2017年07月31日
新横浜駅から新神戸駅に向かう新幹線の中。神戸の横尾忠則現代美術館で、明日、テレビの取材が入っている。

昨日久し振りにピカ・ビア(あの画家のフランシス・ピカビアより)でシャンプー。入院中一度もシャンプーしていなかったので快適だった。五木寛之さんは年に一回シャンプーで有名。ある人がそのことを聞いたら、「年に2回です」だったそーです。最近何かで読んだ。

文化人類学者の西江雅之さんと別府温泉に行った時、「温泉に入りませんか?」と聞くと「温泉に限らず一度も風呂に入ったことがないんです」だって。

新幹線ってよく揺れる。通路をまっすぐ歩けない。入院中ほとんど歩いていないのでフラフラで、まるで球突き状態だ。食堂車があった頃、一度食事中に転倒したことがあった。こーいう時、見て見ないふりをされると恥ずかしい。笑ってくれた方が救われるんだよね。

俳優の土屋嘉夫さんの前に座っていたお婆ちゃんが、「棚のカバン取って!」と言った。「どれ?」と土屋さん。「これ!」と言われてそのカバンを渡すと、お婆ちゃん急いで下車した。よく見るとそれは土屋さんの物だった。土屋さんってこーいう人なの。

新幹線で駅弁を食べるのは多摩川を越えて緑の自然が多くなってからでないと、美味くないんだよな。

車窓から手前の家を眺めていると、まるで廻り舞台のようにグルッと家が回転するでしょう。これを見ていると、もう飽きないほど面白い。

新幹線の座席で隣りに人が来るとイヤなので、だから、いつも「来るな!」と念を送るんです。すると本当に来ない。もし来たら、他の席に移ることにしている。移った席にまた来たら、次々と移動することにしているんだ。



こんなの初めて。家を出る時、ジーンズを履きかえたために、お金もカードもキーも持ってこなかった。スタッフと一緒だったので助かった。とにかく日々、忘れることが多くなってきた。ある時、合田佐和子さんが自分の名前を忘れて大騒ぎして、バッグの中の持物のひとつに名前を見つけて助かった。

ここまでいかないが、近いことありますよね。駅で違う電車に乗ったことあったなあ。北陸で。

和歌山へ旅行した時、ホームにカバンを降ろしたまま、自分ひとり、電車で遠くまで行ってしまったことなど。

座席で落としたメガネが博多まで行って、博多から戻ってきたことはあったけれど。

東海道新幹線って結構トンネルが多いんだよね。50近くあるんじゃないかな?

新幹線内でチョコレートアイスクリームを食す。まだ喘息の余波あり。身体を冷やしたのはまずかった。

窓のブラインドーをわざわざ降ろしている乗客が多いが、どうしてこの流れる風景に関心を持たないんだろう。席を暗くして考えるより、風景をボヤーっと眺めて頭を空っぽにしたがらないのかぼくにはわからない。

新幹線での移動時間はぼくにとっては、休息であり、寝室であり、風景鑑賞であり、喫茶室だったり思索であり、図書館(週刊誌)であり、書斎であり、作品構想だったり、アトリエだったり、無為時間だったり、瞑想室だったり、とにかく、なんでもありの自由と快楽の時間ってとこかな。

水田のミドリが美しい、カーペットを敷いたようだ。ミドリは目にも頭にも、身体にもいい。

山肌にへばりついている墓地の風景は好きだ。墓地ってなぜか慰めてくれる安住の風景なのかも知れない。

ミドリの色がこんなに多様とは気づきにくい。何100色、何1000色のミドリがある。

風景全体に薄い灰色がかぶさっている。意外とこの灰色には気づきにくいんじゃないかな。

昔は、新幹線では本を読んでいたけれど、できるだけ活字から離れた方がいいと思う。ここまで活字を持ち込むことはないと思う。脳に脳を入れるのではなく、脳に肉体を入れるべきだ。

知ることの多いことより、知らないことの多い子供の頃がズッと豊かだった。走る風景を眺めているとフト、そう感じた。

ヤマカカシという蛇に噛まれた少年がいる。この間アトリエの前にも近くの公園でも蛇を見た。子供の頃は一日中、小川で遊んでいたので蛇は当り前だった。家の中にも蛇がいた。昼寝していると、頭の近くでズルズル音がするので見たら猫が蛇と遊んでいた。

青大将の口から棒を突き刺して、ピリリッと蛇の皮を剥いてピンクの裸蛇にして、その心臓を取り出して、ピクピク動くのを楽しんだ。そんな少年時代だった。

ブラジルに行った時、バスが止まった。見ると巨大なアナコンダが道路を横切るところだった。頭も尾も道路の端の草むらに入っていて、胴だけがゆっくり移動していた。アナコンダが横切るまでバスの中から見ていた。

浅草の北斎のゆかりのあるお寺で蛇の剥製が目の前のテーブルに置いてあった。それを見ながらうなぎの蒲焼きをごちそうになった。蛇を食べているよーで気持悪かった。

昔、知人の奥さんが蛇が好きでガラスの食卓の中に蛇を飼って、それを見ながら食事をするのを夢見ていた若い夫婦がいた。

以前、蛇の絵を描きたいので本物を持ってきて欲しいと冗談を編集者に(ぼくは蛇が大嫌いだ)言ったら本当に持ってきて、皮の袋をぼくのテーブルの前にドサッと置いた。袋がグネグネ動いた。本当に怖かった。冗談を本当にする人って本当にいるんだよね。

今日のツイートはライブです。



六甲山のふもとにある横尾忠則現代美術館にて制作しています。





横尾美術館は摩耶山の麓に位置して、目の前が王子動物園で、60年前、この地に住んでいました。その地元に美術館が創設されたこの奇遇にぼくはシャケが産卵のために戻ってきたそんな気がしているんです。だからぼくはシャケなんです。そんな風景を見ながら、タマ(猫)の絵を描く。

人間は本能的というか、DNAというか、産まれ場所に戻る宿命のようなものがあるのか、そんな風に思います。

目下、開催中の十和田市現代美術館の個展のポスターの原画(十和田湖奥入瀬)が、十和田ではなく、ここ兵庫県立美術館に展示されているそーな。なんで?

今日は小旅行で疲れた。多少負荷をかけて、体力を試してみたかった。ぼくの悪いクセでもある。

2017年07月28日
やっと退院しました。まだ喘息発作は起こっている。夜中がひどくてぼくと一緒に寝ているおでん(猫)が仰天して飛び跳ねている。これがおかしい。

今日、久し振りで下界の人が訪ねてきてくれました。名古屋から愛知県立美術館長の南雄介さんと東京都現代美術館の学芸員の藤井亜紀さんの2人がぼくの誕生日に毎年デビッド・ボウイのTシャツをプレゼントしてくれますが、あれから15年間、全15着のボウイのTシャツのコレクターです。

やっぱり下界は暑い。これじゃ喘息になって当然。治りまへん。

池上正太郎さんは朝からおかゆとうなぎ、昼も夜も、昨日も、今日も、明日もうなぎ一色だそうです。わが家は今夜うなぎパワーで喘息を吹きとばすぞ。

今夜のうなぎの前の昼は何を食べたと思いますか? 当てましょう。

牛皮(?)の中は種つきマスカット、それがどうした!

どうも下界は合わない。

デュシャンはピカビアになりたかった。

ぼくは郵便屋さんになりたかった。渥美清さんも郵便屋さんになりたかった。

もういいか。

2017年07月27日
今回の入院は大変収穫があった。喘息との入れかえに、肉体と自然、呼吸と睡眠、絵も5点制作。退院後のライフスタイルの大幅変更計画などなど、たまに病気は忘れていることの気づきになる。

入院中に浮かんだアイデアを次々消費するには10年かかるぞ。今回の入院がどれくらい延命させてくれるのだろう?

