2019年04月22日
新しい本が出ました。「豊島横尾館ガイド」(河出書房新社 ¥2000)今井智己さんの写真がスゴクいいです。塚田美紀さん(世田谷美術館学芸員)の紀行文、これがまた面白い。ぼくのQ&Aもあります。今週の金曜日ぐらいに店頭に出ます。

自分は宇宙の借り物ぐらいに思ってなきゃ。死んだら宇宙に肉体をお返ししましょう。

絵と自分は別。以前は二つを同一化していたけれど。やっぱり自分を見せるのではなく、絵を見せなきゃいけない。

絵の画面にビッシリ描くのは空っぽになりたいため。

指先きの油気が切れて新聞や本のページをめくるのに大変苦労する。と、思って指先きの指紋を見ると全部消えてツルンツルンだ。これじゃ蛙と変らないんじゃないかな。

夕べ深夜にフト眼を覚ますとベッドの足元に長女が外出着のままで立っている。部屋は真っ暗なのに彼女は薄明りの中にいるように見える。一瞬ゾッとする。これが死者なら幽霊だ。娘が死んでいなければ生霊だ。「ああ怖!」朝、確認すると生きていた。数年前にもこんな風にやって来た。ヤメテケレ!

芝居などに行くと、いくらでも眠れるのに。と言って夜、テレビで歌舞伎や能、狂言観ても、眠らないで、ちゃんと観てしまうのだ。

ここ数日、眠れない日が続いている。時々こんなことになる。何かの拍子に、また変る。自然が刻々変化するように人間も自然の一部だから変化する。自分の心身をコントロールできればいうことないけれど、これができまへん。

2019年04月19日
なるべく考えないというのは僕にとって最も重要なことです。だから本はなるべく読まない。書評はお仕事だからしょうがないけれど書評を書いたらパッと忘れます。

絵を描き続けている時はいわゆる観念みたいなものは浮かばない。パッと映像のようなものが閃くだけです。だから制作中の脳はチンパンジー級です。絵はチンパンジーにならないと描けない。人間になっちゃ描けない。

絵を描きながら、ふと頭をよぎったどーでもいいことやイメージがツイッターになることがある。ツイッターのない時は絵を描いていない時で何もよぎりません。去来するのは雑念ばかり。

2019年04月18日
上手い書評は読んだだけで買う必要がないという書評のことじゃないかな。昔の角川映画の予告篇は面白かったので、映画は観る必要なかったように。むしろ何言っているかわからない書評は惹かれます。よっしゃ、ワシが読んで書評したるという気分にさせてくれる書評が、いい書評かもね。

朝日新聞で書評をやってますが、書評はどー書けばいいのかよくわからない。別に本の宣伝のために書くわけではないので、おべんちゃらは書けない。ぼくの場合、書評というより、本から得た自分の気分というか、本をテーマに得たインスピレーションを書いています。

時々、絵を描くのがイヤになります。理由はシンドイからです。だからシンドソーな絵になります。それがスタイルになるとイヤ派かシンドー派ってとこですかね。

ナント、昨日買ってきたペットボトルの水は、ぼくのイニシャルの「TY」で、ネーミングが「TY NANT」で訳すると「なんと、横尾忠則」ということになります。原産はナント、イギリス、採水地はウェールズです。ボトルのデザインもイギリス製です。

現在、ニューヨークのメーカーとコラボしている衣料品は結構エキサイティングなものになり、その内日本国内でも販売されるんじゃないかな。作者のぼくは、よう着れまへんけど。

海外からも同じようなコラボの話が結構多く、実現しているメーカーは信頼できる人達です。やはりアートは信頼から生まれるもので興味本位からは生まれません。

日本の衣料メーカー各社から、コラボの話が沢山ありますが、そのほとんどが興味本位で、全く信頼できないのが大半です(現在コラボしている所は別です)。

2019年04月17日
絵なら描いた分、何かの益になっているけれど、本は所詮人の考えだから、それがそっくり自分のものになるなんて、そんなはずはない。なったと思っているのは人の言葉を暗記しているに過ぎない。

