2011年11月30日
元週刊プレイボーイの編集長の島地勝彦さんと講談社の原田隆さんと久し振りに成城のとんかつ椿へ。昔、「話の特集」の表紙に島地さんを描いた絵を、彼の近著「人生は冗談の連続である。」(講談社)の装幀に使ったので、そのお礼といってとんかつをご馳走になる。義理堅い人だ。本の中味は実に面白い。夕方までアトリエで制作。その間元スタッフの風間君が来てくれて書斎を引き上げる手伝いをしてくれる。

朝方、もう2時間ぐらい眠りたいと思っている時に必ずタマが鳴いて起こされる。少々睡眠不足気味だ。タマを眠らせるために睡眠剤でも飲ませるしかないかな。

画家の元永定正さんが亡くなってかなり経つけど、彼は息をするように次から次と作品を描いていた。考えないで描くから、考えて描く作品よりずっと面白い作品が描けたんだろうなあ。

「考えない」ことを「考えている間」は、まだアカンと思う。「考えない」ことを「考えない」ようになるまで行かんとアカンのやろなあ。元永さんを見ているとようわかる。

2011年11月29日
ほぼ終日アトリエで制作。絵さえ描いていればいうことなし。夜、「ユリイカ」の連載エッセイの校正を始めるが、途中で止めて、ベッドの中で画集を見る。

スティーブ・ジョブズという人が亡くなった時、彼が誰だったか知らなかったが、アップルを設立し、マックを作った人と聞いて驚いた。だってマックは20年来、ズーッと使っていたのに。そう考えると知らないことだらけだ。

スティーブ・ジョブズ氏の本を芸術書と思って読むと、芸術より先を走っている。

2011年11月28日
土日は言葉の安息日。ユダヤ教は土曜日、キリスト教は日曜日なのでぼくは両教徒ということになるじゃない。

ぼくの喘息はしゃべらないと、声が出にくい。しゃべると少しずつ声が出始めるが、そのうちまたかすれる。なんか中古車みたいだ。

2011年11月27日
昨日は絵があまり描けなかった。午後新しい作品に取りかかるが、途中までの未完作品がアトリエに何枚も立てかけてある。

2011年11月26日
早朝にアトリエで2時間ほど描く。午前中、立川談志さんの2006年のテレビ番組を見る。東京国立近代美術館の「ぬぐ絵画」展で日本美術のヌード作品(1945年以前)の批評とまでいかない解説(これも専門家ではないので)などをする。2時から始めて終わったら、外はもう夕暮れだった。

2011年11月25日
◯本日の寄贈本
西川隆範さんより「シュタイナー文学講義」西川隆範訳/アルテ



◯本日の寄贈本
現代書館より「フルトヴェングラーの風景」飯田昭夫著
よしもとばななさんより「スウィート・ヒアアフター」よしもとばなな著(幻冬舎)

書評のための本を読み終わったが、その後どこに行ったのかいくら探してもない。最近の物忘れのせいだろうと思うのだが、今回のように移動もしないのに、——————とここまで書いたところで、長男がその本を「見た」といって一件落着。昨日から今日にかけてそのことでノイローゼ気味だった。この時ばかりは長男が天使に見えた。

昨日、今日と大探ししていた本(書評のためにすでに読んだ)が出てきてホッとした。こんなことが最近頻繁に起こる。年のせいだとは思いたくないだけに、探すのに必死だった。もう年相応という考えは止めたーっと。

年相応なら、頭は薄く、髪も白く、歯も抜けて……ということになるが三位一体健全なり。だからファッションも年不相応だ。作品も年不相応、考え方も年不相応!

立川談志さんとは何回か会ったが、彼の生き方は無手勝流だった。だけど個人的にはその逆に見えることがあった。だからその落差エネルギーが彼を希有な存在にさせたのだろう。

2011年11月24日
祭日は世の中が静かでいい。公園のベンチでひとり静かに本を読む。2時半頃までは暖かかったが少し風がでてきたのでアトリエに戻って絵を描く。絵を描き始めると何もかも忘れる。夜は、立川談志さんが亡くなったのを知る。ぼくと同い年だ。彼が選挙に出る時ポスターを頼まれたが、「こんなのを作りたい」と話したらびっくりして帰ってしまった。その後、公開トークショーをしたり、宝塚のトップスターの和央ようかさんらと食事をしたけれどそれが最後だった。同年の者が死ぬのは、自分の一部が欠落していやだ。

