1月31日
naoccinaさん
おーッ!なんという美人!貴女?一体?誰?
昨日、水戸現代美術館で吉田秀和氏のレリーフの除幕式がありましたが出席できず。ぼくの描いた吉田氏の肖像を磯崎新さんが制作。誰か見た人があれば写真撮って送って下さい。
ニューヨークからの連絡。物凄い雪だそうだ。一度ニューヨークで寒波に襲われたことがある。口もきけなくなり、一歩も外に出られず、ビルの中に逃げ込んだことがある。
○本日の寄贈本
河出書房新社「作家と温泉」草彅洋平編
~登場作家は夏目漱石、志賀直哉、壇一雄、吉川英治、川端康成、折口信夫、
宮沢賢治、坂口安吾、谷崎潤一郎、与謝野晶子、太宰治、北原白秋〜等々計27人の文学者の温泉にまつわるエピソードが満載。その中につげ義春となぜかぼくが加っている。温泉に興味のある方ぜひ。写真など多くムック形式で1700円。
1月30日
先週の金曜日に東大生が4人来て、春のシンポジウムに出演して欲しいとの依頼とその打ち合わせがあった。シンポジウム苦手だけど、建築家の磯崎新さんも一緒だから、引き受ける事にした。
渡邊曜子さん
残念ながら今のところ弟子は必要ないのです。だけどタイヤキは必要かも。「嘘はたまにしかつきません」は正直な方だと思いました。他人に対する嘘は時には方便でいいけれど、自分に対して嘘をつかなきゃいいんじゃないですかね。それから渡邊さんの質問の答えに近い内容をこの2、3日のツイッターで話せると思いますので、そちらも見て下さい。
1月29日
鎌田東二さんより「満月交感」上・下(水曜社)
猫はいいよな。一日中頭を丸めた身体の中に突っ込んで無意識になっているんだから。猫はシュールレアリストだ。シュールレアリストは結局猫になりたかっただけだ。意識だけで生きているのはシンドイからね。シュールレアリズムは結局意識の駆け込み寺だったんだ。
1月28日
アトリエは1つではたりない。いくつも持ちたい。一ヶ所では考えが規定されてしまう。ジプシーみたいに。また山下清の放浪の画家みたいに。そして行く先々で違った主題と様式の絵が描きたい。その内自分の絵がどれだか分からなくなる。それが最高だ。
自分の絵のスタイルを作ろうとする努力は無駄だと思うな。スタイルは自由と相対的だからだ。
キャップを深く被って、サングラスを掛け、マスクを付け、手袋を穿いて歩いていると皆んなが透明人間か有名芸能人になれる。
1月27日
○本日の寄贈本
高橋巖さんより「シュタイナー・魂について」ルドルフ・シュタイナー著/高橋巖訳
naoccinaさん
好みのステーキはレアでもミディアムでもウェルダンでもありません。ミディアム・レアです。
kou mokoさん
作品の批評は10人10色です。他人の意見を聞いているとわからなくなります。評価は自分でするべきです。
1月26日
今月の「ユリイカ」(2月号)で<夢遊する読書>というタイトルでエッセイの新連載を始めました。読書についての文ですが、45才まであんまり本を読まなかった非読書家の話です。残念乍ら1ヶ所誤植がありました。興味のある方はどうぞ。
昨日母子の対面を果たした野良のクロタマは今日はいつも向かいの家の庭の茂みの中に隠れて、わが事務所の玄関を睨んでいるのはいつもの姿で、母猫は事務所の裏庭に来ていた。昨夜はつもる話もあったかと思う母子。今後の成り行きを見守るしかない。
1月24日