今までなら2年でできることが、これからは10年以上かかる。時間と年令にとらわれないことが何かを解決してくれるだろう。

入院中に事務所に送っていただいた手紙、メールなどありがとうございました。
酒井忠康さん(世田谷美術館館長)
蓑豊さん(兵庫県立美術館館長・横尾忠則現代美術館館長)
赤塚敏子(翻訳家)
植田紳爾(元宝塚歌劇団理事長)
轟悠さん(宝塚歌劇団専科トップスター)
谷新さん(インディペンデントキュレーター)
青木康彦さん(南天子画廊)
高平哲郎さん(プロデューサー)
花柳壽輔(日本舞踊家)
その他の皆様

僕は夏休みを取るのが下手だけど今年は少しづらしてお盆に帰郷する計画を立てている。自分の墓は数年前(10年?)に造った。死んでまさか墓石の中に入るとは思わないが、先祖と通じる装置としてあってもいい。子供がもし親を想いたくなったらここへくるといい。

知識人は死んだら無になるという。その方が知的で哲学的でカッコイイですよね。でも実際には現代人の多くが輪廻転生を信じているといいます。僕は古い人間で凡人だから死んで無になりません。

むしろ常に自らを死の領域に置いて、この現在を眺めるようにしています。生から死を見ると何も見えないので無だと言っちゃうんじゃないかな。

私の中には霊魂がいます。肉体のどのへんにいるんや、と聞かれても知らん。でも肉体の中のアストラルボディ、エーテルボディの中にいると思っています。

ある日、横になっている時、急に身体が15cmばかり浮き上がりました。見た目には浮いていないと思いますが、ぼくの中のアストラルボディが浮いたのです。それが霊魂みたいなものだと思うのです。この時、ぼくの肉体が殺されても、浮いているぼくは死にません。

お盆になるとついこーいう話になりますが、死者が自分たちのことを想い出して欲しいので、われわれの想念の中にメッセージ化したがるんじゃないかな?

何を非科学的なことを言っとるんじゃと言われますが、死をテーマにした絵ばかり描いている僕はいつも死者のことを想っています。するとスルスルと思いもしなかった絵が描けるんです。

渡辺憲人さん「言葉を離れる」(青土社)、「千夜一夜日記」(日本経済新聞出版社)、「本を読むのが苦手な僕はこんなふうに本を読んできた」(光文社新書)「今」の僕がそのまま露出している本を読んでくれて嬉しく思います。このタイプの違う三冊には「今」の僕と未来が全部が入っています。生きている間にいいたいことばかりです。

死んだら死んだで「何か」言う本を出しましょう。

酒井忠康さん、いつも本を読んでいて、読まれるだけ勉強になっているのです。またいつも友人の心のこもった手紙は宝物として大事にしています。

朝の三時起きが定番になってしまって、早速タマの絵(5点目)にとりかかる。身体はまだ眠っている。こんな状態で描くのが、無意識と潜在意識のコラボとアート(この言葉は嫌いだ、古い芸術の方が好き)で、交感神経と副交感神経が最大に自律神経のバランスを取ってくれる。絵は薬にも毒にもなる。だから、天使や悪魔が降りるというのだ。

死者の想像力をぼくは利用する。(模写はパロディじゃないよ)自分の想像力なんてあってないようなもの。ではない恩讐の彼方からぼくは点滴を受けている。

大変申し訳ない。20人ばかりの古い書評委員の人3人位しか知らない。あとの人の名も顔も職業も憶えられない。難聴で会話が交せないので口無になっているだけだ。聞こえない、言葉から離れた言葉の仕事をしている。絵のためには健康だ。皆様の顔を見ながら実は見えないキャンバスで頭の中にデッサンを盗み描きしているんですよ。失礼!

人間は地位や権力を守るためにはとことんウソをつける能力を持っているらしい。人間には好戦的なDNAがあるように。証拠書類の事実だけで追求してもなんとなく逃げられてしまう。野党の中に、もっと心理学や哲学や宗教道徳、そして芸術をも視野に入れた質問者がいないかぎり、事は永久に続く。

気圧のせいか、かつてないほど血圧が上がった。他の6人の喘息患者にも同じ症状が。2人の人はぼくと同じように危険水域ギリギリだったそーだ。

雨はうれしい。身体も嬉しいが玄関のメダカの水域が上がるのが嬉しい。

絵の合間にツイッターを書いている。人のためというより自分のための方が大半だけどね。

眠れないので朝5時にタマの絵を描くが、歩くとフラフラする。本当に無重力状態に近い感じ(経験ないけど)、でも絵は無重力がいい。しっかり足が地に着いてます、腰が座っていますような絵だけ描きたくないので、このフラフラは絵の源流なのよ。

絵というのはどこかでヤケクソにならなきゃ絵にならない。正直で生真面目な、細い、優しい、親切な、道徳的な倫理的な、人のいい、人の気づかいをよくする人は、それなりに観念的な人や詩人好みの人かも知れないが、まあ自由な絵は描けへんのとちがうか。

先ずなりたきゃ精神の破綻した人間になることやなあ。

それでも人間はどこかで自己を制御して保守化に流される。

そのくせ根底に愛と平和があるので、単にムチャクチャというのではない。

急にシャックリが出て止らなくなった。最初は面白かったけど今では苦しい。以前高倉健さんが遊びに来られた時、3日間シャックリが止らないと言って、2日後沖縄から電話があった時、まだ止まっていなかった。

病院の先生の著書「長生き呼吸」の本に習って腹式呼吸をしたらピタッと治った。

入院してから直観が敏感になっていることに気づく。色んなことが当ったり、思わぬものが手に入ったり、シンクロニシティが起こったり、下界では考えることが多いけれど、ここでは余計なことを考えることがないので、身体の声が代ってやってくれているみたいだ。

直観がにぶいのは喘息ぐらいだ。これはきっと医学的に考えるので脳のテリトリィだからだろう。

もう40~50年位になるかな。群馬県の釈迦の霊泉というところからズーッと一度も切らさずに水をポリバケツで送ってもらっている。冷蔵庫に入れなくても腐らない。万病の素であんまり不思議だといってドイツから調査にきて驚いている。お問い合せあれ。https://www.shakanoreisen.com/

久し振りの雨は風景もモーローとして横山大観の朦朧派絵画みたいでいい。僕の身体も朦朧派だけどね。

加計問題だけは(勿論森友も)NOをYESに変えるまで何年かかっても徹底的追及しなければ、日本人個人の危機だ。芸術も機能を失う。

この程度の政治家なら中学生でもできる。藤井四段のような天才もいるんだから。

あゝ、政治の話は止めよう。嫌いじゃないが芸術のプロパガンダは社会化し、メディアには受けるが、本当の芸術は人間の内部の追求だ。

それにしても重大な問題をテーマにしているのに番組内でジョークを言って笑ったりしている人が意外に多い。その人たちにはその人たち用の番組に出演させるべきだろう。

ターゲットになっている議員の当人達は新聞(タブロイド紙も)テレビも週刊誌も見ていないのじゃないか? 怖くて!