2011年11月21日
本日の寄贈本
平凡社ライブラリーより「名言で楽しむ日本史」半蔵一利著
篠山紀信さんより「ATOKATA」篠山紀信著/
日経BP社/「THE SIXTIES by KISHIN」PIE篠山紀信著/PIE
東京国立近代美術館より「ぬぐ絵画/日本のヌード1880-1945」

東京国立近代美術館へ。「ぬぐ絵画/日本のヌード1880-1945」展の作品についての講演(11月26日 午後2時〜)のための下見に行く。夕方、山田洋次監督ら4人来訪。1月からの山田さんとのコラボレーションの打ち合せなどをする。夜、昼の天婦羅で少し胸焼けあり。

2011年11月18日
本日の寄贈本
高瀬博子さんより「氷瀑/高瀬博子句集」ふらんす堂
大庭れいじさんより「歌集ノーホエア・マン」大庭れいじ著
平凡社より「両界曼荼羅」石元泰博著
渡辺真+小池高史さん「ユースカルチャーの社会学」渡辺真+小池
高史共著/書肆クラルテ

このところのテーマはタマに夜中に鳴かれて眠れないことだ。部屋から追い出してもドアに体当りする音でまた目が覚める。ひとそれぞれに悩みがあるものだ。この混迷する時代を如何に乗り切るか、という以前の問題の方が先決だ。

昨日の午前中、共同通信のスティーブ・ジョブズ氏についての取材あり。夕方まで制作、黒いY字路の次の作品(やはりY字路)だ。途中平野啓一郎さんと長電話をする。いつも文学と絵画の話題になるけれど、話がつきない。

2011年11月17日
自分に残されている時間を考えると、いつもキャンバスの前に座って(立って)いる時間を多くしたい。そして絵以外のことはなるべく考えないようにもしたい。

昨夜はタマが静かにしてくれていたので、コマ切れだけどなんとか7時間睡眠を確保できた。元王選手は睡眠に凄く拘っておられたようだ。9時間睡眠を。ぼくも睡眠さえ充分取れれば「いつも百人力」と自分に言いきかせている。

太陽光線で絵を描いているので刻々光が変る。ブラインドーを上げたり降ろしたり、イーゼルを移動させたり、ライトの位置を変えたり、まるで舞台の照明係になったようだ。

平野啓一郎さん、また電話下さい。

久方振りに平野啓一郎さんから電話があった。ポーランドとシンガポールに行っていたという。若いのでどこにでも行けるけど、ぼくなんか体力を考えるともう外国に行くことがないと思う。昔は毎年のようにどこかに行っていた。今はそんな昔の思い出の中を旅している。

2011年11月16日
巨人軍のゴタゴタ内紛問題のコメントに道徳的な意見が多い。道徳的な意見って結構今の日本の体質みたいだ。

この間まであった家が取り壊されて、見事な空地になって禅的空間ができたけど、またすぐ別の家が建って煩悩が住みつくことになろう。

旅行中に見事にアトリエの書籍などをスタッフが片付けて、利用しやすくしてくれた。ぼくにとって物に溢れた生活が終り、次は物のない生活への移行が始まろうとしているのかも知れない。外面を変化させることで内面に影響を与えたい。これって禅だと思う。

2011年11月15日

別冊spoonという雑誌で10ページのインタービューを受ける。今まであまり語らなかったツイッターに関する話題だ。4時間に及んだ。実に熱心な編集者だった。夕方まで絵を描く。新しい作品を始める。新しい作品はいつもドキドキする。夜はオイルマッサージに行く。身体をリラックスさせることで気分転換を計る。

○本日の寄贈本
高橋千尋さんより「ジョン・フォード」ピーター・ボグダノヴィッチ著/高橋千尋訳


横尾がデザインした電車(ラッピングカー)





西脇の健康ランドにて



同級生


2011年11月14日
近所にお住まいの山田洋次監督がアトリエに来られて、頼まれた仕事の打ち合せと映画の編集の話とぼくのコラージュの話をして、そのあと秘書の最首さんと3人で増田屋へ。そこでは食べ物の話や渥美清さんの話を聞く。そのあとぼくは美容院ピカ・ビアでヘアーカットをする。もう年内は行かないので「いいお年を」と言って帰ってくる。