書評を担当したこの9年間に、月2冊読んだとしても200冊たらずだ。読んで書いたけれど、ぼくの頭の中には何の知識も残っていない。

書評は難しい。分厚い本をうんと短い文にまとめるなんてぼくには至難の技だ。本は読んでいる瞬間にこそ意味があって、読み終ったら忘れるのがいい。それを想い出すのが書評なんだけれど、その時はぼくの頭の中には何もない。だから書いてもダシガラだけだ。

絵もそーなると、きっと面白いのが描けるかも知れない。何を描いているのか、あるいは何も描いていないのに描いたつもりでいるとか。

とにかく物がよく消える。自分の置き忘れだろうと思うけれど、こんなによく消えるともはや自然現象としか思えない。加齢と共に自然現象とひとつになってしまうのだろうか。そんな馬鹿な、やっぱり記憶が失なわれるせいだろう。一日物探しをしている間に何を探しているのかさえわからなくなる。

年百年十やっているのは神戸の横尾忠則現代美術館と瀬戸内海の豊島(テシマ)横尾館。6〜7月頃にこの豊島横尾館にベックリンの「死の島」シリーズの絵を追加して個展をやります。常設展+個展です。

今、神戸のぼくの美術館でも「ナントカ展」をやっています。大きい作品が沢山でてます。この展覧会名は日本語だけれど、いちいち覚えておれない。行けば何の展覧会かわかりますから。

今、ロスアンジェルスのナントカ&ナントカというギャラリーに作品を出品しているけれど、ギャラリー名が英語だからおぼえられない。ロスの日本人、勿論アメリカだっていいよ、見に行って下さい。ナントカ&ナントカギャラリーをなんとか探して。

自慢じゃないけど、子供の頃から歯は一本も抜けてない。一本抜けたけど、あれは親知らずだから、あってもなくてもいい歯でしょ。82才で全部揃っているのは自慢していいのかな。でも、真白じゃないんだよな。

年令と共に歯がちびてきて小さくなって、色がついてくる。年取っても歯のきれいな人がいるけれどあれはきっと入れ歯やで。じゃ上下全部抜いてピカピカの入れ歯にしようかなあ。

じゃ、昼間の一瞬の夢に断片を見るのか、わからんけど、見ているような気もする。

最近は夢をあまり見なくなった。見ても日常の断片と全く変わらない。わざわざ夢にしなくてもいい夢が多い。

絵はなまけながらチンタラチンタラ描くのがいい。それも余計なこと考えないで。考えたら描けない。今まで沢山描いてきたけれど、本当に考えないで描いてきたんやろう。どうでも絵も沢山描いたけれど、それは考えた結果のものばかりや。

ようわからん、よう知らんことをやることが意味あるのかな。やっぱり意味ないと思う。まあ、ようわからへんけど。

わからんことを一生懸命やる意味などないけれど、そんな無意味なことがやめられないのだ。それが絵だと思う? まあ、よう知らんけど。

絵を描くのと描かないのとはエライ違う。何が違うのか知らないけれど、無が有になるってことかな。ウーン? ようわからんけど。

2019年04月15日
司会のデビッド・フロスト氏は去年亡くなったと思います。この時のジョンとヨーコの映像はネットで見れるんじゃないなかな? よう知らんけど。

その翌日2人の隠れ家(?)でフォトセッションをしました。その時の写真がこれ。


1969年、パリに2ヶ月滞在して、ロンドン経由でニューヨークに入って次の日にジャスパージョーンズのアトリエでジョンとヨーコに会いました。

バンドの背後の一段高い所から紙ヒコーキを作って客席に飛ばしている人がぼくです。パフォーマンスとしてコラボした映像を最近入手。

1970年にニューヨークでジョン・レノンとオノ・ヨーコさんに会って、人気番組のデビッド・フロスト・ショーにプラスティック・オノ・バンドとテレビに出演した時のビデオから抜粋したカットです。






ポスターは自分の個展ポスターしか作らないけれど、たまにどこからか頼まれて作る場合がある。息抜きになるので健康の素!


2019年04月12日
ポスターは自分の個展ポスターしか作らないけれど、たまにどこからか頼まれて作る場合がある。息抜きになるので健康の素!