渡邉曜子さん
この世の中が存在している理由ですか? そりゃあの世があるからでしょう。また生きている意味? そりゃ死ぬからでしょう。ここから先きは考えて下さい。人間が存在する限り自我は失くなりません。心配しないで、こんなややこしいこと考えないで、目の前の現実をよく見て! こんなことばかり考えているとどんどん生きにくくなるんじゃないですか。
○本日の寄贈本
現代書館より「あっぱれ旅役者列伝」橋本正樹著
クレヴィスより「土門拳古寺を訪ねて」(1〜3)土門拳著/
「名作写真舘土門拳」(1)/「土門拳・日本の彫刻」
今日、インフルエンザの予防注射をしてきた。注射針が細いので全く痛くない。ぼくは採血も点滴も慣れているので、チョロイ、チョロイ。
1月22日
愛と情で愛情だ。これを二つに分けて考えると面白い。愛は相手を自由にしてやるべきだが、情は相手を縛ることだ。
1月21日
瀬戸内寂聴さんから徳島の大きくて甘い美味しいイチゴを送ってもらった。朝晩デザートにイチゴをミルク(砂糖少々)に浸して食べると最高。その場合やっぱり大きくて甘いイチゴでないとまずいですね。
週に一回はステーキとお餅は食べます。エネルギー源です。週一回のステーキは三島由紀夫さんの真似です。創造の源泉だそうです。ボディビルの代わりによく歩きます。
24才の時、渋谷のボディビル・センターに通ったことがあります。そのために会社の中で腕相撲が凄く強くなりました。バーベルを胸の前で手元に引き寄せる運動が腕相撲に効果的です。
寒いと顔から風邪を引きます。だから外出は必ずマスクをします。夜ベッドの中でもマスクをしていると乾燥を避けることができそうです。医学的にいいのか悪いのかは知りませんが。
1月19日
兵庫県加古川線を走るラッピング・カーを4台デザインしましたが、いよいよ来年秋で廃止になります。第一号が今年の5月で廃止。あと3台はまだ走っています。その間何度も各地でイベントが行われ、変な話ですが、これから頻繁に有終の美を飾り、盛り上げていくそうです。近郊の方ぜひ5月に廃止される第一号を眼に焼きつけておいて下さい。
1月18日
○本日の寄贈本
Crevisより「土門拳の昭和」土門拳著
土門拳の写真を見るとなぜか黒澤明の映画を想いだす。一度土門さんの病床で会ったことがある。会話はなかったが、あの鋭い眼は内外を同時に見ている眼だった。
昨日久し振りで大きい絵を描いたので腰が痛かったので、身体の調整をしてもらう。制作と身体はひとつだ。
1月17日
一年振りで大きい絵を描いた。どうにでもなれという気持で新しい様式の絵を描いた。すると3時間後にどうにでもなった。別にコツはないけれど、あるとすれば捨て身だろうな。
陽の目を見なかったジャケットもある。ミック・ジャガーとボブ・ディランから頼まれたが、ミックのソロアルバムは制作自体が中止、ボブはぼくのイタリア旅行の前日に依頼されたために断らざるを得なかった。未発売のサンタナのアルバムもデザインをしたままで陽の目を見ず。以上幻の三作。
マイルス・デイビスの「アガルタ」のジャケットについての取材を受けたが、何日ぐらいで制作したか?って。どんな場合でも一日です。ポスターでも装幀でもCDでも全て一日です。アナログ時代の方が早く、デジタルの方が遅い。
ロブ=グリエがコブ=グリエになっていて笑っちゃいました。 なんでこうなっちゃったんだろう?
