2018年09月28日
ツイッターに投稿されているぼくのポートレイトと絵の組合せはまさかYOKOOのイメージじゃないですよね。なんだか奇想の絵画というか、奇想のサイケっていうか、あなた自身のイメージなんでしょうね。

銀座のggg(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)は普通の会社並みに日曜祭日が休みなんですよね。神戸の美術館は3連休もやってますのでどーぞ。その場合月曜日もやってるそーで、代りに火曜日が休みになるそーです。

久し振りで補聴器装着でテレビの音声が聴こえた。

また、小さい音が大きく聞こえるので、まるで映画の中の効果音のようだ。

50音の内10音も聞こえないことが検査でわかった。だから話される言葉が飛んでしまうので20語の言葉の内10語近く聞こえないので、意味がわからなくなるのだ。

今日、補聴器を調整してもらった。全ての音が3〜4倍の大きさに聞こえる。世界がうるさくて仕方ないくらいだ。

雨が降る度におでんは家の中でおしっこをする。本当に困ったものだ。妙案はないでしょうか?

2018年09月27日
以前、クロムハーツの友人のリチャード社長に全身真赤々のつなぎのパジャマをもらいました。なんだかサーカスのピエロみたいで落ち着かなくって不眠症になってしまいました。

男物のパジャマって本当にダサイ物しかないんですよね。だから大きめの女性パジャマを買いました。昨夜から女装で寝ています。

葛根湯とユンケルを飲んで、雨の中書評委員会に出席して、読みたい本を手に入れました。4冊持って帰りましたが、どれも好みの本です。熱いカタクリを飲んで寝ました。

2018年09月26日
今日はちょっと風邪気味。葛根湯で少し治まっている。葛根湯は即効性がある。これからの季節離せない家庭常備薬だ。コムラガエリが起こった時、一瞬で効く漢方もある。名前は忘れたけど。

カルティエより、出来上がったバナーを送ってきたのでご紹介します。横2メートル50くらい。何人かのアーティストに依頼したそーです。


このところ大きい作品から遠ざかっているので150号のキャンバスを少しまとめ買い。自分に負荷をかけてみる。絵を描くのには何もいらない。体力だけだ。

この年まで、ほとんど歯医者知らずで来たが、このところうまく噛み合わない感じがしているが、別に歯が動いているわけではない。歯はいつのまにか、ちびてきている。全体に小さくなってきている。歯だけでなく、耳も目も、機能しなくなっている。年寄りを引退したくなる。

2018年09月25日
ぼくの知っている人で、三島由紀夫さんと黒澤さんはよく笑われた。今東光さんも谷内六郎さんもよく笑われた。何も語らなくても笑いは多くを語る。

平野さんはよく笑う。彼の個性かも知れない。笑わない顔をしていてよく笑う。彼の最大の魅力だ。笑う顔を見て、こちらが笑うからだ。

老年になっても子供でいることは大事だ。子供の心を失った人は、どこに帰るのだろう。帰るところがないんじゃないの。

進歩することに興味がなくなる。老年の進歩って何? 病気になること? 死ぬこと? 進歩などなくなって変化だけになっていく、それが老年だ。

平野さんは好奇心が強い。何んでも質問する。こーいう人はどんどん向上していくに違いない。ぼくの年令になると好奇心はなくなる。というか、どーでもよくなる。なるようになればいいと思ってしまう。

白黒はっきりつけた芸術は神秘性は廃除される。

芸術は白黒はっきりつけたら、実につまんないものになると思う。

人は相手に白黒はっきりつけたがる。そんな人に限って白黒はっきりつけられないので他人にそれを強要する。

落ちなどつける必要はない。そんな人生はしんどい。上京した時、先輩の田中一光さんから、白黒はっきりさせないと東京ではやっていけないといわれた。今も白黒はっきりできない自分は東京の人ではないのかも。

平野さんとのトークで未完成のことを話した。ぼくの人生も生活もアートもみんな未完成だ。未完成でいることは楽だ。目的や結果を気にする人は未完成にはならない。落ちをつけなきゃならないからだろう。

わからないことをわからないままで、やっていることが多いが、わかったら面白くないんじゃないかな。小説家はわからないと書けないけれど、画家はわからなくても描ける。むしろわからない方が描けるのだ。

2、3日前、平野啓一郎さんとトークをした。色々、絵のことで聞かれるが、「わからない」と答えることが多いが、本当に自分のことが「わからない」ことが多いのだ。

やはり基本的に怠け者かも知れない。もしかしたらアマチュアなのかも知れない。自分のことがよくわからないことだけは本当だ。

デザイナーの頃は頼まれないとやらなかったのに、今はその反対で頼まれない絵ならどんどんでもないけれど描ける。頼まれて、1年も2年も中には5年も経つのに描かないのか、描けないのか、描けないのかどっちかわからないのが何本もかかえている。

すると職業は何んだろう。絵が職業なら、絵がどんどん売れなきゃおかしいのに、絵は展覧会のためで売るためではない。昔はポツン、ポツンと売れたけれど、今は美術館も絵は買わない。さて、何で食っているのだろう。

