2019年01月31日
明日、2月1日、代官山蔦屋書店で世界のアーティスト133人の「カルティエ そこに集いし者」肖像画集(国書刊行会刊)発刊記念のサイン会を午後6時より行ないます。
2019年01月29日
長い間、公開制作を中断していたが、先週、神戸で久々に生き返った。体調はもうひとつだったが、公開制作はぼくにとってはエネルギーの点滴である。
公開制作は人前で絵を描くことだ。絵はアトリエでひとり閉じこもって絵を描く従来の考えを批判することでもある。公開制作が絵を変え、生き方も変える。
公開制作時は、頭はチンパンジー状態。肉体はアスリート状態。絵は肉体労働。
絵を取り戻すためには画家が肉体労働者にならなければならない。
肉体労働の結果の絵を批評家はそこに精神を持ち込む。それでいい。
公開制作は禅のように、頭を沈黙させる。雑念の去来を拒否する。
アトリエを出て、公開制作の場に行こう。
公開制作は画家をボージャクムジン(傍若無人)にさせる。宗教的修行などする必要はない。公開制作は禅堂である。
アトリエの制作は画家を観念的にさせる。公開制作では画家を肉体そのものにさせる。
絵は牢獄のようなアトリエで描くものではない。絵は公開制作という広場、又は舞台で描くものだ。人の視線を受けて、人の視線をはじく。これが創造である。
以上、公開制作宣言をする。
2019年01月28日
今の神戸の「公開制作」展は何を描いたか、どう描いたか、ではなく、鑑賞者の無言の思念を身体全体に受けて、そのエネルギーが現れた絵です。そー思って見て下さい。絵の中に描いているものなど、どうでもいいのです。。
絵を描いて疲れて、絵で元気になる。絵は魔力だと思う。
誰も立候補なんてしてないよ。ところで誰がやることになっているの?
「いだてん」のポスターにオリンピックの五輪のマークを入れてオリンピックのポスターにしますかね、とジョークを言うと一般誌とスポーツ誌のネットで「東京オリンピックのポスターに立候補」なんて大真面目に書かれちゃった。
神戸の美術館の「公開制作」展の記者会見で「いだてん」がオリンピックのポスターを暗示させると問うた記者がいた。
耳が不自由になったので、耳学問は卒業ってとこかな。
小さい絵を描いていると人間が小ぢんまりしてしまう。だから大きい絵を描いて、肉体感覚をいつも体感しておく必要がある。
絵のサイズが小さくなってきたので、こりゃまずい150号にもどした。小さい作品は頭脳的になるけれど大きいと画面がこちらの肉体を飲み込む。カンバスと肉体との決闘だ。
この間から平熱が1度ばかり上昇したまま下降しなくなって、もう2〜3週間になるかな? 老年で平熱が低いより高い方がいいと聞くが、いきなり1度も上昇したままというのも悩ましいものがある。あちこち調べたけれどどこにも異常がないというが……?
NHK大河ドラマの「いだてん」のタイトル(ロゴ)が回転しながら走っているのを本篇の導入部で見られます。見てもらったかな? ところで、このロゴによく似たロゴが「そのだ競馬」のロゴです。このロゴをデザインしたのは私ですが、もう20年前かな? 図像を紹介します。
もうひとつ、郷里の西脇美術館で開催中の紙スキ作品展、今日だけで例年の1年分の入場者を確保してしまった。市長はびっくり仰天しています。新大阪駅からバスもでています。ついでに真黒けに塗ったY字路の家も見に行って下さい。
彼は関西では演りたくないと言う。関西は落語は笑うものだと思っているからだ。でも関西の茂山狂言は「笑えない会」というイベントもしておられる。ぜひ笑えない怖い落語を聞いて下さい。とにかく惹きつけられます。
制作中、突然、助っ人が現れて、助手をしてくれた。その人は世田谷美術館の元学芸員の高橋直裕さん。世田美時代には公開モデルにもなってくれている。その彼がどこで知ったのかサプライズ出現。彼は今や遊興亭福し満として落語家で活躍中、いづれ美術館で演ってもらいます。
今、神戸のぼくの美術館で、過去の公開制作をした作品をギッシリ集めて展覧会開催中。ここに観客のエネルギーが集約されている。観客とのコラボ作品だ。
絵は完成が目的ではなく、そのプロセスが目的だ。
マラソンにはゴールがあるけれど絵にはゴールがない。一枚の絵を一生描き続けることだってできる。
絵はどの瞬間でも完成している。どの瞬間で筆を置くか、決め手がない。これ以上描くと終りが見えなくなる。その時が引け時かな。
久し振りで神戸で公開制作。超満員の熱気に押されて、3時間位で150号を仕上げる。未完的な仕上りだけれど、まあ完成。同じテーマでもう1点描いてみたい。次の公開制作で。
2019年01月21日
例の西脇市岡之山美術館(新聞記事の)での展覧会が延期のあと、1月6日から開催されたところ、開館以来の来客だそーです。紙スキという新しい手法の作品がメインです。少し暖かくなるとまた紙スキ作品を作りたいと思います。