1月16日
寒いと鼻水が流れて仕方ない。禅寺の禅堂で一晩参禅したことがあるが、この時も鼻水が流れたが、手を動かすと叱られるので、そのままにしておくと口の中に入って塩っぱいが、それでもそのままにしておくと顎にまで落ちていく。途中からこれが面白くなっていった。
1月15日
事務所の周りにいつの間にか見知らぬ野良猫まで集まり、今日の休日のエサ係のぼくを待っているのでなんだか気になってエサだけをやりに行きます。その内の子猫(小6位)だけが建物の中に入りますがエサは食べないで部屋を物色して帰っていきます。子供の頃野良猫のことを泥棒猫と呼んでいました。こっそり家の中に入って食べ物を食べるからでしょう。
1月14 日
○本日の寄贈本
水曜社より「武智鉄二という藝術」森彰英著。
早速わが家のタマの取材の依頼あり。タマは取材嫌いなので応じるかどうかが問題。ぼくの名前と共に「愛猫タマ号18才」と記された表彰状には笑ってしまう。戴いたのは世田谷区長さんからだがこれも笑ってしまう。
どっかの奥さんが犬散歩しながら、他所の家の玄関前でウンチをさせているので文句を言ってやろうと思って近づいたら、犬をけしかけて全速力で逃げてしまった。追っかけたらストーカー(ニット帽にマスク)だと思われたら困るし、まぁそれ以上に逃げ足の早いこと。
ヘリがかなり上空を飛んでいたので立ち止まって見ていたら、向こうから来る人全員がぼくの視線の先きを見ながら通り過ぎて行った、以前大阪駅の地下道で塀のふし穴を覗いている人がいたら行列ができたという記事がでていた。
1月13日
瀕死の重傷を負ったタマが快復したために、世田谷区動物フェスティバルから表彰された(笑・笑・笑)文面は次の通り、「あなたは長年にわたり家族の一員として深い愛情と正しい管理のもとに飼育され、今日なおその健康を維持されていることは動物愛護の精神に徹した愛猫家の範と決めここに表彰します」
1月12日
○本日の寄贈本
西川隆範さんより「シュタイナーキリスト論集」ルドルフ・シュタイナー著/
西川隆範訳
西川隆範さんはシュタイナーの研究家であると同時に翻訳者です。シュタイナーに興味のある方はぜひ西川さんの著書や訳書を読んでみて下さい。シュタイナーはご存在のように神秘学、精神科学や芸術の分野でも多くの著書を発表しています。
1月11日
美空ひばりを2回見たことがある。最初は郷里の旅館から出て車に乗るまでの一瞬だった。物凄い数のファンで2秒位だった。大きい白いマスクをかけていたその横顔だった。中学時代だった。2度目は羽田空港の待合室(なぜかぼくの横に監督の篠田正浩さんがいた)から大きいガラス越しに、ファンに応えて投げキッスをするひばりを見た。
○本日の寄贈本
農文協より「未来のシナリオ」デビッド・ホルムグレン著
久し振りで長時間絵を描く。去年の夏前に描いた絵に加筆する。絵が加筆を待っているようだ。はじめはあるが終りがないのがぼくの絵だ。
1月10日
三日連続カレーの夕食。第一日目は温かいライスに温かいカレー。第二日目は温かいライスに冷たいカレー。第三日目は冷たいライスに温めたカレー。三日三種カレーの巻。
三島由紀夫の夢を見る。三島さんは死ぬことは「霊験あらたかなことだ」と言う。この意味は人の祈りに対して神仏が現す不思議な働きによって物事がかなえられる、というようなことだと思うが、夢は一体何を考えているんだろう。よーわからん。
今夜10時、WOWOWで「横尾忠則なう」(50分)。最初はハワイで制作する予定だったが体調を崩し、予定が大きく変わってしまった。
新聞の切り抜きがたまったのでスクラップブックに貼る。芸術に限らずなんでも心に引っかかった記事は切り抜く。ただ読むだけでは観念で終わるが、切り抜いて貼るという肉体行為がぼくの知識ではなく知恵になると昔から信じてやってきた。
今夜10時、WOWOW「横尾忠則なう」(50分)
1月9日
今年一番の暖かい一日だった。風もなく実に快適な午後を公園のベンチで過ごす。頭の中にはアルファー波が流れているのか思考停止状態でウツラウツラ。目覚めて眠っているような感じだった。
川の鯉はUボートの大編隊みたいで、水底に息を殺して静か沈んでいるように見える。ちょっとした戦争のノスタルジックなイメージだ。
