2011年11月30日
わが家の猫は一日中眠っているけれど、事務所の4匹の猫はジーッとしているけれど眠っているところは、あまり見たことがない。生誕一年ではまだ眠らないのだろうか。よくわからない。
絵は老眼鏡なしでも描ける。むしろ画面がピンボケの方がいいのかも知れない。モネは白内障になってから傑作を描いた。

2012年11月29日
現実にはないのに、夢の中にはしばしば出てくる同じ場所がいくつかある。長年に亘って出てくるものだから、今では現実のようになっている。

ブックデザイン展には多い日には1日に1,200人もの観賞者の来場で狭い画廊空間はさらに狭く、大変ご迷惑をお掛けしたのではと思いますが、本は狭い方が似合うような気もします。なぜ? よーわかりませんが。

2012年11月27日
アートプラネット・ワイよりお知らせです。gggでの「装幀展」も本日が最終日です。gggのお隣のビル2階にてアートグッズ・ショップを同時開催しています。http://www.tadanoriyokoo.com/etc/index2.html 是非お立ち寄りください。
電動マッサージ器は事務所の猫どもはそれを見ただけで物凄く恐れて逃げ廻るけれど、わが家のタマは静かに目を閉じて気持ちよさそう。
画家は目指したかも知れないけれど、デザイナーは目指さないまま、そうなっちゃった。だからデザインは簡単に止めることもできたんだと思う。
不眠症は今や国民病だという。5人に1人が不眠症?ぼくの経験は100%ストレスだ。眠れないかもという自己暗示のストレスだ。自己暗示はどうもペシミスティックの方に効力を発揮してしまう。まあ、そーいう性格なんだろうな。
滋賀知事が新党検討中とか。一層のこと一人一党作りますか。党名は何がいいかな。ぼくの場合さしずめ「甘党」がいいや。
何か連絡しなきゃいけないことがあるが、そんな時は急がないで一呼吸(一日)置いて待つ。すると必ず相手から連絡してくる。こーいうことが度々ある。
朝の5時だというのに外はまだ暗い。星が残る空に向って「いつまで眠っているんだ」と叫びたくなる。こういう時は体調のいい証拠だ。
朝早く目が覚めるとそのまま起きる。朝の時間は眠るにも起きるにも貴重だ。朝は体の声が一番よく聞こえる時だ。
ぼくの描くY字路なんて、好きでも嫌いでもない。どうでもいいテーマだ。キュビズムのように形だけを考える材料だ。
ぼくの作品はテーマなど大して重要ではない。テーマは自分から離れたものでもいい。テーマと自己同一化した自分の過去の作品などクソクラエだ。発想があればいい。
デュシャンは物を作るより題名を重視した。題名を重視することで作る物を謎めかしてしまった。まるでどうでもいいかのように。
制作時は極力頭から言葉を廃除しようとする。にもかかわらず作品の中にぼくはしばしば言葉を書入れる。この言葉は一体何だろう。

2012年11月26日
いよいよ明日ギンザ・グラフィック・ギャラリーでのブックデザイン展の最終日です。これ以前もこれ以降も900点も展示することは永久にないでしょう。ぜひたった一日の機会を!
絵はいつ描き上がったかがわからない。しばらく(何日間か)見ていると、仕上がっていることに気づくことがある。病気が治ったと思っても治っていないことがある。。
主観的な表現は範囲が限定される。客観的と言っても決して心理ではない。ではブレイクのように神の眼で描ける画家は何人いるというのだろう。
天気のいい日は公演で日光浴をする。ジワジワと身体全体が火照るなど温まってくる。太陽の熱は部屋の暖房と比較にならないほど浸透力があって命を火照らせてくれる。
人と会って話をしながら、ぼくは相手の顔を見えない筆でなぞりながらデッサンをする。そんな習慣がいつの間にかできた。こうして何千人もの肖像画のデッサンを描いてきた。
ぼくには芸術は何を描くかの時期があった。そして次は如何に描くかの時期があって、そして今は何をではなく、如何にでもなく、人生をどう生きるかが重要な時期にいる。

2012年11月22日
「ブック・アサヒ・コム」にブックデザイン展の記事(紹介、インタビュー写真が20点)が出ています。http://book.asahi.com/

