2013年10月29日


親しい人達から色んな種類のお見舞いをいただくので、これらを集めた静物画が描けそう。

いつまでも寝たきり老人をやっているわけにはいかんので、ここ2、3日短距離の歩行練習を始めたんだけれど、疲れますね。

赤ちゃんがよちよち歩きができると嬉しくなる気持ちがわかるような気がする。

2013年10月28日
昨日は久し振りの快晴。風は強かったけれど、足のケガも気分も久し振りで晴れました。天候は人間の肉体や感情を左右しますね。

1ヶ月以上あまり動かない状態が続いているので週一でマッサージなどで体をほぐしています。頭もほぐさなきゃと思っているのですが、体と共に硬くなりますね。

先ず年内は開店休業ってとこですかね。超スローテンポで、心身共のリハビリに時間をかけます。

2013年10月24日
瀬戸内さんがメイルで80代と90代は違う(体調が)と。だから80代を大切に、と言われた。そう、ぼくだって60代と70代は全然違う。80代を生きるために70代をコキ使わないようにしなきゃ。現在、60代の方へ。本当に60代と70代は違うんです。60代を大事に。

無理に生き方を変えようとする必要はないみたい。加齢とともに自然に生き方が変ってきます。それに従えばいいんでしょうね。

今週末また台風らしい。秋ってもっと楽しい季節だったはずですよね。台風が去ったら、すぐ冬でしょう。秋日和なんて、10日間位だったですよね。

足の親指を自然に浮かして歩いていたらしく、昨日から家の中では裸足で歩くくせをつけ始めた。すると床についた指の裏が、まるで数の子みたいに何んだか気色悪い感触だ。以前はタコの吸盤みたいになったことがある。

足が治ったらアレしたいコレしたいという妄想につかれている。「したい」というよりも「したくない」ことを考えるべきかもしれない。

それにしても人間には自然治癒力があることがわかった。それは年を取ってもその働きがあることに気づいた。年を取りたがっている肉体と同時に若返りたがっている肉体も確かにあるような気がする。

糸井さんに林英哲君からの伝言です。彼が今度ぼくのことをテーマにしたコンサートをやります。その時に糸井夫妻をご招待したいといっています。案内状送っていいかな、とぼくに聞いてきたけれど、行く行かないは別にしていいよね?

林英哲君が今度世田谷パブリックシアターでぼくをイメージしたコンサート「迷宮の鼓美術少年」をやります。是非見に行ってあげて下さい。10月30日―11月3日

2013年10月23日


天野祐吉さんがいなくなったことは心のどこかに穴が開いた感じ。天野さんはぼくには友達言葉で話した。3才年上なのにぼくも友達言葉で敬語は使わなかった。年長者でこんな風に話せる人は彼だけだった。45年以上のつき合いだったからな。

ケガも病気の内? そーね気分が病気だね。これってタチ悪いのよね。

病気を勇気づけてくれるのは薬でも、テレビでも、本でもなく、カラッと晴れた天気が一番だね。その天気が悪いんだよね。

芸術の秋、読書の秋、スポーツの秋、旅行の秋、食欲の秋と色々楽しい秋があるけれど、ぼくは病気の秋ってとこかな。

新聞はほとんど読まない。単にめくるだけだ。(1分もあれば充分)「じゃ取るのを止めましょうか」といわれると困る。朝夕新聞が来ることだけでホッとするのだ。休刊日はなんだか咽がつまったようで外の空気が入らない感じになる。

足のせいにして、一日中ベッドの中にいると楽ちんだけれど、終末的にもなる。隠居はベッドの中にいることではなく、何かと体を動かして、市井の中を非存在のように存在する技術なんだなあ。