2017年07月25日
土用のうなぎ——食べたいですね。今まで家では毎週のように「土曜」のうなぎなんて呼んで土曜日に食べていたんです。病院にはうなぎがいないみたい。

1日に水を物凄く飲むので、「お小水何回?」と聞かれると10〜20回と答えている。うそみたいでしょう。

コンビニは滅多に行かないけど病院内にあるのでよく遊びに行く。行くと何かしら買ってしまう。子供が駄菓子屋に行く気分になるのかな。

今朝は朝日新聞の書評委員編集者の依田さん加来さんがヴドーを下げて編集長の吉村さんの昆布をお土産に持ってきてくれる。ヴドーも昆布も尿酸値を下げてくれるので嬉しい。

父が喘息だったのが遺伝したのかな。他にも父の遺伝はいっぱいある。一番怖いのは父の夢遊病者と寝言だったけれど、自分ではわからない。

最近は九九が言えなくなった。数字を疑うことはないけれど引算も難しい。ポケットからガサット小銭を出して店の人にお金を選んでもらうことにしている。この方が間違いない。

ぼくは昔から財布と腕時計は持ったことがなかった(腕時計はスウォッチのデザインをした時から持っているけれど)。

体って何を考えているのか、何がしたいのか、体の持主の自分でもさっぱりわからない。お医者さんだってわかっているのか、どうか、まあ両者を信用するしかない。

全てポジティブになろうとしなくてもいい。両方あっていい。そう体が言ってるんだよな。

入院中なのでツイートも病床日記みたいになって鬱陶しいですね。人の不幸って結構同情しながら「アーッ、ソウ」なんて話題にしたくなるんですよね。

前に書いたかな。僕は死んだタマの絵も40点位描いているけれど、ほとんど外出時や旅先きにキャンバスを持っていって時間の合間に描いているんですよね。

そんな絵が40点今十和田市現代美術館で他の作品(新作もあり)と一緒に展示しています。勿論、十和田の旅館や美術館で公開制作したものも。

死んだタマと同行二人的に旅をしている気分で描いているってわけ。

写真的な絵で芸術じゃないですよ。だってタマのレクイエムなんだから芸術にしたくないわけ。でも、この一連の作品を見たオノ・ヨーコさんが「ヨコオさん、これこそ芸術よ!」と言うから「なんで?」と聞くと「芸術は愛だから、あなたのタマへの愛が芸術なのよ!」と。

そーいえばジョン&ヨーコは「愛と平和」の人だったよね。

ヨーコさんは毎年日本に来ていて、必ずアトリエに遊びに来てくれていたんだけど、最近、足を悪くしちゃって、来れないのが残念。

僕は7年前から海外旅行を一切止めてしまったので、好きなニューヨークもパリもローマもベニスにも行けなくなっちゃった。

最後の旅行が旧婚旅行で、エジプト、ベニス、ローマ、パリだっけ、他にメキシコ、ニューヨークだったかな?

不思議なもので海外旅行を止めた途端、海外での展覧会のオファーが多くなったのも皮肉だね。ほっといた方がチャンスはやってくるみたい。

「AERA」が趣味の特集。趣味か仕事かを相対的にとらえている。こんなもんはごっちゃでいいもんだ。分けることもない。趣味がないと言い切ることもない。生きていること自体が全て。そこへ趣味など導入することもない。芸術はそんなややこしいことを考えないよ。デュシャンを見ればわかるじゃない。

「AERA」の趣味特集の中でみうらじゅんだけがいい。あとは考え過ぎの発言ばかりで社会を意識し過ぎ。その点みうらじゅんは、いつも不安でゆらいでいる。たまに世の中、人のための発言もあるけれど本心は自分なんだ。他の人は自分から離れ過ぎていて、ジャーナリスティックだった。

みうらくん、一回、あんたのテレビやメディアでない、たてまえじゃない素顔をみせてちょうだいよ。グラスを取れという意味じゃなくてね。

このツイッターが伝わらなきゃ、誰か伝えて下さい。彼に。

平野啓一郎さん、こんな状況で、日時を延期してもらったけれど退院のあとすぐ会いましょう。

糸井重里さん、申しわけない、こーいうことで。近い内連絡します。話って何かな?

中沢新一さん、久し振りだったね。それにしても本質的なこと言ってくれて感謝しています。あのこともう少し突っ込んで話してくれますか?

戌井昭人さん、面白い出会いのエッセーありがとう。芥川賞はおあづけだったけど、楽しみと苦しみが先送りになってよかった、よかった。

坂本龍一さん、今ニューヨーク? そっちへは行けないので、こっちに来た時まってますよ。

細野晴臣さん、対談集の話あったけど、出版社が集めているのかね? 古いのもいいけど、語り下しの方が「今」が語れていいんじゃないかな? 返事頂戴。

瀬戸内さん、「文藝春秋」の井上荒野さんとの対談凄過ぎますね。あんな話聞いたことなかったです。

浅田彰さん、神戸から青森へと本当に感謝しています。神戸で会うのが楽しみだけど、喘息が激しく話がしにくい状態で入院中です。また入院なんていわないでね。

保坂和志さん、こんなわけで倒れました。留守の間の猫(おでん、ツートン、パソコ)が気になります。保坂さんちの猫はOKですか?

磯崎憲一郎さん、「文藝」の鼎談、病院でもいいよね。でも声が出ない、残念。

一柳慧さん、対談、急に延期してもらって申し訳ないです。でもテーマが面白いので楽しみです。退院したら連絡します。

佐藤愛子さん、まさかの入院で、折角早くやってもらったのに遅れています。年内までには出ると思います。スミマセン。

磯崎新さん、あんなに早くやってもらったのに、この間に建築が一軒できるほどの時間がかかってしまいました。もう少し待って下さい。

細江英公さん、元気ですか。こっちはこんな具合で伸びています。もう少し待って下さい。だけど面白かったですね。

李禹煥さん、今海外かな? 久し振りに話して最高に面白かったですね。目下編集中です。

南雄介さん、名古屋は如何ですか? 近い内に会いますよね。それまでに快復のつもりです。藤井さんにもよろしく。

小池一子さん、ドイツからはもう帰国? 十和田市現代美術館の個展始まりました。あとよろしくお願いします。耳と声がダメージ受けているのでトークはどーかな? 体に相談します。

朝日新聞書評委員会編集部の皆様、てな具合で出席できずスミマセン。

山田洋次さん、お見舞、話している間に少し元気になりました。東宝スタジオのクランクイン楽しみです。また監督室に私設アトリエをよろしく。所変れば(作)品変ります。

大和悠河さん、元気? こちらはNO元気だよ。今、何のステージやってんの?

ツイッターは日記ではありません。日記は「週刊読書人」という書店で売っている新聞に毎日の日記を連載しています。直接注文もできます。とうとう連載が300回になりました。

2013年7月8日から2016年5月8日までの4年間の克明な日記は「千夜一夜日記・横尾忠則」(日本経済新聞出版社)と題して出版されています。アマゾンの方が早く入手できます。

ついでにもう一冊PRさせて下さい。この間からご紹介していますが新刊「本を読むのが苦手な僕はこんなふうに本を読んできた」(光文社新書)は8年間、朝日新聞に連載してきた133冊の書評本です。この一冊で133冊読んだことになります。(ホント)。何度もうるさく書くのは年を取ると同じことを何度もいうそうです。どーやらそれです。

残った時間が少ないからその間に色々しゃべったり、書いたり、描いたりのくり返しが起こるんじゃないかな? 若い頃の生き方がそのまま当てはまるとは思えない。時間をコントロールするのは全て絵がそれをやってくれる。だから絵がいちばんエライってわけ。

2017年07月24日
ブッダは与えられたものに幸せを見る、というが病気を与えられて、そう見るほど修行ができていない。

昨日などは咳で呼吸ができなくなり地震のように胸と腹が激しく波を打つ。吸入と酸加入と点滴とステロイドで難を逃れるが定期的に襲ってくる。さすが現代医学の威力は強い。現代医学がない時代は大勢の喘息患者が命を落としたことだろうなあ。