紙スキ作品は昔インドのアーメダバッドで実験済みですが、この時は紙ではなく布を使用。もっと可能性を探りたいと思います。目下、油彩画とシルクスクリーンと木版画、それに紙スキを加えたマルチ作品が今年の仕事になりそーです。
昨年から木版画を作っています。やっと3点できて、4点目に入ったところです。もろ浮世絵に挑戦です。その相手は写楽です。手強い相手です。10点できたところで展覧会の予定です。今年いっぱいに完成したいのですが……。
高齢になると欲が消えていきますが、作品欲だけは増える一方です。好奇心というのとも違います。未来からの呼び掛けみたいなものです。
言葉がどんどん脳から消えていきます。言葉に従っている間は、いくら頑張っても肉体的にはなれません。画家は肉体労働者です。小説家は観念的でいいのです。何故なら肉体的にはなれない言葉の世界に属するからです。
生者は肉体の保有者ですが、死者は肉体がありません。生者が肉体を持てば持つほど肉体の消滅を体験します。死の体験です。生者の考える死は観念です。死者はそんなもん不必要です。画家は肉体的であると同時に非肉体的体験をします。
一週間以上熱が続いている。そんな浮遊感の中で病院通い。病院はそんなに嫌いじゃない。画家は肉体派なので、自分の肉体の探求に興味がある。
普段から脳化している肉体なので、体温も創造に関与している。
熱が引かないのでヤケクソで3時間ぶっ続けで制作する。その結果、36度がいきなり、35度台の平熱に戻る。絵を描き過ぎて倒れ、絵を描きまくって快癒する。
2019年01月15日
最近「おでん」という名の猫が増えたらしい。わが家のおでんはまだメディアには一度も登場させてないが、他所のおでんはメディアに出る。猫にこんな変な名前をつける者はいないと、つけたのに、第2、第3のおでんが増えている。名前は著作権がないらしく滅多にない「横尾忠則」という人がいるんだよね。
4年前に死んだタマは最初はタマゴだった。娘は今でもタマゴと言う。タマゴも滅多にない名前だと思うけれど、タマはどこにでもいる。ここ3年ほどタマの絵を描いている。あと100匹までもう少し。
最近は「多様性」という言葉が散乱している。文章にもインタビューにもやたらと「多様性」だ。60年前の20代の頃、主題も様式もバラバラの作品の展覧会をした。
先輩の画家がやってきて、「この多様性はアカン! 分裂症か多重人格や。単独にしぼらなアカン」と言った。
その時、この多様性は俺の性格やと思った。性格をそのまま反映させれば俺の作品ができると思った。それ以来、主題も様式もない、俺の自然体や。
元々、多様性を持たない人間に多様性になれとか、多様性になろうと思う必要はない。性格は変らない。これが自分の性格やと思うことをやればいい。多様性なんてクソクラえという根性も必要だ。
2019年01月09日
この体験はぼくの原点になった。
ぼくは目と耳をふさいで溝の中に飛び込んだ。頭上をグラマンは校舎の庭を震動させながらどこかに逃げるように飛んでいった。
山を乗り越えたら、そこに子供が1000人近くいた。さすがパイロットも驚いたのだろう。3機とも機銃操作のタイミングを逸したに違いない。アッという間に頭上を飛び越えて行った。
校庭で朝会をしている真最中、突然背後の裏山を乗り越えてグラマン戦闘機が3機襲ってきた。死を覚悟した瞬間だった。パイロットの顔を見た。パイロットは若者だった。
子供の頃、初めて見たB29は銀色の十字架に見えた。また生まれて初めて飛行雲を見た。日本の飛行機は低空しか飛べないので飛行雲は吐けない。美しいが、死が迫っていた。
展覧会の予定が少しづつ増える。増えた分、寿命も増えるのかな?
サラリーマンでもないくせに、休暇は嬉しい。どこかに行くわけでもない。絵を描くことが旅行みたいなものだ。ジッとしながら旅ができる人だから、いいでしょう。
好きで描いていた時代は終りかけている。できれば何もしないでいる方が好きだ。死んでも画家になるなんてイヤだよな。
2019年01月07日
NHK大河ドラマ「いだてん」の回転するロゴと回転する勘九郎さんのポスターの評判が大きくて、デザイナーに逆戻り? なんて言わないで下さいよ。
とは別にポスターの依頼が急に多くなって、ちょっと止めて下さい。絵を描く時間が奪われます。今年は久々に東京のギャラリーでの個展も予定されています。
なんていったって、この年ですからね。マイペース、マイペースです。世間に合わせるなんて出きません。こっちに合わせて下さい。
今年は1人で走るマラソンじゃなく、駅伝のように、1年12区に割って私の中の12人のランナーに1区ずつ走ってもらいます。だったら行けそーかな?
NHKの「いだてん」のエネルギーに便乗して、背中を押してもらいましょう。「いだてん」のロゴと第一号ポスターだけじゃなくて、まだ隠し玉がありますよ、とかナントカイッチャッテ!
ちょっとトラブルがあってカルティエ現代美術財団監修の「カルティエ そこに集いし者」の肖像画集の発売が当初より遅れましたが、もう店頭に並んでいるはずです。価格は国内価格です。最終ページに日本語が掲載されています。