糸井さんだっけ、ぼくのことを「病気上手」なんて言ったのは。糸井さんは「あんこ上手」だけど「病気下手」でいいなあ。早いとこ「元気上手」になりたいよなあ。

2013年10月21日
土日は不動の体だった。不動の心じゃなかったけどね。

足指骨折は2~3ヶ月かかるけど快癒の方向に。日一日が愉しみ。
歩行はちょい無理なので、自転車片足漕ぎで移動。人や自転車や自動車とのすれ違いは怖いので、止まって待っている。二次災害はヤだからね。
長い休養何をしますかね。動けるようになれば温泉に行きたいね。だけど温泉は体が温まって冷えてくれないので睡眠の邪魔になるのが困りものだ。
レッドソックス、ア・リーグ優勝、上原MVP。凄いね。人ごとだけど、こんなニュース自分ごとにしなきゃ損損。
自分ごとは大したことないけれど、人ごとでは大したことあるね。だから人ごとを自分ごとにしたくなるんだろうなあ。
まあこれしかないんだけれど、自分の肉体を抱えて生きるなんて実に厄介なもんだ。生まれた以上仕方ないね。生まれる前と死んだあとには少なくともこの問題は存在しないわけだ。

天野祐吉さんが亡くなった。ぼくにとっては突然だった。だって今年初めに岩手県立美術館の個展でトークをし、今度天野さんが館長をしている松山市立子規記念博物館で再びトークをすることになっていたのに。このニュースを知った時、体に震えが来た。あんまりこんなことはない。

2013年10月18日
昨日も終日家の中、というかベッドの中。ジクジクする足の指の痛みを感じながら。体を感じることはいいことかも知れないが、こう46時中感じっぱなしは、感じてないのと同じじゃないかな。

曽野綾子さんの本の広告に、苦痛をどう受け止めるかということは「一つの立派な芸術だ」と書いてあった。そーかぼくは今その芸術の真っ只中にいるというわけか。

動かないので運動不足が心配だ。老齢になると中々元の状態にするのが難しいと思う。病気やケガはするなら若い内がいい、と変なこと。

足の骨折からもう一ヶ月が経った。しょっちゅう病院に出掛けられないので近所の整形外科へ行く。やっぱり全治2~3ヶ月だそうだ。さあ、その間何をしますかね。小さい絵でも描くかなあ。小説のアイデアはいくつかあるけれど、絵がお留守になるとまずいよね。
歩くのはつらい。自転車は足の指を使わないので乗れるけど、ビクビクもんだ。交差点や人が向こうからやってくるたびに自転車止めちゃうもんね。二次災害が怖い。

自分の頭蓋骨写真も怖いけれど足の骨写真も何かの動物か鳥の骨を見ているようで気持ち悪いでえ。なんだか扇子の骨を見ているようで。
人間に骨があるように、全ての物、例えば机、本、バナナ、洋服、雲、樹、絵具などにも骨があると面白い。自動車や飛行機などの機械や建築にはあるね。
兵庫県立美術館で風景画ばかり集めた個展をやっています。現在のY字路などの風景とは全々違う「誰の絵?」みたいな風景画です。横尾美術館のポートレート展と合わせて見て下さい。ぼくはまだこの両方共見てないけど……。駅や電車や人混みが怖くてね…。

2013年10月17日
「美術手帖」の横尾特集(11月号)での二人の作家、李禹煥とKAWS、ぜひ読んで下さい。また東野芳明と石子順造の対談は時空を越えて中々の内容です。

「私」という細胞が分裂した。その分裂した無数のアイデンティティがさらに核分裂を起こして、個人が個となり、「私」がなくなるのが理想です。

芸術家という職業はなくなればいい。誰もが絵を描いて、ピカソの絵とぼくの絵の物々交換をすりゃいいんだ。

足が痛いのは自分を肉体的存在と思っているからだ。自分は霊魂だと思えば痛いことも意味を失う。とかナントカイッチャッテ。

アートの中にライフがあるのではなく、ライフの中にアートがある だけだ。

2013年10月16日
退院したものの歩行が困難で、だもんだから気分も重い。テレビも新聞も本も興味なく、興味は痛みだけ。

今日「美術手帖」のぼくの特集号(11月号)が送られてきた。96ページの特集。大半が昭和時代の作品とそれにちなんだもの。駆け 足で走り抜けた時代だった。アートかデザインか、そんな問題は どーでもいい。分類するのが時代遅れ。好きなよーに生きて、好き なよーに死ねばよし。

ハイもローも両方とも人生。分けて生きることはない。

ぼくが興味あるのはアート(芸術)ではない。ライフ(人生)だ。

アートの中にライフがあるのではなく、ライフの中にアートがある だけだ。

この分だと年内休養ってとこかな?