でも僕に与えられる薬はほとんど漢方だ。僕の中の東洋思想を病院が理解してくれるからだ。

昨夜は病院から目の前に大きな花火が上がった。8月の花火大海本番のためのリハーサルらしい。

僕の持病のひとつは喘息だけど、他にも山ほど持病がある。だから多病息災だ。内田百閒に「多病息災」って本があったよね。

無病息災って人がいたら見てみたい。「ハイわたし」、「ハイぼく」って人いっぱいいるんだろうなあ。

病院生活はつらいけれど、一端日常生活から離れるので思わぬことを考えたり、思ったりする。

現実にやること、すること沢山あるけれど、別にやらなくてもいいような気がする。やらないことであたり前じゃない生き方の方が新鮮かもね。

病気になって考えることは、競争するってこと。何と競争してたのかと思うほど見えない何かと競争していた。見えないんだったら競争の意味ないんじゃない。だから競争は「ヤーメタ」。

病室から広い夜景が見えるのが嬉しい。都市のあのファンタジーみたいな夜景は見られないけれど、ここはもっと素朴な夜景だ。薄いカーテン越しに見ると夜景が水に映った夜景になるのは幻想的だ。

毎日、次々と新しい看護師さんが部屋にやってくる。一体何人いるんだろう?

毎日が一喜一憂の連続である。スリリングだ! と言いたいが、まだまだ、そこまで悟れてまへん。

この季節は全く喘息のでない時期なのに変だ。では冬には何がでるんだろう?

退院したら何をしよう。世界十周旅行かな。

誰に会いに行こうかな? 会いたい人はピカソもデュシャンも、キリコも、ピカビアも皆んな死んでいる。だけど死んだら知っている人、知らない人に片っ端から会ってやろう。

死んだら無だと思う人は残念だね。

死んでから、生きている人に会いに行ったら「お化けだ!!」といって怖がるぞ! 誰を怖がらそーかな?

病室には週刊誌の山だ。政治スキャンダル、芸能スキャンダル(余り興味ないけど)何んでも知ってるよ。ついでに世界スキャンダル情勢も。

芸術と通俗は蜜な関係があるからね。でも僕は絵の中には社会問題は取り入れまへんデー。

昨日の明日、明日の前日は、今日だ。

大昔は昨日、今日、明日も、今日だった。南洋の長老で自分の年令を知らない人がいるそうだ。彼は毎日が今日だから、年令など関係ない。

宮本武蔵は老齢でも若者三人もたたっ斬った。精神の力ではない。死の恐れがないからだ。

死の恐れが老化を早める。だから見た目に若いことは大事なんだ。

病院のロビーに新任医師紹介の写真入りのチラシがあった。研修医の一人に美人がいた。来ないかな? と思っていたら本当に来た。こーいうなんでもないことを不思議に思うところに芸術があるのだ。

病院の一日は長い。これといって欲望がないからだろう。欲望の多い人は一日が短い。

あれこれ考えなくとも、病院の考えに合わせていれば、欲望など持ちようがない。

点滴時間は好きだ。点滴の中には過去の郷里の思い出や記憶が入っていて、それが体中に注入される。ぼくはいつもあの日、あの時、あの人たちからの点滴を注入してもらっている。

病院の先生は守護霊や指導霊だと思えば、いくらでも思うところに導いてくれる天使の存在だけれど、思わなきゃ、悪霊に見えるだけだ。

脳を正常にもどすためには非日常的環境に肉体を持っていけばいい。

病気は結果ではなく、絵と同じようにプロセスだと思う。

職人は朝、起きたらやることが決まっているけれど、芸術家は何をやるかは決まっていない。

不眠が続いている。余計な努力のせいだ。努力は自我を強めるだけだ。

十代の後半の人生は今から思っても最高だった。自然にまかせて、努力は最少限に押えていた。なるよーになるように身をまかせていた。

あの頃は単純だった。歳を取るに従って複雑になってしまった。

生活も人生も絵も、極力単純でなきゃダメだ。知識をつめ込むと複雑になる。

マグリットは複雑な観念を単純に描く。

ダリは単純な観念を複雑にしてしまっている。

ピカソは単純と複雑を上手く統合している。

父は河内のブドウの産地に生まれながら、ブドウのことをブローと呼んでいた。そのせいか、戦後、父はブローカーをやっていた。

父は「使」と「便」の区別ができず、「小使」のことを「小便」と書いていた。

病院内をパジャマを着て帽子を深くかぶってマスクをしてサングラスを掛けて歩くと、誰もが無視する。

院内のコンビニに一日中、足を運んでいる。買う必要のないものまで買ってしまう。ストレスの解消だ。

朝、起きて鏡を見ると、ブチャムクレの顔をしている。

体調が悪いと絵の体調は良くなる。つまり健康な絵ってつまんないってこと。

先々週、1日入院したあと、治ったと思って少し無理をしたのが祟って、再入院。声が出ないので体力がないのか、体力がないので声が出ないのか、どっちなんだ?

病院で出る薬は僕の場合は漢方にしてもらっている。ケミカルはどうも合わない。

院内のコンビニで弁当を選ぶのは結構楽しい。生活者になった感じがしていい。

その気になれば一日に2点は描ける。病室がだんだんアトリエ化してきた

鞍馬天狗が馬に乗って走る。その馬の尻尾に鯨が大きな口を開けてかぶりついている。そしてカタツムリの大群が追ってくる。雲が描く物語だ。

雲は常に動いているので次々メタモルフォーゼしていくアニメだ。

昔は「ヨコオさんいるのかなあ」と誰かが聞くと「外国に行っているんじゃない」と言われていたけれど、最近は「入院しているんじゃない」と言われるそーだ。

人間って考えようとしないと何も考えないような気がする。考えない他の時間はただ、何かを思っているだけのような気がする。

僕は考えるより、思っている方が圧倒的に多い。

僕の場合は絵は考えではなく、思(想)いだと思う。

考えは言葉にできるけれど、思(想)いはどうも言葉にしにくい。絵にするのは問題ない。

夢を言葉で表現するのは難しい。夢は考えではなく思(想)いなのかも知れない。

でも小説家は思いを文章にするんだから大したものだ。それができる人は小説家になり、それができない人は、僕みたいな職業につくのかも知れない。

日本人はもともと思いの民族だと思っていたけれど、それが現代では考えの民族(?)になっているように思う(いや、考えるか?)。

英語は考えも思いも同じ言葉だけれど、日本はちゃんと二つに分けられている。でも「思考」という二つが合体した言葉もある。

僕の仕事はビジュアル・ランゲージ、つまり視覚言語っていう職業らしい。

それにしても、なんで視覚も言語化しなきゃいけないの?

2017年07月21日
まだ入院しています。土曜日には退院したいんだと脳は言う。けれど、身体が「待て!」と言う。

僕の脳は身体である。脳より身体の方がエライのだ。

絵は描かないと下手になる。だけど上手な絵よりも下手な絵の方がましだ。

長く描いていないと、描き方を忘れることがある。

去年だったか、骨折で2.5ヶ月入院していた時、歩き方を忘れかけていた。

年を取ると若い頃と反対のことをするといい、ということがわかってきた。といって逆立ちして歩くわけにはいかない。

ここんところ毎日水をペットボトル4本は飲む。そのせいか数値が下がってきた。薬より水の方が薬だ。

声が正常にもどらない。まるでワニみたいな声だ。ワニの声は聞いたことないけど。

夜の病院ってシュールだ。デ・キリコの形而上絵画みたいだ。

週刊誌のスキャンダルの前ではアートのスキャンダルは影をひそめているよな。

アートがスキャンダルだった時代は終ったのかな?