2012年11月21日
ぼくの街では毎日のように家を壊したり建てたりしている。伊勢神宮は20年に1度建て替えるが、そんな伝統がわが街に生きているのか? まさか!
ギンザ・グラフィック・ギャラリーでのブックデザイン展27日まで。ちょい変った展覧会です。きっと面白がっていただけると思います。東京都中央区銀座7-7-2 DNP銀座ビル1F。

2012年11月19日
無数の落葉が木枯に吹かれて道いっぱいになって、こちらに向って走ってくる。東京マラソンのようだと思ったけれど、谷内六郎さんならもっと詩情豊かな風景にするだろうなあと思った。
昼間のアロマオイルマッサージは快適だ。なぜかというと白内障の手術のように、街が輝いて見えるからだ。
羽毛ふとんに生まれて初めて寝たので、嬉しくて人に言いまくるが、誰もが羽毛ふとんに寝ているので、変な顔をされるだけだ。

2012年11月15日
空を眺めていると、空が青色でよかったと思う。もし、赤とか黄とか、紫だったらストレスになりそう。青は自然界にあまりない色だから空が一手に引き受けたのだろうか。
人がまだ出ない早朝に近所の富士見橋へ行くと朝日に光った真白の富士の上部がかなり大きく見える。そんな富士に向って手を合わせたり、キャップを取って万歳をする人もいる。犬に「きれいだね」と語る人もいる。ぼくは眺めるだけだ。

2012年11月14日
デザイナーの原研哉さんが来られた。原さんは30秒くらいでコロッと眠れると。
ぼくには超能力にしか思えない。
カメラマンの上田義彦さんが来られた。20年ほど前に写真を撮ってもらった
そーだが思い出せない。ニューヨークのソーホーのスタジオで。記憶のロス
は時間のロスでもある。

2012年11月13日
舞台に僧侶になって出演する夢を見た。セリフを覚えていない。台本も失ってない。出演時間が迫っている。アドリブでやるしかない。寺に訪ねてきた女性に仏語で応対するらしいが、覚えていない。シリアスな演技を要求されているが、坊さんはくだけている方がいい。それで行こうと覚悟する。

2012年11月10日
終戦日が8月15日、それから2、3ヶ月で撮られた斎藤寅次郎の「東京五人男」を見ると、背景は全部焼跡風景だ。戦後すぐの生々しい実景がそのまま写っている。ぼくは大阪の焼跡しか知らないが、本当にこんなんだったのだ。

2012年11月9日
気になることがあると出来るだけ「空っぽ」の状態にしておきたい。気になることはなるべく早く済ましたい。電話するなり、手紙を書くなり、メイルするなりしていつも心の中は風通しよくしていたいと思っている。気になることを溜めておくとストレスになるから。

2012年11月8日
gggでの装幀展で美術評論家の南嶌宏さんと対談する。反復について語る。南嶌さんは井上靖の「氷壁」を100回近く読んでいる。これは事実です。正に反復です。ぼくの作品も何度でも反復する。違う絵を描くのも同じ絵を反復するのもぼくには変りない。
ggg銀座グラフィックギャラリーには900点の装幀本と原画、原稿、写真などが展示されている。ディスプレイ、照明がとてもいい。自分でも忘れている作品が沢山あるが、その時々の状況が想い出される。自分の個人史を見ているみたいだ。
作品は結局、時間の推移でしかないんだ。それ以外何もないような気がする。
神戸の横尾忠則現代美術館は確かに存在する。にもかかわらず、なぜか架空の存在みたいに、頭の中でフワーッとしている。実在としてのしかかって来ないのがせめて救いかな。
事は大げさでも、内面は大げさでないのがいい。
神戸と東京の2ヶ所で、絵画とデザインの個展が始まったが全く偶然に同時開催になる。こーいうことも珍しい。いつもそうだが同じ事柄が重なるものだ。共時性とは言いたくないが、自然界同様、人間界にも何かの法則が働いているような気がする。

2012年11月6日
本日銀座7丁目7番2号のggg(スリージー)で装幀展のオープニング。7~800点の装幀本が展示。http://www.dnp.co.jp/gallery/ggg/

