2011年9月30日
9時過ぎにアトリエへ。2日前から描いている絵を描くが、午後3時過ぎになると陽が陰って庭の樹木の影がキャンバスに映って絵が描けなくなるので、もっと早くアトリエ入りをする必要がある。角川書店の「本の旅」の〈私のこだわり〉について3本のエッセイを書く。3つのこだわりはツイッター、書評、黒い絵画。仏教ではこだわりは欲望と並んであんまりよくないこととして教えている。

晴。秋日和で喉の通りが少しいい。昨日の続きの絵を描くが3時過ぎになると日がかげって、アトリエ内が薄ぼんやり暗くなる。そんな見にくい中で、見えるものを見えないように描く作業はぴったりだ。事務所の黒タマ一家の用便の後始末に行くが、すでに徳永さんがやってくれていて助かる。夜は頭を空っぽにするために、どうでもいいテレビを見る。

高知県立美術館の個展が終わった。今月からはまた別の個展が富山県立近代美術館で始まる。富山は何を食べても美味しい。秋の北陸の旅の目玉商品の1つに是非。

イチローが今年200本安打達成できなかったけれど、体が健康だったから、心が折れなかったと言った。体はそれほど大事なんだ。

2011年9月29日
木村伊兵衛の写真を見ていると小津安二郎の映画を想い出した。すると土門挙は黒澤明ってことか。

午前中、朝日新聞の書評と「ユリイカ」の連載エッセイを少し書く。成城コルティのOXストアで昼のおそうざいなど買いに行く。デザートのわらび餅が美味しかった。次はわらび餅だけの昼飯もいいかなと思う。午後アトリエへ。昨日の続きのY字路の新作を描く。夕方、成城のボディバランスで鍼治療を受ける。

○本日の寄贈本
幻戯書房より「東京バラードそれから」谷川俊太郎著

2011年9月28日
趣味がそのままお金になればそれにこしたことないですよね。だから、仕事なんだけれど、仕事を趣味という言葉に置きかえるだけで大分違うんじゃないかな。趣味でお金貰っちゃ申しわけないという人は別だけれど、貰ったからといって趣味が仕事に早変りするってことはないと思うよ。

ぼくの発想の根底にはどこかSF的な知恵を養分にしている。でないと生真面目なつまんない道徳的なものになってしまう。こんなものではないSF的ヒューマニズムを夢想してるんだよな。

世の中から仕事を追放して、全部趣味にしてしまったらどうだろう。かえって経済的破綻がなくなるってことないかな? 果たしてどんなSF的世界の地図が描けるのだろう。

仕事は利害関係が生じるけれど、趣味は社会的制約や条件からも自由で、好き勝手な自分の法則でやればいい。そーいう意味で芸術は本来趣味なんじゃないかな? その趣味を買ってくれる人がいれば、それはそれにこしたことはない。

仕事を趣味にすれば、目的も結果も必要なく、遊びになる。好きなことはそれ自体遊びだから。嫌なことはなるべくしないことにしている。そこに利害関係が生じるからね。

2011年9月27日
本日の寄贈本
藤田一郎さんより「見るとはどういうことか」藤田一郎著/化学同人
平凡社より「木村伊兵衛」別冊太陽

東京新聞のインタビューを受ける。横浜トリエンナーレや、その他のことについて。咽の奥がつまるのと胸焼けがするので、知人の耳鼻咽喉科の先生のいる総合病院を訪ねる。胃=食堂逆流症状が原因とのことで薬で治せると言ってもらえる。ついでに食道ガンも調べてもらうが心配ないとのこと。ぼくが鯛焼きが好きなことを知っている先生は早速院内の自販機で鯛焼きを買ってきて、秘書の方と一匹ずつ食べる。お土産に2匹いただく。この間から病院巡りをしているが、これでかなり不安機材が解消され、制作に励めそう。


2011年9月26日
最近気温が下ったせいか、早朝になると猫が部屋に入ってきて鳴いたり、ベッドに上がってくるので、やや寝不足気味。午前中、「ローリングストーン」誌のインタビューを受ける。午後、ファッションデザイナーの滝沢直己さんが、今度カルティエ芸術財団の数学展のために描いたぼくの作品をTシャツにしたいと言ってきているので、滝沢さんと構想を練る。彼がエライ、スマートになっているので聞くと事務に行っているという。ぼくも筋肉が弱りかけているので、何かしなきゃと思っていた矢先きなので刺激になる。近くの喜多見にスポーツクラブがあるというので一度見学に行ってみよう。そういえば事務所の隣の奥様がここのインストラクターだったのを思いだした。