僕の60年代は自分が自分のスキャンダルだった。自分で自分の描いたポスターにびっくりしたもんだ。

自分の作品にびっくりするようなものを描かなきゃスキャンダルとはいえないよね。

今、自分にびっくりするものは何んだろう? 自分の身体かな?

芸術意識をはずせば、芸術ってそー難しくないはずだ。芸術意識を持ち込み過ぎると芸術から遠ざかる。http://bit.ly/1Xgurj

病院の中はアートの宝庫だ。何が? それは内緒!

肉体を非日常に置くこと。入院すればいい。

入院していると人としゃべることがないので、ついツイートが多くなる。まるで仕事のようにどうでもいいことをしゃべっている。

デュラン・デュランが来日公演を行う。その時ポスターを作って欲しいと。公演用の日時や場所の入った営業用のポスターじゃなく、作品としてのポスター(販売用)を描いて欲しいと。他に版画も。

ポスターの仕事は神戸の自分の美術館の個展のためぐらいだ。たまの他流試合なので、楽しみだ。

現在ソウル美術館でカルティエ現代美術財団展開催中! アーティストの肖像画30点出品中。ソウルに行ったら、ぜひ。このあと上海でも。

現在、禁断症状中。禁断症状がないと爆発(太郎みたいでヤだね)しない。

以前は入院すると珍しがって見舞客の対応で忙しかったが、最近は一年に一回。誰も心配してくれない。お遊び程度ぐらいにしか思われていないんだろうね。こんなお遊びが続いて、いつか人生が終るのかな。

病室から空の雲を眺めていると、次々といろんな具象や抽象が描かれる。これはかなり面白い。こんなことに面白がるのはよほどの暇人で、アーティストではなさそーだ。

くだらないことを考えるのは決してくだらないことではなく、むしろくだることを考える方が、くだらないんじゃないかなあ。

今までどこへ行っても若かったのに、最近はどこへ行っても最年長者だ。

2017年07月20日
現代美術が環境を問題にするようになった現在、僕はピカビアがそーしたようにあくまでも絵画に創造の場を求めてきた。描くという原初的な身体性からは離れないつもりだ。絵画にはまだまだ未解決な問題が残されている。肉体年令には限界があるが絵画年令にはそれがない。

美術で社会を変えたいという気持はないが、自分を変えたいという気持はある。

色んなものを見て、色んなものを知りたいという僕の中の好奇心の時期は終った。この歳でそれを求めると自分を小さくしてしまうような気がする。

それよりも、かつて吸収したものを吐き出すことの方が先決だ。

入院していると運動不足になる。脳の運動不足はかえっていい。

3日間前から声がガラガラで、しかもつまっているので大きい声が出せない。人前では話せないほどひどい声だ。その代りといったら変だけど3年前からの足の親指の骨折の痛みが取れている(というか取れかかっている)。声と足ならどっちを取るかな?

昨日、病室で初めて絵(タマの絵)を描いた。所変れば絵も変る。絵は無理に変えようとしなくても環境を変えれば自然に変る。

7〜8年前から海外旅行に行くのは中止した。時差ボケで、帰国後不眠症になって、体調を崩してしまうからだ。第一あの飛行機のエンジン音がいやだよね。またピタッと止っているのも不気味だ。新幹線は揺れているから安心するのよね。

初めて海外旅行をしたのは1964年だった。東京オリンピックにヨーロッパから選手がやってくる。その飛行機が帰りは空になるので、それを利用すると安くなるというので行ったけど。3週間で確か75万円だった。

今から思ってもメチャメチャに高いよね。なんであんなに高かったのだろう。だから一生に一度の海外旅行だと覚悟したもんだ。ところが飛行機が揺れだした。見ると雲海から真黒な竜巻が悪魔のように宇宙に梯子を掛けていた。生きた気がしなかった。

飛行機で怖い目には何度か遭っているね。アメリカから帰国する時、アンカレッジ上空で物凄い何百メートルものエアーポケットに落ちた。森山大道さんと一緒だって、お互いに死ぬと思って靴のヒモだけはしっかりしめた。海に落ちた時、裸足の死体になりたくなかったからね。

アンカレッジに着いたら「全員降りてくれ」と言う。機内の点検だという。森山さんと二人で最後まで、降りないでねばっていると、機長が来て「この飛行機に爆弾が仕掛けられているから」とにかく降りろという。ウソだと思ったけど、何もなかった。二人を降ろすためにウソをついたんだろう。

ホンジュラスで飛んでいるセスナのドアが開いたままで、落ちそーになったこともあった。仲間のひとりは気絶したんだぜ。

ハワイでヘリのドアをはずしたまま飛んだ時も怖かったね。カメラマンはロープでヘリに結ばれたまま身体が外にぶら下がっているんだもん。そのパイロットは横見していて、あわや崖に激突するとこだったよ。

アマゾンや、中南米のベリーズに行った時も、今考えるとよく生きて帰ってきたと思うね。こんな怖い体験がぼくの絵を怖くしてくれるんだから、まあよしとするしかないよね。

病院の一日の生活は吸入と酸素と血圧と体温を計るだけで特別の治療はない。時々、先生が来て、会話をする。あとは院内では自由行動。これじゃ、家にいたり、ホテルに入っていてもいいようだが、やっぱり病院でなきゃいけない何かがある。

その何かは下界(外界)と隔絶(バリア)されていることだ。すると禅寺に似てなくもない。禅寺に参禅していた時も外界と隔絶されている。この隔絶に秘密があるのだ。

その秘密は日常生活から隔絶させられるということだ。

日常はどうも煩悩の世界らしい。煩悩を断ち切ることで、身体または心を調整して、人間本来の状態(健康)に戻すのだ。

禅寺はこの辺のことを修行という形態をとっているが、病院は別に修行の場とは言っていない。ぼくが勝手にそー思っているだけだ。

そー考えると禅寺も病院も、そして絵を描くこともさほど違いはない。絵を描くことは病院でいえば養生だし、禅寺では修行とか作務ということになる。

2017年07月19日
咽がつまって声が出にくい。出てもその声はかすれて会話にならない。咽と耳がつながっているので難聴はさらに難聴である。入る言葉と出る言葉が不自由というだけで、言葉を必要とする思考まで怪しくなる。ついでに絵が怪しくなるのは大いに結構。

窓を開けたまま眠ったので、そのせいで咽をやられたらしい。きっと夜気が忍び込んだのだろう。

日野原重明先生が100歳で死去された。上手に生きた方は上手に亡くなられるような気がする。

生き方の下手な人もいるけれど、だからといって死ぬのも下手だとは一概に言えないんじゃないかな。

三年前の足の指の骨折がズーッと痛んでいたのに先週の入院以来、痛みが和らいでいるのはなんでだろう。身体ってわからないことが多過ぎる。まあ、わかるのは身体も常に変化しているということだ。

健康っていうのは、常に変化している状態のことをいうんじゃないかな?