文書の仕事はそんなに多くない。朝日新聞の書評を月に1〜2本書く程度だ。他には「週刊読書人」に毎週日記、その程度だ。本職の絵は時々描く。(本当に時々だ)。じゃ絵で食っているかというと、絵はそんなに売れるものではない。現在は日経新聞に山田詠美さんの小説の挿絵ぐらいだ。

2018年09月21日
猫は水が大嫌いで、雨が降ると外へ出られない(そんなことないのだが)と言い訳をして家の中でオシッコする。エライところもあるけれどアホのところも多い。

今夕はgggで平野啓一郎さんとのトークがあると昨日言いましたよね。マイクの声は観客用で隣りのぼくには実は聞こえないんですよね。だからイヤホーンを使用することになるのかな? やってみないとわからない。2人が全く別々の話をすることになる可能性もあるかも知れないですね。

40年前の作品について語ることなんてほとんど記憶にないので平野さんの質問に答えられるのかな? 答えるとしても、知らない、忘れた、憶えていない、みたいな政治家の答弁みたいで、これはこれで面白いのかも。

作品を変えようとしなくても、体調が自然に変えてくれるというのは、ぼくの場合で一般的かどーかはわかりません。中には変わることを要求しない人もいます。自分のスタイル(主題、様式)を作るために。ぼくは主題も様式もない人なので、その日の気分でしか描けないのです。

よくYOKOOの絵はどれが本当なんだという人がいますが、全然似てない作品であっても、全部ぼくの作品です。外国にはないタイプですが、ぼくのニューヨークの画廊は、そんなケロケロ、コロコロ変る作品を愛してくれています。今開催中のアルベルツ・ベンダ画廊のホームページを見て下さい。

2018年09月20日
もう数ヶ月も経つけれどおでんにチューチューだかチュルチュルだかのおやつをやったことがある。もう、そのパッケージのデザインは忘れているだろうと思っていたが、今日、それを3〜4メートル離れたところから、ジーッと見つめていたが、思い出したのか、突然飛びかかってきた。

猫が何ヶ月も前のあんな小さなパッケージを記憶していたことにびっくりした。このことから、猫の知られざる未知の能力を探ってみたいとも思ってい

神戸の美術館は「在庫一掃大放出」展にチンドン屋が出演したが、次回の「公開制作」展では大衆演劇の出演はどうかと考えている。なぜかというと、宮崎県立美術館で公開制作をした時、劇場で知り合った澤村謙之介さんに来てもらいたいと思っている。

宮崎の夜、大衆演劇を観に行った。座長の澤村謙之介さんが口上を述べている時、目と目が合って、「アッ、今、楽屋でテレビを観ていたらあなたが出ていましたよ」となってここで知り合った役者さんが翌日美術館に公開制作を見に来てくれたんです。

そんな縁で神戸でもう一度会ってみたい。神戸の美術館ではイベントで、細野晴臣、あがた森魚、加橋かつみ、大野慶人、玉川奈々福、Ayuo、林英哲、玉置浩二らにライブを行ってもらっています。

ライブの出演者(ジャンルは問わない)、観たい人、聴きたい人、また演って下さる方、いませんか?

2018年09月18日
ニューヨーク、東京、神戸の3ヶ所で個展開催中。N.Y.は難聴のため飛行機が無理、新幹線はOK。神戸(今日は休館)の「在庫一掃大放出」展のオープニングはタイトルに合わせてチンドン屋も出演。面白、オカシイ展覧会になりました。

タイトルで勘違いして、「買えるんですか?」、また本当に「買いたい」人も現われびっくり。当館ではまだ一度も発表したことのない作品ばかりを展示。年代も無視、主題も様式も無視。良し悪しも無視。この美術館でしかできない展覧会。是非!

銀座のggg(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)は360数点の40年前の挿絵ドローイング展、10日で3000人を越えました。1階と地下のスペースは人、人、人、絵、絵、絵でエッ! って感じ。日、祭休館が残念。

2018年09月11日

高瀬川にて


一休寺にて


平等院にて

2018年09月10日

Youは何しに京都へ?


南禅院 夢窓国師の庭にて

2018年09月06日
昨日、銀座ggg(スリージーギャラリー)で幻花(挿絵)展がオープンした。初日だけで800人の来客で、じっくり見れない状態でした。場所がいいということもあります。40年前の作品ですが、それから空間構成、これは中々のもの、こっちもどうぞ。

2018年09月05日



今夕、銀座のggg(スリージーギャラリー)で44年前の新聞小説「幻花」(瀬戸内寂聴)の挿絵展のオープニング。今じゃとても描けない絵。時代と技術と体力が描かせてくれた絵としかいうしかない。


ニューヨークのチェルシーのアルベルツ・ベンダ画廊で6日より近作展(一部80年代初頭作品)が開催されます。日本からの旅行者、現地の日本人の方々、ぜひ寄ってみて下さい。

難聴のため高い所(飛行機)はダメなので、NYには行けません。高層ビルもダメです。生活の行動範囲が縮小されています。生活は縮小されているけれど、絵のサイズは徐々に拡大されつつあります。

ここ数年は絵のサイズが縮小していましたが、昔の150〜200号大に拡大していきたいと思っていますが、点数はやはり減りましたね。

絵のスタイルを変えようと思わなくても年令と体力がスタイルを自然に変えてくれるのでほっとけばいいって感じですね。



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