2月28日
○本日送られてきた本
 三宅一生さんより「うつわU-Tsu-Wa」ルーシー・リィー/ジェニファー・ リー/エルンスト・ガンペール

去年韓国の大学で個展をした時は、喘息の季節でオープニングと講演に欠席したけれど、今回はギャラリー・スカイザバスハウスの白石さんや飯田高誉君も同行してくれるので行くことにした。できればY字路があれば韓国編と考えているが、ニューオリンズも、ハワイもパリも気に入ったのがなかったので、今度もどうかな?本当はPCPPP(公開制作)もやってみたかったけれど、滞在期間が短過ぎるので次の機会だ。

2月27日
天気がいいので野川の遊歩道を歩いて、高台の公園に行く。野川の土手下では犬を共にスケッチをしている絵描きさん家族で弁当を広げてピクニック。バード・ウォッチャーらで結構賑わっている。橋の下の鯉はいつの間にか1メートル近くまで成長している。そんなのがざっと80匹(実際はもっと沢山いるはず)。その中にヒ鯉が一匹いた。それにしても太っている。高台では子供がキャッチボールをしていたが、ぼくらの子供時代の方が遥かに上手かった。投球、捕球のポーズが女の子みたいで実に情けない。帰りはちょっと遠回りをして梅園など見物。「梅にウグイス」というが本当に何匹もウグイスが枝から枝へと渡っていた。清水が流れる場所があるが、そこには金網が張ってある。その金網(といっても金檻に近い)に鼻をくっつけて見ると細い金網が巨大な鉄棒に見えた。そして頭を1.2cmほど軽く左右に振ると、30cmほど揺れて乗り物に乗っているような気分になった。面白いから、かなり長くその幻想的な「実験」を繰り返していた。面白い遊びを発見したのでまた試そう。

2月26日
病の神様」(文春文庫)が文庫本になった。解説文は泉鏡花文学賞で同時に受賞した作家の南木佳士さんに書いていただいた。南木さんは医者で作家なのでこの本にピッタリでぼくの病歴にも触れてくれています。いずれこの本の続編をとも思っていますが、この本を書いてからというもの病気らしい病気もないので、今度は「健康の神様」でも書きますかね。

今月はほとんど制作から離れて休息時間を持ったということはすでに書いたと思いますが、3月からは韓国のギャラリーArarioでの個展のために出掛けますが、帰国してからは集中的に制作に入るつもりなので、今月の休息は必要だったのです。旅行をしたり、観劇したり、公園で人々を眺めたり、病院で検査したりで大半はこんなことに時間をつぶしました。これこそ隠居でなきゃ持てない貴重な時間だったと思います。ぼくのモットーは如何に忙しくしないかです。つまり他人主導の時間にはまりこまないことです。

2月25日
病院好きのぼくは本日は大腸の内視鏡検査をしました。別に異常があったわけではないが、胃の検査に続いてこの際というわけで、それにしても大腸の検査は大変ですよ。とにかく胃と腸の中を空っぽにしての検査は、体力がいります。結果は異常なしで一安心だが、まあ一度試してみては如何でしょうか。蛙みたいに腸の中で何度も空気を入れられる経験は貴重です。空気が入ったまま歩くのはつらいものがあります。勇気がある方にはお勧めします。検査のあとの食事は多少制限されますが、病院の食堂でソフトクリームと鯛焼きを食べたらストレスが解消しました。


2月24日
岐阜県美術館での円空賞の授賞式に出席する。作品の展示は絵画、ポスターに梅原猛氏原作の狂言(三作)の装束や舞台美術、小道具なども展示している。この狂言を観た人はそんなに多くないので、この機会に、といっても演者が装束を付けて初めて「形」になるものだからやはり舞台を観てもらわないとね。

 
 


○本日送ってきた本
 みうらじゅんさんより「対談集・正論」/「脳内天国」みうらじゅん著
 淡交社より「妙心寺」東海大/長田弘共著

2月23日
瀬戸内さんの「奇縁まんだら」で作家を100人余り描いたが、この際近代以後の物故作家をもう少し追加しようと思って新たに、スター作家を中心に描き始めた。
円空大賞展というのがあって(知らなかったけれど)、円空賞というのを貰ったので岐阜県美術館(2月24日開催)に行ってきます。雨の日の旅は寒くて、それも岐阜羽島なんて雪が降っているんじゃないかな。今年は不思議と風邪を引かなかった(今のところ)のでこのまま冬を越したいですね。こういう時期は仕事を休んで旅をし、暖かくなるのを待って一気に制作モードに入れば一番いいと思っています。

川上雅明さん
あの美術館の猫はメスなので「三十郎」は似合いませんね。実に甘ったれ猫ですよ。それと「三十郎」のファーストネームは「桑畑」ではなく「椿」です。「古畑任三郎」とゴッチャになっているんじゃないでしょうか。