ぼくにとって健康とは、眠ることである。ぼくは眠りが人一倍下手くそである。大事業である。ぼくが眠るのが下手なのは、眠る瞬間を見届けてやろうと思うからだ。そんな瞬間てのはあってないものだ。だからこそ見極めたいってわけ。

よく芝居を観ながらウトウトする瞬間ってあるでしょう。「あっ、眠る、眠る」って、あの瞬間の快楽をベッドの中で再現したわけ。毎晩寝室で誰かが芝居を演じてくれれば問題はないんだよね。

夢を見ない夜はない。昔の夢はSFファンタジーみたいで面白かったけれど、最近は日常とそう変らない夢ばかりで、これじゃ夜中も昼間と変らない。というか意識と無意識の区別がなくなっている。ゼーンブ顕在意識って感じで、これじゃ、イマジネーションはどこから来るんだ。

意識と無意識が結合されるとシンクロニシティ(共時性)が起こるとユングが言っていた。両者を結合させるためには夢を記述するといいという。

ぼくは昔から、20代の頃から今日まで夢日記を記述している。だからシンクロニシティは特別のものとは思っていない。

都心のマンションの住人がうらやましいですね。毎晩SFの世界なんだから。樹に囲まれたわが家は空なんか見えまへん。だからタマの入院がタマらないのです。

夢日記は書いているけれど、夢を絵にすることは滅多にない。もしかしたら描く絵の中に同化しているのかも知れない。

人間が死んじゃえば、現世のことを「長い夢を見ていた」と思うんじゃないかな。

この世は全て夢だと思えれば、あれこれ考えずに、なるようになることを、ジーッと観察していればいいってことになるんじゃないかなあ。

朝、起きて寝るまで、「今日はまるで夢のような一日だった」と思えれば、欲望など必要なくなるんじゃないかなあ。

夢を実現しようと思って、あれこれ求めるんだろうけれど、求めるものがない人にとっては毎日が夢の中にいるのかも知れないね。

2017年07月18日
新刊「本を読むのが苦手な僕はこんなふうに本を読んできた」(光文社新書)を店頭で発見してくれました? アルチンボルドの絵の表紙はいいでしょう? ぼくの出す本のほとんどの表紙は西洋の有名画家です。表紙にしてコレクションしています。

それはそーと昨日退院しました。といっても1泊2日の入院です。風邪と喘息のコラボです。一気に熱が上がったのでスワ肺炎と思って病院に駆け込みました。今は平熱に近く、でもまだ咽がチクチクしているけれど、あとは自然治癒です。

病院の窓が凄く横に広く、パノラマ風景を見ているよーで、夜景に縁のない街に住んでいる、病院からの夜景は最高。それにしても深夜遅く、夜間飛行の多いのには驚きました。次から次へとやってくる光体を眺めると眠れなくなる。

都心のマンションの住人がうらやましいですね。毎晩SFの世界なんだから。樹に囲まれたわが家は空なんか見えまへん。だからタマの入院がタマらないのです。

再び病院にUターン。治ったと思ったのは幻想。入院は一種の転地療法。治ったと判断したのは脳。身体の判断の方が正しい。

病院の検査は嬉しくないけれど、まあ従いましょう。入院は飛んで灯に入る夏の虫みたいだよなあ。

まあ、健康がなによりです。頭に従わず肉体に従って下さい

病院ですることは検査、点滴以外はボーっと無為でいること。これは入院の特典だね。皆さんも入院したつもりで何もしない無為の時間を持って下さい。

無為ほど有為な時間はないですよ。

難聴だからテレビを見ても聞こえない。聞こえてもスキャンダルばかり、スキャンダルは週刊誌がちゃんと解説してくれる。何度も言うけれどスキャンダル記事はホントに仏教の修行になる。自業自得、因果応報の理法をちゃんと踏んでますからね。

訂正します。新刊、朝日新聞に8年間書いた書評本(光文社新書)エーッと、タイトル思い出せない! 15日発売と書いたけれど17日だそーだ。

病気には転地療法は絶対だと思う。入院と同時に元気になったような気がする。病いは気からって本当だよね。

退屈すると思ってキャンバスと絵具を持ち込んだ。まあ、今日は大人しくしていて明日からお絵描き療法を始めよう。

いつも同じアトリエで描くよりも場所が変った方が気分転換になるので、絵のためにもいい。ぼくにとって肉体は意志なんだ。

入院はスケジュールがいっぱいあって、忙しい。入院であっちへ行かされたりこっちへ移動させられたりで、これを面白いと思って楽しまないと苦痛になるかも。

院内の移動時「私は行けないけど」と看護師さんにいわれたので「若い人でいいですよ」と言うと、「私だって若いわよ!」と叱られた。「失礼しました」女性はいくつになっても「若い」んだ。

2017年07月14日
新刊が出た!! 8年間(2009-2017)に朝日新聞に発表した133冊の書評全部をまとめた書評集。タイトルは「本を読むのが苦手な僕はこんなふうに本を読んできた」(光文社新書)朝日新聞の書評委員を勤めるまでは書評など書いたことがなかった。だけど長く書かせてもらっている。

先ず表紙を見て下さい。アルチンボルドの本でできた人間の絵です。今、西洋近代美術館でアルチンボルド展が始まったばかりだ。この表紙はかなり前から計画していたので、アルチンボルドの展覧会とまさかシンクロニシティを起こすとは思いもよらなかった。ぼくがびっくり。

この本の帯文には「この本の中に、僕の考えてきたことがすべて入っています」はホント! 言いたいことは書評を借りて言っちゃいました。内容は28の項目に分類して、読みやすくしました。

この本は生涯一冊も本を読まなかった両親に捧げることにしました。

本を読むのは今でもニガ手です。読んだ尻から忘れてしまうから、書評のために二度読むことがあります。

新書で書評本を出すのは珍しいですよね。こんな話を持ってきてくれた光文社新書の考え方に「ヘェー!」と思って出しました。¥840

この本一冊読めば133冊を全部読んだことになるといいたいが、そこはあくまでもぼくの読み方なので、読者には読者の読み方がある。

2017年07月13日
致命的なのは喘息らしい。炎症を起こしていて自分では気がつかないが咽がゼイゼイいいつづけている。ゼイゼイ音だけで歌を歌うことができることを発見する。楽器では出せない音で、映画の擬音のように風のヒューヒューという音がでる。

ベッドが狭くてころがり落ちるので大きいソファーをベッドの横にくっつけてもらってダブルベッドにする。これで暴れまくれる。

4階の広い窓からは大空と病院を取り囲んでいる樹木が見え、その向こうには高層ビルが見えるが川崎だろう。右の上には夕方と朝には富士山が見える。

難聴なのに耳鳴りがうるさい。耳鳴りだけは難聴もお手上げだ。

病気や入院の鬱陶しい話はやめよう。でもひとは時に、生活の変化を取り入れた方がいい。日常の流れに流されないためには滅多にやらないこと、例えば入院とかね(笑)

どーいうわけか日常から離れた場所の時間は長く感じる。思考が停止するからだろうか。逆に絵を描く時はいつも意志の流れを停止させないで描き続ける。だから短時間で仕事がはかどる。

時間って平等じゃないね。不平等だから仕事のできる人とできない人ができるんだ。

病室の窓からの風景は次々変化する。樹木がみるみるうちに成長したりビルが突然ニョキニョキ建つのではなく、雲が動きつづけているからだ。雲は一方向に動いていない。逆の方向に動いてみたり、東西南北に移動していることがわかると面白い。

時々真黒い小さい雲が低い所で発生するが、どうしてこの雲だけ黒いのかわからない。

病院の患者で時々、びっくりするほどの美人に出会うが美人でも病気になるのかと思うと世の中は平等だと思えてくる。

今日は病院に逆戻りすることになった。やっぱり検査とか点滴などは入院での仕事。入院は好きじゃないけれど嫌いでもない。日常からの逃避だから、頭が切り換えられる。

点滴の水滴が落ちるのを見ているとかったるい。なんだか禅の修行をしているようだ。

点滴は時間がかかる。こんな急がしい現代社会で点滴ほどのろい動きはない。退屈だからそんな点滴の装置を絵に描くが、のろ過ぎるので何枚でも描ける。

さあ点滴が終った。次は? 吸入器は先っき終ったし、このあと先生の診察で、いよいよ入室って感じかな?