韓国映画「春夏秋冬、そして春」で自らの修行の未熟を死で償おうとする時、目、口、鼻、耳など五感に「閉」と書いた紙を体の各所に貼る。五感に対する欲を閉じるためだ。五感を解放するのではなく閉じなければならないという境地に向かう。

以前も観たが韓国映画「春夏秋冬、そして春」をまた観た。哲学的な映画だが好きな映画だ。ラスト辺りは教条的で観念的になっていくが、生死を儒教的にとらえた一種の成長物語。最後のアリラン峠を越えるのは監督自身。
神戸の横尾忠則現代美術館はオープン以来相変らず入館者が多いそうだ。何しろ目の前が動物園でパンダ目当に人が集まる。美術館のレストランも大好評。パンダとレストランのオコボレで美術館も繁盛??
相乗効果って面白い。「ユリイカ」(11月号)のぼくの特集が出た途端、「横尾忠則コラージュ」(国書刊行会)も急速に伸びたという。コラージュの全作はアメリカに行ってしまったので、せめて画集で見て下さい。
神戸では不眠になってしまったので昨夜眠剤を飲んだけど眠れなかった。ぼくの方が薬より強く薬が眠ってしまったようだ。

2012年11月5日
3月2日に横尾忠則現代美術館の開館セレモニーに450人の出席者で4フロア共大混雑だった。知事、館長の挨拶と安藤忠雄さん、瀬戸内寂聴さん、三宅一生さんの長い間の交友関係者とぼくのスピーチ。これが大勢の笑いを誘い、外国の領事館の人達が日本人の挨拶でこんなに笑うのは初めてと、変な評価。

入口には花の山。高倉健さん、山田洋次さん、坂本龍一さん、梅原猛さん、蜷川実花さん、真琴つばささん、柳井正さん、織作峰子さん、等々玄関の花の香りに後押しされながら会場へ。
東京からは美術関係者(館長、学芸員、評論家、美術記者)、大学関係者、ギャラリスト、編集者、報道関係者50人にも駆けつけられたがとうとう全員に挨拶さえできない有様だった。

3月3日の㐧一回展「反反復復反復」展のセレモニーとトークショーは会場に入り切れない人数にふくれあがってしまった。トークショーの前にダウンして神戸赤十字病院で点滴を受けに行く騒ぎ。トークのあと西脇から来てくれた同級生ら40人近くと歓談。2日間は実にシュールな時空を彷徨っていた。
3月4日、やっと日常に戻ってキャンバスの前に座る。新しいシリーズにしたい。

展覧会は人に観てもらうためだけれど、自分にとっても色々と考えさせられる絶好のチャンスだ。作品と対峙しながら、次々と新しい発想が浮かぶ。時間外にひとりこっそり会場で自作と向い合いたいものだ。
横尾忠則現代美術館のミュージアムショップが開店した。書籍、文房具、フィギュア、ポストカード、小物、衣服、ポスター、その他商品多数あり。
若い頃仕事がなくても生活のために働く(絵を描く)ことはしなかった。絵を描くのが楽しかっただけだ。武士は食わねど高楊枝という妙な貴族趣味があって気取っていたんだろう。
デザイナーの時クライアントにケチをつけられたり、修正を求められたら、その仕事をその場で捨てて帰ってしまった。その延長が画家だったと思う。
ぼくの定位置の公園のベンチは芝生に囲まれており、そこに白髪の老人がいつもカッターナイフで雑草を刈りにくる。今日もやってきた。自転車で。そして物色するように芝生の中を歩いて1本でも雑草を見つけると、しゃがんで刈り取る。ボランティアというより老人の趣味だろう。
川向こうと高台の公園から子供が吹く同じリズムの笛の音が聞こえてくる。飽きもせずに同じ曲の一部ばかり吹いている。風に乗って音が千切れたり伸びたり、大小に変化する。神経に来る笛の音だ。
芝生の上に寝ころんで本を読む。開いた本の背後は真青な空で、結構文学的な気分になるものだ。「空は想像力の源泉」と言ったのは誰だっけ。
3時半になると空気が冷え始める。少し歩きまわってアトリエに戻ろう。

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