瑛九は「僕は平凡な毎日が、精神の上で大きな冒険とスリルの世界です」という。芸術は奇異なもの(日常)から生まれるものではない。

2011年9月25日
夜中に一、二度目が覚める。こま切れでトータル7時間はいつも通り。駅のコルティに出掛けて青汁を飲む。この店は今月で閉店とか。コルティが出きて最初の閉店ではないのかな。増田屋へ。ここでバッタリ山田洋次監督に会う。次作の構想を聞く。アトリエに来てもらってこの間描いた渥美清さんの絵に使用したパレットをプレゼントする。やや大きいスクエアのキャンバスに横浜トリエンナーレに出品しているY字路以降の作品に取りかかる準備をする。準備といっても、画材などを片付けるだけだけど。絵に入る前の儀式みたいなものだ。ちょっと誰かとお茶が飲みたくなってので与田さんに電話をする。彼も家の片付けをしていたそうだが「じゃ、ちょっと行く」といってくる。マドレーヌを持って。与田さんは原発反対でもに参加していた、2時間位原発の話をして、家が近いのでまた来るといって別れる。

部屋の持物(ガラクタ)をまとめて捨てたり、本は古書店に取りに来てもらう準備を始めよう。まあ身辺整理だ。これは年令とあまり関係ない。体重が増えるように、部屋のダイエットだ。

2011年9月24日
やっと秋の気配を感じるようになった。今日は5月以降久し振りに公園に行く。休日だというのに人の数は少ない。野川も台風での増水もすっかり引いていた。4ヶ月振りで慣れ親しんだベンチで連載している「週刊読書人」のエッセイを一本書く。4時頃になると蚊がやってきた。まだ蚊の出る季節なんだ。日が短くなったので自然光で絵が描ける時間が非常に短い。だから油絵の黒い絵は描けない。アクリル絵具で描くか、それとも他のテーマで描くか、どっちかだ。しばらく時間が空いたので制作にとっかるのが大義である。一筆入れれば「なーんだこんなもんだったのか」なんだけどね。ネコの用便処理に事務所へ。昨日は徳永さんが処理してくれて助かった。

3日前からコタツを入れている。寒がりなんだ。実は6月までコタツを使っていたのだ。加齢と共に特に足が冷える。あんまり冷やすと死体になるからね。

僕は子供の頃からズーッと死について考えている。そのために生きているようなものだ。もし生について考え続けていたら、とっくの昔に死んでいたのかも知れない。

2011年9月23日
この間の台風の爪痕がまだ庭に生々しく残っている。この荒れ果て具合はそう悪くない。昼は駅前の中華店で豚の角煮飯を食う。あまり食べたことのない料理だったが旨かった。渥美清さんのポートレートができたので山田洋次監督に渡す。渥美さんの話や寅さん映画の話を聞く。渥美さんは実に上品な方だそうだ。久し振りで油絵を描く気になって、その準備に上がる。横浜トリエンナーレに出品している以後の作品になるだろう。「父高山辰雄」(高山由紀子著)を読了。夕方、事務所の黒タマ一家の用便の後始末をしに行く。

夕方になって青空が見えてきた。青空に浮かぶ雲はマグリットの絵そっくりだ。この空をマグリットの絵画だと思って見ている人は果たしてどのくらいいるのだろうか。もしかしたら別の画家の空を想像しているのかも知れない。

