2012年2月29日
●本日の寄贈本とCD
和合亮一さんより「ふるさとをあきらめない」和合亮一著(新潮社)
犬童一心さんより「メゾン・ド・ヒミコ」細野晴臣作曲
(WANER MUSIC JAPAN INC.)
東京の大雪は時々忘れた頃に降る。午前中、近くの雪のY字路を撮りに行く。駅前の喫茶店で書評のための本を読む。増田屋で映画監督の犬童一心さんから細野晴臣さんの映画のサウンドトラックのCDをいただく。雪が止んだのでアトリエへ。明けても暮れてもコラージュの制作だ。子猫2匹が避妊手術のため入院中。1匹のあわれな姿は掲載写真で。


2012年2月28日
●贈られてきた本
河出書房新社より「音楽を迎えにゆく」湯浅学著
浅山泰美さんより「京都桜の縁し」浅山泰美著(コールサック社)
草思社より「父・吉田謙吉と昭和モダン」塩澤珠江著

近所に住む朝日新聞の与田さんが日曜日お茶とお菓子を持って遊びに来た時、田中三蔵さんの話をしていたら、今朝の新聞で昨日亡くなったことを知って驚いた。会ったのは世田谷美術館での「冒険展」の時だから4年になる。去年だったか田中さんの著書の書評を朝日に書いた時、お礼状をもらったが、書評委員で時々会社に行っていたんだから、ちょっとデスクへ寄ればよかったと後悔する。63才とは若過ぎる。ぼくの年まで生きても12年ある。残念だ。

2012年2月27日
禅なんていうと頭から毛嫌いする人がいるけれど、生活する、生きる、想像する、これ全て禅の実践。坐禅を通して日常を振り返って見ると問題など本来存在しないことに気ずく。30数年前、30代の時に書いた本(「坐禅は心の安楽死」/平凡社ライブラリー)を改めて読んだが過去の自分に教えられた。
世の中を良くしたいと思っている人間ばかりが意見を発しているのに、こんなに我の強い議論ばかりじゃ、世の中は混乱して当然だと思い、体に悪いので頭から布団をかぶって眠る。

土曜の早朝、田原総一朗さんの「朝まで生テレビ」を見た。10数人の論者が、それぞれの意見を述べるが、面白いことに他人の意見に同調する者はひとりもいない。議論のための議論が交差しているだけで、人間って所詮独りで生まれ、独りで死んでいくんだなあとつくづく思う。


2012年2月24日
この間から眼鏡を紛失して、色んな場所を毎日のように探していた。どうも諦める気がしなく、どこかにあると信じていた。そしたら、別のものを探している場所から眼鏡がでてきた。眼鏡も苦労したのか、一部壊れていた。信念が探し得たと思った
今日はコラージュは魔術だということを実感した。これはかなりの前進だ。実感する以前とあとでは全く異る作品が生まれ始めた。

2012年2月23日
昨日、東宝撮影所の食堂でカレーを食べながら俳優の橋爪功さんにあったら、橋爪さんの家から我が家のテレビがよく見えるんだって。だってわが家の敷地と橋爪さんの家の敷地が角っこで接点なんだから。
撮影所の食堂では山田洋次監督、犬堂一心監督、俳優の小林稔侍さん、そして橋爪功さんの5人で山田監督以外は全員カレー。

2012年2月22日
頭の中から言葉を廃除しなければ僕は絵が描けない。言葉が絵を描かせようとするからだ。それほど絵の制作には言葉が邪魔になる。だけど、そうして出来た絵を鑑賞者は再び言葉を持ち込もうとする。

「ニーチェの馬」を山田洋次監督に誘われて東宝撮影所内の試写室で観た。2時間34分、まんじりともしないで観た。ほとんどセリフのない寡黙な映画だった。だから余計に観終わったあと饒舌になった。

この映画で思ったことは映画は原点に帰れば帰るほど革新的になることに気づいた。

○本日の寄贈本
高橋巖さんより「シュタイナー悪について」ルドルフ・シュタイナー/高橋巖訳
春秋社より「いのちのかなしみ」河原ノリエ著
河出書房新社より「音楽を迎えにゆく」湯浅学著

東宝撮影所内の試写室で「ニーチェの馬」を観たあと、山田洋次監督の次回作「東京家族」ででてくるY字路の家を見に行く。すでに写真集「東京Y字路」(国書刊行会)で撮った豪徳寺にあるY字路だ。映画になるとどう写るか愉しみだ。イメージポスターではY字路の絵をデザインすることになっている。

2012年2月20日
午前中からアトリエへ。コラージュ作品の制作。ボストン美術館のキュレーター来訪。3月6日オープンの「シャンバラを探して」展にすでに美術館がコレクションしているシャンバラシリーズの作品と新たに制作(サイズを大きくした)したテクナメーションが展示される。滝のポストカードのインスタレーションは階段を引用した場所に展示するため、地元の消防署からクレームが入り、今回は中止。今後も実現したいために消防署との話合いを続けるそうだ。

2012年2月18日
公園で陽なたボッコをしながらエリック・フィッシェルの画集(今日届いた洋書)をめくる。全盛期の頃から大きい変化はないが、エキゾチズムな画題が増えてシンプルになってきた。人間がシンプルになれば当然作品も従う。

2012年2月17日
今日は朝から「うろつき夜太」の復刻版のことでトッパン印刷の製版者富岡さん、国書刊行会の樽本さんらと校正刷のチェックをする。オリジナル以上に複製の本がクオリティが高い。嬉しいやら困るやら頭悩ませる。天気はいいが風がある。日光浴はしたいが風邪は引きたくない。それともアトリエでコラージュでも作るか。