公園内で水生生物を育成する小川の近くのベンチに移動する。水の泡立っている所にはマイナスイオンが発生している。ますます思考停止状態になる。物凄い数の胞子が小川の上を飛んでいる。
アイデアの到来は何も考えない状態と比例するように思う。考えた挙げ句のアイデアは自我の範疇から出ていないみたい。
今日から日経新聞の瀬戸内寂聴さんの「奇縁まんだら」の連載が再開され、また肖像画を描く楽しみが増えた。この連載は週一回だけど毎日でも苦にならない。すでに150点は描いている。
公園はぼくの青空書斎だ。時には青空食堂。時には青空禅堂。
そば屋の四人掛けのテーブルの夫妻(ぼくの前に座っている)は最初は仲睦まじかったが、急にケンカを始めた。会話を全部覚えていたが、書こうとしたら全部忘れている。まあ覚える必要のない他所の夫婦のケンカだ。
1月8日
咽の痛みも咳も眼も大分快復してきた。去年は一年中、体調が良くなかったので、今年は去年の反省と沈黙を破って(?)作品の点数を増やそう。
昨日の朝日新聞には書評、毎日新聞には岡本太郎について(書評欄)、日経新聞には瀬戸内寂聴「奇縁まんだら」(絵も)再会される。
1月6日
こんなに寒いと、筆が持てない。暑くても描く気がしない。まあ、その前に何を描けばいいのかがわからないんだけどね。
ウォーホルみたいに、女友達に何を描けばいいのか教えてくれと電話したら、彼女飛んできて、教えてあげるかわりに50ドルくれるーだってさ。ウォーホル50ドルを渡したら、彼女はこの50ドル紙幣を描きなさいといった。こーしてあの傑作が生まれた。
今日ひとりの方から大量に滝のポストカードが送られてきた。全部日本の古い絵葉書ばかりだ。中には便りが書かれたものもある。また、昔は切手を表じゃなく、裏の絵のある方に貼ったのがあって面白い。
1月5日
「週刊NY生活」というニューヨークで発刊している新聞にエッセイを書いているので毎回送られてくる。アメリカ人の日本体験の記事が面白い。日本人は毎日寿司を食べていると思ったらそうじゃなくて驚いたとか、中には洋服を着ていて驚いたという時代錯誤的な感想もある。
眼科医に行く。もうほとんど完治していた。視力検査で、ほとんどデタラメを言っているのに当たるのでどんどん小さい字になっていく。それもデタラメなのに半分位当たった。これじゃ視力検査というより直感検査だ。
1月4日
眼が悪いのに正月は読書三昧。大昔買ったままのスタンダールの「パルムの僧院」を読み始めるが、何十回も読んだという人がいるが、上巻を読んだだけじゃ2度と読みたくないほど面白くない。下巻で様相が一変するのだろうか。
眼医者が今日も休んでいる。正月は世界が半分しか見えない。このハンディキャップを作品に利用出来ないだろうか。モネは晩年全盲に近くなって、傑作を残した。半盲じゃだめか。
1月3日
去年の正月三ヶ日はホームレスよろしく公園の芝生で弁当をひろげてランチを食ったが、今年は寒い。まあ今日は少しはましだけど。随分久し振りで本屋へ行く。岩波文庫の「パルムの僧院」は字が小さいので、文字の大きい新潮文庫を買って、もう一度読み直そう。
昨日の箱根駅伝の一区間の二位グループの集団を見ていると、皆で渡れば怖くない式の日本人社会を思い出してイライラした。トップとの距離があんなに開いていても。皆で走っていると何の危機感もないようだ。その点いきなり勝負に出た、早稲田大には勇気があった。芸術魂ってこういうものだ。
年のせいか探し物ばかりしている。それも一日に何回もだ。その内、何を探しているのか忘れてしまう。猫と犬の区別もつかなくなった時の絵はさぞ独創的だろうな。
1月2日
1960年、1970年、1980年、1990年、2000年と0(ゼロ)のつく年に交通事故(タクシー)に遭ってきた。50年間に5度の事故。ギネスに載ってもおかしくないくらいだ。ところが昨年2010年には無事故だった。やっとカルマが解脱したのか—なーんちゃって。
暮から咽と目が痛くて、咽はともかく眼科が休診で正月は片目で描いていた。わが家のタマも片目。一家に片目が二人。
1月1日
ガクッと老化したわけではないけれど、目が覚めたら一才歳を取って、「おめでとう」です。
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