もう最初から入院は一晩だけと決めているので、今日と明日はしっかり診てもらいたい。

玄関で酸素の量を計って、ちょっと少ないとかで車椅子で診察室に連れていかれて、吸入器をして、点滴。さてこの間はどこ?

2017年07月12日
昨日から体調を崩したらしい。病院に行くと、咽がやられているので風邪らしい。夏風邪はつらい。点滴を打つが変りばえはない。昔は点滴はありがたいものだと思っていたのでよく効いたが、最近はOS-1を飲むのと変りないことを知ってからは効き目が落ちた。

夜になって熱が上がり、汗が噴き出し、一晩中眠れない。点滴液が全部尿になって出るので夜中に5度も起きる、おかげで一睡もできない。そんなことで今日から入院!

と思って入院一式持って、さらに絵具とキャンバスを持って病院に行くが、いつもの部屋が明日から空くという。それじゃ明日入院と思ったが、気が変って、吸入器をしただけで荷物一式持って帰る。こんなことをしているのでますます病人らしくなっていく。

アトリエのソファーでボンヤリしている方が回復しそうだ。入院するとか、しないとか騒いでいる内に少しは元気になった。騒ぐことでエネルギーが出る。

ケミカルは押える力があるけれど、漢方は自然治癒力を引き出してくれる。どちらを選ぶかはその人の生き方が決める。

今日からアトリエで入院生活だ。出張看護士さんみたいな人はいないのかしら。

この間も別の病院で老夫婦の夫の方が怒鳴りまくっていた。奥さんは耳を手でふさいでいた。今日は奥さんの方がナポリ女のように大声で物凄く夫を叱りつけていた。もっと見たかったけれど、こっちも急がしい。

病気なんだけれど病院に行くとなぜか元気に振るまいたくなるのはどうしてだろう?

病院で老人を眺めるのは楽しい。ぼくより若い老人、ぼくより老いた老人。そんな老人とぼくを比較して、勝った、負けたと喜んでいるぼくは一体何者だ。

病院の患者で時々、びっくりするほどの美人に出会うが美人でも病気になるのかと思うと世の中は平等だと思えてくる。

ぼくみたいに病気の常連でも病院は見るべき風景が沢山ある。たまに病院のロビーで色んな人達を観察すると、勉強になるよ。人間の生老病死を考える機会だ。

熱がある時、ツイッターを書くと、変なことを書くような気がする。じゃ熱がない時はどうだ? といわれても困る。

2017年07月11日
難聴のため、テレビは字幕がない番組はさっぱりわからない。声が音響になってワンワン響くだけ。人と会って、何か質問したり、話かけたりしても相手の声がよく聞きとれないので「しまった! 話しかけなきゃよかった」といつも思っている。

補聴器を装着すると、周囲の環境音も同じように大きくなる。聞きたい音だけを聞くという脳のような機能が補聴器にはないからだ。

補聴器は確かに相手の声が少しは聴こえて便利はいいけれど、自分の声までが機械音に変換されるのでうるさくて神経にくるので困ったものだ。リモコンでONにしたりOFFにしたりできるのを作ってくれるといいけれどね。

それとも難聴のために、別の感覚が代行してくれるといいのに。例えば相手の思っていることがテレパシーで感じるとかね。五感のひとつを失った人だから六感に働いてもらわなきゃ。

でも聞こうとする意識が失くなれば、意外と相手の心が読めたりしてね。

画家って変な職業だ。他の物を作るなら、何らかの役に立つけれど絵はそーいう意味で役に立たない。腹が空いたからといって絵を食べるわけにはいかない。寒いからって着るわけにもいかない。だから無責任になれる。絵が責任などもったら何もできない。だから絵が自由にしてくれるんだ。
まあ、生きていること自体が悩みだから、いやなら死ねばいい。死んだらもっと悩むだろう。でも死んだら無になれると思うから死ぬんだろうけれど、死んでも無でないことに気づいたらどうします?

子供の頃から絵は描いていた。人の絵をそっくり写す模写専門だ。創作することは絵ではなかった。他人にそっくりになることしか考えなかった。他人になることは素晴しい。

ベートーベンやモーツアルトの音楽をそっくり演奏するのは素晴しい。絵だってダビンチやミケランジェロそっくりに描いて、評価されるなら、そーしたいよね。

高校出るまでは絵や写真の模写ばかりで本当がこれで身を立てたかった。どうして映画の看板屋にならなかったんだろう。

世界中の映画看板をひとりじめできたら最高だったろうなあ。そんな看板絵をベニスビエンナーレに出品するとかね。

ぼくの絵の中に映画スターを描き込むのは映画看板屋のなりそこないの証明なんだよね。

実際の人間より虚構の人間の方がずっと面白い。何をやってもいいんだから、制限がなく、ファントマみたいに自由に恐ろしいこともやる。だからダダやシュルレアリストはファントマを愛した。

間もなく「ファントマ」が出る。そのカバーを描いた。

2017年07月10日
夏風邪じゃないけれど、湯冷めで少し体調を崩したらしい。鼻水ばかり出る。身体から出るものは全て老廃物に違いない。「出るものは出す」しかないだろうね。出るものが終った時が「治った」印じゃないかな。

鼻水みたいにどんどんアイデアが出ればいいけれど、なかなかでてくれない。アイデアは老廃物ではなさそうだ。じゃ、なんなの?

なんだかわからないものがアイデアだよ。頭でわかって出るアイデアは大したことがない。なんだかわからないで出るアイデアこそ本物だ。

なんでこんなものが描けちゃったんだろうと、他人ごとのように思えるような作品でなきゃ、ぼくにとっては意味がない。

自分の能力なんて、ちっぽけなものだ。頭で考えたものだからね。そんな自力じゃない? なんだかわからない他力の協力がなきゃ作品にならないんだよね。そーでないものは作品とは呼べない。

「悩む」ってことは、何かが欲しいからだろうね。何もなきゃ悩めないじゃない。でも人間は悩むように出来ているんだから、悩みましょう。
まあ、生きていること自体が悩みだから、いやなら死ねばいい。死んだらもっと悩むだろう。でも死んだら無になれると思うから死ぬんだろうけれど、死んでも無でないことに気づいたらどうします?

ここから先きは宗教者に聞くか、哲学者に聞くか、霊媒師に聞くしかないだろうね? でも本当のことを知っているのは自分じゃないかね。自分の内なる声に聞くのが一番だと思うよ。

でも内なる声って、自分の考えじゃないよね。自分の脳に聞いたって頭は自分に都合のいいようにしか考えないからね。そしてウソもつくしね。だから人間というか、「私」っていうのは面白いはずだ。

「文藝」という文学専門の雑誌で、ズーッと保坂和志さんと磯崎憲一郎という小説家と鼎談をしているけれど、実はどうでもいい話をしている。どうでもよくない話は頭で話すから、自分の頭だと思ってしまうけれど、本当は他人の借りものの頭じゃないかな。

芸術っていうのは役にたたないことをやる仕事だよ。世の中、人のためなんてウソだからね。役にたたないからこそ、実は役にたっているってわけ。

「文藝」の三人のページを見るとわかるけれど、大きい蟻がいっぱい這っているように、黒い太い字がベタベタに並んでいる。それはひとりのしゃべり言葉が短いからだ。普通対談などではひとりが延々としゃべりまくるじゃない。「文藝」で一番最初に読むページがここだって!

まあ、メインディッシュがないオードブルかデザートだけの料理を食っているよーなものだから、中味がスコーンと抜けているわけ。その抜けた部分は読者が補えばいいわけ。まあ空洞鼎談ってとこかな。

1日にペットボトル4本の水を飲んでいる。それなりの理由があるけれど、結構忙しい。飲むのも忙しいけれど、トイレに行くのも忙しい。暇なのは仕事だけかな?