YOMIさん
写真の猫とは別にもう一匹茶猫がいます。右手の指が2本しかなく、それがハートの形をしています。呼んでもこない猫だったそうですが、ぼくが呼ぶと遠くから走ってきました。この猫の方が先に美術館にいるのに、後から来た写真の猫が追っぱらってしまったそうです。

大嶋泰介さん
物の大きさなど一定していません。感情や生理でどのような大きさにも変化します。


2月20日
○本日送られてきた本
 日本経済新聞社より「なほになほなほ」竹本住大夫著

留守の間のメール沢山ありがとうございました。一人一人にお返事が書けませんが、じっくり拝見しています。少し時間ができればおいおいお返事と思っていますが、これからは展覧会の制作や準備、それから病院の検査や韓国旅行などで流れが変わってきています。


2月19日
郷里にいる時間は死の時間のように感じる。無目的な時間の流れの中にいるからだろうか。子供時代の回想の痕跡を求めて彷徨するそんな時間は肉体から遊離した、現実から分離した「もうひとつの現実」だからだろうか。

夜になって西脇の街のY字路を撮りに出る。車が時々走る程度で人の姿はほとんどない。昼間は記憶の中の町ではないが、夜になるとやっと記憶の町に近づいてきた。これはぼくにとっては大発見だ。昼が現在の町だとすれば夜は過去の街である。

子供の頃母に連れられて行った本黒田へ行く。公衆便所かと思うほど小さい駅にびっくりする。子供の頃はこれでも一人前の駅だったんだ。親戚の家には声を掛けなかったけれど、この家の周辺で遊んだ時間を何とか取り戻そうと記憶の断片を写真に納めた。全く変わってしまったものと当時のままのものが共存している風景はちょうど自分の絵画作品を見ているようだった。


2月18日
小学五年生の時、隣町で殺人事件が起こった。その加害者はわが家から見える所に住んでいた人で四軒先の家だった。今日はその被害者が殺害された場所に行った。当時の事件を目撃した人達三人に当時の生々しい話を聞いた。共通した部分、食い違った部分のヅレを埋める作業(想像力)が結構面白かった。この事件をぼくは絵にしている。タイトルは加害者の言った「今夜の酒には骨がある」というものである。絵は被害者の家の庭で解剖が行われたのを見た時の記憶を描いた。
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郷里というのは実に残酷なものだ。現実は無惨に思い出と記憶をむさぼり食う。皿に残された食べかすみたいだ。郷里は遠くにあって、近くにあるという記憶の中にのみ存在するものらしい。
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最近西脇市岡之山美術館にアメリカ産の猫が捨てられた。えらい人懐っこいのはいいが、写真を撮られるのがイヤでどうしても真正面の顔を撮らしてくれない。名前は「ネコ」らしいが、もう少し気の利いた名前にしたいものだ。明日考えよう。
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朝6時前に消防署のサイレンで起こされる。町の全貌が見えるホテルの部屋からは2ヶ所で煙が上がっている。やがて消防車2台が出動していった。右手に見える煙の方に行ったが、間もなくガッカリしたように消防車が帰ってきた。消火されたあとに行って用がなく帰ってきたらしい。以前泊まった時も朝早くサイレンで起こされた。この時は洪水だった。川が氾濫しそうになっていた現場に飛んでいった。川はうなり声を立てて流れていたが、堤防の決壊はまぬがれた。市長もいたので、「堤防の決壊する所を見たかったなぁ」と言ったら、「えらいこと言わんといて下さいな、夜も落ち落ち眠れへんかったというのに」と怒られてしまった。郷里に帰ると子供時代に戻ってしまって災害があると子供みたいに興奮してしまうのである。

◆09.02.18 西脇のホテルから見た風景
 
◆09.02.18 西脇の美術館を背景にまだ名前のない猫
 
◆09.02.18 空地に捨てられた郵便ポスト
 


2月17日
久し振りの帰郷。こちらも昨日までは春の陽気だったそうだが、山間部とあって空気が冷たい。夕方には雪がちらつく。初雪だそうだ。同級生の商工会議所の会頭や、一級下の美術館館長らと夕食を取りながらいつもの事ながら、学校時代の想い出に話がはずむ、至福の時間である。
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藤巻一也さん
「ムー一族」や「寺内貫太郎一家」のTVドラマのことをよく覚えていますね。「寺内貫太郎一家」には毎週レギュラーで篠ひろ子の恋人役で出演していましたが、飲み屋のカウンターの隅で無言で枡酒を飲んでいた通称ダンマリ兄さんがぼくですが、役名が「倉田」だったというのがあなたに言われるまですっかり忘れていました。このドラマの少し前は宝田明主演の「新平四郎危機一髪」という探偵ドラマにも探偵のアシスタント役で毎週レギュラー出演をしていましたが、こちらは知らないでしょう?
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YOMIさん
あなたのおっしゃる魂のカケラが「今の自分の一部を形成」という認識はとても適確な気づきだと思います。拙著「ぶるうらんど」もそんな認識と無関係ではないと思います。ぜひ「死の彼方へ」(光文社文庫)と合わせて読んでみてください。