目下、第3弾を制作中。第1、第2弾とガラリと変るのが第3弾! 5月頃発表の予定。

NHK大河ドラマ「いだてん」の第2弾ポスターが街に貼られています。第1弾の中村勘九郎さんの球体になったエネルギー体が、第2弾でばらけて走り始めました。


2019年04月11日
若い頃は妄想だけで絵が描けたけれど、今は妄想も直観も閃きもいらない。体力さえあれば、勝手に描けるけれど、その体力が加齢と共に衰えているので、アアシンドーという感じで、気持ちと体力は別々だね。

高倉健さんの養女の小田貴月さんが、健さんとの昔の2ショットの写真を送ってくれました。京都東映で1968年の頃「荒野の渡世人」の時に撮られたものです。


この展覧会が好評だったため、また2回展が2年後位に予定されると思いますその時のオープニングには顔を出します。

西脇の岡之山美術館で紙スキの作品展が終りましたが開館以来の来客数の記録を作ったようです。2年間の集客が2ヶ月間に押し寄せた感じだったようで、ぼくはこの展覧会には東京での制作のため時間がなかったので行けなかったんです。

2019年04月10日
瀬古利彦さんとの対談「NHK/スイッチインタビュー 横尾忠則×瀬古利彦」の再放送が4月13日(土)22:00-22:59 Eテレであります。

「天災は忘れた頃にクール」とは言いません。ぼくの作品に「天才は忘れた頃に狂う」というタイトルの絵が豊島横尾館にありますけれど。

最近というか、もう少し前からだけれどアメリカで「クール」という言葉が目茶苦茶流行っていて、なんでも「クール」と言います。メールにまで「クール」です。まあ「カッコイイー」ということですかね。「クール宅急便」はクールですかね。

河出書房新社からは「文藝」で連載した「アトリエ会議」は単行本になる予定です、1冊まるごとか、分冊かどっちかで出ます。詳細はまた。

「文藝」で保坂和志さん磯崎憲一郎さんと「アトリエ会議」と題した鼎談を長年続けていたけれど、今度、朝日新聞のネット「好書好日」に移籍して、継続することになりました。(すでにツイートしたかな?)今月末頃から始まります。しゃべったままあまり編集しないまま出ます。

2019年04月08日
中国から出たばかりの「知日」というハードカバーの雑誌が全ページぼくの特集をやっているけれど発売と同時に増刷が決定。日本でも買えるんじゃないかな、アマゾンとかで。

今日辺りからロスで展覧会が始まったんじゃないかな。ギャラリー名は英語だからなかなか覚えられないけれど、やってるんだよね。

絵を描いても、誰も修正しろとはいわないけれど、デザイン的な仕事は必ず文句の一言、二言、注文をする。その注文も常識以下の常識の概念だ。一体何を怖がっているの、会社の上司の目だ。こういう上司のいる会社は社会悪だよな。

髪、振り乱して絵を描いていたので、今日はさっぱりヘアーカットへ。マッサージ、ヘアーカット、シャンプー、風呂は気分転換に最適。

成城の町はどこにでも桜があるので、わざわざ花見に行かなくてもいい。わが家の桜はすでに老大木で近所中に花びらを撒き散らしている。

今日「いだてん」の第2弾ポスターができた。NHKのネットで発表されるんじゃないかな。第一弾と交互に並べると面白いんじゃないかな。

年を取れば肉体がどんどん老化する。その変化に乗れば絵もわざわざ変化させようとしなくても自然に変化してくれる。ありがたいことさ。

でも、ハンディがあればあるほど、やったことがない、したことがない方法で変わったものが描けるような気がする。これからの老齢の絵はアール・ブリュットになりかねないね。芸術家廃業、職人宣言、いや職人は技術が必要、やっぱりアール・ブリュットかな。

コンサート、芝居、映画、テレビも観たいけれど耳がさっぱりでぼくの中から大きい文化が奪われつつある、目も悪く、5感のシャットアウトはどーしましょう。手も腱鞘炎でガタガタの絵だ。

ショーケンがマスコミで追っかけられていて、夜、ぼくの所へ来た。まさか横尾さんのところにいるとは思わないですからね。その内石田あゆみさんが電話で「もう帰れる?」なんて帰っていった。