2011年11月13日
一日中アトリエで絵を描く。以前すでに出来上がった絵2点にも大幅に筆を入れる。

2011年11月11日
夜は同級生16人で鶏料理を食べる。女性10人、男性6人。話題はマチマチ。3時間。次回の同級生定期総会は花見の時期を予定。

郷里に帰って雨に降られることはほとんどない。雨女、雨男というが、雪女、雪男は雪に降られる者を言うわけではない。雪女は亡霊でしょう、雪男はイエティでしょ。

西脇をあとに兵庫県立美術館へ移動中。

2011年11月10日
個展のオープニングが終わって健康ランドへ、大衆演劇「松丸家小弁太」一座を観に行く。今日の出し物はこの前観た「都若丸」一座に比べるとうんとシリアスな時代物の人情ロマンスという感じ。最初からストーリーが判ってしまう。その方が観客は予想通りだと、喜ぶのだろう。夜は高校の同窓会に出席。

郷里の西脇へ。新幹線とタクシーの車中、ただ風景を眺め続けて4時間。ぼくがデザインしたラッピングカーが美術館前の駅に停車したところを写真に。(後日、ブログに掲載します。)Y字路を描いた電車だが、迫力がある。何しろ音を立てて走るんだから。夜は市長らとイタリアンレストランで、西脇市の黒毛和牛一頭が最高値の500万円で落札。とにかく黒田庄産の黒毛和牛は最高の美味しい。今年の高校駅伝兵庫県代表は西脇工高だ。過去全国大会で最高優勝回数を誇っている。

今日の西脇市岡之山美術館のオープニングに出席。

逢いたい人の大半はいない。だけど帰省すると十数人の同級生がいる。同級生はぼくにとって郷里そのものだ。彼等がいなくなると郷里も失くなるかも知れない。

ぼくの中で最も象徴的だった鉄橋が跡形もなく姿を消して、別の鉄橋が架けられた。郷里は誠に残酷なものだ。

ぼくが見ている郷里は肉体としての郷里ではなく、霊体としての郷里を見ているのだ。

人間が幽霊になるように町も死ぬと幽霊になる。

子供時代の郷里は今はないけれど、現在の場所に昔の場所がまるで幽霊のように重なって現われる。全ての場所にそんな幽霊が出現するのだ。

2011年11月9日


横綱隆の里・太刀持ち・露払い化粧廻し
国基研事務局が使用していましたぼくのロゴマークに関しては当事務局とぼくの見解が異なることを伝えたところ使用は中止することになったとの連絡を受けました。

2011年11月7日
咽の奥がつまるのと喘息の咳が時々でるので行きつけの病院へ。気管支専門の女医さんを紹介してもらい、話し合った結果、徹底的に治しましょうということになって、従来の薬もガラッと変え、定期的に診断してもらうことになった。

最近言葉がいっさいない漫画本が出た。その作者の話は本人も聞く人も分からないものだったようだ。言葉と意味に対する批評のようで面白い。リンゴの味が説明できないように、だけど食べれば分る。絵もリンゴと同じなんだ。

自作の説明を求められることがあるが、「ただこういう絵が描きたかったんだろうと思う。」としかいえない。これじゃ相手は満足しない。だけど相手を満足させる説明をすればするほど作品から遠ざかっていく。それでもいいらしい。最初から絵なんて見ていないのだ。言葉が大事らしい。

喘息のために一日中、エヘンとかオホンとか咳ばかりしている。すでにクセになってしまっているだけに他人は耳ざわりでうるさいだろうなと思う。止めようとすると咽の奥が苦しくなる。喘息の薬を飲むと、声がかれて出にくくなる。自分の中に他人がいるみたいだ。

絵が先に現実をレポートする。だけど、結果は現実をレポートした作品と何ら変りはない。早いか遅いかの違いだ。

以前、自画像をゆがめて描いたら、間もなく顔面神経麻痺になったことがある。その時も絵の方が先に未来を見ていた。街灯も家の灯もない真黒な街の絵だって地震の前に描いていたのに、「計画停電ですか」とか「節電ですか」とか「被災地の夜ですか」と聞かれた。

この間の火事に野次馬になった僕は消防車の後を自転車で追っかけたら、火事の現場がわが家だったのには驚いたが、まるで落語を地でいっているようだったが、そう言うと、この間描いたY字路は火事の絵だったことに気づいた。絵の方が現実を先取りしていた。