2月16日
わが家の裏庭に猫が4,5匹やってくるのでエサをあげようと思うのだが遠くから様子を見るだけでなかなか近づいてくれない。そんな中で目をケガした猫だけが近づいて、とうとうわが家の「タマ」になって、昔の野良猫とは交際しなくなった。今日あまり会ったことのない隣の人が野良を追ってわが家の庭に入って来られた。この隣の家でどうやらエサをもらっているようだ。それを聞いて安心した。全員で七匹もいるそうだ。同じ猫をわが家と隣では名前が違うことがわかった。例えばわが家では「のら黒」、隣りは「パンダ」で黒猫は両家で「クロ」と呼んでいた。その「クロ」が栄養失調で目下入院しているそうだ。また3本足の猫もいるそうだがこの猫はまだ見たことがない。野良のくせにまあまあの体格をしているので変だなあと思ったが隣家でエサを食べていることがわかってこれも安心した。
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気分転換をかねて古里に3,4日行くことにした。小説の取材などしたことがないけれど、古里を舞台にした何か物語ができないかなと思っている。でもぼくの興味の古里といえばやはり子供時代だ。全ての原点である。二十才以前と以後は別の惑星のような気がする。老齢は老齢でまた別の惑星に住んでいるような気がしないでもない。

2月15日
絵を描きたくない、という日がある。そんなことがしばらく続くことが多い。そんな時は公園のベンチで本を読んだり、文を書いたり、または芝居(ぼくの場合はどうしても古典に行ってしまう。または宝塚だったり)や旅に行って気分転換を計る。でも実はこの時間が一番クリエイティブなのだ。こんな呑気にしていていいのかという気が起こると同時に創作への高揚が頂点に達して、今度は絵が描きたくなってウズウズし始める。これの繰り返しをやっているのだ。
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小説を一作発表しただけで、現在の仕事の肩書にもうひとつ「作家」を付け加える人が多いが、大したものだと思う。「作家」の肩書を持つというのは、それなりの覚悟があるという証拠にに違いない。ぼくも近々「ぶるうらんど」の次の小説を文芸誌に発表することになっているけれど、まだ「作家」の肩書には抵抗がある。作品の自信(?)の問題もあるけれど、今後書き続ける覚悟があるかどうかを考えると、今しばらく考えたい。だけど覚悟がなきゃ小説など描くべきではないという考えも一方で持っているのも確かである。

2月14日
文楽の人間国宝竹本住大夫さんと対談をする。義大夫の最高峰である。一度でも住大夫を聴いた者はその虜になってしまう。ぼくもその一人だ。住大夫さんの芸談は生き方の哲学であった。ぼくの仕事と実に多くの共通するものを発見した。文楽の精神を創作の中に何とか移植させたいものだ。
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まるで春のような暖かい日であった。早速野川添えの公園のベンチで公園で遊ぶ人達を見物したり本を読んだり、何かを飲んだり、考えたり、思ったり、居眠りなどする。

2月13日
久し振りで文楽を観る。「襤敵討襤褸錦」と「女殺油地獄」を昼夜通して観る。実に面白かった。ひとつ面白いことに気づいた。人形が死ぬと三人の人形遣がその場に死んだ人形を放っときぱなしでサッサと舞台の袖に引き上げて行く。さっきまで血の通っていた人形が急に物体になってしまう。すると消えた三人の人形遣は人形の心臓であり、血管であり、筋肉などであったことが急に思い出される。つまり命そのものであったわけだ。舞台の袖に消える人形遣を見ていると、ああこの人達は生命を司っていた霊魂だったんだなあとつくづく感慨深げになるのだった。

2月11日
アトリエに隣接した空地が崖下に通じる遊歩道になるために大工事を行っている。心配なのはかなり深く掘り起こした土の下敷きになって蟻の巣が破壊され、蟻が圧死した可能性がある。しかもコンクリートで舗装されると完全な生き埋めである。春を迎えて果たして蟻が何匹生存しているか、顔馴染みの蟻に会うまで心配である。
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今月は旅行が多いので、制作は一時ストップ。それもよかろうと思ったが、逆に空いた時間をまた制作で埋めてしまった。結局制作しているのが一番頭を休めることになっているのだ。これが依頼仕事だったらこんな具合に戯れるわけにはいかないだろうなあ。