ぼくも時々青空を描くのがマグリットのように上手く描けた試しがない。ぼくが描くとウロコ雲になってしまう。まるで石鹸のアワが浮いたようだ。





2011年9月22日
◯本日の寄贈本
丹生谷貴志さんより「真理への勇気」丹生谷貴志著(青土社)
山梨県立文学館より「深沢七郎の文学」山梨県立文学館

昨日の台風で庭の大木が折れて車を直撃した。辺りは木の葉が敷きつめられたようで、何となく活気づいている。河出書房新社の吉住さん来訪。来春から刊行される文庫本のアンソロジーに関する打ち合せ。監修は荒俣宏さん。総タイトルは「ヨコオタダノリ原形質」でいきたいとのこと。「アート」、「死」、「出合い」の3分册になる。午後は玉川病院の整形外科へ。頭部と首のレントゲンとMRI検査の結果は問題なし。レントゲン写真のコピーをもらって帰る。頭部や首や肩の運動で治るだろうということで先ずは一安心。結局安心材料が欲しいだけなんだ。帰りのタクシーの運転手は次々話題を変えてしゃべ通し。どの客にも同じようにしゃべっているのだろう。夕方は急に暗くなり、また雨が降りだした。雨の中、散歩がてらにアトリエへ。絵の構想を練る。うっかり忘れていたけど、オイルマッサージを予約していた。あわてて行く。サウナから上がったようだ。

2011年9月21日


幼名小黒タマ1号


幼名小黒タマ2号


幼名小黒タマ3号


幼名小黒タマ1号


幼名小黒タマ1号


幼名小黒タマ1号


野良ネコも来るし、野良カエルも来ます。

台風15号の余波を受けて朝から雨。リニューアルのため閉館中の世田谷美術館へ行き酒井忠康館長とレストラン(閉店)でランチを食べながら3時間ばかり話す。酒井さんに是非司馬江漢の本を書いてもらいたいものだ。以前読んだ小林清親も面白かったから。美術館から帰ってアトリエで、日経新聞の「奇縁まんだら」の最終回の絵を描く。4年間の連載で計204点描いたことになる。田原総一朗さんから送られた「誰も書かなかった日本の戦争」を読みかけているのでその続きを読もう。

休日の日も、一歩も外出しないで親黒タマは3匹の子黒タマの所から離れないでダンボールの家の中で一緒に寝ており、時々事務所内を長い足で歩いている。子黒タマ3匹はダンボールの中で掴み合いを繰り返している。



2011年9月20日
横浜美術館で脳科学の先生藤田一郎さんと対談。ぼくは脳のことはチンプンカンプンだけど、何やら面白いということだけはわかった。またまたトリエンナーレの取材に来ていた平野啓一郎さんと成城まで帰って増田やで、そばを食べ、またうどんを食べ結局4時間話した。そば屋で4時間もいた客はかってなかったろうと思う。それにしてもトリエンナーレには物凄く沢山の観客がいて、驚いた。日本の美術館じゃないみたいだった。

事務所の子猫がそろそろ歩き出した。親とそっくりの模様をしているので、見ていて飽きない。現代美術のある側面を見ているようだ。

頭痛には水が効くと教えて下さった高知の森山さん、ありがとうございます。よく飲んでいる方ですが、まだ足りないのかな?でも気がついたら治っているようにも思えます。

○本日の寄贈本
田原総一朗さんより「なぜ日本は『大東亜戦争』を戦ったのか」PHP研究所/「誰もが書かなかった日本の戦争」(田原総一朗著)
平林恵さん(金沢21世紀美術館)より「VISITOR-BOOK1」FOIL


2011年9月19日
サンタナやマイルスのLPジャケットを手伝ってくれた元ソニーのデザイナー田島照久君夫妻が事務所の猫を見に来てくれた。まだ里親に出すには早そうですが気に入ってくれたみたい。今日は書評などまとめて連載のエッセイなど3本書く。





2011年9月17日
まだ頭痛がする。近くの医院へ行く。薬が合わないと、すぐ喘息がですので副作用のない薬を出してもらう。午後アトリエで朝日の書評を書く。事務所の猫の様子を見に行く。他の猫も室内に入りたがるが先客のクロタマがいるので入れない。早々に帰宅する。明日横浜美術館で対談があるので早く寝よう。

雑念を振り払うことができればこれにこしたことがない。アベベはその技術を知っていた。だからあんなに走れた。秀れた芸術家やスポーツ選手は皆これができたのだ。早いとこツイッター(雑念)から自由になりたいものだ。

2011年9月16日
頭痛の原因が眼にあるのでは、と眼科で視力検査、その他を調べてもらう。視力検査が面白かった。ぼくの視力は0.5らしいが、1.0〜2.0まで当てちゃう。検査官は「ヤマ勘テストをやっているんじゃないですよ」と言われるほどよく当った。