仕事を暇にするって結構むつかしいね。若い頃が忙しくしてきたので、年をとってから暇にしようというのも結構忙しいことだということがわかってきた。

2017年07月05日
ぼくの仕事の大半は受身である。だからどんな仕事がやってくるかによって、その内容が決まるが、中には自分から仕掛ける能動的な仕事もあるが、こっちの方がしんどい。そして上手くいくのは前者である。

そー考えると人間はもともと受身にできているよーな気がする。そして与えられた仕事を能動的にやればいい。

人生も受身がいい。自然にことが運ぶし、余計なことを考えたり、余計な努力をする必要もない。その方が必要以上な欲望に振り廻されずに済む。

以前、禅寺に参禅した時、老師が言った。「良寛さんは北から風が吹けば南に傾けばいい、そーいう生き方ができれば最高です」と。人の言いなりになるという意味ではない。自然体であれ、ということだと思う。

あらゆる情報の渦の中で生活しているけれど、これを全て欲望に置きかえるとどうなる? やってみればわかる。

本当はしんどい生き方など与えられていないはずだ。本来は楽に生きられるようにできているはずだ。でも楽に生きようとすると、しんどい生き方になるはずだ。
夏には夏の果物を食べるのがいい。わざわざ季節はずれの果物を食べることはないと思うよ。毎日、西瓜とぶどうを食べてます。

夏はペットボトル2本分の水(お茶も含む)を飲んでいる。

芸術を目指すと芸術から離れる。芸術を目指さない方が逆に芸術に近づくことがあるように思う。

不眠症の人、いますか? どうしていますか?

老齢になると不眠症になりやすいようですが、このツイッターを読む人には老人はいないですよね?

老人は自分が老人だと思った日から老人になります。

ぼくは社会的には後期高齢者ですが、自分的にはなんだろうねえ?

面白がって自分のことを「老人」なんて呼んだりしますが、老人というのはもっと立派な人のことを言うような気がするので、その点は老人じゃないですね。

ヘルマン・ヘッセがインドで「これぞ、老人!」という立派な老人を見たことがあると言っていますが、ヘッセこそ立派な老人ですよね。

老人は威厳のある顔をしていなきゃ本当の老人とはいえないんじゃないかな? すると100才になっても老人にならないまま死ぬ可能性がある。

この間から、昔の知人2人に会って、「あの人はどうしてますか?」と3人の消息を尋ねたら3人共亡くなっていた。

夏には夏の果物を食べるのがいい。わざわざ季節はずれの果物を食べることはないと思うよ。毎日、西瓜とぶどうを食べてます。

不思議に思うのは、もしや死んでいるんじゃないかな? と思うから尋ねるのかな?

本を読んでいると絵が気になる。絵を描いていると本が読みたくなる。結局、今やっていることから逃避したいんだろうなあ。どうも自分の人生って、こーいう人生だったような気がする。

だから絵のスタイルがどんどん変る。つまり今やっていることに満足していないらしい。早く違うことがやりたい。その結果、スタイルが変るだけで、思想みたいなものはない。

2017年07月05日
十和田の街はガラガラだけれど十和田市現代美術館だけが若い人達が唐突にいるらしいです。行くにはちょっと遠いですかね?

昨日20年振りで高平哲郎さんに会って、高平さんと仕事をしていたAさんの消息を聞くと、かなり昔に亡くなったことを知る。今日、デザインセンターにいた駒崎さんに50年振りに会って気になる2人の消息を聞くと2人共、数年前に亡くなったという。気になる人が選りに選って亡くなっていたとは……。

他にも気になる人が何人かいるが、その人の消息を調べるのが怖くなってきた。

年を取ると同じことを何度も話すそうだが、「あゝ、また同じことを話している」と自分のことが気になることがある。でも考えてみれば、毎回違う話ばかりができるわけではない。絵だって同じモチーフを何度も反復するんだから、当然話だって反復したっていいんだ。

「その話、前にも聞いた」と言いたくなるけれど、初めて聞くような顔をするのもつらいよね。トークなど人前で話す時は、むしろ同じ話ばかりすることになるけれど、芸人はこれでいいんだけれど、こっちは芸人じゃないから困るよね。

海外旅行はここ7、8年前から止めている。そのせいかテレビの海外番組ばかり見ている。行った気にはなれないけれど、過去の旅の記憶の中で結構ノスタルジックになれる。
ノスタルジックってどうも後向きの感情なので絵にとってはあんまり歓迎できませんね。絵は感情で描くという人もいるかも知れないけれど、むしろ感情をシャットアウトして、絵は絵として成立させなきゃ。

映画「炎の人」でゴーギャンが、ゴッホを「君は感情で描き過ぎだ」と批判する場面がある。「むしろ観念的だ!」と。ゴーギャンはまるデュシャンみたいなことをいうなあと思って見たことがある。

「炎の人」のゴッホはカーク・ダグラスが、ゴーギャンはアンソニー・クイーンがそれぞれ演じたが、ゴーギャンのクイーンの方が演技的には上だった。カーク・ダグラスには秘めた狂気がなかった。これは演技以前の問題だけれどね。

シニア対象の講演会に呼ばれて行くが、質問者がまだシニア世代ではなく、若いせいかシニア世代とは直接関係のない方向の話しになってしまったかな。でもぼくがシニアなので、何をしゃべってもシニアの考えだから、まあいいか。

面白いほど物忘れが激しい。覚え過ぎるより、これからは余計なことをどんどん忘れてシンプルになってくれるといいが……。

2017年07月04日
3年? 4年前になるかな? 足の親指を骨折したが今でも痛みがある。医者がいうには30年続く! ぼくが死んでも足の痛みだけが生きている。この発想からぼくはある作品が出来た。残念ながら口ではいえないんだよな。

口で言えることなんて大したことではない。言えないから絵を描いているってわけ。

じゃ、絵ってそんなにエライの? 絵も大したことないよね。何もしないことにはかなわないよ。

よく目を閉じて話をする人が、そー多くはないけれどぼくの知っている人にひとりいる。

空気の読めない人がいるというが、創造者はこんなもん読む必要がない。空気の読めるアーティストがいるとすればきっとつまんないアーティストだろうなあ。

2017年07月03日
死んだらなぜ無になるのか、またなぜ無にならないかということについて考えることで、私にとっての哲学が生まれるんじゃないでしょうか。とにかくその理由を徹底的に考えてみたいですね。

タマの絵が40点近くできた。青森・十和田市現代美術館で展示中。100点描けたところで画集の話も来ている。タマ以前に死んだ一族郎党の猫も加えて、これは作品というより供養のための絵だけれど、どの絵よりも愛がこもっている。でも絵は愛に左右されるべきではない。

81才から96才までの老芸術家7人と老齢に於ける創造について対談をしてきた。秋には単行本になります。彼等に共通する考えは「生老病死についてなど考えたことがない」である。ここに本当の自由がある。若者必修本!!

絵が上手になりたいなら、下手な絵を沢山描くことだ。その下手な絵の中に、きっと上手な絵もあるはずだ。

50才近くまで腕時計を持ったことがなかった。海外旅行や人との待ち合せにも時計なしで生活をしていた。だからか、いつも時間と共に生活をしていた。どこにいても時間がわかった。だけどラドーとスウォッチの仕事で、腕時計をつけるようになった。途端に時間がわからなくなった。

今もスマホやアイフォンを持たないのは、知っていることが、どんどん忘れてしまうような気がするので持たない。便利がよくなると動物本能や直感が失われそうな気がするからだ。



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