2月10日
最近、昨日と今日の区別がつかなくなっている。2日が1日という感じかな。この感覚って猫の感覚じゃないかなと思う。猫は昨日と今日の区別がないように思う。もしかしたら1週間前も今日も同じかも知れない。だから長~い1日という感じに違いない。これって認知症の初期段階かしら。その内1年が1日になるかも知れない。これはこれで面白そうだ。年を取った感覚がないんだから、いつまでも若くおられるじゃないか。

2月9日
今週は久々に文楽を2本観ることにした。文楽は浄瑠璃が中心なので昔は「観る」といわないで「聴く」といっていた。でも初心者は観る(人形)のにせいいっぱいでなかなか大夫や三味線までは気がいかない。未だに観るが優先しているが、今回は語りにしっかり耳を貸そう。

2月8日
最近「ムー」(全9巻)と「ムー 一族」(全13巻)のDVDが発売された。TBSで放送されたのはいつ頃だったかな。大半の方が当時観たと思う。ついでに言っておくけれどこのドラマのタイトルバックは実はぼくの作だったんです。子供の頃に観た人、もう一度観て下さい。今でもびっくりするほど新しいです。また観たことのない人はきっとこのドラマの奇抜さに度肝を抜かれること間違いなし。

2月7日
○本日送られてきた本
椎根和さんより「オーロラな人々」椎根和著
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時々ウィンカーを左右間違って出すドライバーがいるが、最近とみに多くなったように思う。歩行者や自転車は危なくて仕方ない。歩行者はウィンカーを信じて道路を渡ろうとしている時にいきなり、こちらに向かってくる。こういうドライバーが増えているということはどういうこと?先日ブログで触れた女性ドライバーも恐いけれど、ウィンカーのミスも実に恐い。 

2月6日
シルク・ドゥ・ソレイユ「コルテオ」を観に行った。サーカスである。ヨーロッパの歴史と伝統を感じさせるクラッシックとモダンなエンターテイメント・サーカスだ。ラファエロ、フラゴナール、ブーシェ、ヴァトー、ゴヤ、アンソール、ピカソ、フェリーになどのヨーロッパ芸術がちゃんとこーいうところにも生きている。大人のプロポーションのまま縮小された小人は初めて見た。アナグロにしてデジタルコンピューターの世界でもあった。

2月5日
○本日送られてきた本
松岡正剛さんより「神仏たちの秘密」松岡正剛著

2月4日
○本日送られてきたCD
細野晴臣さんから「源氏物語」、「omni Sight Seeing」、「MDEICINE  COMPLATION」、「LOVE, PEACE & TRANCE」細野晴臣作曲
○送られてきたDVD/CD
テイ・トウワさんより「ビッグファン」テイ・トウワ作曲
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シルク・ドゥ・ソレイユの「コルテオ」(サーカス)の初日(今日)に行きます。楽しみです。感想は明日のブログで。

2月3日
こゆき&爺さん
お久し振りですね。自分で描いた郵便局の風景スタンプの局名をすっかり忘れてしまいました。そうです徳島県の寄井郵便局でした。現在使用している以前に。1ヶ月間だけ使用したスタンプが存在していたんですよ。現在使用中のものは修正したものです。またメール下さい。
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初島永美さん
あなたの夢は一種の霊夢だと思います。網戸が自我というフィルターやその判断は間違っていないように思いますが、客観的な視点と判断も必要じゃないでしょうか。
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○本日送られてきた本
早島妙瑞さんより「こだわらない、でも流されない」早島妙瑞編

2月2日
○本日送ってきた本
森田健さんより「あの世はどこにあるのか」森田健著
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須見恭子さん
前にも書いたと思いますが、ぼくは音楽を聴く時は絵を描く時だけです。それ以外は本を読んでいるか文を書いている時なので音楽は思考の助けにはならないんです。だけど絵を描いている時は思考というより思策していることが多いので音楽はその助けになります。聴く曲は謡曲と浪曲以外ほとんど全てのジャンルの音楽を聴きます。それから須見さんの古典絵画に関する教養にはいつも感じが入っていますが、拳げられた画家達はぼくの私淑する人達ばかりです。

2月1日
面白半分で血液型の本を買った。ついでに他の人の血液型も買った。自分の血液型による性格全てが合っているとは思えなかった。でも方向性は間違っていない。他の血液型の中にも自分の性格を特徴づけるのもある。それらを全部書き出すと「個」の血液型が決まった。性格はそう簡単に変えることができない。また変える必要もない。自分を形成している因子に逆らうこともあるまい。むしろ肯定して認めた方がいい。出来上がった「私とハラ個」は中々ユニークな性格の持ち主になるよ。悩みのある人は「私の個」を4種類の血液型の中から選び出してみたらどうでしょう。そしてこれが自分だと思えばきっと妙な自信が生まれるかも知れませんよ。

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