歳を取っても様式の変化を恐れて抵抗する人は逆に肉体を痛めかねないだろう。うんと若い時は様式を模索するために意図的に変化を求めるが、ある年齢に達すると、放っとけばいいというのが僕のスタイルになった。

僕の作品のスタイルと傾向の変化は脳の作用ではなく、全て肉体の生埋による。生理は毎日変化する。それも加齢と共に益々激しくなる。だからいちいち変えようとしなくても勝手に作品は変化する。だから若い時のように努力する必要はない。

2011年11月4日
○本日の寄贈本
森村泰昌さんより「なにものかへのレクイエム」森村泰昌
平凡社より「平清盛」別冊太陽

昨日古本屋で見つけた本を探しに行くが、何を見つけたかが思い出せず、買うことができなかった。MOMA(ニューヨーク近代美術館)が来年、「東京1955-1970/新しい前衛」展の出品依頼に。スカイザバスハウスの白石さんと新しい企画の依頼と打合せ。日々、日没が早くなって、昼間の仕事の時間が短くなってきた。

三島由紀夫さんはその人の人格の格を礼節に置いていた。礼節のある人間は芸術において例え無礼を犯しても、その両方を認めた。

人格的にいただけない人からは学ぶものがないからだ。人格的な人には品性、品質がある。ぼくにないものをその人から盗むためだ。

人格的にいただけない人からは学ぶものがないからだ。人格的な人には品性、品質がある。ぼくにないものをその人から盗むためだ。

僕は人とのつき合いはその人の思想でつき合わない。そんなことしたら自分と同じ思想の人は一人もいないので友人も知人も一人もいないことになる。その人の人格でつき合うことにしている。いくら頭がよくて社会的地位があっても人格的にいただけない人とはつき合わない。

昨夕、6時半頃サイレンを鳴らしながら消防車3台が走っているので、後を自転車で追うと、火事の現場はなんとぼくの書斎のあるマンションだった。今月末引き上げるが、もし火事だったら本が全部焼ける。まあ断捨離になっていいかとのんきな考えが頭をかすめる。結局何もなかった。


野次馬も去って、淋しくなった火事現場。


成城の町でまたまた小説家の磯崎憲一郎さんに自転車ですれ違うが、彼は気づかないので、名前を呼ぼうとしても、その名前が中々出てこない。だからそのままになった。

2011年11月3日
近くで火事が起こったらしい。消防車が何台もやってくる。自転車で追いかけたら火事の現場はぼくの書斎のあるマンションへ。マンションの前にはやたらと点滅する赤いランプと消防士の銀色の服で群がっており、まるで舞台のような怪しさと華やかさがある。もし本が焼けてしまえば、スッキリと断捨利が出来るという思いが頭をかすめる。家に帰ってカメラを持ってきた時はやじ馬の騒々しさも治まっていた。あの現場のケバケバしい奇々怪々さを絵の中に持ち込めないものかと考えている。

2011年11月2日

○本日の寄贈本
藤原書店より「快楽の歴史」アラン・コルバン著

なんとなく胸焼けがする。以前から胃食道逆流症である。結構、多いと聞くが、ぼくはまだそんな人に会ったことがない。甘いもの、油っこいものが好きな結果の症状だろう。それと同時に咽がつっかえる。時々病院に行っているので今のところは心配なさそう。今日の来客は山田洋二監督がらみの仕事の依頼。夜は朝日新聞社の書評委員会に出席。

2011年11月1日

喘息の咽は常にヒューヒュー木枯しが吹いていて時々咳が出る。去年に比べると体調は悪くないが咽の音調が今いちだ。

孤独に悩む人が多いという。ぼくは孤独になれないことで悩む。なぜかというと絵が描けない時は孤独になっていないからだ。絵は孤独になって初めて描ける。

孤独を恐れる人は創造者に向いていないかも知れない。孤独を友にする者のみが創造者に向いていると思う。

ぼくは一人でいることが多い。携帯電話を持たない理由もそーいうことだ。昔は逆だった。いつも仕事場に人がいたり、終ると人を求めて街に出た。デザイナー時代は過剰なほど人に会った。それが財産になったが、画家になってからは人から吸収したものを吐き出している。

↑↑ GO TO THE TOP ↑↑