ホテルの交換手は「ちょっとあの方、つないでいいですか? 内田という人ですが?」と怖がっていた。「どーしたの、ニューヨークからわざわざ、交換手怖がっていたよ」、「だって、どこを探しても横尾さんいない人だから、やっと四国でつかまえたよ」こういう友人はそーいないよね。

裕也さんと同じ赤いメーカーの同じ靴下を履いていて、その場で2人の靴下を交換したなんて、ちょっと兄弟仁義っぽいですよね。わざわざニューヨークのMOMA(近代美術館)でぼくの作品を見ただけで感激したと日本まで電話してきた。東京にいなくて、地方に移動しているぼくをやっとつかまえた。

2019年04月05日
ぼくのツイッターに対して応えていただくのは嬉しいけれど、ぼくの何の言葉に対する反応なのかさっぱりわからないのが大半です。何に対してこう思ったかが書かれていないので残念ながらコミュニケーションができません。

人と作品は一体というけれど、ぼくは分けて考えている。作品を見てもらいたい。人の方はどうでもいいです。

このこともすでに書いたかな? NHK大河ドラマの第一弾ポスターのあと、間もなく第二弾が発表されます。第一弾があって、第二弾が生きるよーに出来ているので2枚並べて見てもらいたいですね。第三弾は第一、第二とはまた全然違う。発表はもう少し先き。

2019年04月04日
絵を描きながら、時々ヤケクソになって画面を壊してしまうことがあるが、これは一歩間違うと新しい絵が生まれる瞬間でもあるが、また一歩間違うと大失敗をやらかすことになる。でも失敗は成功の素っていうじゃないですか。

ぼくは反復作品をよく描くが、これは分っていて描くんだから、記憶喪失ではないですよ。

前にも何度も書いたけれど、年を取ると同じことを何度もしゃべるように、同じことを何度も書くのは、結局書いたことの記憶がなくなるんだから、仕方ないねえ。

どーいうわけか、今まで描いていたスタイルの絵が、どうしても描けない。というよりは、描きたくないんだなあ。同じスタイルの絵を長年描き続けている人は飽きないのかなあ。頭で描くのと生理で描くのとの違いだと思う。

絵を描く前は、ド壺にはまれば面白い! と思うのだが、現実にド壺にはまると、さあ大変、蟻地獄に落ちたようで、はい上がれない。想像が現実になるということは恐しいことだ。

2019年04月02日
以前、トンガだったか、どこかの南の島の首長だかが来て、年を聞かれてびっくりして「知らない」と答えたけれど、あれでいいんじゃないかな。インドもネパールもメキシコでも、人と時間を約束して、守った人はひとりもいなかった。このデタラメさが絵に反映するといいよな。

何かにつけて時間や年令や月日に拘束されたくない仕事(絵を描く)をしているので、こーいうことにはうといんですよね。

新元号「令和」を受け入れるのには時間を要しそうだ。平成の時だってそうで、結局元号を使わないで、ほとんど西暦を使ってきた。今年が平成31年だということも昨日初めて知ったくらいだ。

指だけに限らず、身体の個所も随分老化してシワが増えている。まあ、受け入れるしかないけれどね。これから何かにつけて受け入れたくないことも受け入れなきゃならないよな。

2日前に左手の人差指の先端がひん曲がっているのに気づいてびっくりした。右の指なら筆を持つので、あり得るかも知れないけれど……。これって老化現象?

2019年04月01日
イケムラさんに会って、ドイツのA.R.ペンクが去年亡くなったことを知った。来日時に会ってから、そんなに時間が経ったのかなあ。ドイツの新表現主義のスター作家も、今では名を聞かなくなった人もいる。時代の潮流に乗り過ぎないで、存在するのは大変なことだ。

今日は家族で最終日のイケムラ・レイコさんの展覧会(国立新美術館)を見てきた。見ながら早く帰って絵を描きたくなった。いい絵はいつもこんな気持にさせてくれる。行動を促す絵こそがいい絵なんだ。居ても立ってもおれないような気に––。

絵はマゾにさせる。自分を追い込んんで追い込んで困らせる。そーしないと腰が上らない。気持ちに余裕があると、まだダメである。壁っぷちに追い込んで初めて力が出る。



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