病院のマッサージ・チェアを試すが、こちらが身体を動かしながら機械に合わせなきゃマッサージにならない。正に人間は機械の奴隷だ。

ぼくは、目、鼻、口、耳、手と全て五感が悪い。五感はぼくの仕事道具だけれど、こう五感が悪いと、あとは第六感を生かすしかない

頭痛は少しやわらいだかなという感じ。アトリエで富山県立近代美術館の片岸さん来訪。10月29日から開催される「横尾忠則 The Best 450」展の会場構成と展示作品をプレゼンテーションされる。当美術館では3回目の個展だが、今回はポスターのみ。「450」点が展示される。この数字は「ヨコオ」を表している。大阪国立国際美術館に次いでのポスター展になる。今日はアトリエで目をあんまり使わないようにして、久し振りでビートルズを片端から聴く。3時半頃から散歩がてらに古書店へ行く。レンブラントの画集に少し心奪われるが、別の画集を3冊持っているので、これはパス。まだ頭痛がするので早々にいえに帰って休息する。

○本日の寄贈本
春秋社より「エロスとグロテスクの仏教美術」森雅秀著
絵金蔵より「絵金蔵」
別冊太陽より「香月泰男」
 送られて来た「香月泰男」(別冊太陽)を見ていたら、マーク・ロスコを彷彿させる作品が何点もあって驚いた。時期的にも重なるが、かたや抽象、かたや具象で地肌は極端に違うが、お互いに必然性はある。

2011年9月15日
○本日の寄贈本
国書刊行会・清水さんより「写真集」森岡督行/平野太呂著(平凡社コロナ・ブックス)
白水社より「ピュタゴラスの音楽」キティ・ファーガソン著
藤田一郎さんより「脳の風景」藤田一郎著(筑摩書房)
三宅一生さんより「IRVING PENN & ISSEY MIYAKE」

ボストン美術館の学芸員のジャッキー・エルガーさんと通訳の長谷川さん来訪。来年2月の「SEEKING SHAMBHALA」に出品する作品についてのコメントを求められるが、そちらで思った通りに書いてくれていいと、コメントは断る。チベットのタンカなどとぼくのシャンパラ作品を平置して展示される。展覧会タイトルは"SEEKING SHAMBHALA. A dialogue between traditional Tibetan Art and the personal journeys of contemporary artists Tadanori Yokoo and Gonkar Gyatso."(和文:シャンバラを探して。伝統的チベット芸術と現代作家横尾忠則、Gonkar Gyatsoの旅)。見に行きたいが、時差ボケを考えるとやっぱり旅行は中止するしかない。夕方まで伊坂義夫さんから頼まれているポートレイトを描くが、今日完成せず。

リチャード・ハミルトンが死亡。イギリスを代表するポップアーティストだが、ビートルズの「ホワイト・アルバム」に挿入されているコラージュ作品も制作している。午前中、伊坂さんのポートレイトほぼ完成。3~4日続いている頭痛が気になるので、玉川病院へ行く。院長先生と相談して、内科と眼科で診断される。夜、21_21の「アーヴィング・ペン&ISSEY MIYAKE」展のオープニングに行く予定だったが病院で4時間かかり、6時に帰宅。そのあと頭のマッサージに行ったために欠席する。

2011年9月14日
アトリエに入るなり御詠歌のCDを掛ける。朝に御詠歌を聴くのは気持ちが洗われる感じ。HMVのホームページのための「ツイッター、その雑念のゴミばこ」の取材あり。角川書店の担当者藤田さんと久し振りにとんかつ椿に行く。事務所の黒タマの子供3匹とも目が開いているがまだ立ち上がれないので、親と一緒に一日中寝ている。夕方からオイルマッサージに行く。90分コースで痛む足のふくらはぎと左手親指のつけ根をマッサージしてもらうが足の痛みは大分よくなった。夜テレビでこの間横浜美術館で撮った山田五郎さんの「ぶらり美術館」を見る。

2011年9月12日

左から磯崎憲一郎さん、横尾、朝吹真理子さん、羽生善治さん

2011年9月9日
4日前の旅行に出た時と比較すると、たった4日間でうんと日が短くなったような気がする。これからは日に日に日が短くなる。秋の夜長の過ごし方を考えなきゃ。たった今東京なう。

