしゃがむ。かと思うと振り袖からあらわな裸の片腕が天を突きドキッとさせられる。体をよじらせ感情を込めて熱唱するその表情が実にいい。久し振りに感動した。
3月13日
今朝、庭でウグイスのカップルか親子がなく練習をしていた。一匹ははちゃんと「ホーホケキョ」と鳴いたが、もう一匹は「ケキョ、ケキョ」だけだった。明日はどのくらい上手くなっているか、楽しみだ。以前鳩のつがいが来て鳴いていた。「クルクルクルバタンキュー」と鳴いていた。
西村画廊での「温泉主義」の個展が始まった。会場には絵をポップアップにしたものや展覧会と同名の画文集も販売している。現物と比較しながら手にとって見て下さい。
3月9日
立花ハジメ君からクラシック・ナイキ復刻版のスニーカーをプレゼントされた。これがなかなか履き心地よく早速愛用している。そしたら取材に来た編集者とカメラマンがえらい誉めて写真を撮って帰った。別に靴の取材じゃないけれど、きっとこの靴の写真を載っけるんだろうな。また数年前にも立花君にプレゼントされたナイキのシューズも、道を歩いていたらいきなり、知らない女性から「そのクツ私も履いています」と声を掛けられたことがある。知らない、しかも女性からだ。思わず声を掛けたくなる靴ってあるらしい。
3月8日
よく自作を見て欲しいとか、感想、意見を求められますが、他人の意見はマチマチです。自分が納得するまで描き切った作品ならそれが自分にとっての傑作なのです。自分の容姿を人に定めてもらうのと同じです。作品は自分の鏡です。
3月7日
"SCAI THE BATHHOUSE" の「二つめの壷」展がスタートしました。「ひとつめの壷」展とガラッと一変。とはいうもののどの作品ともスタイルが異なっていますが、、、、、。だけれどもそこには「今」のぼくはいません。「今」のぼくは今描いている作品の中にしかいません。
3月6日
作家の平野啓一郎さんとアトリエで6時間近く対談(「ミセス」のため)しました。考えてみればぼくは彼の倍以上の年齢差があります。ぼくはあんまり若い世代の友人はいませんが、彼は唯一その一人かなと思っています。ぼくは元々年寄りが好きで、年長の友人はいますが、それも少しずつ減っています。平野さんは三島由紀夫さん同様、老成したところがあります。その彼の老人原理とぼくのそれが交差したところが接点なのかも知れません。でないと、若い人とは中々通じ合えません。君は君、俺は俺でおしまいです。
3月4日
木梨憲武さんがアトリエに来ました。家の長男と中学の時同学年だったのです。このことはさて置いて、木梨さんは現在46才。周辺のタレント仲間にも同年の人が多く、それぞれが50才になった時、また55才、60才になった時のことを心配しているというのです。つまり現状維持についてでしょうね。ぼくは45才の時に画家に転向しました。まあぼくの場合は衝動的です。この頃すでにグラフィックの仕事がそろそろ飽きていたので、悩みもなく転向できたのでしょうね。将来を考えて転向したわけではないので、ごく日常的だった。悩んでいる人に言う言葉じゃないかも知れないけれど、なるべくしてなるものだから、先のことなど考えないで、今やっていることに熱中すればいいんじゃないですか――という大人のごく一般的な答えで申し訳ないです。収まる所に収まるものです。
3月2日
時々眠れないことがあったけれど、今は本を開くだけでウトウトする。これをぼくは「隠居眠り」と呼んでいる。そしてベットに入ると眠ることがあんなに嫌いだったのが、今では楽しみになっている。だから隠居居眠いがぼくの後期の人生にどんな影響を与えるのだろうかと考えると、考えるだけではまた眠くなってくるので、結局何も考えられない。
3月1日
「映画音楽大全集」(CD8枚組)を買った。思ったより面白くなかった。やっぱり映像があって初めて生きる音楽らしい。ただ音楽だけを聴いているとイージーリスニングで喫茶店にいるのとあまり変わらない。どうも意欲に欠ける音楽の類で眠くなるだけだ。どれもこれも似たような曲で、どうしてこの程度の曲であんなに映画に夢中になったのだろう。
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