2012年2月16日
深夜に目が覚めると、咽が痛い。風邪らしい。起きて葛根湯を飲めば治るが、眠くて起きる気がしない。すると夢を見た。葛根湯を飲む夢だ。すると夢の中で治った。朝起きたら治っていた。

2012年2月15日
一日中、寒いアトリエでコラージュ作品の制作。コラージュはジグゾパズルをやっているみたいで、この神経的なストレスが楽しめない者には本当にストレスになる。それでも一日1点は完成。うまくいけば2点できる。ああでもないこうでもないを何時間もやっているのは、よほどのんき屋かせっかち屋だ。このところ寝入って2時間位で目が覚める。2度寝ができるのは嬉しいがやはり、疲れる。

2012年2月14日
昨日は一日中、コラージュ作品の制作をする。腱鞘炎が治らないために多少の不自由はあるけれど、生活習慣病だから、一生治ることはないだろう。治らなきゃ、左手もあるし、他に描く方法はいくらでもある。それにしても痛みで夜中に目が覚めることもある。これからの作風は腱鞘炎がその鍵を握っているのでどんな風に変るか、期待もある。

2012年2月13日
昨年12月からスタートした府中美術館での公開制作(計8日間)が終了した。ツイッターだけの予告だったが大勢の観客が見え、その熱気にこちらも刺激され、制作は予定以上に進行した。体力的にもう公開制作は限界かなと思っていたが、やってみると意外にもイケることに気づいた。これからも機会があればやってみたい。本当に公開制作はぼくにとってはなぜか実験室に早変わりする。完成などどうでもいい。とにかく描き続けるそのプロセスを楽しめばいいのだ。


府中美術館にて公開制作

拡大画像をクリックまたはCloseをクリックで画像が消えます Close

公園の青空書斎    


2012年2月9日
今日からそろそろ絵を始めようかと思ったらこの天気だ。絵も大事だけれども身体も大事。身体優先して公園の管理室の前のテーブル(ここは風が当たらない)で本を読むか文を書くかしよう。目の前が川で鯉や亀やカワウソもいる。青空書斎は敷金も権利金も家賃もいらない。
「新潮」2月号に昨年1年間の日記が1人1週間づつリレー掲載されている。原則として決められた枚数なのに、中には1人で4〜5人分の長さで書いている人もいるが、不思議に多く書き過ぎた人の日記は我が出すぎて総体的に面白くない。ことはほどほどがよさそうだ。
朝と夜、玄関の前に猫のエサを置いているが、いつもきれいに食べているが、一体どんな猫が食べているのか見たことがない。エサだけが消えているのが不思議に思える。

今日は久し振りの青天だ。公園で陽を浴びながら仕事をしよう。陽を浴びた日はよく眠れる。

昨日六本木の21_21へ三宅一生VSアービング・ペン展を観に行く。一生さんの造型をペンが見事に時間化し、それを田中一光さんが最小限の技術でポスターを空間化していた。

絵の場合、時間をかけ過ぎて重っ苦しい作品になることが多い。そこには苦悩が塗り込められているからだ。

昨夜、書評委員会で選んで持ち帰った本の書評を、今朝6時からベッドの中で読んで書き上げた。あんまり早く書けたのが心配だったけれど、最小限手を入れただけで編集部に送る。遅いから良いもの、早いから悪いものとは限らない。絵だって同じだ。

2012年2月8日
昨日ちょっと風邪気味で、自宅で休養。クリニックで診てもらったらインフルエンザではなかった。夜オイルマッサージで熱が下がった。オイルマッサージでは大量に汗をかくから解熱効果満点。

2012年2月7日


2012年2月6日
カルティエ現代美術財団のディレクターが来られて、3月開催のプリミティブ展にぼくのアンリ・ルソーのシリーズが出品されるが、他にたまたまアトリエにあった別の作品にも目が止まり、それの出品の要請も受ける。いつも彼は直観に従う、そのフットワークの軽さに驚かされている。


2012年2月3日
凍えた東京の夜空の今夜の星はコンペイ糖のように大きい。冷えた空気が夜空を氷のように透明にしたのだろう。
とにかく寒くて仕事(絵)にならない。エッセイは喫茶店で書けるけれど、絵はそこでは描けない。このところ寒冷のため、絵は閉店休業状態だ。絵と気温はこんなに関係があるのだ。

2012年2月2日
板橋老師の本を読んでいて、34年前の坐禅の記憶がムクムクと頭をもたげてきた感じだ。何んだかんだ言っても坐禅はぼくの中に今だにズーッと生息していることに気づいた。それは頭で覚えた禅ではなく体で覚えた禅だったから忘れられないのだ。
板橋老師から紹介されて井上義衍老師の所に訪ねて、ショックを受けるシーンがぼくの本の中にあるでしょ。その井上老師に指事された時の板橋老師の修行時のことを自らくわしく書かれている。ぼくの本のあとにこの板橋老師の「息身佛」を読むと色んなことがよくわかりますよ。

拙著「坐禅は心の安楽死」(平凡社)を読んでくれた人は、最初総持寺で会った板橋老師のことを覚えてくれてますよね。その老師は後に大本山総持寺貫首、曹洞宗管長というトップの座につかれた。今思えば凄いお坊さんに指事を受けていたんだ。その老師から「息身佛」(角川SSC新書)が送られてきた。
眠り際に色々雑念が浮かぶ。それを追いかけると眼が冴えて、睡魔がやってこない。眠り際はいつも坐禅をしているようなものだ。浮かんだ雑念にあれこれ装飾しないことだ。浮かんだことのみを見つめていればその内眠る。

2012年2月1日


↑↑ GO TO THE TOP ↑↑