2013年10月11日
運動不足で体力の減退を感じ、退院することにした。あとは自宅療養。筋力が落ちているので散歩が必要だけれど、足指の骨折を考えると、無理もできない。踏んだり蹴ったりとはこーいうことを言う のだろう。

入院生活はさほど変化がないが、この際体の色んな個所のメンテナンスのために、各科の先生と会って話をするのは楽しい日課のひとつでもあった。

退院しても気持は病院とつながっているので、完全解放とまではまだ時間がかかりそう。特に骨折は。

入院中は気温の変化がわからなかったが、夏が戻ったようだ。

足指の骨折後、富士山や、その辺りを巡る一泊二日の旅をしたが、かなり無謀だったようだ。冒険は体ではなく、作品でしなきゃ。

痛み止めの薬は必要だけれど、副作用が喘息を誘発する恐れがある。薬は二律背反の性質を持っている。この辺を考えるのは肉体の声を聞くしかない。肉体の声は医師でもある。

2013年10月10日
病室の窓が5メートルほどあるので、空の雲の変化ばかり眺め ている。雲は具象か抽象か? その両方だ。何かに見えたかと思うと次の瞬間、不定形に変る両義性の性質がある。

入院していて思うのは何もしないということではなく、何もしないということをしているのだ。時間そのものになっているような気がする。

自分では気づかないが、看護婦さんは、ぼくの喘息の音をすぐキャッチする。内部だけの音だと思ったら外部にも聞こえている音だ。年寄りっぽくてやだなあ。

2013年10月9日
昨日(8日)午後、急遽入院することになった。帯状疱疹と足の打撲の治療のため。両方共左足だ。親指は骨折だったためにかなり時間がかかるようだ。足が不自由だと気持まで不自由になる。
体に意識が集中すると、他のことはどうでもよくなる。肉体への執着が、他の欲を失わせてくれる。
無意識に病気になっているとは思えない。病気はその意味と向き合うために与えられた試練だと思う。治りが遅ければ遅いほど試練も大きいのだろう。
病室の大きい窓から見える開けた高台からの風景は全く別天地だ。普段見なれない風景は、普段経験しない体の変化とどこかで対応しているのかも知れない。
頭の中から仕事のことが追い出されている。治ったらまた戻ってくるけれど、この空白状態は実に貴重だ。

2013年10月8日
打撲の左足の甲に今度は帯状疱疹ができた。この症状は生涯に一度しかでないのにぼくは例外で、でてしまった。医師からは安静に、睡眠を充分、栄養をとるようにとの指示がでている。一週間ばかり休養します。

2013年10月7日
今日はギンザ・グラフィック・ギャラリーで永井一正さんと公開対談をします。テーマは健康と創造。この両者は密接な関係があり、永井さんは老齢だけれど、この二つが実にバランスがとれている。そんな話を聞くつもりです。お問合せは03-3571-5206、11時より。

足の治りは大分回復に向っているけれど歩行がぎこちない。特に靴を履くとかなり気になる。そろそろ一ヶ月になろうとしている。靴下を履いて寝ているので、皮膚がかぶれて、それも悪い。

病院の先生は治っていても患者が「治ってない」というイリュージョンを持っているという。つまり脳がウソをついているらしい。それは経験の記憶からくるらしい。

2013年10月1日
糸井さん、新しいあんこは何んていえばいいのか、男性的というべきか。じゃ、その前のは女性的ということになりますかね。2種類混ぜて食べたら両性具有的あんこ味になりました。


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