京都の寂庵に寄る。瀬戸内さんのところにいくといつもきまったようにぜんざいを用意してくれている。昔、実家に帰った時はきまってぜんざいが待っていた。つい瀬戸内さんちで実家を想い出した。

2011年9月8日
西脇健康ランドで大衆演劇「都若丸」一座を観に行く。昔のドサ廻りという泥臭さはどこにもない。実にソフィストケイトされていて、上手い。その上アンドロギュヌス的なエロティシズムはロキシー風。役者はすでにアイドル化していて親衛隊もいる。大衆演劇はぼくの中の文化だ。

老化しても郷里は郷里だ。郷里に対する愛情は変らない。結局郷里は様々な時間の地層みたいなものだ。

町に三館あった映画館が全部なくなった。子供の頃は映画が文化だった。本屋も一軒しかない。増えたのはシャッター通りばかり。その家も廃墟化している。こちらも老化したけれど町も老化現象激しい。

変ってないはずの山がどうも子供の頃と違う。気がついたが樹木がかなり茂って山全体にボリュームが出たことだ。まるで原始に戻ったように黒々としている。そーいえば町の中の記憶にある樹木が物凄く巨大化している。山の樹木とて同じだ。

2011年9月7日
山に雲の影が映って模様になっている。その模様が動きながら変化していくのを眺めていると水底を覗いているような気分になった。

常宿のホテルの部屋から郷里の町の全貌が一望できる。ビルが増えたといってもまだ瓦屋が多いのは嬉しい。さすが山の形は変っていない。ぼくの気持も変っていない。

郷里なう。墓に参る。去年自分の墓を作った。未来の自分に手を合わす。

新幹線の中から見た雲は亜熱帯特有の皿の上にプリンを乗っけたような形をしていた。日本の亜熱帯化なんだろうか。アマゾンで見た時は珍しくて沢山写真を撮ったものだ。

2011年9月5日

まだ子猫の顔もよくわかりませんが、もう少し大きくなって親が子離れした頃に、里親に出したいと思っています。里親立候補者も出ています。メイル下さい。ご連絡します。

そんな島地君も70才。連載10本も抱えている売れっ子執筆者で。「早い」、「上手い」、「高い」(だったかな?)をモットーとしており、単行本も何冊も出している。彼は今東光、柴田錬三郎、開高健の秘蔵子編集者でもあった。

彼が「週刊プレイボーイ」にいた時、柴田錬三郎さんの「うろつき夜太」に挿絵を描いた時の担当編集者だ。その「うろつき夜太」が今度復刻版になって出版される。

甘い物を禁じているのに相変らず鯛焼など持って来る古い友人がいる。こーいう人はカラ党で、単に面白がって持ってくるのだ。今日も昔なじみの元集英社の島地勝彦君が味もわからないくせに「美味いですよ」と持ってきた。

オンタイムで走行中のツイッターを読むのと、本の中で静止した状態のツイッターを読むのと、何が違いますかね? 「ツイッター、その雑念のゴミばこ」の書評とは言いません。読後感で結構です。ぜひ。

ツイッターが本になると、不思議と他者のツイッターを見ている気分になる。時間の風化かな? 記憶の老化かな?

2011年9月3日
コラージュ作品の制作に取りかかる。これを始めると何でもかんでも切り抜きたがる。切り裂きジャックになる。コラージュは印刷物というレディメイドをピックアップするわけだ。デュシャンはそれを生涯を通してオブジェでやった。

2011年9月2日

ウォーホルも結構コミッションを受けていた。実はぼくもウォーホルにポートレートを依頼するつもりだったが、その寸前彼が死んでしまって実現できなかった。彼の場合は彼がポラロイドで写真を撮り、それをシルクスクリーン作品にした。

ウォーホルも結構コミッションを受けていた。実はぼくもウォーホルにポートレートを依頼するつもりだったが、その寸前彼が死んでしまって実現できなかった。彼の場合は彼がポラロイドで写真を撮り、それをシルクスクリーン作品にした。

最近コミッション(委任、注文)絵画が増えてきた。国内に限らず海外の企業や個人のコミッションも多い。ポートレートや、自分のイメージのY字路などなど。最近描いたのは細野晴臣さんとバンクーバーのコレクター。今描いているのはアーティストの伊坂義夫さんと山田洋次さんの「寅さん」。


2011年9月1日



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